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甲子園大会はWBCを見習え。

 私の職場は基本的にテレビがつけっぱなしで、いつもNHK総合がほぼサイレントで流れている。今日の午後、ふと顔を上げてテレビを見たら、早稲田実業が試合をしていた。あれ、再試合は今日だっけ?と一瞬戸惑ったが、相手は横浜、試合半ばですでに12点だか13点だかを奪われている。

 「再試合は今日だっけ?」という誤解は、私が甲子園大会にあまり関心がないせいでもあるが、あの延長15回を戦った翌日に再試合を行い、さらに3日目にも続けて試合をするという事態が信じられなかったせいでもある。
 こんなひどい話があるものか。成長期の青少年に対する虐待以外の何物でもない。

 去年の今頃にも同じ趣旨のエントリ「甲子園という投手破壊システム。」を書いたが、今年も書く。改まらない限り、ずっと書き続けると思う。
 春と夏の甲子園大会を主催する団体と企業は、出場選手の健康破壊を防ぐために適切な試合間隔を置き、投球制限を設けるべきだ。

 3月に行われたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で、投手の投球数と登板間隔に制限が設けられたことについて、多くの人が批判的だった。WBCでは選手も監督もいい大人の職業人なのだから、互いに己の体を守ることは知っている。投げすぎることでどのようなリスクが生じるかも、彼ら自身が誰よりも知っている。それでも投げるというのなら、わざわざ主催者が制限する必要もない、という意見もわかる。

 ただし、WBCを離れてアメリカの野球界全体に目を向けると、投球数や登板間隔の制限は、日本人が感じるほど唐突だったり奇異だったりするわけではないらしい。週刊ベースボールで鹿取コーチが書いているが、マイナーリーグでは投球制限が設けられ、日常的にこれに沿った投手起用が行われているという。
アリゾナ教育リーグに参加した広島カープのトレーナー氏による報告にも詳細に記されている)
 成長過程にある若い選手が過剰な負荷によって健康を損ねるのは、選手にとっても球団にとっても野球界にとっても損失だ。生物としても選手としても成長過程にある若者が多いマイナーリーグでの投球制限が合理的であることに異を唱える人は少ないだろう。

 で、甲子園だ。この大会は、WBCと教育リーグのどちらに近いというのか。
 延長15回を戦って決着のつかなかったチームが翌日も9回の再試合を戦い、勝てばその翌日にも試合をする。これは準々決勝だから、もし早実が勝ち進んだとしたら、1日置いて決勝戦までまた3連戦だ。早実の投手陣は(そして監督は)、甲子園での優勝と、投手としての将来の可能性を、天秤にかけることを強いられる。投球数や登板間隔を主催者が制限する以外に、このような厳しい選択から当事者たちを守る方法はない(同程度の能力を持つ投手をローテーションさせられる高校が多数派になることは、おそらくはありえない)。

 投球制限以外にも打つ手はある。
 延長15回の翌日に9イニングの再試合などさせずに、「延長16回」からサドンデス方式でやればいいではないか。
 準々決勝の前日に1日の休養日を設ければいいではないか(延長や再試合などが発生しなくても、中1日以上休養したチームと2日連続のチームが試合をするというもともとの日程自体が、相当の不公平をはらんでいる。同じ不公平は準決勝においても生じる)。
 しかし、甲子園大会では決してそのような配慮はなされない。

 なぜこんなことが何十年もまかり通っているのか。私にはまったく理解できない。

 高野連や毎日新聞社の人々はWBCを見なかったのか。見ても自分たちの事業とは関係のないものだと決め込んで、そこから何かを学ぼうとは思わないのか。
 4か月後に同じ場所で、炎天下というさらに悪い条件のもとで似た大会を開く朝日新聞社は、そこから何かを学ぶだろうか。ぜひ学んでほしい。


