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普通の人の、普通の人による、普通の人のための競技。

 カーリングは、一度だけ講習会に参加したことがある。経験というほどのものではない。ちょっと触ってみました、というところだ。
 ストーンを投げられるようになるまでに、何度も転んだ。つい手の力でストーンを投げようとしてしまうのだが、投げる瞬間に力を入れると、石は重くて急には動かず、こちらの足元は不安定なので、すぐにバランスを崩す。作用-反作用の法則とはこのことか、と数十年ぶりに納得した。
 スターティングブロック(正式名称は忘れたが)を蹴って身体ごと前進し、あるタイミングでストーンを摘んでいた手を離すと、すーっと身体から離れていく。と同時に、ゆるやかな回転をかけながら、30メートルくらい先の数センチを狙う。この繊細で精密な競技を、粗雑で集中力のない私が2時間以上も戦い続けることは、到底無理だろうと痛感した。

 トリノ五輪でのカーリングは、日本にとっては救いだったと思う。リーグ戦を9試合も戦うので、最終的な順位はともかく、何試合かは勝つ。勝った日はとりあえず喜べる。なにしろここまで他の競技では喜べる局面がひとつもなかったのだから。

 競技終了後、例によって今朝のテレビ番組に選手たちが揃って出演した。
 日本のスタジオにずらりと並べられた、一面に自分たちの写真が載った新聞を見せられて、スキップ小野寺歩が、ぽかんとしていた表情が印象的だった。
 さらに印象的だったのは、ソルトレーク五輪のスキップだった女性からのメッセージを伝えられ、感想を求められた林弓枝の発言の中に、「私たちも後戻りできないし」という言葉があったことだ。口調は穏やかだったが、お疲れさまモードのスタジオの空気にそぐわないほどの、強い言葉だった。

 映画にもなった常呂町のチーム「シムソンズ」で出場した2002年ソルトレーク五輪の後、小野寺と林は青森に移り、シムソンズは解散している。現在27歳の2人は青森市文化スポーツ振興公社の職員だ。
 詳しい事情は知らないが、おそらく2003年に地元開催した冬季アジア大会を睨んで青森市がカーリングに力を入れ始め、2人をスカウトしたということなのだろう。
 チームを離れ、他県に移るには葛藤もあったことだろう。年齢的には20年先でも現役でいられる競技だけれど、別のテレビ局で「バンクーバーは」と聞かれて、2人からはとっさに言葉が出てこなかった。もしかすると、今後について本人たちの意思では決まらない面も大きいのかも知れない。(注1)
 林の「後戻りできない」という言葉の中には、いろんなものを断ち切り、この大会だけに賭けてきた思いが込められているような気がした。
 そんな不安定な競技環境の中で、どう見ても50歳前後の大ベテランがスキップを務める強豪国に立ち向かったのだ。よく頑張ったと思う。

 カーリングの専用リンクは、北海道のほかは青森と長野くらいにしかない。東京のカーリング愛好者たちは、公共スケート場が一般公開される前の早朝の時間帯を借り切って練習をしている。もちろん専用リンクではないから、釘をつかったコンパスで氷の上にがりがりとハウスの四重丸を描いてプレーする。そんな環境でも、全国大会でいい線まで行くこともある。
 だとすれば、例えばフジテレビあたりがお台場に自前の専用リンクを作り、社技として社員たちが練習に励めば、いつか「チームCX」を五輪に送り込むことも、それほど難しくないのかも知れない(出来合いのメダリストを囲い込んだあげくに酒場で暴れさせたりするようなやり方よりは、ずっと世の中のためになるだろう)。

 そう思う反面、常呂町のような小さな町が、一説には議会で灰皿が飛んだというほど紛糾しながら分不相応ともいえる専用リンクを作って町おこしに賭け、地場産業のように五輪代表を生み出してきた経緯を考えると、資本の力でそれを踏みつぶすような状況は見たくない、とも思う(いや、完全に取り越し苦労だと思いますが(笑))。
 この冬、国内での出張で飛行機に乗り、機内誌を開いたら、「ホタテの旅」みたいなグルメ紀行の記事に、常呂町漁協から紹介された案内役として敦賀信人君が出てきて驚いた、というくだりがあった。長野五輪でスキップを務めた青年は、卒業後は家業の漁師を継ぎ、競技も続けているという(今回の五輪ではテレビ解説をしていたそうな。私は見逃したが)。こういう競技が、ひとつくらいあってもいい。いや、あってほしい。

