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名もない野球人へのまなざし<旧刊再訪>

後藤正治『スカウト』講談社 1998
後藤正治『牙 江夏豊とその時代』講談社 2002


 98年の秋に刊行された『スカウト』を手にしたのは、その秋、オリックスの三輪田スカウトが自殺した翌日だった。それがきっかけで読もうと思ったわけではない。書店に入るたびに探していたのに、なかなか店頭に見当たらなかったのだが、たまたまその日に見つけることができたのは偶然なのか、それとも事件をきっかけに平積みした書店があった、ということなのだろうか。

 本書の主役は、広島カープのスカウトとして長年活躍した木庭教だ。木庭に同行して地方の球場や学校を歩く著者の前に、三輪田は、木庭の同業者として登場してくる(もちろん彼が自ら命を絶ったのは本書の刊行後だから、本書ではそのことには触れていない)。
 当時のニュースや記事は、枕詞のように三輪田を「イチローを発掘した敏腕スカウト」と書いていたが、本書の中の三輪田は必ずしもそうは描かれていない。著者によれば、「スカウトにはその眼力にプラスして“選手運”がある。三輪田は後者に恵まれたスカウトではなかった」となる。
 イチローについて、見事、予想が的中したわけですね、と問う筆者に、「いや、外れたわけですよ」と三輪田は答える。
 「将来ひょっとしたら三割を打つような選手になってくれるかもという期待はあった。ただし、これほどの選手になってくれるなんて夢にも思っちゃいませんからね。だから、イチローの場合も予測は外れだったわけです
 2ページ半ほどの短い記述は、事件を報じたどの記事よりも、馬鹿がつくほど正直で誠実な三輪田の人柄を如実に伝えているように感じた。

 このようにして、筆者は木庭に同行し、各地の球場や学校を回ると同時に、木庭と縁のあったさまざまな人物を訪ねて歩く。他球団の名物スカウトのほとんどに加え、木庭がスカウトした有名選手、あるいは成功できなかった選手たちに会っては話を聞く。衣笠祥雄、金城基泰、正田耕三、長嶋清幸、ほんの1、2ページの中で語られる彼らの人生は、それぞれに鮮やかだ。著者が一人一人に誠意を持って接し、敬意をもって描いているのが感じられる。そしてもちろん、最大の誠意と敬意は、本書の主役である木庭教に向けられている。
 凛とした職業人に敬意をもって接する年下の作家の態度が好ましく、読むほどに心が穏やかになる。そして、このように静かに描写される木庭の人柄や人に接する作法こそが、木庭がスカウトとして偉大な実績を築いた要諦なのではないかと感じさせる。

 江夏豊という日本のプロ野球史上のスターの1人を描いた『牙』でも、著者のスタンスに変わりはない。
 著者が江夏について取材した大勢の人々、すなわち当時の指導者、同僚選手、ライバルチームの選手たち、新聞記者、カメラマンらは、江夏について語るためだけに本書に登場しているのではない。
 後藤は、敬意と愛着をもって、彼ら自身をもきちんと描写する。彼らひとりひとりのすべてが、「江夏豊とその時代」を構成してきた一部であるからだ。

 ただ、『スカウト』との違いがどこにあるかといえば、木庭に対しては取材者に徹していた後藤が、江夏に対しては同世代人としての共感をベースに記述していることだ。著者自身もまた、「江夏豊とその時代」を構成する一員なのである。

 ここでも登場するひとりひとりの姿が胸を打つが、もっとも私の胸に響いたのは、最後をしめくくる無名打者、林健造である。彼は、江夏が「もっとも投げづらかった打者」として名を挙げた大洋の二流選手だ。今はタクシーの運転手となっている林の述懐。
「あの時代、プロの最高のピッチャーから、俺みたいなへぼバッターが打ったことあるんだということね、嘘みたいに思えるんですよ。…ピカッと一瞬触れ合っただけだけど、それでもそれは箪笥の奥に大事にしまい込んである宝物のようなもんです。人にいったことはないですけどね…」
 人は、たったそれだけの思いに勇気づけられて、その後の長い人生を生きていくことができるのだ。

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コメント

三輪田さん、私は随分、お世話になりました。仰木さんが亡くなった時にも書かせていただきましたが、当時、仕事でオリックス球団とお付き合いがありましたから。三輪田さんが亡くなったニュースは実は新婚旅行でハワイにいた時でした。夕方にホテルに戻り、日本語放送のニュースで自殺の一報を知り、呆然としました。テレビ画面を見ながら言葉もなく立ち尽くす私の姿を見た妻が何が起こったのか分からずに困惑していた姿が記憶にあります。非常に周囲に気を遣われる方でした。こうして三輪田さんの人柄を理解していただける文章を目にすると今でも涙が出ます。

