スポーツのことはスポーツに還せ。
クロアチア戦の後のインタビューで、ジーコ監督が試合の時間帯について「日本に不利だった」「サッカーはビジネスになってしまった」と批判めいたことを口走っていた。
私はこの期に及んでそういう言い訳をしているジーコに対して腹が立って仕方ないのだが、世の中にはこれを真に受けている人も結構いるらしい。
たとえばフリージャーナリストの竹山徹朗という人は、【マスメディアが民衆を裏切る、12の方法】というblogの「ワールドカップという商品〜電通利権を撃て」というエントリで、「ワールドカップを巡り、ブログ上で今、とんでもない問題が話題になっている。」と、この件について紹介している。
あちこちのblogからの引用を重ねた非常に長いエントリなので要約は難しいのだが、日本代表の試合開始時刻が日本へのテレビ中継の都合に合わせて早められたことを批判する内容である。例えば、竹山氏は次のように書く。
ドイツ大会1次リーグの試合開始時間は、
15時、18時、21時の3種類。
日本が入っているグループFの全試合のうち、最も暑さの酷い「15時開始」(日本時間22時開始)のゲームが2試合あって、その2試合とも日本戦だった。なんでそうなったかというと、「その方が、(FIFAから放送権の販売を受託し、交渉を担当している)電通が儲かるから」、という話なのだ。
ブラジル戦だけはブラジルの都合を曲げることができなかったらしいが(だから涼しい21時=日本時間の午前4時開始)、オーストラリア戦、クロアチア戦は、15時から。つまり、日本時間では、準ゴールデンタイムの22時に突っ込めたって寸法よ。視聴率バンザイ。
で、竹山氏はジーコ発言を受けて、次のように書く。
ジーコ監督と選手たちは、監督の采配の問題は別にして、そりゃ不憫だよ。でも所詮、それが「選手」としてではなく、「商品」としての妥当な扱われ方なんだろうな。「こんなに暑くなるとは思ってませんでした」ってか。
竹山氏は、いくつかのblogの言説を引用しつつ、<電通が商売上の都合で日本代表の試合時刻をねじまげ、それが日本代表にとってきわめて不利に働いた>と判断して、それを非難している。
日本の最初の2試合が大変に暑い環境下で行われ、選手たちにとって負担になったことは疑う余地がない。そして、この時刻設定が日本へのテレビ中継の都合によって決まったというのも、たぶん事実だろうと思う。
だが、それがこの2試合において、日本に不利に働いたと言い切れるのだろうか。
竹山氏のblogには、ビデオジャーナリスト神保哲生氏の「体力的に劣っている日本が、テレビ局の商業上の都合で昼の時間帯の試合をさせられているとすれば」という言葉が引用され、竹山氏はこれに「賛同する」としている。
確かに体格や筋力でオーストラリアやクロアチアに日本が劣ることは一目瞭然だが、暑さへの耐久力は体格だけでは決まらない。サッカー選手の身体能力はさまざまな要素から構成されており、日本人が優れた部分もあれば劣った部分もある。そういうことをすべていっしょくたにして「体力的に劣っている」と断じる神保氏の言葉はいかにも乱暴だ。日本が劣っている、という根拠は、神保氏の文章にも、竹山氏の文章にも、示されてはいない。
実際のところ、暑さが日本、オーストラリア、クロアチアの各国にどのように影響するかを考えてみたい。
オーストラリアの選手のほとんどはイングランドを中心に欧州リーグに所属している。クロアチアの選手も欧州各地にいる。そして、ロンドンやザグレブの6月の平均気温は、東京のそれよりも2度から5度は低い。真夏にはさらに差が開く。
参考:地球の歩き方ホームページより
http://www.arukikata.co.jp/country/uk.html
http://www.arukikata.co.jp/country/croatia.html
そして、欧州諸国のリーグ戦は6月から8月にかけてはオフだが(北欧を除く)、日本ではこの期間中にも休みなしにリーグ戦が開催されている。また、日本はワールドカップ等のアジア予選を戦う際に、東南アジアやアラブなど、日本よりも暑さの厳しい国に遠征している。
つまり、30度を超える暑さの中でサッカーをすることにかけては、日本代表の選手たちは世界でも有数の豊富な経験を持っているのである(もちろん、もともと暑い国の選手にはかなわないだろうけれど)。涼しい欧州で暑い時期を避けてサッカーをしている選手たちとは比較にならない。
実際、日本代表がヨーロッパの代表チームと戦う時、暑さはしばしば日本に有利に働いてきた。8年前のワールドカップ・フランス大会で、当時の下馬評では現在よりもはるかに優位と見られていたクロアチアが日本相手に苦戦したのは、試合当日の暑さも影響したと言われている。