注)
3/31の19:30分ごろに文章を校正していたところ、何を間違ったか本文の一部を消失してしまいました。記憶に基づいて書き直しましたので、大意は変わりませんが、細部はかなり変わっているような気がします。悪しからず(3/31 20:00)

関連エントリ
早実の斎藤はなぜ4連投しなければならないのか。

続・早実の斎藤はなぜ4連投しなければならなかったのか。

清水諭『甲子園野球のアルケオロジー』新評論<旧刊再訪>

甲子園大会の精神主義ができるまで。<旧刊再訪>

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コメント

まったく同感です。
「選手の身体に(ものすごく)悪いスポーツ大会」なんて、ブラックジョーク以外の何者でもない。

なお、夏の甲子園大会というのは、あれはスポーツではない、という考え方もあります。すなわち、八月の終戦記念日と盂蘭盆会の時期に開催される「あれ」は、スポーツではなく英霊鎮護の宗教行事である、というものです。無念の思いを呑んで戦争で死んでいった多くの御霊を慰めるため、若人を供犠として捧げているのだと。従って、スポーツとしてはあり得ないほど不合理な日程を組み、「犠牲」バントを称え、球児たちにはひたすら禁欲と清純が求められる。犠牲は清浄でなければならず、ちょっと前まで高校球児といえば、僧侶同然のストイックさ(坊主頭)が当然視されていたものです。そしてこの国民的鎮魂行事の「人柱」となった若人には、惜しみない名誉と称賛が与えられるのです。

考えれば考えるほど、「甲子園」というのはスポーツではない。しかし、こういう状況は日本人と野球の両方にとって不幸なことであったと思います。
もはや戦後60年。いいかげん死者の呪縛から逃れて高校野球を「スポーツ」に回収すべきです!

投稿: 馬場 | 2006/04/01 00:28

>馬場さん
甲子園とお盆の符合については、佐藤卓己『八月十五日の神話』にも書かれていましたね。確かに卓見だと思いました。黙祷はよいとしても、供犠は勘弁してもらいたいものです。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/04/01 10:55

どうもはじめまして。
私も鉄さんのようなことをずっと考えていました。実際、鉄さんのエントリで言いたいことは尽くされているのですが、「甲子園の日程を問題だと思っている人は多い」ということを知ってもらうことも大事ですので、あえて屋上屋を架するような投稿をさせていただきます。

しばらく前から選手(とくに投手)の健康問題は注目されており、大会運営者もそれに対応するかのような規定の改定をするのですが、われわれは常に肩すかしを食わされてきました。

たとえば阪神大震災の時に、応援団が交通マヒに対応することと序盤の日程過密を緩和することを目的としてとられたのは「1、2回戦の4試合日を3試合日にする」という実効性の全くない策でした。いうまでもなく、序盤に日程をゆるくしても選手の健康にはほとんど関係ありません。

また、エースへの負担を減らすためとしてとられた策は「大会前の投手の肩肘検査」「複数投手制の“奨励”」「そのためのベンチ入り人数の増員」でした。本当にうんざりです。はっきり言って投手の肩肘検査が必要なのはこの大会を「終えた後」なのではないかとさえおもいます(あまりにヤバすぎてできないでしょうけど)。

そして2年ほど前からはあの悪名高い「準々決勝の分割開催」です。2日かけてベスト4を決めていいのであれば、準々決勝を1日でこなし、翌日休めば3連戦の学校はなくなります。

ここ10年来の動きで見えてくるのは、高野連は「大会日程の長期化には応じるが、会期中に興行空白日が生じることは絶対認めない」という原則を持っているように思えてなりません。

とくに準々決勝以降で顕著ですが、この大会には応援団以外にも「試合がある日には足をはこぶ」というロイヤルティの高い層がいます。これを考えれば、準々決勝を2日に分けたということに選手の健康管理以外の動機を勘繰られてもしかたないのではないでしょうか。