投稿: stone | 2006/02/08 14:33

>stoneさん
うーん、それは辛い巡り合わせでしたね。
私自身は三輪田さんのことはほとんど知らないのですが、本文に書いた通り、たまたま亡くなった直後にこの本を読んだので、後藤さんの文章がそのまま彼の印象として刻まれています。本書を読んだ人はおそらく同様なのではないかと思います。
改めて、三輪田さんのご冥福を祈ります。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/02/09 14:46

 いい話です。

 異業種の人間としても、共感させられます。
 そういう私も、この先正規採用されなければ「今の経験」を箪笥にしまい込み、新しい世界に移らざるを得ません。

 「こんな俺でも、かつては教壇に立ち先生とまで呼ばれていた」
 それが「過去完了系」にならないために、今の経験が今後も生き続けるよう、その整理が必要です。

 栄光に輝く選手の裏で、いぶし銀の輝きを放ちながらも、誰に知られるでもなくその世界から去る選手もいます。
 表舞台で活躍しなくても、優れた才能は埋もれています。その可能性を発掘するスカウトの方々にとって、自身が発掘した選手の活躍は大きな経験となるでしょう。

投稿: はたやん | 2006/02/10 21:40

>はたやんさん
難しい状況に立っておられる、ということのようですね。幸運を祈っております。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/02/11 21:30

 先日、高速道路のトンネルを走行中にエンジンが故障しました。
 突然「パン!」という音が鳴り、その後はチェーンが切れたような「ガラガラ」音。料金所で停車したときエンジンも停止し、再び息を吹き返すことが無いまま現在修理に出しています。

 今年に入り、既に2回目の修理です。

 14万キロも走っているうえ無理をかけてしまいましたが、今の車を乗り続けたいと思いつつ
「次の車をスカウト」
する必要に迫られているかと・・・

投稿: はたやん | 2006/02/13 00:07

>はたやんさん
ご無事で何よりでした。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/02/13 09:23

 結局「タイミングチェーン断裂」であることが判明しました。
 度重なるトラブル、さらに14万キロを超えたことから、チェーン交換しても「更なるトラブルの発生」も懸念され、それを見越していたのか、新しい車が「スカウト」されてきました。

 今思えば、状況次第では「トンネル内事故」になっていた可能性を否定できず、車はトンネルを抜け料金所で停止するまで「私の命をつないで」、そして逝ったのかもしれません。

 新しい車が納車される日が、「最後の別れ」になります。
 今は、そこまで一緒に走り続けてくれたことに対して、「ありがとう」という感謝の言葉しか出てきません。

 教職の世界は正規採用されない限り、スカウトというより「都合よく呼ばれ、都合よく使われる」ところがあります。足元を見られているためこちらから要求を出すことは出来ず、かといって何も言わなければ「何でもOK」と判断されます。

 スポーツとは違うけど、やはり「役人根性ではなく、本気で使ってくれる人」からスカウトされて働きたいものですね。

投稿: はたやん | 2006/02/13 18:21

>はたやんさん
>教職の世界は正規採用されない限り、スカウトというより「都合よく呼ばれ、都合よく使われる」ところがあります。足元を見られているためこちらから要求を出すことは出来ず、かといって何も言わなければ「何でもOK」と判断されます。

仄聞するところでは、たいへん難しい組織だと感じます。労使ともに民間企業の常識と著しく異なることが通用してしまうところがあるようですね。全員がそうだということではないでしょうけれど、特定の構成員の異常な振る舞いを有効に抑制する仕組みがないらしいと感じます。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/02/13 22:16

コメントが元の話題から脱線してしまい恐縮です。

要するに、教職の世界も「有望な人材をスカウトし学校裁量で採用する」ような制度があると、絵に描いた餅が「本当の餅」に変わる可能性が出るんじゃないかと思うのです。税金で成り立っている以上、限りなく不可能ではありますが。

新卒から8年間を民間で過ごした私にとって、「新しい発想を取り入れたい」という思いが強く、自分の授業の中でポイント制を導入しています。
遅刻せず早く教室に来れば、その分ポイントを加算し、年間のトータルポイントの数パーセントを成績点に加算するというもの。どの学年にも「遅刻・抜け出し常習者」がいる状況の中、ポイントの中間発表以降、遅刻・中抜けがパッタリなくなりました。

