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誰かジーコを知らないか。

 5月15日の夕方、エル・ゴラッソ5/15-16日号を買ったら、後藤健生によるキリンカップの総評コラムが2面に掲載されていた。FW陣の働きぶりを、ワールドカップ代表争いと絡めて、後藤はこんなふうに書いている。
「この数カ月を振り返れば、久保が6月に本来のコンディションを取り戻せる可能性は低い」
「巻や佐藤も決定的な仕事はできなかった。巻の前線での守備は、劣勢に立たされるであろうW杯での試合では有効だろうが(その点では、久保より巻だ)」
 なるほど。ジーコがこの日の午後に読み上げたリストの23番目の名前が、久保でなく巻であった理由は、これで説明がつく。
 だが、後藤の文章は次のように続く。
「そして、柳沢は故障中。『故障者の回復待ち』というのは大きなギャンブルである」
 久保はまがりなりにも試合に出ている。コンディションを問題にするのなら、柳沢の現状は久保以下だ。それでもジーコは久保でなく柳沢を選ぶ。

 私は、例えば4年前にトルシエが中村俊輔を選ばなかった理由を自分なりに説明することができる(以前、『シュンスケ・コールが響く前に。』に書いたことがある)。それが正しいか間違っているかは別として、それまでのトルシエの言動は、部外者にも推定可能なだけの材料を与えてくれていた。
 8年前、フランス入りを前に岡田武史が三浦知良を外した理由も、理解できなくはない。カズも北沢もあのチームに必要な人材だったと私は思っているが、それは多分に結果論でもある。少なくとも、岡田がグループリーグ3試合で起こりうるあらゆる局面をシミュレーションした末に、他の選手に比べて2人の必要性が低いという結論に達したのだろうということは、疑っていない。
 だが、私はジーコが久保でなく柳沢を選ぶ理由、アレックスを選び続ける理由、闘莉王や松田に目もくれない理由を説明することができない。
 それは、単に私のジーコに対する理解が足りないからかも知れない。では、誰か上記の理由を合理的に説明できるだろうか。明日の新聞、あるいはこれから代表メンバーを報じるサッカー雑誌の中に、これらを明快に説明してくれる言説を見出すことができるだろうか。

 日本代表監督就任から4年近くを経て思うのは、とうとう日本には「ジーコの代弁者」が現れなかったな、ということだ。
 岡田武史は、自分自身で明晰に説明することができた。トルシエには田村修一という代弁者がいた。あるいは後藤健生のようにトルシエに「食い込む」ことをしなくても、観察によって彼の指導理論を分析する人物がいた。
 では今、ジーコについて、その監督術、指導理論を明晰に説明し、分析できる人物が日本にいるだろうか。私はある時期からジーコに関する言説や記事に関心を失ってしまい、ほとんど目を通していないので、見落としているのかも知れない。心当たりのある方は教えていただけるとありがたい。
 私が読んだ中でほとんど唯一、腑に落ちるところのあったジーコ論は、北京で開かれたアジアカップをルポした西部謙司の『ゲーム・オブ・ピープル』(双葉社)だ。
 西部は、サッカー人としての偉大さと、指導者としての凡庸さのアンバランスが監督ジーコの特徴であると規定し、双方をじっくりと是々非々に描きながら、アジアカップにおける日本代表のメンタリティの勝利が、この奇妙な監督のまさに奇妙な特性によって成し遂げられたものであることを示していく。大変面白い読み物なのだが、西部自身も、アジアカップにおいてジーコのどのような力が、いかにしてチームに勝利をもたらしたのか、論理的に説明できているわけではない。
 いや、西部の炯眼があってこそ、言葉ではうまく説明のつかないような「サッカー人としての偉大さ」に着目できたのであって、ジーコの能力を言葉や論理で説明することは難しい。なにしろジーコ自身が自らの発言を次から次へと行動で裏切っていくのだ。事は容易ではない。非論理的な指導者の代名詞のように言われている野球における長嶋茂雄でさえ、もう少しましな説明はつけられる(実は彼には結構論理的な部分もある)。

 そして、発表されている書籍や記事や番組を見る限り、監督ジーコの方法論の代弁者が現れないだけでなく、人間ジーコに「食い込んだ」ジャーナリストさえ、日本にはいないように思える。ヴェンゲルやトルシエにおける田村修一、ストイコビッチやオシムにおける木村元彦のような書き手が、ジーコに対しては存在していない。住友金属時代から数えれば、すでに日本で15年以上過ごしているというのに、ジーコのことなら彼に訊け、と言われるようなライターが1人もいないというのは、考えてみれば驚くべきことではないだろうか。
 ジーコの存在があまりに偉大すぎて、誰もそんな恐れ多い取材方法を試してみようとは思わなかったのかも知れない。だが、あくまで想像だけれど、むしろジーコ自身がそのような形で取材者を近づけることを好まない人物なのではないかと私は思っている。一通りの対応はするけれど、それ以上の胸の内、肚の底を見せることはない。人間としても監督としても、ジーコはそのような態度を貫いている。