 多くの競技で商業化・見世物化が急速に進んでいく冬季五輪の中にあって、カーリングはおそらく、国際的にも商業ベースに乗るとは思えない。
 普通の人が普通に頑張る姿を見せてくれるという意味でも、カーリングは日本にとってだけでなく、この五輪そのものにとっての救いであったように感じている。

(注1)
試合後の記者会見や報道によると、小野寺と林はこの大会で「一区切り」と考えていたようだ。日本代表のミキ・コーチによれば「いちばんいい年齢は28歳から36歳ぐらい」とのこと。(2006.2.22)

(追記)
青森への移籍の事情は、たとえばゲンダイネット「女性アスリートの素顔と私生活/小野寺歩」に詳しい。要するに、常呂町では生活が成り立たなかったということのようだ。青森側も、わざわざスカウトしたのなら、せめて五輪くらいまできちんと面倒見ろよ、という気もするが。

(追記2)
目黒選手の父親が2年前に読売新聞北海道版に書いたらしい文章を見つけた。

「それにしても、常人においてオリンピックを目指すということは、異常なことである。ここまでくると、仕事かスポーツか、学生なら学業かとか、二者択一を迫られるようなところがある。特にわが国の場合は、それが強い。

 たとえ、オリンピックであっても、両立すべきなのが本来の社会の仕組み、人生の姿ではなかろうか。

 その点、カーリングはまだ救われているところがある。オリンピックや世界選手権に出場する外国チームの選手たちを見ると、会計士であるとか、女医あるいは学校の先生とか、職業と両立させている人は多い。もちろん、女子はママさん選手がほとんどだ。

 たとえオリンピックであっても職業と両立させることができるスポーツなのである。このことが、私がカーリングを好きな理由の一つでもある。」

 私がこのエントリで書こうとしたことは、たぶんこれに尽きる。
 ところで、これを読むと目黒選手のお父さんも本気でトリノを狙っていたようだ。うまくいけば父娘同時出場だったのか。(2006.2.22)

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コメント

 結局スイスに敗れましたが、それまでの結果を含めて考えるに、「勝ち誇るに値する敗北」だったと思います。

 また、分かりやすい解説と選手のビジュアルも好評で、カーリングを知らない人たちへの理解を促した効果も無視できないと思います。

>敦賀選手
 多くの競技で「専門チーム」を組まなければ世界の第一線に名乗りを挙げられない状況の中、生業となる仕事を持ちながら競技も続ける敦賀氏に対し、好感を得た人は多いのではないでしょうか。

 世の中には、競技一筋では生活が成り立たず、何らかの生業を別に持っている人は大勢おられます。

 カーリングは競技者・愛好者とも層が薄く、野球やサッカーのような「専念できるシステム」「新人発掘のシステム」が確立していません。

 その分、大会に登場するチーム・選手は、一見どこにでもいそうな「ごく普通の人」であり、その人たちが「駆け引きを楽しみ、実力をフルに発揮する」ことで、今回の好成績が得られたのだと思います。

 メダルが無くても、今回この競技を見て、チームも好成績を上げることが出来たのは、視聴者としても大きな成果だと思います。

投稿: はたやん | 2006/02/21 19:16

映画「シムソンズ」見てきました!
良かったですよ!とても後口の良い青春映画でした。

そしてスポーツ映画としても優秀です。カーリングというスポーツの面白さと「かっこよさ」を見事に伝えています。例えば、カーリングのストーンの投げ方って独特じゃないですか。最初に見たときは誰でも「ヘンな格好」と思います。でもこの映画を見終わったら「かっこいい!」と感じるようになるんですね。(ちなみに主人公たちが投球フォームの練習を教室でしているギャグは、小粒ですが美味しかった)

個人的には、「大資本代表」CXチームと「ローカル代表」常呂チームが全日本を競り合うのが見たいですね。んで当然、常呂チームが絶対不利な状況から友情・努力・勝利でCXチームを打ち破るんですね(王道)。そしてその物語がフジテレビで放映されるという…(笑)。常呂の「まちおこし」のために東京大資本をしたたかに利用してほしいものです。

投稿: 馬場伸一 | 2006/02/22 09:21

>はたやんさん
目黒選手のお父さんの文章をエントリに追加しました。まったく同感。これに尽きます。

>馬場伸一さん
>映画「シムソンズ」見てきました!

