佐藤信夫・佐藤久美子『君なら翔べる!』双葉社
刊行は2005年12月。サブタイトルは「世界を魅了するトップスケーターたちの素顔」とある。いかにも五輪前のお手軽な便乗本という風情の造本に、手に取ることもなく敬遠していたが、梅田香子がblogで褒めていたので読んでみた。なるほど褒められるだけのことはある。
トリノ五輪でいうと、キス・アンド・クライで村主章枝の隣に座っていたのが佐藤信夫、荒川静香といたのが佐藤久美子。佐藤夫妻は、それぞれが日本の主なフィギュアスケート選手の大半を手がけてきたベテランのコーチで、世界選手権チャンピオン佐藤有香の両親でもある。かつては日本を代表するスケーターだった。
その2人が、聞き書きの形で、それぞれのスケート人生を交互に振り返り、最後に2人の対談で終わる、という構成。お手軽どころではない、堂々たる日本フィギュアスケート私史である。
信夫がフィギュアスケートを初めて見たのが1952年、習い始めたのが1953年。戦争のため娯楽施設は閉鎖され、信夫のいた大阪でスケート場が再開したのが52年というから、この人は、戦後のフィギュアスケート史のすべてを経験してきたといってよい。映像もなければ情報もない、どんな技があるかも判らないという時代に、海外選手の来日など、わずかなチャンスに貪欲に吸収し、人から人へと技が伝えられていった様子が語られる。
(彼らの口に上る人名がきちんとフルネームで記され、巻末の注も充実しているので、フィギュアスケート史の資料としても価値のあるものになっている)
引退して会社員になっていた信夫が、選手仲間だった大川久美子の父に乞われて久美子のコーチとなり、そこからコーチ人生が始まる。選手として日本選手権に初出場してから、引退後はコーチとして選手を送り出し、実に50年続けて日本選手権に「出場」しているというのだから凄い。
指導者としても手探りのままスタートし、自らも成長してきた。そうやって、まさに日本のフィギュアスケートを背負ってきた夫婦だというのに、2人とも謙虚すぎるほど謙虚。
「久美子 (前略)私たちがオリンピックや世界選手権の檜舞台に出ていけるのも、選手がいてこそのことだから。私たちが選手を作ってきたわけでもなんでもない。たまたま出会いがあって、今教えてるだけだと思うんです。そこは勘違いしないでやってきたつもりではいます。全部が、自分たちが作り上げたことではないんだと。
信夫 そこを勘違いしていたら、きっとここまでは来られなかったでしょうね。
久美子 そう。やっぱり私たちも選手たちも、お互いが勉強しあってる。一緒に成長していってる。まあ私たちの方は、成長してるかどうかわからないけれども(笑)。」
荒川静香がトリノで金メダルを取った時にも、久美子は「私は何もしていないのに…」というコメントを残していた。こういう人たちだから、選手も辛い練習についていけるのだろう(温厚そうな顔つきからは想像しにくいが、選手のちょっとした談話などを見ていると、少なくとも信夫コーチはかなり厳しい指導をするらしい)。
とはいえ、単なる精神論が続くわけではなく、選手との接し方から、よい氷の作り方、エッジの研ぎ方など、ひとつひとつの工夫に関する話題が具体的で興味深く読める。
読者が期待するのは、荒川、村主、安藤ら今のスター選手たちのエピソードだと思うが、その点も新聞やテレビ、雑誌で紹介されたような皮相的なものではなく、選手そのものの理解につながるような形で、きちんと押さえている。
また、対談の中では、新採点システムに対する評価もかなり詳しく語られている。システムからこぼれ落ちてしまう大切なものを指摘しつつ、一定の評価も与えて、基本的には賛成だが「きっちりとしたジャッジと感動できるパフォーマンスとの間には、まだうまく歯車が合わない部分もある」と信夫は話している。誰が見てもよいと思うものに点数がつきにくいとしたら、やはりおかしい、と。
どちらも、トリノ五輪を終えた今だからこそ、実感をもって理解できる。
冒頭に「便乗本」という言葉をやや批判めいたトーンで使ったが、このような、クオリティは高いが地味な内容の本は、トリノ五輪前で女子フィギュアが異常に盛り上がっている、というタイミングでなければなかなか刊行できなかったに違いない。そんな本でも市場に出すことが可能になるという点では、便乗本おおいに結構、である(今年は「こんな時でなければ絶対刊行されない」ようなサッカー本も、いくつも現れることだろう)。
私は、彼ら自身が語る姿や声を見たことも聞いたこともないが、本書の文章には、たぶんこの人たちはこんなふうにしゃべるのだろうな、と思わせる穏やかさがある。聞き書きの本で、これほど自然な語り口を全編貫くのは、それほど簡単なことではない(著名な女性スポーツライターで、選手の談話部分の文章がものすごく不自然で読むのが辛い書き手が2人ほどいる)。
金銭面や選手のマネジメント、選手の親との葛藤など、微妙な話題にもきちんと触れていながら、この穏やかで柔らかなトーンを崩していないのは見事なものだ。著者として表に名前が出てはいないが、巻末の丁寧な注も含めて、構成者(青嶋ひろの・白石和巳)はよい仕事をしている。
それにしても、本書を読んで驚いたのだが、大学を出た佐藤信夫を自分の経営する企業に就職させ、社会人として競技を続けさせたのも、引退後にコーチの道を開いたのも、引退後の久美子にコーチをするよう誘ったのも、2人が指導する場となるスケート場を作ったのも、2人に結婚を勧めたのも、すべて堤義明だ。今も荒川静香はプリンスホテル所属だし、佐藤夫妻が指導し荒川、村主、安藤のトリノ五輪代表3人が練習していたのは新横浜のリンク。
アイスホッケーやスキーだけでなく、フィギュアスケートもまた、堤義明の庇護の下でここまで来たのだと改めて痛感する。逆に言えば、これほど巨大なパトロンだった堤が経営の一線を退いた今、フィギュアスケートの競技環境は岐路に立たされている、ということでもある。
以下は本書と直接関係のない余談。
トリノ五輪の後、フィギュアスケート連盟の財務における問題が取り沙汰されている。報じられているような特定幹部への過剰な利益供与が実在するのであれば、連盟は自ら事実を明らかにし、襟を正すべきであることは言うまでもない。
黎明期に一部の人々の損得抜きの愛情によって成り立ってきた競技が、社会的に認知され、人気を集めて、利益が生ずるようになると、しばしばこういう事件が起こる。サッカー界でも、Jリーグの初期にいくつかの事件があった。
フィギュアで問題になっている幹部がどうであったかは知らないが、多くの競技団体で、初期の幹部たちは、競技のために私財を投げ打つという形での「公私混同」をし続けてきたはずだ。自分の財布と競技団体の財布を区別しない形でやってきて、ようやく「公」の方が利益を生むようになったのだから、少しくらい返してもらってもいいだろう。そんな感覚があるのではないかと思う。
気分としては同情できる面がなくもないが、やはり、それは許されないことなのだ。競技が、彼ら仲間内のものから社会全体のもの、国民のものに生まれ変わる段階で、そのような内輪意識にケリをつけておかなければ、結局は後々まで禍根を遺し、彼らが愛してやまなかったはずの競技そのものに大きな迷惑をかけることになる。競技が普及する、メジャーになるというのは、そういうことなのだと思う。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント