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ワタシをスキーに連れてってくれないのなら。

 冬季競技にはあまり詳しくないので、トリノ五輪の個別の結果についてどうこう言う気はない。ただ、全体的な状況としては、原田雅彦、清水宏保、岡崎朋美ら長野五輪の英雄たちを前面に出して戦わなければならないこと自体に、いかにも苦しげな印象を受ける。
 例えばサッカーの日本代表で、長野五輪と同じ1998年に行われたワールドカップ・フランス大会の先発メンバーのうち、今年のドイツ大会でも先発メンバーに残りそうなのは、当時のスタメンで最も若かった2人(川口能活と中田英寿)だけだ。冬季競技も選手寿命が伸びているとはいうものの、8年前の顏がそのまま通用する世界ではあるまい。
 だが、長野五輪で大成功したノルディックスキーのジャンプや複合、スピードスケートといった分野のうち、当時の選手に匹敵、あるいは凌ぎそうな若者は、スピードスケートの加藤くらいしか見当たらない。

 これはある意味では奇異なこととも言える。
 長野五輪では、日本人選手が掛け値なしに大活躍した。それほどの活躍を見せれば、その競技を目指す少年少女は増えるのが普通だ(女子フィギュアスケートでは、まだ五輪で活躍していないというのに、すでに全国のスクールに入会希望者が殺到していると報じられている)。まあ楽観的に考えるなら、“長野効果”が現れてくるには、もう4年くらいかかるのかも知れない。
 だが、一方で不安な材料もある。ウィンタースポーツそのものの地盤沈下だ。

 競技を支える環境には、若年層を含めた娯楽としての競技人口と、トップレベルの競技チームを支える経済的基盤の2つがある。スキーもスケートも、前者はここ10年以上、縮小傾向にあるようだ。
 私自身はスキーもスケートもしたことがないのだが、小中学生時代の70年代には、スケート場は少年少女が普通に遊びに行く場所だった。大学生活を過ごした80年代は、冬にスキーに行かない大学生は極めて稀だった。
 だが、今の若者はそうではないらしい。全国でスケート場の閉鎖が伝えられる。本州の都市部どころか、北海道でさえ同じ傾向にあるという。地場産業のようにスケート選手を輩出してきた苫小牧ですら、だ。温暖化の影響か、野外リンクだった場所に氷が張らなくなってもいるという。
 一方のスキーは、もともと競技人口は多いのに競技水準が上がらないという不思議なスポーツだったが、バブル崩壊後はスキー人口そのものが減少傾向にあるという(まあ、アルペンはともかく、ノルディック競技の水準と苗場スキー場の客の数との間に相関関係があるとも思えないけれど)。

 そして、経済的基盤。スキーファンの女性が作った「ジャンプ用語辞典」の「実業団」(「さ行」)の項目を見ると、「○○(廃部)」の表記の何と多いことか。レギュレーションの不利な改訂よりも、北海道経済の冷え込みこそ、真のジャンプ衰退の理由ではないかと思えてくる。
 もともと冬季競技は、寒冷地に所在する限られた数の企業によって支えられてきた。地方の経済が冷え込めば、競技をサポートする力が衰えるのは必然だ。

 日本国民の多くがスキーやスケートを以前ほど好まなくなったのなら、それらの競技力が衰えていくのは仕方のないことだろう。それでも強くあってほしいのなら、相応のサポートは必要だ。国民やメディアが、そういう背景を無視して、4年に1度のメダルだけを求めるのであれば、いささか虫が良すぎる話だ。メダルの有無は残りの3年11か月の結果でしかないのだから。
 とはいえ、税金をつぎ込んで強化という時代でもないし、実業団が全面的に競技を支えることは、他の多くのスポーツと同様、もはや望めなくなりつつある。
 いわゆる実業団スポーツの枠組みに依存していない女子フィギュアスケートが、冬季競技で唯一といってよいほど若い有望選手を輩出しているのは、偶然ではないように思う。ほとんどの選手は学生のうちにトップレベルに成長してしまうし、卒業後も競技を続ける選手は、形式的には企業に属するが、強化は個人単位で行っている(たとえば村主章枝はエイベックス所属だが、エイベックスにコーチがいるわけではない)。これは、夏季五輪の個人競技の多くで見られるようになってきた枠組みと似ており、今後は冬季種目もこのような方向に構造を変えていかざるを得ないのだろうと思う。
 長野五輪の後、清水宏保は三協精機(現在の日本電産サンキョー)を退社し、スポンサー企業から支援を受けるプロ選手への転身を図った。当時は周囲を当惑させた彼の決断の意味は、8年後の今なら多くの人に理解されるだろう。