 念のために書いておくが、私はジーコが非常に高い志を抱いて日本代表監督という仕事に臨んでいることは疑っていない。その高い志をいかにして実現しようとしているのか、という方法論の部分が、ついに理解できなかっただけだ。

 今日の記者会見に同席した川淵三郎JFA会長は「ジーコ監督と2人で記者会見をするのは4年前の調印式以来」と個人的感慨を口にして、満足げな表情を浮かべていた。彼にはジーコが理解できているのだろうか。「人間ジーコ」「サッカー人ジーコ」に絶対的な信頼を置けるから全面的に任せる、というスタンスなのだろうか。ともかく、川淵会長が独断的に選んだと言われる代表監督は、任期途中で失脚することなく、当初からの目標であったワールドカップに臨む。

 この時点で確実に言えることは、ジーコはこの4年弱の間に、指導理論や指導技術など、目に見えるものはほとんど何も残してはいない。彼がよい指導者だったのか、凡庸な指導者だったのか、指導方法から判断することは困難だ。「結果はともかく、よい監督だった」「日本に大きな財産を残した」ということは、ジーコに限ってはどうやらなさそうだ。
 ワールドカップで勝つこと。ジーコという監督にとっては、それがすべてである。
 勝利か、さもなくば無か。


追記
ジーコは記者会見で、久保を外し柳沢を入れた理由を、次のように話している。
「久保はすばらしい選手で、彼のプレーは個人的にも大好きだった。しかし、いまはコンディションが悪く、能力を発揮できていなかった。最後まで考え抜いた結果、こうなった。それでは(骨折でリハビリ中の)柳沢はなぜ選んだかということになるが、周りの選手や自分の経験からもわかるが、骨折はしっかりとしたリハビリをすれば、復帰後すぐにいい動きができる。リハビリを見る限り動きがよく、本大会でも期待できると判断した。逆に中途半端なコンディションで臨むと、チームの足を引っ張るおそれがある。とくにフィジカル面はだましきれない。自分も選手時代に苦い経験をしたので、このチームでは起こってほしくないと思った。」(毎日新聞 )
 本大会での柳沢の動きが回答、ということになる。

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コメント

はじめまして。REIといいます。

WC後に予選敗退しようと、予選突破して立派な成績を残そうと、恐らく日本でジーコには「何もしなかった監督」という評価が与えられるのではないかと考えています。
しかしかつての日本代表がリードしている場面で追いつかれる代名詞でしかなかった後半のロスタイムでの、近年の異常なほどの勝負強さ。1~2試合ならともかく、アジアカップ、WC予選など、偶然では片付けられない頻度だと思います。日本人がたった4年でメンタル的に格段の進歩を見せたとは思えない以上、あのジーコがもたらした勝負強さといえるのではないでしょうか。
つまるところ目に見えない成果、それこそがジーコ監督の功績なのだと私は考えています。(もちろん、今回の代表選出含めいろいろな不満はありますけどね)

ところでオシム監督が彼に関して「自由を与えすぎると批判されている」とコメントしたことがあると聞きます。日本はサッカーを枠に当てはめすぎるのではないかと、彼なりに批判したのではないかとと私は受け止めています。
まぁオシムが考えさせることを目的とした練習を行っている一方で、ジーコはほったらかしにしているような所もあり、ジーコがやっていることが正しいとは思えない部分も多いのですが、少なからず「日本には早すぎた監督なのかもしれない」という気もするのです。

まとまらない意見で申し訳ありませんが、そんなことを思いながら今日の発表を見ていました。

投稿: REI | 2006/05/15 23:56

>REIさん
こんにちは。

>日本人がたった4年でメンタル的に格段の進歩を見せたとは思えない以上、あのジーコがもたらした勝負強さといえるのではないでしょうか。

この点は同感です。ただ、それはジーコがベンチにいる時にだけ有効な勝負強さなのではないか、という懸念があります。だからこそ、この監督は成績を残さなければ意味がないと思うわけです。

また逆の見方をすれば、トルシエ時代にはアジアカップであれほど圧勝したチームが、わずか数年のうちに同じ大会やワールドカップ一次予選で大変な苦戦をしているというのは、日本代表の停滞のあらわれではないか、という懸念もあります。2002年以降にアジアの中堅諸国に差を詰められた結果、「異常なほどの勝負強さ」を発揮しなければ勝てなくなってしまった。そう考えると、次の監督選びはとても重要になってきますね。