民間で得た価値観を学校で活かすには、教員たちに伝えるより自分の授業の中に盛り込むのが確実です。良くも悪くも「良い経験」になっています。

しかし、どんなに創意工夫し成果をあげても、1校だけしか勤務経験が無ければ「世に出にくい」のが現実です。

「ほめてやらねば人は動かず」
「努力に対し褒賞を与える」
そんなことを本気で考えている今日この頃です。

投稿: はたやん | 2006/02/13 23:59

>はたやんさん
>要するに、教職の世界も「有望な人材をスカウトし学校裁量で採用する」ような制度があると、絵に描いた餅が「本当の餅」に変わる可能性が出るんじゃないかと思うのです。税金で成り立っている以上、限りなく不可能ではありますが。

私学ではそういう面はどうなんでしょうね。
一般論として言えば、新卒でずっと教員をやっていて学校の世界しか知らないよりも、他の職業の経験がある方がいいと思います。

いずれにしても、学校というのは本来、子供をある鋳型に嵌め込んで「一人前の大人」に仕立てる工房のようなものではないかと思います。ただ、どのような鋳型にするのか、「一人前の大人」とはどのような存在なのかに関して、社会的な合意が崩れている。
いろんな人がノスタルジックに「昔の先生は立派だった」と言いますが、たぶん鋳型がしっかりしていて、教員のやることを社会が是認し、本人も迷う必要のない時代だったからこそ、昔の先生は立派でいられたのでしょう。この時代に教員をしていこうという志に敬意を表します。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/02/14 10:10

>私学の場合
 教職を希望する「卒業生」が優先される傾向があるようです。極端な例で、新卒をいきなり正規採用することもあるとのこと。
 私学の採用方法として、公立に似た「適性検査」を経て採用されるケースと、学校独自の判断で個人を「無試験採用」する場合もあるそうです。

 したがって、スポーツ界の純粋なスカウトとは異なるようです。

 「序列化されてしまった」側の学校で働いていると、地域社会から「教員も序列化されている」風潮が伝わってきます。
 そのような背景もあり、今は社会的な合意が崩れています。「学校のルールなんか守らなくて良い」と教育する親もいるような状況で、そういった家庭に対し「学校も社会も同じ、ルールは厳守すべし」と一喝できる風土が出来ていません。
 そもそも、多くの教員が「社会のルールを分かっていない」という痛い現実もあり、「なぜ遅刻に厳しいのか」を説明できていない教師もいるようです。

 「3回遅刻で1日欠勤」という、企業社会のシステムを知っているのは、実際に企業社会に身を置いたことのある一部の人だけです。

投稿: はたやん | 2006/02/14 17:23

スポーツ界のスカウトも、学校や指導者との関係を構築することがかなり重要ではありますが、それは「いい選手」を獲得するために重要なのであって、関係を維持するために実力の劣る選手を獲得するということは、あったとしても多くはないだろうと思います。


>教職を希望する「卒業生」が優先される傾向があるようです。

なるほど、それは外から入ろうとする人には厄介ですね。
学校側からすれば、対象者の成績やコミュニケーション能力、人柄などを在学中に十分に把握した上での選択なわけですから、こういうやり方にも一定の合理性があるとは思います。ただ、この手の純血主義は往々にして先細りにつながりかねないので、賢明なトップであれば、並行して外部の活力を導入することも考えるのでしょうけれど。

>そもそも、多くの教員が「社会のルールを分かっていない」という痛い現実もあり、「なぜ遅刻に厳しいのか」を説明できていない教師もいるようです。

学校制度の起源には、人民を軍隊や工場労働に適応させるために作られた、という側面があったと記憶しています。だとすれば、「遅刻しない習慣を身につけさせること」は、何かの他の目的(「授業を円滑に進めるため」とか)のための手段ではなく、学校が生徒に教えるべき主目的そのもの、ということになりますね。
教員が学校の存在理由を「創造性を育むこと」などと勘違いしていると、遅刻してはいけない理由がわからなくなってしまう、という気はします。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/02/14 19:45

>教員が学校の存在理由を「創造性を育むこと」などと勘違いしていると、遅刻してはいけない理由がわからなくなってしまう、という気はします。

 仰せの通りで、現実に「分からなくなっている」と思います。
 せいぜい「校則で決められているから」と解釈されている程度であり、これに「社会に出る前の訓練」がこめられていることなど、生え抜き教員の中には知らない人も多いと思います。