早いですね(笑)。
トリノのスタンドで、標的に赤い血が飛び散ったような旗を振ってる人がいて、何だろうと思ってたんですが、あれは映画の図案だったようです(笑)。この時期にこういう映画とはえげつない商売だと思いたくなるところですが、選手たちとは直接関係ないことだし、映画の出来もよいようですから、よしとしましょう。

>そしてその物語がフジテレビで放映されるという…(笑)。

映画からドラマ、「ウォーターボーイズ」のパターンですか。本当に考えてそうだなCX。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/02/22 11:43

 まだまだ注目競技が残っているにもかかわらず、私の中ではカーリングの準決進出が途絶えた時点で、「トリノ五輪は終わった」ような気分です。

 私の住んでいる地方でカーリングは「別世界のスポーツ」ですが、TV中継を通じて「千里の外に勝利を決するには忍耐こそ第一」ということを思い知らされました。つまり、最後の最後まで勝敗はわからないということです。

 それでも、勝利を決するには周到な準備と駆け引きが必要であり、そのために「点を取らない」「相手に点を取らせる」という選択も有効であることが、今回のカーリング競技で痛いほど思い知らされました。

投稿: はたやん | 2006/02/22 21:38

スイスとの戦いを終えた後の選手たちの泣き笑いのような顔、爽やかでした。冬季五輪ではヘルメットやゴーグルなどで顔が覆われたままプレーをする競技が多い中、戦いの表情を全てさらけ出すカーリングは、選手たちの真摯な表情を観ることができ、それだけに思いが伝わってきて、とても良かったです。トリノで一番長い時間日本からみつめられ、応援された彼女たちは、(少なくとも会期中は)幸せものだったと思います。爽やかに泣き、そして笑う選手たちを見ていると、今後の彼女たちを取り巻く環境の変化がどうあれ、生きる方向がどうあれ、トリノでの戦いがこれからの人生にとってプラスになってくれることを願ってやみません。

投稿: 考える木 | 2006/02/23 01:48

映画の「シムソンズ」ですが、競技のほうにかなり入れ込んでしまっていたので、私は物足りなさを感じてしまいました。

ストイックなスポ魂もの期待すると裏切られますので、その点はちょっとだけ押さえておいたほうがよいかもしれません。

あと、関東ではミニシアター系上映で、時間限定上映スクリーンが多いので気をつけてください。

フルタイムでやっていたのはみなとみらいのマイカルシネマズだけでしたし、予定では明日までで上映終了です。それほど大きなビジネスとしては期待されていないようです。

ちょっと気になったのがカーリング協会の立ち位置は、この映画に対しては「協力」となっていること。ということはこの映画の興行収入がカーリングの普及に対して有形のものとはならないかも知れません。

なんにせよ、五輪イヤーだけ盛り上がる競技の一つにならぬよう、関係者はたゆまぬ努力を続けていってほしいものです。そして強力なバックアップをしてくれる有力者や有力企業が現れることを願います。

あと、映画の企画が総合格闘技PRIDEを主催するDSEのものだったので、高田延彦が結構主役の女の子たちと絡む役で出演しています。

投稿: エムナカ | 2006/02/23 20:55

>はたやんさん
>「トリノ五輪は終わった」ような気分です。

何をおっしゃいますか。カーリングの男女決勝はこれからですよ(笑)。

>考える木さん
>トリノでの戦いがこれからの人生にとってプラスになってくれることを願ってやみません。

同感ではありますが、同時にカーリングというのは、それまでの人生が大いに影響する競技であるような気もします。チーム青森の誰かが、そして男子・敦賀選手が再び五輪のリンクに立つ日が来るといいなと思っています。

>エムナカさん
>ちょっと気になったのがカーリング協会の立ち位置は、この映画に対しては「協力」となっていること。ということはこの映画の興行収入がカーリングの普及に対して有形のものとはならないかも知れません。

たまたまトリノ五輪で注目されたから、競技が映画を引っ張る形になっていますが、そんなことは誰にも予想できなかったはず。だいたいシムソンズ出身者のいるチーム青森が代表に決まったのだって昨年11月です。映画の制作はもっと前から始まっていただろうし、カーリング関係者にとっては、映画にしてくれるだけでありがたいという話だったんじゃないかと思いますよ。
映画の興行は博打のようなもので、大赤字になる可能性もあるのですから、「有形のもの」なんて話は映画がヒットして収益が残ることが確実になってからすればいいんじゃないでしょうか。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/02/23 22:03

>カーリングの男女決勝はこれからですよ(笑)。

 そうでしたね(笑)
 日本はここまでですが、さらに準決勝・決勝がありました。

 但し、カーリングの大まかな流れが分かったこと、そして強豪を攻略した日本チームの活躍を見ることが出来れば、この時点で早くも「元を取った」ような気分ではあります。(笑)

 年齢が高い人も第一線で活躍されていることから、今回参加したチームや敦賀選手らの晴れ舞台を、今後も見たいですね。

投稿: はたやん | 2006/02/23 23:05

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