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「頑固な人」への信頼と懸念。

 WBCアジアラウンドの3試合を通じて、投手以外のスターティングメンバーは全く変わることがなかった。試合前にベンチから駆け出してくる顔触れを見ながら、王監督らしいな、と感じた。
 2003年秋のアテネ五輪予選で、長嶋監督は初戦の中国に同じように圧勝した翌日、がらりと打順を組み替えてきた。何年経っても、この2人は対照的だ。
 勝っている時にはメンバーをいじるな、というのがこの世界の言い伝えだから、王が常識的で長嶋が特殊、と言ってしまえばそれまでだ。だが、もしかすると大敗した翌日でも全く同じラインナップを組んだのではないかと思わせるものが、王貞治という人にはある。
 彼の過去の采配から、似たような例を探すことは容易だ。昨年も一昨年も、パ・リーグのプレーオフで不振を極めた松中を四番から外すことがなかった。昨年のシーズン中には、さしてよいとも思えなかったバティスタを三番打者として使い続けた。ジャイアンツの監督時代には、鹿取-角-サンチェというリリーフ投手起用のワンパターンぶりを揶揄されたこともあった(もっとも、昨年のJFKの例を見ても判るように、この種の投手起用は昨今ではむしろ高い評価を受けることが多いのだが)。

 シーズン中のホークスの試合をつぶさに見ているわけではないので確定的に言い切ることはできないが、采配そのものに関して、王監督を評価する声はあまり聞いたことがない。しかし、いかにドラフトで好選手を獲得し続けたとはいえ、その好選手のほとんどが額面通りに成長し(これは希有なことといってよい)、ほぼ自前の選手で黄金時代を築いているのだから、やはり名監督と言わなければ失礼にあたる。作戦・戦術よりも、選手の育成や、シーズンを通しての環境づくりに特長があるというタイプなのではないかと思う。
 だから、王貞治がWBC日本代表の監督に就任すると聞いた時には、正直なところ、采配面には懸念を抱いていた。アジアラウンドの3試合を見ても、状況に応じて臨機応変に対応する柔軟さというものは、あまり感じられない。合宿に入った時点でイチローの一番、松中の四番を早々に宣言してしまうあたりも、良くも悪くも彼らしいやり方だ。

 王貞治が引退してから既に25年が過ぎているから、現役時代を見たことのない人もずいぶん多くなったのだろう。一本足打法と呼ばれた構えも特異なものだったが、今にして思えばそれ以上に特異だったのは、相手チームによる「王シフト」と、それに対する王の態度だ。
 王は引っ張り専門の打者だった。どんなコースも構わず引っ張った。結果的にレフト方向に打球が飛ぶことはあっても、落合や清原が右中間に叩くような打球が王のバットから左に飛ぶのは見た記憶がない。
 70年代の後半には、王が打席に入ると、どの球団も「王シフト」と呼ばれる守備体型をとっていた。
 二塁手は一、二塁間の中央付近に、遊撃手は二塁ベースのあたりに、そして三塁手は三遊間寄りに。単純に言えば、一塁ベースと二塁ベースの間に3人、二塁ベースと三塁ベースの間に1人、という配置になる。左側にただゴロを転がすだけで、打球は面白いようにレフト前に転がっていったに違いない。
 だが、王はそんな餌には目もくれず、右方向に引っ張り続けた。かなりの数の打球が一塁手と二塁手と遊撃手の間の狭い隙間を抜けていき、さらにはライトの頭を超えてスタンドに飛び込んでいった。王はそんな状況の中で、来る年も来る年も3割40本100打点を記録し続けていた。
 今のプロ野球で評価されるのは「コースに逆らわない打撃」だ。右方向に引っ張るだけの打者は、存在を許されないに違いない。変則の打撃フォームと変則のシフト、そして破格の打撃成績。実際に見ていた私自身、あれは現実の出来事だったのだろうか、と思うような光景が、夜毎の後楽園球場で、そしてテレビ中継の中で、繰り広げられていた。
(「管理野球」と呼ばれた川上哲治監督のチームには、実際には破格のフリーハンドを与えられた打者が2人もいたということだ。仮に、あるサッカークラブにマラドーナとジーコが同時に在籍していたら、他の8人のフィールドプレーヤーが彼らへの奉仕に専念するのは当然だ。川上の「管理野球」も、そのように認識すべきなのかも知れない)