>少なからず「日本には早すぎた監督なのかもしれない」という気もするのです。

もっと成熟したサッカー大国の方が、ジーコ監督の真価が発揮できるのかも知れませんね。ブラジル代表を率いるジーコを見てみたい、という気はします。「監督経験の少ないかつてのスター選手が代表を率いる」という現象は欧州の強豪国で見られるようになってきましたし。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/05/16 08:42

はじめまして。
いつも興味深く拝読しております。

さて、ジーコ監督論についてですが、私は就任当初からジーコの監督就任には疑問を感じておりました。なぜなら、ジーコからは「信念」という抽象的なもの以外に、具体的なものが何ひとつないように思えたからです。

たとえば、彼には、まったくのアマチュア集団だったアントラーズをJ開幕当初の1STで優勝に導いた実績があります。でもそれは、いまにして冷静に思えば、まだプロと呼ぶには程遠かった集団を徹底した基礎技術の反復(のみ)で、当時まだまだ「未熟」だったリーグ(特にDFの技術はひどいものでした)で一番になったというだけのことです。現に、のちに鹿島が常勝軍団になったときには、その時々で優秀な監督や偉大な外国人選手が中心にいましたし、一方で、ジーコは鹿島の監督になることを拒み続けていました。当時私は、なぜジーコは監督にならないのか。それは、おそらく、ジーコは監督になって結果が出せなかったときのことを考え自らの身を守る選択をし続けているのだろうと感じておりました。

その間、日本代表は、賛否はあるにせよ、トルシエ監督の下で一応の結果を出し続けてきました。(私自身は、人間性は別にして、彼の代表でやってきたこと、彼の選手を見る目はたしかだったと思っています。)黄金の世代は順調に成長し、海外に移籍するといったことが日常化していきました。
いまだったら俺がやってもある程度は結果を出せる――ジーコはそんなふうに感じからこそ、川淵氏も「驚いた」という監督就任要請を受けたのでしょう。
ジーコは「自由」や「自主性」といったものを重視するとして、「規律」という枠に押し込んだトルシエとは対照的に、マスコミや世論から圧倒的な支持を受けました。その結果、彼がやってきたことは今更語るまでもありません。

私が最初に言った「信念」という抽象的なものが何なのか。私はずっとそのことを考え続けていました。結果、それは、一般に言われる(特にジーコ批判を展開できないマスコミを中心にしてですが)選手を信じ続ける「信念」といった類のものではなく、この選手を起用した自分のプライドを守るための「信念」ではなかったでしょうか。この二つは似て非なるものであり、そう思って、彼の選手起用を見ていくと、随分納得できる点が多々あるように感じます。(ただし、W杯最終予選のもっとも切迫した場面で中田と宮本の提案を受け入れて戦術の変更をしたといったことがありましたが、あれはあれで、選手を信じ抜いたという選択ではなく、仮に結果をだせないときの「美談」という保険を掛けたのではなかとすら思っています)。

結局、ジーコ監督が今回選んだ選手の中に、「監督ジーコ」が発掘した選手は誰もいませんでしたし、選手起用に関しても、彼のオリジナリティはまったくありませんでした。一般的には、受け入れられないかもしれませんが、私自身は極端に言えば、「ジーコ・ジャパンはトルシエの遺産であり、引継ぎ程度である」といまでも強く感じております。おそらくW杯の舞台でも、彼は驚くほど「保守的な戦い」をするでしょう。でも、たとえ、どんな結果(3敗)が出るにせよ、日本のメディアはジーコ監督に対してなんらかの賞賛の言葉を送り、強引に美談を作り出すでしょう。そのとき、ジーコは寛容な日本のメディアに対して、どのような「信念」に基づく言葉を発してくれるのかが、いまから楽しみですが、折角なので、シュミレートしておくことにします。


記者:予選リーグ敗退を受けて

ジーコ:選手はよくやりました。私が選んだ選手たちには胸を張って帰国しろといいたい。私が来てから日本のサッカーは目覚しい進歩を遂げました。そんな国の代表監督でいられたことを誇りに思う。近い将来、日本のサッカーは必ず世界と互角に戦える日が来るだろう。


本来なら「そうなるほずだった」今回の日本代表。「10年に一度」という黄金の世代が円熟期を迎えた折角の機会は台無しになり、そして、誰も何も彼の責任を問わないまま、川淵氏の独断によって、また新たな監督が就任するのでしょう。
ジーコ監督が日本代表にとってどんな意味合いを持っていたのかは歴史が証明してくれるが、おそらく、ずっとのちに、ジーコというオーラの影響を受けない良識あるメディアはこう表現するでしょう。
「空白の4年」