 ただ、「税金をつぎ込んで強化という時代でもない」とは書いたが、これはあくまで程度の問題。
 日本スケート連盟の鈴木恵一・スピードスケート強化部長は、「日本のスケート界が要望したいのは国立と名のつく競技施設(室内400Mリンク)だ」と月刊国立競技場に書いている。彼らが我々にどれほどの喜びを与え続けてくれたかを思えば、そのくらいの望みは叶えられてもよいのではないかと、個人的には思っている。競技の性格からいっても、トップレベルの選手が優先的に使える施設さえあれば、あとは個人単位で強化ができるのだから。


追記)
 2/23付読売新聞に掲載された、スピードスケート男子・牛山貴広選手についての記事が興味深い(ネットには転載されていない)。24歳で初めて五輪に出場した牛山は、すでに現役を退くことを決めているという。三木修司記者は、デビュー時の牛山の初々しさ、現在のキャプテンシーを、思い入れ深く描く。記事中から牛山の談話を引用する。

「五輪に出て自分が大きくなれたかというと、そういう実感はありません。この先、今までと同じように1人でやるとしても、4年間の練習には耐えられない……」
「環境が許してスケートを続けるとしてもコーチの道を選ぶ。でも、企業で指導者を抱えるチームはほとんどない」

 そして三木記者は記事を次のように締めくくる。

「ソルトレーク五輪代表の武田豊樹も『スケートだけじゃ食っていけない』と、大会後に競輪に転身していった。多くの若い選手が直面する現実が、牛山には悲しい。」
(2006.2.23)


追記2)
このエントリを書いた時点ではスケートリンクの閉鎖など全く話題になっていなかったのだが、荒川静香が金メダルを取った後、記者会見で口にした途端に、新聞が騒ぎ始めた(たとえばこちら)。金メダルのご利益というのは、こういうところにも現れる。競技団体にとっては「まずは無理をしてでも強化してメダルを取って、メダリストが窮状を世間に訴える」という方法もあるのかも知れない。まあ、荒川の訴えが実を結ぶかどうかは、まだわからないが。(2006.2.28)

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コメント

こんにちは。
いつも楽しく拝見させて貰っています。
今回見ていて思ったのは、メディアがあれだけコンテンツとして
視聴者に五輪を提供しているならば、彼らがスポンサーから受ける
収益を競技者に還元してもいいのではと思っています。
収益は勿論競技者自身もですが、主に未来の競技者、育成部分に
関して還元されると想像すればですが。そうして安定した選手を五輪の
舞台に供給できることが、結果彼らの収益に還元にもなるでしょうし。
サッカーくじトトの収益よりも、こちらの方が実利があるように思えます。
こうした考えは勿論異論であるのですが、かつての純粋な中継からかけ
離れた、押しつけがましいドラマ調を売りにされるのを見せられると、
案外視聴者も納得するかも知れません。

投稿: hide | 2006/02/19 17:11

私はこのトリノ五輪期間中にJOCのサイトを見て、いわゆるJOCサポーター組織ができていることを知りました。早速個人会員登録しました。

http://www.joc.jp/support/index.html
チーム がんばれ!ニッポン

もちろん冬季競技だけでなく、JOC傘下の競技団体へのサポートを目的としたものです。

競技人口の多いサッカーなどでは、選手登録の収入だけでもかなりのものがあるのですが、サッカーはもう別次元のビジネスになっているのであまり参考にならないでしょう。

いわゆるマイナー競技になってしまうと選手の登録料では運営できません。競技団体に対するスポンサーを確保できるかできないかで、強化体制が大きく変わります。今までは法人に頼るのが当たり前だったので、逆に言えば法人スポンサーが下りてしまうと、年間1千万円の強化費用が翌年は0になる可能性もあります。

そういう危うさを避けるリスク回避の意味でのサポーター団体を組織することはこれからの主力になっていくと思います。
極端な話、株式投資と構造は同じですが、配当は強化選手の活躍、株主総会もどきの選手団結団式レセプションがあるといったところでしょうか(もどきといったのは、株主総会は1株の株主でも参加の権利ガあり、議決権の行使ができるのだが、選手団結団式は一部の限られた人しか参加できません)


