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スポーツをテレビで観るということ。

 スカパーがワールドカップ開幕1か月前を期して、5月9日に専門チャンネルを開局した。
 開局記念の3時間特番の中で、2002年大会時の人気番組だった「ワールドカップジャーナル」を1日限りで復活させというという企画があり、MCえのきどいちろう、データマンだった金子尚文、常連ゲストだった原博実が顏を揃えていた(アシスタントの間宮可愛は放送の仕事をやめて結婚間近とのことで顏を見せなかった)。あれから4年も経ったのだなと、とても不思議な気がした。

 「ワールドカップジャーナル」は、スカパーの2002年大会を代表する番組だった。というよりも、私にとっての2002年大会は、この番組とともにあったといってもよい。
 この1時間のトーク番組は、2001年春に週1回のレギュラー番組として始まり、同年12月からは毎日17時から(再放送は同日24時から)の生放送になった。土日も休まない掛け値なしの毎日である。

 「トーク番組」と書いたが、民放地上波で数多く放映されている「トーク番組」に比べると、「ワールドカップジャーナル」は全く異質の番組だった。
 レギュラー出演者はえのきどと間宮可愛という女性アシスタント、データマンの金子尚文という青年。そこに、原や後藤健生、風間八宏、水沼貴志、加藤久、伊東武彦、西部謙司といったサッカー関係者が、原則として毎回1人だけ出演する。
 間宮と金子は番組の進行にはろくに寄与していなかったので、実質的には、えのきどとゲストが1時間語り合うだけの番組だった。字幕も映像も音楽もクイズも有名タレントも色気担当の女性タレントも豪華プレゼントもなく、大会前まではサッカーの映像すら挿入されることもなく、えのきどとゲストは、ただひたすらサッカーについて喋り続けていた。それだけの何の愛想もない番組が、この上なく面白かった。

 後藤は毎週出演して、過去のワールドカップ各大会取材の思い出を話した(それは大会を重ねるごとに、サッカーファンから取材者へと立場を変えていく後藤自身の自分史でもあった)。加藤久や風間八宏は、よそでは見たこともないような笑顔を浮かべて軽口を叩いていた。水沼は民放でタレントを相手にしている時よりずっと厳しい口調でサッカー談義に熱中していた。原は途中でFC東京の監督に就任して番組から遠ざかったが、ワールドカップ開催中は解説の仕事に復帰し、例の独特のリズムで番組を和ませた。

 大会が始まると、「ワールドカップジャーナル」の放映時間は夜中に変わった。その日の試合および試合中継が終了し、普通のまとめ番組が終わった後の深夜、開始時刻も終了時刻も定まらないような状況で、各地の試合を解説したり観戦したゲストたちが駆けつけて、その日の試合について、えのきどと語り合った。とにかく自分が話したいことをえのきどにぶつけて一日が終わる。出演者たちはそんなふうだったし、視聴者もまた、そんな気分を共有していたのだと思う。私はそうだった。

 本業はコラムニストだがラジオでのキャスター経験が長く、インタビューの仕事も多いえのきどの、聞き手としての卓抜した力量がゲストの魅力を引きだしたのだろうと思う。
 そして、それを勘案してもなお、出演者の誰もが、サッカーを語るのが楽しくてたまらないという様子が伝わってきた。と同時に、これほどしょっちゅうテレビに出演している彼らでさえ、話し足りないことがたくさんあるのだな、とも感じた。
 語るべき内容を持っている出演者がいて、思う存分話せる場があればいい。そして、気分よく話させてくれる聞き手がいれば、それだけでいい。「トーク番組」とは、本来そういうものであるはずだ。
 だが、語り手と聞き手、そして彼らの中にあるコンテンツの力を信じきれないディレクターやプロデューサーたちが、せっかくの素材に余計な装飾物をどんどん付け加えて、結局は「トーク」そのものを殺してしまう。民放地上波の多くの「トーク番組」は、そんなふうに私には見える。
 制作者がメーンコンテンツを信頼しきれない、という現象は、「トーク番組」に限らず、おそらくは昨今のスポーツ中継一般がどうしようもなく見苦しいものに堕している大きな原因なのだろうと思う。