※個人的にジーコが嫌いというわけではありませんが、あくまで日本代表を愛するがゆえの意見です。
延々と稚拙な文章を書いて、失礼しました。

投稿: 晴れのちくもり | 2006/05/16 10:05

はじめまして。
とても読み応えがあり、いつも楽しみにしております。
前から、何かコメントできる機会はないかな思っておりました。緊張気味に、ジーコについて思うことを書いてみます。

○何もしないのではなく、出来ない
よく解説者たちは、その放任主義っぽいところを「ジーコはよく我慢している。彼ほどの経験があればいろいろと言うのは簡単だが、あえて何も言わずに選手の自主性を育てている」などと言って評価していたものですが、今にして思えば(当時からわかっていたけど)ジーコは適切なコーチングなど出来なかっただけなんですね。シュートが入らないことへの対応策が”シュート練習”というのにはちょっと閉口してしまいました。
ジーコの戦術というか試合に臨むにあたってのやり方は、おおまかに言えば”ディフェンスは必ず一人余ること”と、”攻撃時は簡単にボールを失わないこと”の二つだと思うのですが、自由、自由という割に、躍動感がやたらと少ないのは、このものすごい安全第一なやり方のせいなのだと思います。だから、リスクをとって攻める場面が少ないし、連動してプレスをかけ、狙ってボールを奪うといったことがほとんど出来ない。カウンターを仕掛ける場面などほとんど見たことがなかったような気がします。この4年間は、単純にわくわくする試合が少なかったです。

○ものすごく真面目な人
①記者の質問に対して簡単にスタメンを言ってしまったり、②非公開練習をしなかったり、③選考基準に貢献度という物差しを重用したりする、というのは、ジーコの生真面目な性格によるものなのではないかと思います。③などは「アジア大会や、W杯最終予選で苦楽を共にしてきた選手たちを差し置いて、最近ようやく活躍するようになった選手を取ることなんて、そんなズルいことはできないよ。」みたいな意識があるのではと思ってしまいます。いづれもプロの監督としては常識的なことではないと思います。

ただ、結果がどうあれ、今回の日本代表は帰国時に卵を投げつけられるようなことにはならないと思っています。

投稿: yamamo8 | 2006/05/16 19:09

>晴れのちくもりさん
こんにちは。

今週発売の「VS.」やサッカーダイジェストはヒディングを特集しています。彼の仕事ぶりの緻密さ、徹底ぶりに比べると、我が代表監督がまるで何もしていないように見えるのは確かです。

就任当初のジーコを熱烈に支持していた人々は、ジーコそのものよりも、「自由」というキーワードに反応していたように思いました(そういえばその代表格であった永井洋一氏の文章を最近あまり見ないけれど、どうしているのだろう?)。「信念」にもそういう面があるかも知れません。我々もメディアも、キャッチフレーズやレッテルではなく、あくまで仕事ぶりそのものを見なければいけませんね。

>ジーコ:選手はよくやりました。私が選んだ選手たちには胸を張って帰国しろといいたい。私が来てから日本のサッカーは目覚しい進歩を遂げました。そんな国の代表監督でいられたことを誇りに思う。近い将来、日本のサッカーは必ず世界と互角に戦える日が来るだろう。

ああ、これはものすごく言いそうですね。結果にかかわりなく、ドイツを去る時にはこれと似た言葉を残すのでしょう。

昨年6月に「日本サッカー『右肩上がりの時代』の掉尾に。」というエントリで、2006年大会の監督としてジーコを支持しない理由を書きました。それから1年近く経ちましたが、残念ながら状況に変化はありません。
最大の問題は、JFAが何を求めてジーコを監督に選び、それが達成されたのか否かがはっきりしないことです。そこが整理できなければ、次の監督を選ぶ基準も恣意的なものにならざるを得ない。次は「川淵氏の独断」でない選び方をしてほしいのですが。

>yamamo8さん
こんにちは。そんな、緊張なんてなさらなくても(笑)。blog拝見しましたが、サッカーそのものについては私よりyamamo8さんの方がお詳しいと思いますよ(笑)。

>○何もしないのではなく、出来ない
選手のコメントなどを見ていると、攻撃については指示らしいものもあるようですが、少なくとも守備においては、通常監督が定めるはずの約束事を設けることをせず、そのために選手が試合中にバタバタする、という事態を招いているようですね。アントラーズの初年度にも「攻撃は私、守備は宮本(監督)が教えた」と言っていた記憶があります。

>この4年間は、単純にわくわくする試合が少なかったです。

試合展開にドキドキする羽目になることは多かったけれども、プレーそのものにわくわくする機会にはあまり恵まれませんでしたね。ファンタジスタを中盤に並べたからといって、それでファンタジックな試合になるわけではないということでしょう。

いつだったか、ブラジル代表がサイド攻撃から鮮やかなクロスでゴールを決めた後で、プレーに加わった選手が「いつも練習でやっている通りのコンビネーション・プレーだ」と話していた記憶があります。ブラジル代表でさえ「型」を重視する場合があるというのに…。