 だから、私が王貞治に対して抱いている印象は、まず「頑固」である。信念の人、と呼んでもよいのだが、「頑固」の方がしっくりくる。下町の人だし。
 そして、もうひとつは「不器用」だ。
 WBC中継の中で何度も流れていたから皆さんもご覧になったと思うが、アサヒスーパードライのWBC応援CMの最後に、ベンチの前に立った王監督が胸の前で拳を握りしめて何かを見つめる、という場面がある(おそらくは国旗掲揚シーンでも想定しているのだろう)。
 拳の握り具合といい、表情といい、王監督の演技は不器用そのものだ。その前に登場してくるスタンドのファン役やらカメラマン役やらをプロの俳優が達者に演技しているだけに、王監督は画面の中で際立って異質な存在感を発揮している。彼の演技は「ナボナはお菓子のホームラン王です」と棒読みの手本のような口調で語っていた頃から、ほとんど変わっていない。おそらく過去40年くらいの間、常に何かしらのテレビCMに出演し続けているはずなのだから、少しくらい器用になってもよさそうなものなのに。

 「頑固」と「不器用」というのは、トーナメント戦に臨むチームの監督としては、いささか懸念されるメンタリティではある。過去の実績を見る限り、王監督が短期決戦を得意としているようにも思えないし、監督として運の強い人だとも言えない。采配だけを考えれば、彼がこの大会に対するベストの選択といえるのか、確信は持てない。

 反面、では誰がいるのだ、とも思う。
 王貞治は、ソフトバンク・ホークスの監督でありながら、自分のチームを1か月も放り出してWBCに専念している。
 そもそも大会の成り立ち自体が不自然で、NPBにとっては承服しづらい形で始まっており、現場にとっては不都合な日程と大会規則を押し付けられ、選手の編成も思うようにいかない。王自身にとっては、勝って得るものよりも、負けて失うものの方が大きい、分の悪い賭けなのではないかと思う。まして、WBCで好成績を収めたとしても、その後のペナントレースを失っては元も子もない。機を見るに敏で目端の利く人物なら、こんな損な役回りは避けて通るに違いない。
 それでも王貞治は、大会の将来と日本野球の将来を見据えて監督を引き受け、主力と恃んだ選手が次々と辞退を表明しても、動揺する素振りも見せない。「現役の監督がやることではない」という意見は明確に口にしながらも、引き受けた以上は退路を残さず、いかなる結果も自分の責任として引き受けるという態度は揺るぎない。
 大会そのものの権威があやふやという状況の中で、もし指揮官に迷いが見えれば、選手たちは頼るべきものを失い、チームは空中分解するに違いない。この揺るぎのなさ自体が、今の状況の中では貴重な資質であるように思う。つまりは、王監督の頑固さは、チームにとってのある種の保障と考えることもできる。

 そしてもうひとつ、忘れてはならない要因がある。
 かつて、日米野球で来日した大リーガーたちがその名を口にし、その姿を見ると自ら歩み寄って握手を求めた唯一の日本選手が、王貞治だった。フラミンゴと呼ばれた特異な打法で、数の上ではベーブ・ルースを超える本塁打を放った強打者の名を、彼らはよく知っている。ヒデオ・ノモ以前にアメリカの野球界でもっとも名を知られていた伝説の本塁打王は、長い間、メジャーリーガーたちの尊敬を集めていた(たぶん、今も)。
 初めて行われるプロフェッショナル・ベースボールの国際大会で、シゲオ・ナガシマでもセンイチ・ホシノでもカツヤ・ノムラでもなく、サダハル・オーが日本代表を率いてアメリカに渡る。その歴史的意義は、我々が意識している以上に大きいのかも知れない。

 そんなわけで、今、私の心中には、この頑固な指揮官への信頼と懸念が渦を巻いている。声援も届かぬ今となっては、ただ選手たちの健闘と幸運を祈るのみ。

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コメント

自らの信念にこだわる頑固さと対戦相手に尊敬されている存在として、王監督とよく似ているのがサッカー日本代表のジーコ監督だと思いました。

ただ、サッカーの場合メンバー交代の人数がかなり限定されており、1試合通して両チーム合わせても2桁に満たない競技の性格からして、監督の役割はどちらかといえばチームの引き出しを増やすことより、必ず守らなければいけない約束事を徹底させることで、野球の場合は試合の流れで勝負どころを見極め、一気呵成に畳み掛けるためのオプションを増やすことにあると思います。

競技の性格が違うので、戦術論で比較するのはちょっと難しいですが、サッカーの場合はジーコ監督の顔で今までいくらオファーしても見向きもされなかった国と親善試合を組めるようになって来ています。思うような結果を出せていないので、いろいろ思うところはあるはずなのですが、三都主アレサンドロ選手がメンバー落ちすることはほとんどなさそうです。