 馬場伸一さんが、西日本新聞に掲載された野球中継の視聴率に関する記事について教えてくださった。ネットで探してみると、東奥日報にも同じ記事が出ていたので、たぶん共同通信発なのだろう。
 記事は、ジャイアンツが首位を快走しているにもかかわらず四月の視聴率が12.6%と低迷する一方で、地方局における地元球団の試合中継は好調……という内容。昨年から話題に上っていた傾向だが、今年もさらに強まっているようだ。

 この記事の中に、匿名の“球界幹部”のこういうコメントが紹介されている。
「巨人の視聴率は巨人人気であって、野球人気に直結させるのはどうか。ローカルエリアの放送やCS放送などの数字を確認しないと何ともいえない」
 一体なぜ匿名にしなければならないのか疑問に思うほど、しごくまっとうな意見である。
 野球人気が落ちたの、ドラマの視聴率が落ちたのと、近年、新聞紙上でテレビ視聴率に言及した記事を目にするたびに、私は同じ感想を抱いている。
 地上波の占有率そのものが落ちているのではないのか、と。

 今年、CS局のJSPORTSでは日本プロ野球の公式戦全試合を中継するのだという。確かにシーズンが始まってからは連日、同社の4つのチャンネルを駆使して野球中継が放映されている。
 試合開始から終了後のヒーローインタビューまで、次の番組に切り変えられたり、CMが次のイニングの頭に食い込むこともなく、試合はほぼ完全に放映される。さして野球に愛着があるとも思えないタレントが同局の新番組ドラマに主演しているというだけの理由で中継に割り込んでくることもない(愛着だけあって場違いなタレントも、やはり視聴者にとっては迷惑だが)。
 野球をテレビで見ることに金を払ってもいい、と思うほど熱心な人々が、有料放送に乗り換えていくのは自然な流れだ。サッカーでも同様だ(テレビドラマにしても、一昔前の面白かったドラマを見る方がいい、とCS局を選ぶ人もいるだろう)。
 現時点で、その人数は視聴率の上ではわずかな割合かも知れない。だが、わずかではあっても、それは、それぞれの分野におけるもっとも熱心な視聴者だ。熱心な視聴者ほど地上波を離れていき、さして関心のない浮動層が数字として残る。制作者たちは、その「さして関心のない浮動層」を惹き付けようとしてスポーツそのものと無関係な装飾物を増やし、それはますます熱心なファンの嫌悪感と地上波離れを促進する。そんな流れが存在しているように思う。

 地上波テレビ局の人々がこれからスポーツ番組をどうしていきたいのかは、一視聴者としての私には、どうせ見ないのだからあまり関係ないとも言える。が、スポーツの側から見れば、収入源としてのテレビ放映権料は大事だ。CSでの放映権だけではまだまだとてもやっていけない(スポーツビジネスを勉強しているアルヴァロ君@アトレチコ東京によれば、CS局における海外サッカー中継は、人気はあるけれどやればやるほど赤字になる困ったコンテンツらしい)。地上波中継がもっと隆盛になってもらった方がスポーツ界全体は潤うに違いない。

 では地上波テレビ局はどうすればいいか、などという妙案を私が持っているわけではない。ただ、ひとつだけ思うのは、現在の地上波番組は、「そのスポーツに詳しくない人にとってわかりづらい」ということを極度に怖れているように見えるのだが、それは、本当に何が何でも避けなければならない禁じ手なのだろうか。
 『ワールドカップジャーナル』では、多くの出演者たちが、とにかくそれを語るのが楽しくて仕方がない、という表情で話に熱中していた。
 浮動層でも風間八宏や加藤久の顏くらいは見たことがあるだろう。そんな人たちがここまで熱中しているのなら、何だかよくわからないけど楽しそうだから聞いてみよう、見てみよう、という反応を起こすのが浮動層の浮動層たる所以ではないのかな。甘いでしょうか。