 全てのルールには「理由」「目的」があります。
 私は全ての「説明」において、その理由・目的を伝えるようにしています。

 特に高校は、社会との「橋渡し役」と思うのです。
 社会のルールに順応するための「準備期間」であり、確かに校則を紐解くと、その多くが「社会のルールを意識したもの」であることに気づかされます。

投稿: はたやん | 2006/02/14 22:55

ひさしくご無沙汰しておりました。記事はいつも拝見していたので、たまったものがたんとあり、少しずつ出していこうと思っています(笑)。

中日ファンであるわたしにとって、『スカウト』という本は、幕田賢治という名前と切り離すことができません。名門横浜高校出身で、180cmを軽く超えるめぐまれた体格に高い身体能力。作中の後藤正治が幕田をはじめて見たときに感心したように、私も感心し、将来に期待していたものです。しかし全くといって良いほど芽が出ませんでした。その可能性を、作中の木庭教は、集中力というか考える力のなさというかたち(正確にこういう表現ではなかった気がします)で早くも感じていました。その眼力に感嘆すると同時に、それを変えることが出来なかった本人とコーチたちを思ったものです。

その一方で、そういった技術以外の面を、はたしてプロに入って、特に2軍でスタートした場合で変えられるのかという疑問にもつきあたります。以前、2軍に関する記事のコメント欄で、社会人であっても真剣勝負こそが選手を育てているという話が念仏の鉄さんからありました。たしかに、真剣勝負でないと、そういった面は育たないのかもしれません。

そう考えると、するべきでない選手を指名してしまうことは、ほとんど目立つことはないけれども、大きな悲劇なのかもしれません。そういう意味で、あらためてスカウトというのは大変な仕事ですし、どのスカウトに出会うのかというのは、どの球団に指名されるのかよりも大切なことなのでしょうね。

投稿: E-Sasa | 2006/02/22 20:18

>E-Sasaさん

ご無沙汰しました。コメント、こちらに付け替えておくということでよろしかったでしょうか(笑)。

選手のメンタリティというのは入団後の伸びしろに大きく影響する要因で、おそらく、優れたスカウトであれば、それを判別するための指標を、いろいろと心得ているのだろうと思います。

幕田の話で連想しましたが、『マネー・ボール』の主人公ビリー・ビーンも、恵まれた体格と身体能力から大いに期待されたにも関わらず、何かが欠落して成功できなかった選手でした。そのことに対する深い失望感が、彼が「スカウトの目」に不信感を抱き、過剰なまでにデータを信奉するようになった原動力だと著者のマイケル・ルイスは描いていました。
つまり、ビーンほどの鋭い知性の持ち主でも、なぜ自分が野球選手として成功できなかったのか、いまだに把握できていないのだと思います。だから、その部分を忌避してしまう。
ある選手の未来を完璧に予測することなど、誰にもできはしないのでしょう。それでも、少しでも精度の高い予測をしようと誰もが苦心するわけですが。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/02/22 20:33

ありがとうございます。ご迷惑をおかけしました。

実は私も『マネーボール』を頭に思い浮かべていました。一般的には、ビーンは野球において出塁率が重要であることを発見したと受けとめられていますが、私は、ビーンは出塁率がもっともその打者の人となりをあらわすことを発見したのだと思ってます。半分洒落ですが、半分本気です(笑)

あの本の面白いところは、精密なデータの積み重ねというテーマがある一方で、ハッテンバーグやブラッドフォードの伝記的な部分も不可欠な部分だというところです。最終的な結論も、ストライクゾーンをコントロールする能力が重要なんだという、明確ではあるけれど、たいへん数量化しにくいものでした。徹底して合理化・数量化を行って最終的にそうではないものに突き当たるというのは、ステレオタイプな見方は危険ですが、アメリカ的な探求心のありかただなと思います。

しかし、木庭型にせよ、ビーン型にせよ、彼らのしぶとく長くやり続ける情熱というか執念こそがおそるべきものだと思います。

投稿: E-Sasa | 2006/02/24 22:51

>あの本の面白いところは、精密なデータの積み重ねというテーマがある一方で、ハッテンバーグやブラッドフォードの伝記的な部分も不可欠な部分だというところです。

と同時に、セイバーメトリックスの生みの親ビル・ジェイムズの伝記でもありますね。彼についてのくだりを読むと、私は宇佐美徹也さんを連想します。記録のデータから選手の人となりを読み取ることができるのだと、私は宇佐美さんの一連の著作に教えられました。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/02/25 11:38

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