投稿: エムナカ | 2006/03/08 05:58

>エムナカさん
代表監督としての手腕ではなく、日本の野球界/サッカー界における立場によって選ばれた(少なくとも就任時点では)という点で、王監督とジーコ監督はよく似ています。
しかしながら、双方の競技における国際試合や代表監督のステイタスには、ほとんど比較不能なほどの違いがあります。私はジーコ監督に対しては否定的で、王監督に対しては留保付きながらも肯定的なわけですが、それはこの違いにも起因しています(個人的な思い入れの差もあるとは思いますが)。

サッカー界では国際大会や代表チームの権威が確立しており、国際試合も数多く行われ、代表監督経験者も世界に大勢いるので、「代表監督としての手腕」によって代表監督を選ぶことが可能です。しかしプロ野球界ではこれらの条件のすべてが欠如しているので、「代表監督としての手腕」を計ることはできません。むしろ、国内に対しても海外に対しても日本野球の顏として通用する人物を監督にしなければ、そもそも代表チームが成り立たないおそれさえあります。端的に言って「顏」の重要性に、かなりの差があると思います。

>必ず守らなければならない約束事を徹底させること

それがサッカー代表監督の主な役割であるのなら、今の日本代表監督にはかなり問題がありますね。

>ジーコ監督の顔で今までいくらオファーしても見向きもされなかった国と親善試合を組めるようになって来ています。

いろんな人が同じことを言うのですが、私は常々疑問に思っていました。よい機会なので書いておきます(特にエムナカさんに回答を求めているわけではありません)。
・例えば前任者のトルシエの時にもフランスやスペインと親善試合がありました。少なくともフランス戦はトルシエの顏で実現した対戦だったし、クレールフォンティーヌで合宿ができたのもトルシエの顏によるものでした。それらの実績は、この議論の中でどう評価されているのでしょうか。
・トルシエのチームが、フランスやスペインとの試合で何を試み、それがどれだけ達成され(あるいは失敗し)、その結果がチームづくりにどう反映されたか、ということは、かなり理解しやすい形で示されていました。では、ジーコのチームづくりの過程において、イタリアやドイツやチェコやイングランドとの試合はどのような意味を持っているのでしょうか。
・日本のように資金力がありマッチメイク担当の専従者を置けるほど組織の大きなサッカー協会のある国で、代表監督の顔でサッカー大国とマッチメイクができるというのが、そんなに大事なことなのでしょうか。監督としての手腕とトレードオフできるほどに?

ワールドカップの組みあわせ抽選の頃から、海外のいろんな監督や選手やジャーナリストが日本代表について話すのを見聞きする機会が増えましたが、その大半が「ジーコ監督の力によって大きく成長した」という意味の言葉でした。このままだと、ドイツ大会で日本が好成績を残したとしても、それは海外では「ジーコ監督の手腕」によるものと捉えられてしまうでしょう。監督の顔が立派すぎるのも考えものです(特に外国人の場合は)。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/03/08 08:30

鉄さん、よくぞ書いてくださいました(感涙)。
「『頑固な人』への信頼と懸念」は、私たちホークスファンが等しく共有するところです。
この2年、ホークスはプレーオフで敗退しました。どちらもシーズン1位であったにもかかわらず、です。ホークスファンの血涙を絞らせたこの結果に対して、なお王監督がファンの支持と尊敬を失わないのは、その「頑固さ」が私心のない、高潔なものであるからだと言い切って差し支えないと思います。
実際、プレーオフ制というものはWBCに負けず劣らず不自然で不合理な制度でした。それに対して1年目の敗退の後も「シーズン初めから決まっていたことだから」と一切不満をおっしゃいませんでした。それによってプレーオフ制はかろうじて延命できたと言えます。王監督から怒られていたらおそらくプレーオフ制は1年で終わっていたことでしょう。かつ「二位が有利」ということがわかっていた2年目においても愚直にシーズン1位を取りに行かれています。もしこの「愚直な高潔さ」がなかったら、上位チームが「2位ねらい」に走り、つまり意図的に負けるという事実上の敗退行為が蔓延していた可能性が高いと思います。
このように、王監督の「頑固さ」は、「1チームの勝敗」を超えたレベルで日本野球界全体に大きな貢献をしています。ですから私は王監督を心から尊敬しますし、日本代表監督はやはりこの方をおいてはないと考えます。
日本代表チームの勝利だけを考えたら王監督はベストではないかもしれません。しかし、「野球のワールドカップ」という「制度」を定着させるためには、これ以上の適任者はあり得ないと思います。
とはいえ。やっぱり日本代表の「勝利」も大事だもんなー。せめて決勝トーナメントには残ってほしい。二次リーグでは米国・韓国と激突するわけだし。私も鉄さん同様、王監督への尊敬と心配を抱えて、ハラハラドキドキ応援することになりそうです。