フィギュアスケートは外部団体にファンクラブ組織のようなものの運営を委託しているようです。日本連盟主催の競技会のチケット優先予約等ができるらしいですよ。

投稿: エムナカ | 2006/02/19 18:44

 バブル崩壊前後に大学生だった私は、これまでに数回スキーをしたことがあります。4年のとき、アルバイトで稼いだ資金で初心者向けのセットを揃えました。

 言葉が悪いのですが当時のスキーは、「ぶ男でもモテるかも知れないアイテム」であり、それを狙って4WD車を買い、スキーセットを揃え、スキーそのものより「スキーのあと」に話題が集中する時代でもありました。
 もっとも、私にはそこまでのご縁はありませんでしたが(笑)。

 振り返ると、それ以前にあった「テニスブーム」に通じるものがあるかと思います。テニスウェアが「トレンドアイテム」だった時代があり、白いウェアでコートに立つ姿が見られました。
 但し、「多機能ウェア」を求める現在では、逆にテニスウェアでコートに立つことが稀になっているようですが。

 スキーもテニスも、一時期プレー人口が激増した時期がありますが、競技者レベルは比例することなく「レクリエーション」の域を越えることがありませんでした。

 多くのスポーツが、トップ選手を頂点とした「競技者のピラミッド」を攻勢するのに対し、スキー・テニスは競技者と愛好者がそれぞれ「個別の枠組」の中、相容れない状況になっている印象があります。

 競技性を追及するものはレクリエーション性が低く、逆にレクリエーション性が中心のものは競技性が向上しない。
 両方をうまく結びつけて「愛好者も競技力も向上」というのは、難しいのかもしれませんね。

投稿: はたやん | 2006/02/19 21:07

はじめまして。いつも楽しく拝見させていただいています。

>楽観的に考えるなら、“長野効果”が現れてくるには

逆だと思います。長野五輪までは、「長野のため」という強化費用がついたのです。
荻原選手を筆頭にかつてあれだけ強かったノルディック複合チームは、五輪前の若手育成時期、外国チームから「弱いのに金をつぎ込んで信じられない」と揶揄されていたのです。でも、長期強化策と技術的転換期がうまく実を結びました。
そして、冬のスポーツ産業と関連企業・長野県もバブルだったのです。五輪のおかげで。

ウィンタースポーツは、夏の競技に比べてとてもとてもお金がかかります。五輪後は政府の強化費もつきませんし、バブルもはじけました。地域の経済とそれに支えられてきたスポーツ組織は運営費の赤字と国際レベルの競技施設建設費・後日の維持費負担を抱え込んでしまいました。
一方で、全日本レベルでは平均年齢70歳代という組織が旧態膳としてあり、かわらない運営をしています。ノルウェーのように数週間先に現地入りして対策を採るスタッフが選手より多いような国と比較して、お偉いさんの「視察団」が多い日本のまま。

余談になりますが、長野五輪を開催した各地は、開催期間ですらポスター・HPに五輪ロゴや言葉を入れるには、IOCにお金を払わねばならなかったのです。五輪後の赤字のために継続できなくなった伝統の競技大会もあります。長野の開催地は圧倒的に持出しが多いのです。

スキーの競技人口といっても、実際の競技人口は極めてわずかです。本当にトップレベルに位置できるには、シーズン中はせめて毎日練習できる環境にないといけません。野球選手並にスキーの練習ができるとなると、スキー場近辺の地方在住者もしくは、一年を通して合宿させ(夏場は当然海外)、義務教育の間は家庭教師をつけられるだけの財力をもつ子弟チームのみ。大学生のスキー部なんてインカレ1部以外は、地元の中学生のトップ方が上手かったほどです。というか、かつての地方スキー部の優秀な選手も大学生になって充実した環境になければ、すぐ練習量豊富な地方の高校生・中学生以下になってしまいます。

北海道や長野・青森・新潟等の地方でスキー競技を支えていたクラブは過疎で子供そのものが少なくなりました。スキー場近辺に住む子供たちの家は観光収入は激減しました。スキー選手を続けても大学はともかく、就職がありません。かつてはある程度スキー選手を続けて、家業の旅館等を継げばよかったけれど、それもできません。企業も選手を採用しなくなりました。

長野五輪効果は、既に終っています。子供の親たちが最もシビアです。そして、子供たちも熱しやすく冷めやすいのです。

投稿: qimangul | 2006/02/19 22:27

>hideさん
こんばんは。

>今回見ていて思ったのは、メディアがあれだけコンテンツとして
>視聴者に五輪を提供しているならば、彼らがスポンサーから受ける
>収益を競技者に還元してもいいのではと思っています。