それでも2試合続けて暑さの中で試合をするのは負担になるはずだ、と言われればそうかも知れない。だが、2試合目に限って言うなら、クロアチアの1試合目が行われたのは日本-オーストラリア戦の翌日の夜遅くだ。従って、休養期間はクロアチアの方が1日以上短い。どちらがより不利であるのか、簡単には断じられない。
このような事情とは別に、ジーコの口から「暑さ」への苦情が出ることについて、私は猛烈な抵抗を感じる。次に述べるような経緯があるからだ。
2004年3月末にシンガポールで行われたワールドカップ一次予選のシンガポール戦を前に、ジーコは「暑熱対策など必要ない。サウナで十分」と暑さへの対策を講じなかったが、試合はシンガポールに一時は同点に追いつかれる大苦戦となった。選手は明らかに暑さで疲労していた。上述のように、主要な大会の予選を常に暑い国で戦ってきたため、日本代表スタッフには暑熱対策のノウハウが蓄積されている。ジーコはそれを無視してチームを苦境に陥れた。この年の夏に中国で行われたアジアカップでも同じことが繰り返された。
つまり、ジーコ監督は、過酷な暑さが予想されるアウェーでの戦いにおいて、暑さに備えた対策を行ったことがない(せいぜい選手をサウナに入れた程度だ)。
今回の試合開始時刻は、竹山氏もblogに書いている通り、半年も前から決まっている。問題があるのなら、あらかじめ手を打っておくのが監督の仕事である(6月のドイツは確か昨年もかなり暑かったはずだ)。それを怠ったのはジーコ自身だ。
オーストラリア戦の終盤、暑さに疲労した先発メンバーに変えて、オーストラリアのヒディンク監督はフレッシュな選手を次々と投入し、激しく攻勢をかけた。日本のジーコ監督の交代策は、選手たちの疲労を考慮したものであったとは考えにくい。それで負けたからといって「暑かったから不利だった」はないだろう。選手を守らなかったのは彼自身だ。
そもそも、以前からジーコは試合後に審判批判などを口にすることが多い監督である。自分や選手以外の要因に敗因を見出す傾向が強い、といってもよい。そういう監督が極限まで追い詰められて口走った言葉である以上、今回の発言も割り引いて考える必要がある。
テレビ中継の都合で競技が左右されるのがよいことだとは私も思わない。
だが、ジーコがナショナルチームの監督の相場をかなり上回ると言われる報酬を受けているのも、日本代表チームが海外遠征の経験を積むことができるのも、テレビ局や電通のビジネスが生みだす金のおかげだ。そこに明白なメリットも存在する以上、競技の側が折り合いのつく範囲でテレビの都合に合わせるのは仕方のないことだと思う。そして、上で述べたように、今回のワールドカップの試合日程は、「折り合いのつく範囲」であり、日本代表にとって著しく不利に働くものであったとは私は考えていない(むしろ、うまくやれば有利にできる条件であったとさえ思う)。
だから、そのことだけをもって「電通利権を撃て」という攻撃的な表現で非難の言葉を連ねるという態度は、私には賛同しかねる。
竹山氏がどういう人物でどういう仕事をしてきた人なのか、私は知らないのだが、このエントリを読む限り、サッカーに詳しいとは思えない。
たとえば、試合日程について「ブラジル戦だけはブラジルの都合を曲げることができなかったらしいが(だから涼しい21時=日本時間の午前4時開始)」という記述があるが、曲げられなかったのはブラジルの都合ではない。
グループリーグの3試合目は不公平を避けるために2試合を同日同時刻に行うので、この試合の時刻を動かそうとすれば、他のグループにも影響が及んでしまう。そもそも3試合目に入ってからは、午後3時開始という設定自体が存在していない。
これはワールドカップはもとより、サッカーの国際大会のグループリーグ運営においては常識だが、竹山氏はそのことをご存知ないようだ。
また、「箱男さん」という人物からのメールを引用しつつ、電通が代表選手の選考に関与しているからCMに出ている選手が代表に選ばれる、という意味の記述があるが、ここにもいささか無理を感じる。
因果関係としては「代表に選ばれた選手は商品価値が上がり、CMにも使われる」と考えるのが自然ではないだろうか。実際のところ、現在の代表選手の中で、CMに引っ張りだこになった後で代表に選ばれたというケースを、私は見出すことができないし、代表経験がないのに頻繁にCMで見かけるサッカー選手も記憶にない。竹山氏もしくは「箱男さん」なる人物は、指摘どおりの実例を挙げることができるのだろうか(あ、ジーコは代表監督になる前にレイクのテレビCMに出てたな(笑))。
さて、長々と書いてきたが、竹山氏が電通を批判すること自体には異存はない。撃とうが殴ろうが蹴飛ばそうが、好きなようにやっていただけばよい。
ただし、電通を批判するために、サッカーをダシにするような振る舞いは、控えていただきたいと思っている。