>○ものすごく真面目な人
3点とも珍しいことは確かですが、問題は何に対して「真面目」なのか、ですよね。勝利に対して真面目なのであれば、こういうやり方は採らないでしょう。といって彼は人一倍勝利に執着する人で、決して不真面目なわけでもない。
たぶん、何かジーコが信じる王道のようなものがあって、それに準じているのだろうという気がします。上で晴れのちくもりさんが書いている「信念」にあたる部分だろうと思いますが。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/05/17 08:26

ジーコに食い込んだ人はいなかった。でも、想像力のたくましいひとは沢山いましたけどね。増島さんとか中小路さんとか。
西部謙司氏をキラーコンテンツだという人には、またもや不快な書き込みになるかもしれませんが……。
そもそも西部氏の「セレクター論」が、ジーコに関するミスリードの始まりだった気がします。「少なからず“日本には早すぎた監督なのかもしれない”という気もするのです」というのもセレクター論に出ていたはず。
どうなんでしょう? また監督やりたいと言ったらしいけれど、「早すぎない」国やクラブからオファーがあるのでしょうか? 一年に何度もブラジルに帰っていたジーコについては絶対に受け入れられません。
西部氏が、ジーコについてあれこれ論じるなら、自ら発した「セレクター論」についても自己検証して欲しかったのですが、この点について逃げているような気もするのです(こちらが不勉強なのかもしれませんが)。
なにより「ジーコは“自由”や“自主性”といったものを重視するとして、“規律”という枠に押し込んだトルシエとは対照的に……」とあり、同じことを語る人は枚挙いとまありません(永井氏に限らない。本当に多い)。が、あいにくジーコその人がこういうことを語っていたのを見たことがありません。
ジーコは、どこかでどこでそんな発言をしたのでしょうか? (ライターが一人合点で自由だ何だと話を振った間抜けインタビューは見たが、当然除外する)
今回の書き込みは、このことの情報提供のお願いでもあります。たぶん存在しないと思いますが。
この4年は、ジャーナリズムのサッカー観やリテラシーとやらを炙り出す4年でもありました。それでは寂しいのですけど。
将来、ジーコ‐川淵時代が無駄な4年、失われた4年と言われたら、日本のサッカージャーナリズムも少しは成長したとになるのでしょう。
それから、ジーコへのまなざしと、長嶋茂雄氏へのまなざしがダブって見えてしまうのですが。

投稿: 莫迦乃花 | 2006/05/19 00:40

鉄さん こんにちは!

>私はジーコが非常に高い志を抱いて日本代表監督という
仕事に臨んでいることは疑っていない。
>その高い志をいかにして実現しようとしているのか、という方法論の部分が、ついに理解できなかっただけだ。

全く同感です。

>アレックスを選び続ける理由

私は勝手に通訳のひとりと見ています(笑)。
半分冗談で、半分本気なんですが、
孤独な指揮官ジーコは、母国語でダイレクトに話せる選手が
ひとり位欲しいのではないでしょうか。

また常々ジーコは「今までのチームへの貢献度」ということ
をキーワードとしていて、一時、カズやゴンなども、
召集したらどうか!?的な事も発言していましたよね?
「彼らの日本サッカーの礎を作った功績は大きい」云々・・・。

ジーコの中には、彼なりの理論、勝利への方程式が(たぶん)あるのだと思いますが、それと同程度(または、それ以上に!?)人間臭い感情が大きく、選択に迷った場合は
単純にその選手が「好きか嫌いか」「どちらがより好きか」
で、選んでいるのではないか・・・?という気がしてならないのです。
時として、勝利が前提の「日本代表」というよりも、ジーコの
嗜好ありきの「ジーコ代表」みたいな?

以上、勝手な憶測でした(笑)!

投稿: | 2006/05/19 12:50

ごめんなさい!
名前を入れ忘れました ↑ 

投稿: cimbombom | 2006/05/19 12:52

>莫迦乃花さん
>ジーコは、どこかでどこでそんな発言をしたのでしょうか?
>今回の書き込みは、このことの情報提供のお願いでもあります。

エントリ本文にも書いた通り、私はジーコの言動やジーコに関する言説に詳しいわけではありませんので、そんなことをお願いされてもお役には立てません。もっとジーコに詳しい方にお聞きになるか、ご自分でお調べになったらいかがでしょうか。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/05/19 23:15

>cimbombomさん

こんにちは。

>私は勝手に通訳のひとりと見ています(笑)。

そのわりに闘莉王には興味がなさそうなんですよね。高くて強いセンターバックは、たとえポルトガル語ができなくても貴重な存在だと思うのですが。

>ジーコの嗜好ありきの「ジーコ代表」みたいな?