追記
 『プロ野球ニュース』についても書くつもりが、触れそこねた。
 CSフジテレビ739で月曜を除く毎晩午後11時から1時間にわたって放映しているこの番組は、『すぽると』以前の、もっといえば中井美穂が出演する以前の往年の『プロ野球ニュース』のフォーマットを継承した由緒正しい番組である。
 その夜に行われたすべての試合について、野球解説者とアナウンサーがセットになってダイジェストを見せ、ポイントについて解説者たちが語り合う。MCは日替わりで大矢明彦や高木豊らの解説者が務め、週末には佐々木信也翁も元気な姿を見せてくれる。「今日のホームラン」のBGMも、往年の例の曲のままだ(「ヴァイブレーション」というタイトルらしい)。
 スポンサーの制約が少ないせいか、局の幹部が誰も見ていないせいか、誤審や暴力事件などからも目をそらさず、解説者たちが辛口な議論を繰り広げて、ツボを外すことがない。今年の序盤、ジャイアンツのイ・スンヨプが隠し球に引っ掛かって一塁でアウトになった時には、映像を流しながら、一塁ベースコーチの責任について延々と議論していた(笑)。並み居る解説者たちがみな卓見の持ち主というわけではないが、常に大勢が出演しているので全体としてはバランスがとれる。
 最近は、野球に関しては夜のスポーツニュースはこれだけ見れば十分だと思っている。選手の生出演がないことだけは残念だが(きっと予算がないのだろう)。

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コメント

>何だかよくわからないけど楽しそうだから聞いてみよう、見てみよう、という反応を起こすのが浮動層の浮動層たる所以ではないのかな。

同感です。私はセリーグはスワローズのゆる~いファンなのですが、そのきっかけは82年の優勝のときの「ビールかけ」でした。選手たちがあまりにも嬉しそうにしていたのでついつい情が移ってしまって(笑)。船田みたいなおっさん選手が、本気で嬉し泣きしていたのには「もらい泣き」してしまいました。以来ずっと、なんとなくスワローズが好きです。

テレビというメデイアは「気分」を伝えるという能力において卓越しているので、「本気で面白がっている」という気分を伝えることができれば、視聴者を誘引する力は極めて強いと思うんですけどねぇ。

WBCとかプレーオフとか、大の大人が命をかけてプレイするのを見る「感動」が高い商品価値を持つ時代です。「面白がり」というのも商品価値を持つと思うのですが・・・

投稿: 馬場 | 2006/05/15 18:05

>馬場さん
>テレビというメデイアは「気分」を伝えるという能力において卓越しているので、

このへんに鍵があるのかも知れませんね。職業タレントの作り泣きや追従笑いよりも、素人が心底泣いたり笑ったりしてる方が、たぶん訴求力は強い。ただ、それを安定して作り出す自信がない、ということなのかな。

ヤクルトの優勝は78年でしたね。日本シリーズの初戦で船田が山田からホームランを打った時、このチームは何かをやらかす、という予感めいたものを感じました。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/05/15 20:20

>ヤクルトの優勝は78年でしたね。

あ!そうでした。失礼しました。
当時はマンガ「タブチくん」の全盛時代でして、いしいひさいち描く広岡監督がわたし的にはツボでした。
そうそう、安田という「マンガするしかない」みたいなキャラのピッチャーもいましたねぇ。

投稿: 馬場 | 2006/05/16 09:57

ブログ初めて拝見しました。
佐々木信也時代のプロ野球ニュース、私も大好きでしたので、畏れながらコメントさせていただきます。
解説者連中に加え、当時のプロ野球ニュースの凄かった点は、(よく知られている全試合の映像は当たり前として)よほどのワンサイドゲームでなければ、全ての得点シーンを流すこと。更にしっかりしていたのは、得点シーンのみしか流せない場合はアナウンサーが生還する走者がどのように出塁したか(大石フォアボール、新井がライト前ヒットで続き、ブライアントは三振も、この後のオグリビーが…という感じで)必ず説明した上で、得点シーンにつなげていたことです。
こういった真剣なスポーツニュースが視聴者を引き付けないことはないと思うのですけどね。

投稿: 三河屋 | 2006/08/29 06:29

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展覧会の話題ではないのだけれど、いつも楽しんでる「見物人の論理」のエントリ「スポーツをテレビで観るということ。」(http://kenbtsu.way-nifty.com/blog/2006/05/post_19ec.html)が今の日本の美術館の展覧会に似ている状況を示している気がした。たとえばつぎにひくよ... [続きを読む]

受信: 2006/05/14 19:53

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