投稿: 馬場伸一 | 2006/03/08 10:24

>鉄さん
>この揺るぎのなさ自体が、今の状況の中では貴重な資質であるように思う。

全く同感で、この点で王監督以外の適任者は、考えられないと思います。
しかし、采配に関してはもう少し柔軟であっても良いのでは、とついつい思ってしまいます。まあ、見物人の数だけ好みの野球があると思って、王監督やファンの方には聞き流していただいて何の不服もありません(笑)。不器用な頑固さは、ファンの愛する王監督のひとつの個性なのだから。馬場さんのコメントを見て思いました。
ところで、スター揃いの日本代表の中に藤田を選んだところに王監督の味を感じました。おそらく、試合のシミュレーションを頭の中で行って、左のワンポイントがはずせないと考えたのでしょう。韓国戦での起用は見事でした。チーム構成では、ついついスターを選びがちになりやすいなか、地味ながらよく考え抜かれた選択だったと思います。

投稿: 考える木 | 2006/03/08 14:29

>馬場伸一さん
過分なお言葉をありがとうございます。
ホークスファンにはどう見えているのかな、というのは気になっていたところでした。
王さんはホークスの監督としても、初めは思うように成績が上がらず、地元ファンの罵声を浴び、卵を投げられながら、5年かかって初優勝し、強豪チームを築き上げました。これもまた頑固さの賜物といえるでしょうね。
そして、常勝チームになったと思えば今度はダイエーの経営難で、予算は削られオフのたびに身売りがささやかれ…そんな状態でありながら毎年優勝を争って来られたのは、そんなオフのたびに王さんがいち早く続投を表明し、現場に不安を抱かせることがなかったのが、大きな要因ではないかと思っています。

>やっぱり日本代表の「勝利」も大事だもんなー。せめて決勝トーナメントには残ってほしい。

それはもちろん。ただ、「敗者ばかりの日。」というエントリに、負け方に品格が出る、と書きましたが、負けたとしてもグッドルーザーであって欲しいとも思います(過去2回のプレーオフにおけるホークスが、まさにそうでした。あ、験の悪い話か)。


>考える木さん
>しかし、采配に関してはもう少し柔軟であっても良いのでは、とついつい思ってしまいます。

それはそれ、ということで(笑)。今後の試合で采配に疑問があれば、私は是々非々で指摘はすると思います。


この大会、JSPORTSは全試合を中継するそうで、今朝、いくつかの試合を見ました。USA-メキシコ戦では、試合中にUSAのマルティネス監督がインカムをつけてテレビにコメントをしていました。テレビ解説者のキャリアが長い人だけに、堂に入った笑顔。これをやるために選ばれたんじゃないだろうな(笑)。
プエルトリコ-ベネズエラ戦はほぼ満席で、かなり盛り上がってるようでした。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/03/08 21:58

イチロー選手がテレ朝「Get Sports」のインタビューで、
「マリナーズで連続安打のあとベンチに戻ったら、
 チームメイトに『サダハル・オー!』と迎えられた。
 そんな人が率いる日本代表チームでプレーしたいと思った」
というようなことを言っていました。
「日本野球界のために絶対に失敗するわけにはいかない」という
イチロー選手のWBCに対する姿勢を見て、
私はこの大会の意味を本当の意味で理解したように思います。

監督としての手腕、ということについてはあまりよくわからない私ですが、
王監督だからこのメンバーが集まったのだとしたら、
ライトな野球ファンとしてはそれだけで充分な気もします。

”世界の王”と”メジャーリーガー・イチロー”が、
アメリカの観衆からどのように迎えられるのか、楽しみです。
個人的には、王監督は拍手で、イチロー選手はブーイングで迎えられたら最高だろうな、と思います。
それから、宮本がいつ出場して(あるいは出場しないで)どんな仕事をするのかにも興味があります。

もっと個人的には、イチローのふくらはぎばっかり観てたりするんですけどね。
2塁を狙っているときなんか、たまらないんですよね。
(すみませんくだらないコメントで)

投稿: babyleaf_6 | 2006/03/09 09:01

やっとココログが復旧してくれましたね。やれやれ…。
復旧待ちしている間にアメリカが敗れる波乱が。「一発勝負」の国際試合はやはり怖いですねぇ。

さて。

>(過去2回のプレーオフにおけるホークスが、まさにそうでした。あ、験の悪い話か)。

て、鉄さん、験、悪すぎますぅ!!(爆涙)