「貢献度」という言い方は実際にジーコも使っていたようですね。このへんは、彼の代表というものに対する考え方なのでしょう。そのわりに秋田や藤田は容赦なく捨てたわけですが(笑)。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/05/19 23:26

いいタイトルですね。サッカーには疎い私ですが、最近ちょっと仕事に苦しんでいてエントリーを書くのがちょっと億劫になってきたこともあり、乗っからせていただきます(苦笑)。的外れなら、笑い飛ばしてください。
確かにジーコの意図は伝わってこないし、伝えようとしている様子も感じられませんね。もしかすると、cimbombomさんのご指摘通り、ジーコにあるのは好き嫌いだけで、その意図があるのかどうかも分からない。鉄さんが書かれておられますように、これでは彼の代表監督としての評価は、ワールドカップの結果だけから下されたとしても仕方がないと思います。
これまでジーコがやってきたことや、数少ない言動から私なりに判断すれば、彼はディレクターではなく、プロデューサーあるいはGM的な存在であろうとしているのではと思います。作戦を練ったり、試合でチームを指揮したり采配を振るったりということを監督の仕事として重要視していない。自分の仕事は能力の高い選手を招集するだけで、あくまでも試合を引っ張るのは監督ではなく選手達の仕事だという認識です。
ジーコには、例えば3バックよりは4バックが好き(4バックが好きで、宮本、アレックスも使いたいという自らの思想をもっとちゃんと説明する義務があると思いますが……)というおおまかなものはあるにしても、こういう形のサッカーをやろうという意思を感じません。相手の出方に応じて、ピッチにたつ選手達の臨機応変なイマジネーションに大きく依存したサッカーを選手に求めているように思われます。そういった意味では、ジーコの求める理想のチームは82年のセレソンであり、そして、その高すぎる理想を日本代表に求めているように感じるのですが、どうでしょうか。残念ながら、代表の成熟度が不十分でも、ジーコにはそれ以外の、代表に真に適したサッカーを創ることはできないように思われます。
長期間の代表合宿を通じて、私達の知らない、新たなジーコのサッカーが具現されてくる可能性もないわけではないでしょうが、むしろ選手間のより密なコミュニケーションの確立に充てられることが目的となるように感じていますし、それがいくらかでも達せられれば御の字でしょう。

投稿: 考える木 | 2006/05/21 23:11

>考える木さん
>確かにジーコの意図は伝わってこないし、伝えようとしている様子も感じられませんね。

ジーコはたぶん、自分のやり方について周囲に説明したり説得したりする必要があるとは、全く思っていないのでしょう。何か特別で個性的な指導方法ではなく、ものすごく当たり前なことをしているのだ、とジーコは考えていて、その点には絶大な自信を持っているのではないかという気がします。


>長期間の代表合宿を通じて、私達の知らない、新たなジーコのサッカーが具現されてくる可能性もないわけではないでしょうが、むしろ選手間のより密なコミュニケーションの確立に充てられることが目的となるように感じていますし、それがいくらかでも達せられれば御の字でしょう。

ジーコが代表監督になってから4年近く経ちますが、これほど長期間にわたって全選手が一緒にチームとして行動し続ける機会は、たぶん初めてです。そして、過去にジーコ監督のチームがよいパフォーマンスをした試合は、比較的長い準備期間を確保できた時が多かったようにも思います(昨年のコンフェデなど)。考える木さんがお書きになった2点がそれぞれ効果となって現れたのでしょう。
その意味では、よいチーム状態で本大会に臨めるのではないかと思っています。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/05/22 20:39

こちらではご無沙汰です。決戦前に一度、自分のところでもじっくり書こうと思いながらダラダラしてしまいました(汗)

自分は実はずっとジーコを支持する派でしたけど(笑)、最終的には「ワールドカップで勝つこと」の一言に尽きてしまいそうです。以下、批判覚悟で書かせていただきます。


ジーコという人間を理解するのは、相当に困難なことです。あれだけの実績を選手としては残しているので、彼の中では何かしらの理論があるのだと思います。ただ、それを伝えることに関して長けているわけでもないですし、鉄さんのおっしゃる通りその必要も無いと彼自身は思っているんでしょう(余談ですが、今FC東京の監督をやっているガーロは、これらの面全てがジーコとよく似ています)。それを良しとしないのであれば、やはり彼は支持できないと思います。私は正直、ある時期からは自分なりにジーコの判断を解釈しようとしながらも、「この部分は俺なんかには理解できない領域の話なんだろうな」と思うことで、なんとかある程度納得できた気がします。


