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WBCのスタンドはヌルかった。

 イチローの飛球が内野手のグラブに収まると同時に(もしかすると、収まる以前に)、韓国のベンチにいた選手たちは一斉にグラウンドに駆け出した。ひとしきり抱き合うと、レフトスタンドに陣取っていた韓国サポーターの方に走っていって挨拶した。3-2で日本に逆転勝ちしたことで、WBCアジアラウンドの一位通過を決めただけでなく、それ自体が何かのタイトルでもあるかのような喜びようだった。アテネ五輪に行けなかったことが、よほど引っ掛かっているのかも知れない。

 日本にとっては、勝てる試合を落としたという印象が残る。序盤に韓国を突き放すチャンスが何度かあったにもかかわらず、仕留めきれなかったことが、最後に祟った。
 とはいうものの、日本の3試合すべてをスタンドで見た感想として言えば、今日の試合は、より勝ちたかった方が勝った、という印象が拭えない。
 監督や選手の気持ちがどうだったかは知らないが、東京ドームのスタンドは、韓国サポーターに制圧されていた。昨年、東京ドームで行われた読売-千葉ロッテ戦について同じようなことを書いたが、あの時はジャイアンツにも応援団がいた。このアジアラウンドを見る限り、野球には日本代表サポーターというものが、まだ存在していない。

 日本代表への応援がまったくなかったわけではない。ライトスタンドには、ふだんから外野席で声を出している各球団のファンが集まっていたようで、それぞれの選手に対してコールが送られた。西岡や里崎や今江にだけは、普段と同じ歌が聞こえていたから、千葉ロッテファンが集まってリードしていたのだろう。
 管楽器や鳴り物はなく、声と拍手による応援だった。いつもは鉦の音がやかましい台湾の応援団も声だけだったので、この大会では鳴り物は禁止されているのかと思っていた。
 ところが、韓国の応援団はレフトスタンドの左端に数百人が密集し、各自が棒状の風船(名前は知らないが、ぶつけると金属音がする奴)を2本づつ持ち、トランペットの音に合わせて「テーハンミングッ」だのアリランだのとサッカー場でよく聞くような歌声を上げている。これだけ武器に差があっては勝負にならない。
(「日本代表を応援します」と宣言しているスポンサーのビール会社は、高額チケットを買った客に腕時計やボールペンなどの記念品を配ったが、スタンドでの応援の助けになるようなグッズを配ることはしなかった。日本の観客が全員あの棒を持っていれば、韓国サポーターにあれほど圧されずに済んだだろうに)

 野球とサッカーの観客のスタイルは違うと判ってはいるが、国際試合だと思って臨むと、やはり野球の観客はヌルいと痛感する。
 どんなに緊迫した場面でもおかまいなしに席を立ってうろうろする客がやたらに多く、試合と関係なしに身内同士の話に興じているグループも多い。一言でいえばプレーに対する集中の度合が低い。
 もちろん3時間以上もだらだらと続く試合のすべてに集中し続けることはできないし、普段の公式戦であれば、この程度のヌルさでちょうどいいと私は思っている。だが、ベースボール世界一を争うと標榜するこの大会においても、客席のヌルさは普段通りだった。いや、応援団がいない分、普段よりもヌルかった。
 最終戦、8回裏の日本の攻撃が終わると、かなりの数の観客が席を立って帰り始めた。ビハインドは僅か1点、しかも9回裏の攻撃は8番打者から始まるので、必ずイチローに打席が回る。時刻はまだ21時前。これもプロ野球においては珍しくない光景だが、例えばこれが日本シリーズの最終戦だったら、同じ局面で席を立つ観客がこれほど大勢いるだろうか。