投稿: かわうそさん | 2006/04/01 13:55

高野連幹部という「スポーツマンの皮をかぶった宗教家」たちの深層心理には「犠牲を求める」昏(くら)い衝動が渦巻いているように思うのですが、日程の合理的な変更ができないことについて表層心理としては「タイガースに申し訳ない」というエクスキューズに縋っているのではないでしょうか。つまり「死のロード」に出ているタイガースのことを考えると、「試合のない日」を設けるようなことはできない、という。このエクスキューズが不合理なのはちょっと考えればわかります。大会日程を分割して余裕あるものにすれば、そもそもタイガースが「死のロード」に出る必要がなくなるのですから(例えば月火水と高校野球して金土日はプロ野球するとか)。自分の行動の不合理性に気づかないこと自体が、心の病気の典型的症状なのですが。

投稿: 馬場 | 2006/04/02 08:51

私も海の向こうのマイナーリーグのシステムについてはほとんど知識を持ち合わせていなかったのでエントリ内リンクの広島カープトレーナー氏の情報は非常に勉強になりました。

トレーナーという視点では選手のコンディショニングを手助けする仕事柄、どの程度の負荷がどういう間隔で与えられるとどういうダメージが身体に残るのかを把握するという意味で、球数制限は選手自身の身体を守ることだけでなく、トレーナーの仕事を効率よく実施する手助けにもなると思います。
あらためて米国流合理主義のよい面を見た気がします。

私はもっとプロ野球が高校生年代の健康管理に口を挟める状況を作っていかなくてはならないと思います。
選手供給源を自らの下部組織でなく部活に頼っている現状では、有望選手を潰すような大会運営は大きな野球界全体の損失です。プロアマの垣根は規制緩和されてきたとはいえ、WBCでも感じたことですが、プロアマの一体化に対する方向性はまったく感じられません(もっともプロでも最近はセパの方向性も違っていますし、まだプロの球界再編の流れを作ろうと狙っている人もいるようですし)。

今もそうなのかどうかはわかりませんが、いわゆる有力校は全国から有望選手が集まるため、プロ野球の70人を超える選手を抱えるチームもあるといわれています。そういうチームでは部内競争ももちろん激しいので、練習量の管理も選手の自主管理になってしまうため、プロより少ないスタッフではオーバーワークに対するブレーキはかけられないでしょうし、甲子園出場のためには部内競争を勝ち抜くための無理をしている選手もいると思います。そしてそういうところでは一度大怪我をするとよっぽどの天才肌な選手以外は再び1軍に上り詰めることなく卒業を迎えることになります。

学校の選択の自由が学生の側にあるとはいえ、選手の健康管理の面では大規模部活は弊害の方が多いわけで、そういう構造的な部分も見ながら見直しを進めていく必要があるのだと感じています。

投稿: エムナカ | 2006/04/02 09:54

>かわうそさん
こんにちは。興味深いコメントをありがとうございます。
大会前の診断を始めたのは知っていましたが、なるほど、ほかにも主催者はいろんなポーズをとってはいるわけですね。よくこれだけ実効性に乏しい「改善策」ばかりを思いつけるものだと呆れます。

>ここ10年来の動きで見えてくるのは、高野連は「大会日程の長期化には応じるが、会期中に興行空白日が生じることは絶対認めない」という原則を持っているように思えてなりません。

それ以外に合理的な説明が見つかりませんね、残念ながら。職業野球にあれほど露骨な嫌悪感を示し続けてきた人たちが、何をやっているのかと思います。


>馬場さん
>表層心理としては「タイガースに申し訳ない」というエクスキューズに縋っているのではないでしょうか。

うーん、どうでしょうね。確かに甲子園球場は阪神タイガースと同様、阪神電鉄のものですから、常識的には多少の遠慮があってもよさそうなものですが、現実には「タイガースの都合で甲子園大会に影響が出る」という事態は、阪神ファンでさえ望みはしないような気がします。
そもそも高野連に、プロ野球に何かを配慮する、という発想があるのかどうか。