ただ、マイナス点は多いとは思います。例えば攻撃のカタチについてはカタチというよりも、(湯浅健二風に言いますと)ボールを奪ってからのチームとしての攻めのイメージのシンクロ(どこから崩すのか、どこに当てるのか)まで全て選手任せにしているのがさすがに困りものです。これもブラジル流なんでしょう…。あとは、選手起用についても、客観的な選考は最後まで行いませんでしたね。この辺は彼のこだわりを強く感じました。(例えば松田や闘莉王を使わない理由は、彼がショートパス重視で、ロングボールの多用を嫌うからだと解釈してます。柳沢や高原に固執する理由は…わかりません。苦笑)


ただし、私は日本サッカーについて「ではどんな監督であれば、ある程度の成長ができるチームになったのか」「今後、どんなタイプの監督の下、どんなサッカーをやればよいのか」の、答えというか意見というか、像が全く見えないです。前に「ベンゲルだけは反対だ」と言いましたが、代表召集期間の短さ、FWの単純なレベルの低さ、Jリーグの環境、それらを全て理解して引き受けてくれる監督は自分は世界に何人もいるとは思えません。ジーコよりオシムの方が良かったってのは私も大きく同意できるところですが、ベンゲルの方が良かったとは思いません。それだけ、ジーコというのは最悪の選択肢でもなかったのではないか、と考えています。

日本サッカーが一つの頂点を迎えるであろう2006年にやるサッカーとして、強豪チームに不可欠かつ、日本に足りないと言われているコミュニケーションを通じた連携、特に判断能力を植え付けさせた面は私は評価しています。REIさんのおっしゃる通り、ほったらかせすぎだと思いますが(所謂私も、「自由」に反応した一人かもしれません。ただ、「自由」という言葉が変に一人歩きしていますが、最近「判断能力」という言葉の方が的確じゃないかと思いました)。最近のキャンプの話を聞いていても、その考え方だけは今後もしばらくは受け継がれていくものだと思います。

まぁ、いくら誉めようがけなそうが、最低でもベスト16に、できればベスト8に行かなければ私は絶対許しません(笑)

投稿: アルヴァロ | 2006/05/24 02:35

>アルヴァロさん
>これもブラジル流なんでしょう…。

このへんが何とも言えないところですよね。ブラジルにも、やたら細かい指導者もいると思いますし。ジーコのやり方がブラジルでもスタンダードなものなのか異端なのか、考える木さんも引き合いに出していた82年当時の代表監督テレ・サンターナの指導法と比べてどうなのか、というあたりはブラジル通の方々に論じてもらいたいところです。

>コミュニケーションを通じた連携、特に判断能力を植え付けさせた面は私は評価しています。

植え付けた、とまで言えるのかどうかは、結局は、最大の精神的重圧がかかるワールドカップ本大会の試合で表現できるかどうかによるのではないかと思います。
また、ジーコの意図がそこにあったのだとしても、連携や判断能力を身に付けさせるための練習方法というものがあってよいと思うのですが、ジーコのメソッドが「放置する」以外にあるのかどうか(オシムであれば同じ目的を実現するために、多彩な方法を持っていると思うのですよ)。

ただ、これはジーコ云々以前の話ですが、ジーコ就任以後の出来事を改めて振り返ってみると、選手の側のコミュニケーション能力や判断能力が幼すぎるのではないか、という印象を受けます(今朝、テレビのニュースで宮本が「練習以外でも一緒に食事をしたりお風呂に入ることでコミュニケーションが取れていると思う」と話していましたが、2002年から言ってることが変わってない(笑)。ほとんど顔触れが変わっていないのに、この停滞感は何なのでしょう)。

>その考え方だけは今後もしばらくは受け継がれていくものだと思います。

まったく同感で、これは日本のサッカー界の育成システムにおける課題と捉えた方がよいと思うのですが(日本の教育システム、と話を広げることもできますが、ここではやめておきます)、川淵会長はジーコのそういう部分を評価するわりには、教訓を生かそうとする動きがあまり見えない。もし何もしていないのだとしたら、川淵路線は辻褄が合いません。これはなかなか深刻な問題ではないかと思います。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/05/24 08:32

はじめまして。

そもそも就任の経緯においても、彼は綿密に調査された人材ではなくて、川淵さんの思いつきですから、その現代フットボールに基づいた指導理論を吟味された訳ではありません。偉大なフットボーラーであることを誰もが知っているが故に、誰も「監督ジーコ」を知らない状態でした(未経験なのだから当たり前ですが)。ですから、ノルマも評価基準も設定されず、故に指導過程を評価もされませんでした。
ここに至り、なおジーコの指導理論、チームの経営手法を誰も論理的に説明できません。ということは、誰も「ジーコ」を日本フットボールの未来の糧とすることはできないのだと思います。ジーコが去れば、残るのは結果だけです。誰もジーコの後を継承できません。トルコ戦からまたやり直しです。4年間の停滞は、監督決定の時に想像はしていましたが、ナイジェリア世代という人材を思えば、あまりにももったいない話だと思います。