…でも確かに。
私は地元民なのでデフォルトでホークスファンなのですが、この2年のプレーオフを見せてもらって「本気のファン」になった気がします。
あのような、神懸かりとしかいいようのない試合をみせてくれたことで、彼らは私にとって「神」になりました。
あれほど凄まじい試合をした彼らを「結果」だけで責めることなど出来ようはずもない。
選手にも監督にもただ「ありがとう!」と言いたかった。
これこそまさに「品格のある敗者」=グッド・ルーザーということだと思います。

…さはさりながら。「品格ある勝者」としての日本代表&王監督をぜひとも見たいです!
これってファンの「業」なんでしょうねぇ。

投稿: 馬場伸一 | 2006/03/10 16:04

遅くなってすみません。昨日今日と書き込み不能な時間が長くて往生しました。

>babyleaf_6さん
>「マリナーズで連続安打のあとベンチに戻ったら、
 チームメイトに『サダハル・オー!』と迎えられた。
 そんな人が率いる日本代表チームでプレーしたいと思った」

いい話ですね、これは。知りませんでした。ありがとうございます。

>それから、宮本がいつ出場して(あるいは出場しないで)どんな仕事をするのかにも興味があります。

緊迫した試合になればなるほど、彼がいることの有難みが増すだろうと思います。

>もっと個人的には、イチローのふくらはぎばっかり観てたりするんですけどね。

彼はオールドファッションが似合いますね。
ふくらはぎといえば、現役時代の王さんは、体はそれほど大きくないけど、ふくらはぎが異常に発達してました。あれはやはり一本足打法のせいだったんだろうか。

>馬場さん
古傷を刺激してしまって、失礼しました(笑)。
アメリカ代表は低調ですね。シーズン前の調整不足とかいっても、ドミニカやプエルトリコやメキシコやカナダのメジャーリーガーは頑張ってるのだから、やはりモチベーションが低いのだと思います。付け込む隙は十分ある反面、メキシコにも油断はできません。日本の二次リーグは厳しい戦いばかりになりそうです。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/03/11 00:28

先の鉄さんのジーコ監督に関するコメントについては私も思うところありますが、ここの話の流れでは傍論になるので、また別の機会にコメントさせていただきます。

USAがやっちゃったのはいいとして(結局2位通過で日本の初戦の相手になりました)、石井弘の離脱の補填に馬原を呼んだのは、やはり王監督の気配りがソフトバンク以外からの補填をためらわせたのではないかと思います。

日本ラウンドならまだしも、海を渡る緊急招集ですからね。馬原自身に問題があるとは思っていません。馬原が右投げで、石井は左投げ、左右違うのなら石井と同じ東京ヤクルトから五十嵐を補填したっていいはずですからね。

まあ、アテネのときのようなチーム制限がない分選択肢が広がるわけですから、逆に馬原を選ぶことになんら制限もないわけですが。

石井弘はメジャー移籍の足がかりにする意味でもこの大会にかける意気込みは他の選手より強かったのだと思いますが、それが強すぎて調整が却ってうまくいかなかったのかもしれません。黙ってチームに残る選択もあったはずですが、それは自分のプライドが許さなかったのでしょう。

状況から考えて馬原は韓国戦の待機要員になるでしょうが、いきなりUSAやメキシコに当たるよりよいと思います。緊急事態とは言え、せっかく代表メンバーに選ばれたのですから、頑張って結果を残してほしいと思います。

投稿: エムナカ | 2006/03/11 10:52

>エムナカさん
>石井弘の離脱の補填に馬原を呼んだのは、やはり王監督の気配りがソフトバンク以外からの補填をためらわせたのではないかと思います。

この時期に他チームから選手を連れ出すのは、さすがに抵抗があるでしょうね。
60人ロースター http://www.worldbaseballclassic.com/2006/rosters/index.jsp?sid=t843&sixtyman=1 に残っているリリーフ投手は小林雅(千葉ロッテ)、馬原、大久保(オリックス)、林、豊田(ともに読売)の5人。左投手を補充するなら林ですが、今から呼んだのではテスト登板させる暇もほとんどないので、リーグが異なり普段みていない投手は使いづらいでしょう。王監督自身が熟知していて状態のよしあしを判断しやすいという意味で、馬原を選んだとも考えられます。

しかし、改めて各チームのメンバーを眺めてみても、左の強力なリリーフ投手は、あまり多くはありません。岩瀬が参加できていれば、と今さらながら思います(菊地原のようなセットアッパーを選ぶ手もあったと思いますが)。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/03/11 16:08

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