 そんなヌルさを象徴する出来事が、イチローの打席のたびに起こった。
 初戦の第1打席から、3試合目の最終打席まで、イチローがバッターボックスに立っている間じゅう、スタンドからは無数のフラッシュの光が閃き続けていた。他の選手の時にはなく、イチローの時だけそうなる。投球に集中するのは、さぞ困難だったのではないかと思う。
 打撃不振に終わったイチローを非難する言説が、今ごろネット上を飛び交っているだろうと思うが、私は彼を責める気にはなれない。あれで打てというのは酷な話だ。

 空席の目立つスタンド、ホームゲームなのに韓国に負けている応援、打者の集中を妨害するフラッシュの嵐、見せ場を見ずに帰っていく観客。
 それらは「日本の観客はこの大会を真剣勝負と見做してはいない」というメッセージに等しい。それが日本の現実なのだろう。
 つまるところ、プロ野球界は、まだWBCという大会の価値を確立することができていない。スタンドでフラッシュを焚いていた観客は、WBCを見に行ったのでなく、単にイチローを見に行ったに過ぎない。観客が大会の価値を貶めているようでは、選手に出場を辞退されても文句も言えない。ひどい悪循環だ。

 あらかじめ予想されたこととはいえ、「真の世界一決定戦」への道は遠く険しい。結局は試合の内容によって価値を認めさせるしかないのだろう。アメリカでの試合は、大会の価値を高めてくれるような内容になるだろうか。今夜の敗北が、日本代表にとってよい刺激になってくれるとよいのだが。

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コメント

四回2死満塁のピンチでの右翼手・李晋暎のスーパープレイ(「抜ければ3点」という西岡の当たりをダイビングキャッチ!)など、韓国チームは非常に気合いが入ってたと思いました。

やはり、韓国人にとって「日本との勝負」というのは特別なものがあるんでしょうね。韓国内での報道の様子がちょっと気になるところです。
ひょっとしたら「アジアの覇者」というような見出しが躍っていたりして(笑)。ま、日本が勝っていたら日本のスポーツ紙もたぶんそういうふうに書くんでしょうけど。

日本の観客にとってWBCというのは「真剣味のあるオールスター」ていどのものだったようです。まだまだこれからでしょうね。

投稿: 馬場伸一 | 2006/03/06 10:07

やっぱり韓国ではたいへんな騒ぎのようです。
「朝鮮日報」日本語サイトはWBCネタばかり。
http://japanese.chosun.com/
ただ、イチローの「向こう30年」発言を「妄言」扱いされているのは、いささか…。意識しすぎって。

投稿: 馬場伸一 | 2006/03/06 13:01

度々すみません。
韓国選手団のモチベーションが高かった理由はもうひとつあるようです。
WBCで好成績をあげれば、若い選手に「兵役」についての恩恵措置があり得るとのこと。
http://news.www.infoseek.co.jp/sports/story.html?q=06fuji68552

いろんな意味で、韓国選手たちの方が真剣であったのは確かのようです。

投稿: 馬場伸一 | 2006/03/06 16:17

>馬場伸一さん
いろいろとありがとうございます。
モチベーションの差は別にして、韓国は強かったと思いますよ。特に投手陣。次から次へとメジャーリーガーが出てきて、1、2イニング限定で全力投球すれば、そうそう打てるものではありません。
今大会の仕組みでは2次リーグで韓国ともう一度対戦します。次回の方が勝ち負けが重要になりますから、下手に大勝して油断するよりはよかった、と考えるしかないでしょうね。

兵役については、確か五輪でメダルをとると免除される恩恵があります。サッカーのワールドカップでも2002年大会の好成績によって免除された選手がいたような記憶があります。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/03/06 19:54

スタンドはそんな有様でしたか。イチローのコメントからは、さっぱり窺えなかったですね。
韓国も、5日の試合のように投手がきっちり投げてくると、あなどれない存在ということがよーく分かりました。ぜひとも、韓国にリベンジして、2次リーグ突破を果たして欲しいものです。
1部の選手とはいえ、メジャーリーガーと同じ土俵で戦える初めての大会ですので、なんとしても一泡吹かせてもらいたい。そのことによって、本当にメジャーが本気になったときにこそNPBの真価が問われ、WBCが価値ある国際大会として認知されるのでしょうね。
(取り急ぎエントリーを自分なりに立ててみました。よろしかったら、ご一読を)