監督や選手が「不憫だ」から電通はけしからん、と書く論法は、一見、サッカーのために正義を主張しているようだけれども、実際には、彼が考える正義のためにサッカーを利用しているように私には見える。
もちろん双方が一致すれば構わないけれど、この「ジーコによる電通批判」とされる談話がサッカーの文脈ではどう見えるのか、という観点が竹山氏には欠落している。
(そもそも、エントリの前の方ではジーコに関する報道は信用できないと力説しているのに、ジーコ本人の談話を無批判に受け入れるのはいささか無防備ではないか)
それほど目くじらを立てるような記述でもないのかも知れないが、私がこの竹山氏のエントリにひっかかるのは、このように、「ふだんは見向きもしない競技なのに、大きな国際大会で悪い結果が出ると、居丈高に『○○が悪い!』と糾弾する」という振る舞いをする人が、近年、妙に目立つような印象があるからだ。
サッカーでいえば、一昨年の夏に中国で行われたアジアカップが思いだされる。日本代表にブーイングを浴びせた中国の観衆を、さまざまな媒体でさまざまな日本人が非難していたが、そのうち、サッカーの試合におけるブーイングを実際に聞いたことのある人が何人いたのだろう。それを知らずに中国人のブーイングを批判することがどうしてできるのだろう。
町中でデモや暴動があったのなら別だが、それがスタジアム内の出来事である限り、「サッカー場の出来事としてどうなのか」という観点を抜きに語るのはナンセンスではないか。浦和レッズのサポーターと比べてどうなのか、欧州の遺恨試合と呼ばれるような対戦カードにおけるスタンドの雰囲気と比べてどうなのか。その上で「飛び抜けて悪質」ということであれば、はじめて社会問題として捉えればよい。
他の競技においても似たようなことが増えている(こういう態度をとる人々の心性については、一度じっくり考えてみたいと思っている)
だが、スポーツの中の出来事は、まずスポーツの文脈の中で捉えるのが筋だろう。そこをショートカットして、いきなり社会問題化したとしても、それはピントがズレた底の浅い議論になる可能性が強い。
竹山氏も神保氏もジャーナリストを名乗る以上、ご自身の主たる領域においては、風聞をそのまま活字ネットや放送に乗せたりはせず、自分で事実関係を確認した上で発表しているのだろうと思う。それが、スポーツの話になると途端にいい加減になるのはどういうわけなのか。
部外者が余計な口出しをするな、などと言うつもりはない(私だって狭義のスポーツ界の人間というわけではない)。口出しはどんどんすればよい。ただし、その世界の文脈に敬意を払わないままに物を言っていると、本人は大真面目でも、傍から見れば間抜けな言動ということになりかねない。
追記(2006.6.22 20:55)
竹山徹朗氏からのご指摘により、竹山氏をジャーナリストであると記した記述を訂正します。竹山氏にご迷惑をおかけしたことをお詫びします。
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コメント
こんにちは。いつものぞかせてもらってます。
僕も今回のジーコ発言に対する反応には違和感を覚えていました。プロ野球の球団削減問題のときなんかも含め、大騒ぎする割にはスポーツを考えていく上での本質的な楽しみにつながっていかないので歯がゆさを感じます。
とはいえ、今回のジーコ発言は、「ジーコをジーコたらしめている負けず嫌いさが悪い方向にでた」と考えると、それはそれで面白い切り口が存在すると思ったりもします。
投稿: じゅん | 2006/06/22 06:23
>じゅんさん
こんにちは。アメリカからの書き込みですか。ありがとうございます。世界でもっとも劣悪なワールドカップ観戦環境のようですね(笑)。
>「ジーコをジーコたらしめている負けず嫌いさが悪い方向にでた」
そういうことなのでしょうね。私も最初に目にした時は「また言ってるよ、この親爺が」と思ったのですが、真に受けてしまっている人がずいぶん多いことに驚いています。
フローラン・ダバディはトルシエ時代と比較して、「ジーコさんの発言は事実なら彼の言い分は理解できますが、このタイミングではなくて、もっと前に怒るべきだったのでは?」と書いています。
http://dabadie.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_1122.html
投稿: 念仏の鉄 | 2006/06/22 11:47
こんにちは。
もはやW杯は欧州、南米だけのものではなく、世界中にできるだけ
くまなくライブに情報を流していくべきものなのだと思います。
これほど情報量が増えた社会で、一昔前のように一次リーグ日本
戦が深夜に重なれば、自分としては寧ろ一部地域をないがしろに
していると思ったかもしれません。
サッカーそのものが巨大ビジネスになっている現状で、放映権を