>自分の行動の不合理性に気づかないこと自体が、心の病気の典型的症状なのですが。
確かに。組織として何らかの「心の病気」を抱えていることは確実ですね。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/04/02 10:03

中学野球を経るにしても、クラブチームを経るにしても、将来プロを目指す選手たちは、ほぼ必ずといっていいほど、この高校野球という道を通るのですから、甲子園大会を頂点とする大会の存続は、なによりも必要だと思います。甲子園大会という巨大なイベントがなければ、現在のように隆盛したプロ野球の形はおそらく望めなかったのではと想像します。ですから、大会運営の見直しということには全面的に賛成します。
他方、この甲子園大会に出場することが人生の大きな目標になっている選手達も数多く存在し(むしろこちらが多数派でしょう)、まるで格闘技のラウンドが積み重なっていくのと同じように、連戦の中での疲労困憊が偶然に織り成すドラマが、熱狂的なファンを惹きつける魅力のひとつになっているという現実があります。
勿論、そういった人たちにとっても、健康被害の観点からの大会運営見直しが支持されない筈はないでしょうが、逆に敢えて大きな問題点として感じられることもないでは。過酷な環境の中で生み出される酷薄な魅力が潜在的に支持されているという点では、箱根駅伝と同質のものを感じます。

投稿: 考える木 | 2006/04/06 08:20

>考える木さん

>連戦の中での疲労困憊が偶然に織り成すドラマが、熱狂的なファンを惹きつける魅力のひとつになっているという現実があります。

ちょうど今、CS局のフジテレビ739の「さらば愛しきプロ野球」というトーク番組で関根潤三さんが「ピッチャーが余力を残して降板しているようでは、お客さんはのめり込まない」と話していました。力を振り絞る姿が感動を呼び起こすという面は確かにあります。ありますが、しかし限度というものはあっていい。

>箱根駅伝と同質のものを感じます。

確かに両者の体質はよく似ていますね。
日本における野球は、一高、早稲田、慶応というスーパーエリート階層を中心に普及しました。卒業後に社会の中枢を占めることが予定されている若者が、若い一時期に、精神力や胆力を涵養するために打ち込む対象として、野球は熱狂を集めていました。そういう人たちにとっては学生時代がすべてで、母校のために腕が折れることは名誉であり、その後の人生にとって特に不都合もなかった。
旧制中学による甲子園大会もそういう空気を引き継いで始まり、それが現在に至っているということなのでしょう。箱根駅伝の歴史はよく知りませんが、同じような面があるのだろうと思います。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/04/07 01:03

甲子園での試合はサッカーのようにベスト8以上で甲子園という聖地を使えるようにし、日程を柔軟にしてやったら言いと思う。
そしたら1週間もかからないだろう。

計15日のなかでほとんどが大会9日目の2回戦で半分以上ですね。

ただ兵庫県、大阪は決勝にのみ甲子園を使ってもいいような風にしてはどうか。

投稿: たこはちろう | 2008/05/16 23:51

>たこはちろうさん

>甲子園での試合はサッカーのようにベスト8以上で甲子園という聖地を使えるようにし、日程を柔軟にしてやったら言いと思う。

以前、別のエントリのコメント欄でだいぶ話題になったのですが、「出場校も一度は甲子園でやらなければ納得しないだろうから、各校の最初の試合は甲子園でやり、2回戦以降は分散、準決勝あたりから再び甲子園で」というような意見があり、なるほどと思いました。そうやって日数を稼いで、終盤に休養日を作る、という発想は、あってよいと思いますね。

>ただ兵庫県、大阪は決勝にのみ甲子園を使ってもいいような風にしてはどうか。

現実にどうなっているのかは不明にして知りませんが、兵庫はともかく、大阪府の大会を県外でやることになるので、建前としてはまずいでしょうね(笑)。

投稿: 念仏の鉄 | 2008/05/18 10:15

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