ナイジェリアに見た黄金世代の夢、ポルトガルに見た現実。
一夜明けて(いや、もう二夜ですが(笑))、改めてワールドカップ・ドイツ大会に臨む日本代表23人の顔触れを眺めると、端的に言えばこれは「ほぼシドニー五輪代表」である。世代的に言えば23人中17人、シドニー五輪の予選・本大会に出場した選手は(オーバーエイジの楢崎を含めて)たぶん12人。さらにいえば、このメンバーのうち、小野、小笠原、稲本、中田浩二、遠藤、加地、高原はナイジェリアで開かれたワールドユース99のファイナリストでもあった。
98年フランス大会以後に日本代表が参加した世界大会で、私がもっとも熱中したのは、このワールドユース・ナイジェリア大会だったような気がする。
当時も今も、世界大会で日本代表の現実的な目標と考えられているのは「グループリーグ突破」である。過去のワールドカップでも、年代別大会でも、突破できたにせよ、できなかったにせよ、興奮のピークはいつもグループリーグ最終戦にあった。
唯一そうでなかったのがこのワールドユースだ。初戦でカメルーンに敗れたからグループリーグ突破が楽だったわけではないが、しかしトーナメント進出以後は、ひとつ勝つたびに新しい局面が開けていった。次はどこだ?ポルトガルか、次はメキシコか、と、見ているだけでむくむくと闘争心が沸き上がる。大会が進むごとに興奮がどんどん高まっていく、ノックダウン方式の醍醐味ともいうべき愉しみは、サッカーを見ていてほかに経験したことがない(アジアカップも同じ大会方式ではあるが、やはり準決勝くらいまでは行って当然、という感覚で見ているのだろう)。
出場した選手たちにも魅力があった。中盤の王様として国際大会で初めて力を発揮した小野。小野をサポートして中盤を走り回り、タフでシャープな技術を見せた小笠原。ここぞという局面で点を取ってくれた高原。体調不良で出場時間の少なかった稲本に代わって中盤の底を支えた遠藤。中盤から3バックの左にコンバートされてもソツのないプレーを見せた中田浩二。また、23人のリストには残れなかったが、左サイドからのドリブルがキレまくってナイジェリアの観客に熱狂的に支持されていた本山は、この大会の最大のスターだった。手島も急増フラット3を中央でよくコントロールしていた(加地も3試合に交代出場したが残念ながらあまり印象に残っていない)。
この若者たちが成長した時、日本代表が世界と対等に渡り合う日が来る。夜毎にナイジェリアからの中継を見ながら、私はそう思っていた。勝ち進む目の前の大会だけに興奮していたのではない。その先の未来を彼らのプレーの中に見ていたのだろう。
その時の想像が、今、現実となっている。あの時の若者たちの多くが、今、日本代表としてドイツに渡る。2002年にはまだ初々しかった彼らも、海外に出たり戻ったり、深刻な故障や病気に苦しんで克服したり、移籍によって飛躍したり、さまざまな経験を積んで、少年から男の風貌に変わった。
90年代に入ってから彼らが出現するまで、日本では「若い世代ほどサッカーが巧く、国際大会に強い」という右肩上がりの時代が続いていた。
そして、彼ら以後の選手たちは「谷間の世代」などと呼ばれ、実際に各年代での世界大会で彼らに匹敵する成績を残せずにいる。
つまり、彼らの世代は90年代以降の日本サッカーのピークなのであり、その彼らがサッカー選手の最盛期といわれる20代後半になった2006年は、日本サッカーのひとつの当たり年といってよい。
川口や中田英、中沢、中村らも含めて、現在キャリアの頂点にあるはずの選手たちが、ドイツでどのように戦うのか。黄金世代と呼ばれるに相応しい闘いぶりを見せてくれるだろうか。ドイツ大会における日本代表についての私の関心は、主にそういうことになりそうな気がする。
そんな気がしてはいるのだが、正直なところ、7年前ほどに今の私がワクワクしているわけではない。大会が始まって日本代表が勝ち進めば興奮するのだろうとは思うが、現時点でさほど盛り上がっていないのは、もっと成長しているはずだったのに、という思いが拭えないからかも知れないし、現代表監督就任以来の4年間のあまりの変わらなさ加減に、いささか倦怠を感じているのかも知れない。選手たち自身は、どうなのだろう。長い間、同じ顔触れで同じことをやり続けて、飽きるということはないのだろうか。