投稿: 考える木 | 2006/03/07 21:20

>考える木さん
>スタンドはそんな有様でしたか。
テレビで見ると、日本への応援はかなりのボリュームに聞こえますね。たぶんテレビ局は、ライトスタンドから集音して、盛り上がってるような音を作ったんじゃないでしょうか。

>メジャーリーガーと同じ土俵で戦える初めての大会ですので、なんとしても一泡吹かせてもらいたい。

このところの辞退ラッシュを見ると、USA代表はさらにヌルいのではないかという気も(笑)。気合十二分の韓国がUSAに一泡吹かせる可能性が気になってきた今日このごろです。
しかし、WBC関連ニュースと前後して松井や城島の近況が流れるのを見ていると、「海外組」は二次リーグから参加、という手はなかったのかと思ってしまいますね(笑)。まあ実際には、関係者がサッカーのように割り切って考えるのは難しいでしょうけれど。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/03/08 00:13

ついでに書いておくと、若くてイキのいい選手を中心に選んだ今回のチームは、勢いのある時は最初の2試合のように爆発力があってよいのですが、劣勢に回った時に踏ん張れるかどうかが心配になります。
特に、内野陣が非常に若いので、投手が苦しい時に支えきれるのだろうか、と感じました。唯一の三十代である小笠原は、言葉でリーダーシップを発揮するタイプではないし。川崎がこまめにマウンドに足を運んでいましたが、安心感を醸し出すには、ちと若々しすぎる。同じ若手でも今江あたりだと多少違いそうな気もしますが。
試合の終盤には宮本や谷繁をグラウンドに立たせておく方がいいのかも知れません。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/03/08 00:20

ときどきあなたのところの読者がぼくのところにやってくるので、読ませていただきました。
第三者の評論としてはよく書いていると思います。
でも、メディアの現場の人が醒めていてはだめです。
WBCのスタンドはヌルかったけど、それ以上に日本のメディアはヌルいね。
そのことをわかっている人は、取材に来ればいい。メディアで仕事をしている立場で、気になるなら、来ればいいのです。記者席が取れなければ、身銭で見に来ればいいんで。
気になるなら、MLBと話をつければいいだけのことですよ。簡単じゃない。ちゃんと話をつけて、取材すればいい。ここまで書ける人なら、MLBを説得させることなんて簡単です。
それさえしないから、日本のメディアは予定調和の記事しか書けないのですよ。
そんな記事が面白いわけないのでね。
イチローの必死さ、彼の苛立ちを思えば、それをどうしたら記事にできるのか。
記者諸君はイチローがやったことに泣いてないもの。感動してないもの。だから、イチローに話させることができないんでしょう。
気になるなら、来ればいいだけです。
いい志があるし、いい観察眼もあるし、でも、無署名の評論ではいけない。
匿名のブログじゃないところで実名でお書きなさい。
そうしたら、まったく別な天窓があなたの頭の上に開きます。

以上、個人的なコメントなので、読み終わったら、削除してかまいません。

投稿: とら | 2006/03/28 01:45

>とらさん

石川さんにお越しいただけるとは光栄です。
貴重なアドバイスをありがとうございます。

このblogは、
「見物しているだけの人間に、どこまで書けるか」
という実験のつもりで書いてきました。
同時に、ここで経験したり学んだりしたことを
現実の(「実名」の)仕事にどう生かすかという課題を、
忘れてはいけないとも思っています。

WBCのようなイベントを取材して記事にするような仕事をしようとは今は思いませんが、
自分の資質や環境に則したアプローチとして温めていたアイデアが二、三あり、
具体化に動き出そうと思いはじめていたところです。
ちょうどよい時期に尻を叩いていただいたことになり、その意味でも感謝しています。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/03/28 23:47

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