投稿: ミケロット | 2006/05/30 10:36

>ミケロットさん
こんにちは。サッカー系の掲示板でよくお見かけするミケロットさんでしょうか。光栄です。

>ここに至り、なおジーコの指導理論、チームの経営手法を誰も論理的に説明できません。ということは、誰も「ジーコ」を日本フットボールの未来の糧とすることはできないのだと思います。

結局、監督としての評価は(ワールドカップでの成績を別にすれば)、これに尽きるのでしょう。中小路さんの『ジーコスタイル』も読んでみましたが、著者が忖度している部分がかなり多いように思います(出来事の記録としては、よくまとまっていて重宝しますが)。

4年前の夏、川淵会長は技術委員会が作った候補者リストを無視してジーコを代表監督に選びました。今、技術委員会は、どのようなビジョンに基づいて、どのようなリストを作っているのでしょうね。10年先、20年先を見越した検討がなされていることを願うばかりです。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/05/30 19:51

はじめまして、面白く拝見させていただきました。
的外れな、素人の意見かもしれません。
協会、マスコミ、監督、選手をめぐる議論はある程度世界を相手にしているスポーツの分野では常々同様のことが起こっていると思います。しかも何年も。
話はそれますが10年以上前に読んだラグビー界の本を思い出します。(著者題目忘れました、協会その他への批判提言でした)
例えば、日本は産業界の技術分野では問題解決のアプローチに関しては高い能力を持つと云われているのですが、こと総合的なシステム運営のソフト面では同様の能力が発揮されないように思います。それは過去の歴史を振り返ってもサッカー、ラグビー等のスポーツ分野だけでなく、う政治経済すべてそうなのかもしれません。こうなってしまうと不毛な日本人論になってしまうかもしれません。
しかし、私にはあらゆる分野で、時代、役者、趣向が違えどすべて同じシナリオ上での出来事に見えてしまいます。文中の「ジーコ」を「トルシエ」、「岡田」、あるいは「オシム」にかえてしまっても…。
ただ、問題の認識力、アプローチだけでも共有する環境が整えば希望がもてるのではと思っています。
まとまらなくてすいません。

投稿: syukuzawa | 2006/06/25 11:06

>syukuzawaさん
こんにちは。
切ないHNですね。日本のラグビー界、いやスポーツ界は、かけがえのない大切な方を失ってしまったと痛切に思います。ご冥福を祈るばかりです。

>協会、マスコミ、監督、選手をめぐる議論はある程度世界を相手にしているスポーツの分野では常々同様のことが起こっていると思います。しかも何年も。

確かにそうなのですが、JFAはその中でかなりまっとうに健闘してきた組織だったと私は思っています。それなのに、代表監督人事だけは腰が定まらないまま、トップがおかしなふうに弄んでいるように見えてしまう。

>日本は産業界の技術分野では問題解決のアプローチに関しては高い能力を持つと云われているのですが、こと総合的なシステム運営のソフト面では同様の能力が発揮されないように思います。

現場での「カイゼン」は得意でも、経営の改革は苦手、というようなことでしょうか。川淵さんは、その難しいこともやってきた人なのに…

>問題の認識力、アプローチだけでも共有する環境が整えば希望がもてるのではと思っています。

それは、協会全体についても、代表チームの選手たちについても、あてはまる話ですね。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/06/25 12:50

ジーコが故松田選手を代表で登用しなかったのは、松田選手が招集されても試合で使われない現状に文句を言って、合宿を離れたからだったと思います。
これは、ジーコが選手の登用について、選手は出番を待たなければいけないと言っていたので、無論競争を否定するものではないですが、ジーコはチーム内の序列とゆうか、はっきりと差がなければレギュラーを使うという方針でチームをまとめていると思います。同時にキャバクラ組を一気に代表からはずしたように、代表選手として行動できない選手に対しては、よっぽどがんばんないと再招集はないという厳しさだったと思います。
トゥーリオに関しては、ブラジルでは絶対ありえないCBと一言述べたことがあります。プレスキックの時以外でもフラフラ前に出て行くところが、足の遅さとあいまって、無責任に思えるんでしょうね。

投稿: tom | 2013/08/28 01:02

>tomさん

コメントありがとうございます。
7年も経って、もう細かいことは忘れてしまいましたが、ジーコがチーム内の秩序を重んじる監督であったことはご指摘の通りかと思います。

投稿: 念仏の鉄 | 2013/08/29 21:33

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 オーストラリア戦、後半34分。ジーコは柳澤に変えて小野を投入した。  なぜ、小野だったのか。  彼がベンチに座っているメンバーの中で一番サッカーが上手だからだ。 [続きを読む]

受信: 2006/06/17 16:52

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