ユース世代で大きな成功をおさめた黄金世代のその後、ということで思い出すのはポルトガルだ。フィーゴ、ルイ・コスタ、フェルナンド・コウトらを擁して89年、91年にワールドユースで連続優勝したポルトガルは、しかし94年、98年と連続してワールドカップ出場を逃した。彼らが主力となって臨む最初で最後のワールドカップであり、集大成となるはずだった2002年には、韓国に惨敗してグループリーグ敗退。まったく期待に応えることができなかった。
その2年後に自国開催された欧州選手権では、ブラジル人監督フェリペが改革を断行し、クリスチャーノ・ロナウドやブラジルから帰化したデコらの若手が台頭。黄金世代の選手たちは1人また1人とベンチに、あるいは代表メンバーの外においやられていく。大会が始まってからも世代間闘争は続き、開幕戦での敗北を受けたフェリペの選手入替えが功を奏して、ポルトガル代表は決勝まで勝ち進む。
若者たちの野心とベテランの意地や怒りがぶつかり合ったこのチームは、とても魅力的だった。ある意味ではフェリペが演出したとも思えるようなルイ・コスタとデコ、フィーゴとロナウドのポジション争いは、チーム内にダイナミズムを作り出し、それまでのポルトガルには見られなかった爆発力を生みだす原動力となったように見えた。
フィーゴたちがワールドユースに優勝してから、12年後のことだった。
日本がワールドユースの決勝に進んでから、今年は7年目にあたる。フィーゴやルイ・コスタにとっては、出場できなかったフランス大会の頃だ。
その間のポルトガル代表の事情に精通しているわけではないが、10代の頃から同じような顔触れで各年代の大会を戦い、そのまま揃って代表入りして、下の世代からポジションを脅かされることもないまま、馴染みの顔触れで試合をし続けている、という状況だったとしたら、それは今の日本代表と似ているのかも知れない。そして、華麗なテクニックを持ち、中盤でよくボールを回すけれどもゴールにたどりつけずに敗れる、という当時のポルトガルの試合ぶりと今の日本も、また似ている。同世代の同質な顔触れで長い間プレーし続けることには、もちろんメリットもあるけれど、同時にある種の脆弱さにつながるのではないかという懸念は拭えない。
そもそも日本が初めてワールドカップ予選を突破した97年秋の闘いにおいても、日本代表内部での世代間闘争が、チームに激しいダイナミズムを与えていたのではなかったか。
そう考えると、「ほぼシドニー五輪代表」ともいうべき今回の代表チームが、あまりにも限られた世代に偏りすぎていることには、一抹の不安を覚える。予選突破の上で大きな力となった藤田や三浦、欧州リーグで数少ない成功を収めている松井や平山が加わることでチーム内に生じたであろうダイナミズムを、ジーコは必要と考えていないようだ。もちろん、今のチームは世代間というより世代内で激烈な競争があるから、ひとりひとりは決して安泰ではないけれど。
ポルトガルの例にこだわるようだが、その意味では、私は実は2010年の南アフリカ大会を楽しみにしている。
「黄金世代」は30代に入り、すでに峠を越えつつある。故障、不振、体力的な衰え、さまざまな理由で、ひとり、またひとりと代表から遠ざかっていく。かつて彼らをもてはやしたメディアや国民は、掌を返したように彼らを批判し、「エリート養成システムの弊害」などと叩いたりする。そんな紆余曲折を経た末に2010年を迎えた「黄金世代」の残党が、仲間を蹴落として代表に加わってきた若手選手たちと、時に対立や葛藤を起こしながらも、今度こそ本当に最後のワールドカップに臨む……。そんな状況になったとしたら、日本代表にはこれまでになかったような性質の強さを見せてくれるのではないだろうか。
豊かな才能でひた走ってきたエリートたちに、この種の陰影が加わった時、チームは味わい深いものになる。そんなチームの戦いぶりも見てみたいし、その時こそ、このチームに私は心底、共感できるかもしれない。
…なにもドイツ大会が始まろうという時に次の大会への期待を語らなくても良さそうなものだが、文章というのは、しばしば書いているうちに筆者自身の思いもよらない方へと進んでしまう。
このシナリオが実現するためには、彼らは2006年大会を失意のうちに終えることが前提となる。一見物人の屈折した妄想を満たすために、目の前の大会を棒に振る必要などないことは言うまでもない。というより、私だって今大会を勝ち進む日本代表は見たい。
4年後のことは4年後に考えればよい。ドイツ大会代表の選手たちには、1か月後に私が「馬鹿なことを書いたものだ」と恥ずかしくなるような闘いぶりを見せてくれることを、これはこれで本心から願っている。
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