金銭そのものを還元するのもいいかも知れませんが、むしろ五輪関連番組の中で、ここで論じているような競技そのものの窮状をレポートし、振興につなげるキャンペーンをやればいいんじゃないかと思います。これほど世間の注目がスキーやスケートに集まる時期はないわけですから。

>エムナカさん
競技の後援会活動を推進するのはもちろんよいとは思いますが、スポンサーにとってかわるほどの存在になることは期待しづらいと思います。スケート連盟のファンクラブも年会費は5000円と2000円ですから、ほとんど事務費で消えてしまうでしょう(イベントの顧客管理という面が強いのではないかと思います)。
日本の競技団体は伝統的にアマチュア精神が強かったので、今もスポンサーシップが十分に活用されているとは言えません。まずは、その面で開拓の余地がありそうに思います。選手が企業の社員でなくなれば、逆に他社が広告費を出しやすくなる面もあるはずです。

>はたやんさん
>スキー・テニスは競技者と愛好者がそれぞれ「個別の枠組」の中、相容れない状況になっている印象があります。

この2つとゴルフは、「競技人口が多いのに競技水準が上がらない日本の三大スポーツ」だと私は思っています。共通するのは、大人になってから始める人が多いことですね。

>qimangulさん
こんばんは。コメントありがとうございます。大変勉強になりました。

>長野五輪までは、「長野のため」という強化費用がついたのです。

今となってはゼロどころか後遺症がのしかかっている、というわけですか。想像した以上に難しい状況のようです。
スキーとスケートも別々に考えなければいけませんね。スケートについては、首都圏に強化のための施設がひとつ作られれば、かなり状況は良くなりそうですが、スキーの場合は規模が大きいだけに、より難しそうです。

>スキー場近辺に住む子供たちの家は観光収入は激減しました。スキー選手を続けても大学はともかく、就職がありません。かつてはある程度スキー選手を続けて、家業の旅館等を継げばよかったけれど、それもできません。企業も選手を採用しなくなりました。

このへんの事情を聞くと、娯楽としてのスキーの隆盛も、地元経済を潤すことで、間接的に競技の強化にプラスになっていたようですね。

しかし、上にも書きましたが、マスコミは五輪で商売をしようとするのであれば、同時に競技者たちの窮状もアピールするのが筋でしょうね。もちろん道義的にそうするべきですし、彼らが次回以降の五輪で商売をするためにも、その方が都合がいいはず。


投稿: 念仏の鉄 | 2006/02/20 00:25

>北海道経済の冷え込みこそ、真のジャンプ衰退の理由ではないかと思えてくる
長野五輪が98年。北海道経済に大打撃を与えた拓銀の破綻が97年11月。雪印ブランドを地に落とした大量食中毒事件が2000年7月。アイスホッケー他冬季競技の強力な擁護者だった西武の堤義明会長の失脚が2005年…。こうしてみると、「長野」のあと今日まで日本の冬季スポーツ界は北風ぴゅうぴゅうですね。「良いこと」が何一つなかった?こんな中で選手たちは頑張って「メダル寸前」まで行ってるんですね。「日本、だめじゃん!」と無責任に放言するの止めようと思います。とりあえず、女子カーリングの粘り腰に期待。

投稿: 馬場伸一 | 2006/02/20 17:57

 女子カーリング、好調ですね。
 勝っても負けても、「見る価値あり」です。

 ゆったりとした流れの競技ですが、選手たちがトコトン楽しんでいます。

 新しい発見は、ストーンを投げたときに「レー!」とかの掛け声で指示しているということです。

投稿: はたやん | 2006/02/21 02:27

>馬場伸一さん
そのへんの前後関係が気になってました。整理していただいて、ありがとうございます(笑)。

>はたやんさん
リーグ戦形式のカーリングは、勝った試合ではとりあえず喜べるので、日本の視聴者にとっては救いだったと思います。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/02/21 09:41

女子カーリング、残念!
でもこの競技は経験と技術がものを言うようです。20代で構成した若い日本チームが、ここまで健闘したのは立派。素直に「4年後に期待してるよ!」と称えたい。
小野寺たちをモデルにした映画「シムソンズ」が公開されているらしい。これは見に行かねば。

投稿: 馬場伸一 | 2006/02/21 09:48

カーリングについては別にエントリを書きました。トリノ五輪についてこのblogで扱うつもりはあまりなかったのに、気がついたらやたらに書いてますね(笑)。仕事が切羽詰まってるのに。現実逃避か>俺

投稿: 念仏の鉄 | 2006/02/21 11:20

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