« 荒川静香の始球式。 | トップページ | 甲子園大会はWBCを見習え。 »

『山梨のサッカー』山日ライブラリー(山梨日日新聞社)

 先日、所用で甲府を訪れた時、JR甲府駅の駅ビルの書店で手に入れた。山梨日日新聞社が刊行している新書判のシリーズの1冊で、平成17年に山梨県生涯学習センターで行われた連続講座をまとめたものらしい。
 構成は以下の通り。

第一章「山梨にまかれたサッカーの種」横森巧
第二章「甲府クラブ、日本リーグでの活躍」田草川光男・川手二朗
第三章「ヴァンフォーレ甲府の誕生・挫折・再生」海野一幸
第四章「山梨県サッカー協会の挑戦」渡辺玉彦
第五章「世界へ広がる山梨のサッカー -中田英寿を育んだ土壌-」皆川新一

 面白かったのは二、三、五章。
 二章では、ヴァンフォーレの前身である甲府クラブを実質的に独力で作ったパトロンだった川手良萬という人物が描かれる。息子の二朗の結びの言葉がいい。

「父の行ったことは明らかに道楽です。しかも決して大きくはない会社の経営者としては、過ぎたる道楽です。ですが、道楽というのは、ときに人の役に立ち、地域の役に立ち、一つの文化を育てることもあるということを、私は父の後ろ姿から感じ取ってきました。」

 どうせ道楽をするなら、後世にこんなふうに言われたいものだ。

 三章はヴァンフォーレ甲府の海野社長が語るクラブ経営。結果的に、この年の暮れにJ1昇格を果たす、というタイミングでの話だから、勢いがいい。内容的にはいろんなインタビュー記事で見るものと、そう大きくは変わらない(同時に入手したヴァンフォーレのイヤーブックにもこってりしたインタビューが載っている)が、何度読んでも面白いし元気も出る。
 海野社長はもともと山梨日日新聞の記者から編集局長になった人で、その後、関連会社の役員などもやっていたから経営の経験も皆無というわけではないようだが、しかし、この経歴からは、スポーツビジネスにおける今の手腕は想像もつかない。人材というのは思わぬところから出てくる、という好例だ。
(本書ではないけれど、半月くらい前のエル・ゴラッソに掲載されたインタビューでは、『エスキモーに氷を売る』を参考にして、サポーターの多い新潟を相手に「川中島ダービー」を仕掛けた、と話していた。本当にそういう人が出てきたとは嬉しい)

 五章の皆川新一は、現在は甲府でサッカースクールを開いている人物。甲府工業のサッカー部出身で、大学に進学しそこねて全日空トライスターで2年間プレーした後、家業を継いで建設業をやりつつ甲府北中のコーチをしている時に、中田英寿が入学してきた。そして、若き日の中田の振舞いが、彼の人生を大きく変えてしまう。

「理念や知識、指導技術のないコーチング姿勢が、いつまでも通用するはずはないのです。そのことを教えてくれたのが、中田英寿という中学生でした。」

 中田が中二になった春。試合に負けたことに起こった皆川は、選手に怒りをぶちまけながら、罰としてダッシュ50本を命じる。ところが、中田は走らない。

「怪訝に思った私は、
『どうした。なぜ走らんのだ!』
と語気を荒げたのです。ヒデの答えはこうでした。
『走る理由が分からない。俺たちだけが、走らなければならないのは納得できない。皆川さんも一緒に走ってくれ。だったら俺も走る』
私には返す言葉がありませんでした。頭の中が真っ白になりました。彼の言葉は、私の急所をもろに突き刺すものでした。試合に負けたのは選手だけの責任ではなく、指導者の責任でもあるわけです。ですから罰を選手に課す以上は、指導者も同じ罰を自らに与えなければならないことになるのですね。」

 皆川が偉いのは、子供の反論をきちんと受け止めて、本当に自分も走ったところだ(50本は無理だったそうだが(笑))。以後もことあるごとに中田英寿とディスカッションしながら指導を続けるうちに、皆川は、きちんと指導法を勉強し直さなければ通用しない、とドイツに留学してしまう。1年間でどうにかドイツ語を話せるようになり、ボルシア・メンヘングラッドバッハのユースコーチなどをして、帰国後に地元でサッカークラブを開いた。

 中学・高校時代の中田についてもいろいろ語っていて、それも面白いのだが、話の肝は、何と言っても次の言葉だ。

「ヒデ少年は、ある意味では問題児だったと言えるかもしれません。中二の「事件」のとき、私が、ふざけたことを言うなと殴りつけていたら、果たして中田英寿という個性は、世界に羽ばたくことができたでしょうか。そう思うと、私は時々ぞっとすることがあるのです。」

 これもまた卓見だと思う。人を預かって育てるというのは、怖いことだ。たとえば学校教員として日々大量に子供を教え続ける場合、その怖さをまともにいつも意識していたら、とても精神がもたないだろうから、多少は麻痺させたほうがいいのかも知れないが、しかし、完全に忘れてしまってはまずい。常に心のどこかで意識していることで、適切な謙虚さが維持できるのだと思う(メディアで仕事をするという立場にも共通するものがある。自戒を込めて)。

 Amazonで検索してみたが扱ってはいないようなので、本書を入手する手段は、かなり限られるようだ。小瀬にヴァンフォーレの試合を見に行く方は、ついでに駅ビルで買って行かれるとよい。

|

« 荒川静香の始球式。 | トップページ | 甲子園大会はWBCを見習え。 »

コメント

はじめまして。
いつも興味深く読ませていただいています。

表題の本、私も読んでみたいと思い調べてみたところ、
山梨日日新聞社で直接通販しているようです。
また、全国の書店にて取り寄せも可能だそうです。
(下記URLをご参照ください。)
http://www.sannichi.co.jp/BOOKS/houhou.html

投稿: くろもうり | 2006/03/31 07:44

>くろもうりさん

こんにちは。情報ありがとうございます。
ネット通販もしているんですね。

甲府駅に数年前に行った時は、駅前にすらサッカークラブのホームタウンであることを思わせるものが何もなかったのですが、今はヴァンフォーレの幟やポスターがそこら中に飾られています。さすがJ1効果。同時に、海野方式の草の根活動が実を結びつつあるのかも知れません。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/03/31 08:44

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『山梨のサッカー』山日ライブラリー(山梨日日新聞社):

« 荒川静香の始球式。 | トップページ | 甲子園大会はWBCを見習え。 »