考慮した時間調整は至極当たり前だと思いますし、それを敗戦の
言い訳にするなんて、情けなさ過ぎると思いますね。
投稿: hide | 2006/06/22 12:37
鉄さん、このあいだはありがとうございました。
さて、いきなりきつい言い方で恐縮なのですが、私はマスメディアというビジネスの本質は、「大衆にセンセーションを売る」ことにあると思っております。W杯が始まって日本代表への期待と希望が高まっているときには、それに添うように、負けて落胆と怒りがつのれば、それに添うように、材料を取捨選択してお客様にお売りする。従って「手のひらを返す」のはマスメデイアの本質であろうと思っています。
また、「怒り」のような激しい感情はマスコミ的には「上得意様」ですから、「八つ当たり」する対象を見つけてくるというのはマスメディアにとっては当然の対応であり、上記竹山さんという方は、そういうマスコミ商売の常道を実践していらっしゃるだけのように思われます。
もちろん、私はこのようなマスメディアの本質が「大嫌い」であります(笑)。
特に、そういうマスメディアの本質を自覚せず、「手のひらを返す」ようなことをしていることに気づかないマスコミ業界人には虫酸が走ります。
逆に、そういう業界の中にありながら「立ち位置」にこだわり、一貫性を保とうとする方を非常に尊敬します。
インテグリティという英語がありますが、首尾一貫してブレない、という意味で「正直, 清廉潔白, 剛毅」と訳されます。「マスコミ業界人」と「ジャーナリスト」を区別するのは、このインテグリティのあるなしではないかと。
偉そうなこと言ってすみません。
泣いても笑っても明朝ですね。日本代表の健闘を祈ってやみません!
投稿: 馬場 | 2006/06/22 12:56
トラックバックありがとうございました。
▼大変に鋭い指摘で、勉強不足を反省するところが多かったです。感謝申し上げます。
「スポーツのことはスポーツに還せ」とのタイトルのとおり、「その世界の文脈」への敬意が足りませんでした。
論点を整理して、22日夜か23日朝までには考えたことをアップして、トラックバックさせていただきます。
▼なお、「フリージャーナリストの竹山徹朗という人は」「ジャーナリストを名乗る以上」とありますが、小生はジャーナリストではありません(もちろんそれは自分が書いた事実誤認の責任逃れにはなりません)。どこかに小生が文筆で生活しているジャーナリストだという記述があったのか、教えていただければ幸いです。
竹山徹朗
投稿: 竹山徹朗 | 2006/06/22 19:09
>hideさん
電通とFIFAの関係は日韓大会の前に破綻したISLの設立当時にさかのぼれるわけで、今のワールドカップの世界的な隆盛は、良くも悪くも電通抜きでは語れません。
メディアの都合で競技に影響を与えることがどこまで許されるかというのは、あくまで程度の問題であって、何でもかんでもけしからん、一切の口出しはまかりならん、と断じてしまうのはナイーブに過ぎると思いますね。
今回のケースは確かにグレーゾーンで、批判の声が上がるのはわかりますが、少なくともジーコが声高に批判するのは責任逃れでしかないと私は思います。
同種のケースでは、アテネ五輪の野球の方がはるかに日本代表への負担が大きく、敗因のひとつと言ってもよいのではないかと私は思っています。サッカーと違って野球はほぼ連日連戦でしたから。
>馬場さん
>私はマスメディアというビジネスの本質は、「大衆にセンセーションを売る」ことにあると思っております。
もともと瓦版から始まったビジネスですからね。他人様の褌で相撲を取る商売ですから、あまり偉そうにするのはいかがなものかと思います。
>そういう業界の中にありながら「立ち位置」にこだわり、一貫性を保とうとする方を非常に尊敬します。
襟を正して読まなければならない言葉ですね。私もそのようでありたいと思います。
なお、上記のご本人の書き込みによると、竹山さんはメディア業界の方ではないとのことです。馬場さんの竹山さんに関する記述は、私の誤った記載事項に基づいて記されたものです。ご両名にお詫びします。
>竹山さん
不躾なトラックバックにご丁寧にコメントをいただき、ありがとうございます。また、当方の趣旨を受け止めていただき、嬉しく思います。
竹山さんをジャーナリストと記したのは、ネット上でそう書かれた文章がいくつか散見されたことや、発行なさっているメールマガジンにご自身によるインタビュー記事が多数掲載されているのを拝見したため、そのように考えていました。
しかし、ホームページ内にジャーナリストという記載は確かにありませんね。私の早合点だったようで、失礼いたしました。本文を修正しておきます。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/06/22 20:45