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梅田香子・今川知子『フィギュアスケートの魔力』文春新書

 つい2日前までフィギュアファンの良心の防空壕のようだったFalse Startでさえ既にWBC話に移っているというのに、なぜ半可通の私がいまだにフィギュアスケートにかかずりあっているのかという気もするが(笑)、これは半可通なるがゆえの落とし前とお考えいただきたい。

 本書の刊行は一昨年の晩秋。シカゴ在住のスポーツライター梅田香子は野球とNBAの人だと思っていたので、彼女がフィギュアの本を書いたと知っても、さほど食指が動かなかった。
 ところが、わりと最近、彼女の日記「梅田香子ジャーナル」で知ったのだが、梅田の娘がフィギュアスケートを習っていて、コーチは元五輪メダリストだったりする(別にわざわざそういう人のスクールを選んだわけではなくて、公営の安いスクールに通ってみたら、そのレベルのコーチがごろごろいたのだという)。おまけに、彼の指導を受けにシカゴを訪れた村主章枝をホームステイさせていたこともあるのだという。
 つまり彼女は期せずしてフィギュア界の人になってしまったわけで、そういうことなら話は別だ。本書の存在を思い出し、さっそく入手して読んでみたのが今日のこと。感想? トリノ五輪の前に読んでおけばよかった(笑)。

 共著者の今川知子は、95年の全日本選手権で4位になった元選手。このシーズン限りでプロに転向してアイスショーに出演、2002年に引退してコーチとライターをしている。
 つまり、2人の著者の1人はアメリカの選手育成システムを当事者として体験している最中で、もう1人は日本の育成システムの中で育った元選手(野辺山合宿はもっと後のことだけれど)。
 だから本書は、日米両国のフィギュアスケート界が置かれている環境については、かなり詳しい。日本のリンクが相次いで閉鎖し、五輪代表クラスでも一般のスケーターに混ざって練習しなければならないような現状についても、すでに書かれている。

 主な内容は、フィギュアの歴史、日本の主な女子選手の紹介、今川自身の個人史による選手の日常とアイスショーの実際、過去20年ほどの主な女子選手の紹介など。これ1冊を読めばフィギュアに関して一通りのことはわかるようになっている。巻末には用語集もついており、ジャンプの種類も分解写真つきで説明されている。
 日本選手についての記述は、04-05シーズン序盤に書かれたものだから、古いといえば古いのだが、今川の選手・コーチとしての目を通しているだけに、選手の技術的な特性についての記述には説得力があり、それぞれの育成環境についても丁寧に記されている。
 今だからこそ興味深い部分もあって、例えば荒川静香が今シーズン途中から指導を仰いだモロゾフは、世界選手権を勝ち取った時期にも振付けを依頼していたので、本書では結構詳しく紹介されている。普通の振付師は曲に合わせて技の構成を決めるが、モロゾフは先に演技を組み立てて、それに合わせて曲をカットするのだという。だから選手は曲に合わせて動きやすい。
 「トゥーランドット」に乗せたトリノでの荒川の演技の背後にも、そんな振付けの妙があったのだろう。

 わずか260ページの薄い本だが、これ以外にも、なるほどと思うちょっとした知識がちりばめられている。
・アメリカでは有名大学に入るには成績がよいだけではダメで他に突出したものが必要なため、フィギュアスケートを含むスポーツ教育に力を入れる親が多いということ(入学後に奨学金を得る上でも有利らしい)。
・2001年のミッシェル・クワンの年収が5億円を超えるらしいこと。
・伊藤みどりは今もアメリカのスケート界で非常に尊敬されていること。
・トリプルアクセルのような困難な技は負担が大きく、練習では故障の危険性をはらみ、プログラム全体のバランスを崩すおそれもあるので、安定して好成績を出せる選手の場合、コーチが挑戦を避ける傾向があること(当然ながら4回転についても同じことが言えるのだろう)。  …etc.

 というわけで、本書を読めば、女子フィギュアスケート界についての視界が一気に開けてくる。今だからこそ腑に落ちることも多いはず。私と同程度の半可通の方には、ご一読をお勧めする。
(新しい採点基準についての記述がないのが残念だが、そちらについては八木沼純子が最近書いた本に載っているらしい)

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コメント

梅田香子さんは、私がほぼ毎朝聴いているJ-WAVEの朝の番組でフィギュアスケートの情報を伝えていたように思います。

結果的に荒川選手だけがメダル獲得となりましたが、日本のメディアが一押しした選手である安藤選手や、世界中が注目していたスルツカヤ選手よりプレッシャーはなかったのでしょうね。

他の競技でも、大会前にほとんど注目されていなかったカーリング、スピードスケートでは及川選手(一番手は加藤選手、以下同様)、岡崎選手(大菅選手)、アルペンの皆川選手、湯浅選手(佐々木選手)などなど、メディアに注目されていなかった選手のほうが結果的にはよい成績を残しています。

強化自体の問題もあるでしょうが、やはりアマチュア選手に対するメディア対策を競技団体がどれだけ管理できるかも成績に影響するような気がしますので、こういうところも今後は気を配るのも必要なのでしょうか。もっともメディア露出は強化費捻出のための必然的な意味もあり、マイナースポーツをメジャーにするためには避けて通れない手段であり、そのバランスをどうコントロールするかは難しいところです。

投稿: エムナカ | 2006/03/01 21:56

>エムナカさん
>やはりアマチュア選手に対するメディア対策を競技団体がどれだけ管理できるかも成績に影響するような気がしますので、こういうところも今後は気を配るのも必要なのでしょうか。

必要があるのはフィギュアだけでしょう。
ご指摘の例でいうと、カッコ内の選手の方がプレッシャーがあったと思われるのは加藤条治くらいじゃないでしょうか。主将を兼ねていた岡崎の方が大菅よりもテレビで見る機会は多かったし、責任も重かったでしょう。アルペンスキーの選手は賞金大会を転戦するプロですから、メディアに出るのも仕事のうちです。
フィギュア以外の競技にとっては、エムナカさんがおっしゃる後半の、もっと世間に選手や競技を売り込むためのメディア対策の方が、現状では必要性が高いと思います(驚くべきことに日本カーリング協会公式サイトには現在に至ってもトリノ五輪レポートがありません)。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/03/01 22:57

>日本カーリング協会公式サイトには現在に至ってもトリノ五輪レポートがありません。
見てきました。ほんとですね。
でもこれは、驚くべきことというより、憂慮すべきことなんだろうと思います。
おそらく、日本カーリング協会のマンパワーは非常に乏しいはずです。(専従職員がいるかどうか疑わしいレベルだと思います。)
今回、トリノ五輪での小野寺たちの活躍で起こった「ブーム」によってマスコミ対応等の業務が殺到し、ホームページの更新にまで手が回っていないのだと思います。マスコミから注目されるというこの千載一遇の「チャンス」をカーリング協会がみすみす取り逃がすことがないとよいのですが…。

投稿: 馬場伸一 | 2006/03/02 14:44

>馬場伸一さん
>おそらく、日本カーリング協会のマンパワーは非常に乏しいはずです。

たぶん、そうなのでしょう。幸いというか何というか、五輪と直接は関係のない東京都カーリング協会が精一杯フォローしているようで、公式サイトには五輪に同行した役員による現地での写真などがアップされています。都内でのカーリング講習会もすでに予約で一杯だとか。新聞やラジオで、ずいぶんと取り上げられてもいました。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/03/02 22:23

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