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そこにいるための資格。

 ワールドカップ中に新聞などで気になった記事がいくつかあったので紹介しておきたい。

「得点シーンを楽しみにしていたのに残念」と、兵庫県姫路市出身で英国に留学中の山崎智子さん(21)。
「クロアチアに勝つならブラジル戦も観戦しようと思ったけど、点が取れそうにないので、英国に戻って学業に励みます」。山崎さんにとって、初のW杯は終わった。(中略)
 ニュルンベルク中央駅で試合後、スーツケースを手にしていた兵庫県淡路市の主婦(63)。「勝てる試合だったのに、流れを引き寄せられずに終わってしまった。(次は)勝てそうにないので…」と肩を落とした。対ブラジル戦のチケットは他人に譲り、19日に帰国の途につく。

(読売新聞6/19付夕刊社会面から)
※前半の「山崎智子さん」が観戦していたのがスタジアムなのか市内のレストランなのか、彼女がブラジル戦のチケットを持っていたのかは、記事からは判然としない。


 とりあえず、もうパブリックビューイングや応援イベントの取材はお腹いっぱいです。だって、勝っても負けてもどんな試合内容でもさして重要ではなく、ただ青いシャツを着て集まって歌ったり踊ったりしたいだけの人が多すぎる。これも4年前は面白い社会現象だと思いましたが、正直言って食傷気味です
(東京MXテレビ 三田涼子アナの日記 6/29から)


 ドイツではファンのことでも悩まされた。今回は取材者ではなくひとりのファンとして日本戦三試合をバックスタンドで観戦し、周囲の日本人ファンを巻き込もうと努力したが、正直それは難しかった。
 対戦国のファンは、ゴール裏だけでなくスタジアムのあちこちで、全力でサポートする。でも日本のファンには、ずいぶんと温度の低い人たちが多かった。カメラを回す以外は無言で席に座り、前方の立ち上がった日本人ファンに「見えないので座ってください」と言うだけの観光客を、どうすれば熱くさせられるのか?協会も監督も選手もメディアも未熟で稚拙だったかもしれない。でも、それはファンにしても同じことだ。

(後藤勝「東京書簡」第27回 エル・ゴラッソ6/30付)


 ここに描写されたような人たちは、たぶん自分が非難めいた視線にさらされる理由が理解できず、「何が悪いんだ」と思うことだろう*1。市販されているチケットを買って見に来ただけじゃないか。それ以上に何か資格がいるとでもいうのか、と。

 たぶん、「資格」はいる。たとえばJリーグのゴール裏にいるためには、チケット代を払うこととは別の「資格」が必要だ。それは、その場に行ってみれば、たぶんすぐにわかることだ。そして、ワールドカップ本大会のスタンドというのは、すべてがゴール裏のようなものなのだと思う。
 そのような明文化されない「資格」に関する合意が形成され、共有され、尊重される状態が実現することを、もしかすると「文化」というのかも知れない。
 日本のサッカーがそこまで辿り着くには、まだ長い時間がかかるのだろう。

 日本代表の試合のスタンドがヌルくなっているのではないかという件については、以前、どこかのエントリでアルヴァロさんと話題にしたことがあった。
 私自身が目撃した範囲でいえば、2年前、久保がロスタイムに決勝点を挙げたワールドカップ一次予選のオマーン戦で、そのゴールの前に(つまり0-0の終盤に)席を立って帰る観客が少なからずいたことに衝撃を受けた。そりゃ、さいたまスタジアムは遠いし浦和美園駅の混雑は不快だが、しかし、だからといってそのタイミングで試合を見るのをやめるだろうか。この人たちは一体何をしに来たのだろう、と不思議だった。
 Jリーグのスタンドをよく訪れる人にとっての常識が、代表戦のスタンドにいる人々には通用しない。どうやらそういうことらしい。

 サッカーでも野球でもラグビーでも芝居でもロックコンサートでもクラシックの音楽会でも落語でも大道芸でも、それぞれの分野に即した見物人のマナーというものがある。それは、何度か現場に通ってみれば、誰に教わるまでもなく気づくことだ。
 テレビは、その種のマナーを伝える機能を持たない。テレビは観客を育てない。そんなことも、この現象には影響しているのかも知れない。


*1
読売の記事そのものには非難めいたニュアンスはない。単に現地での現象として「『勝てそうにない』と早々に帰国を決めたグループも出始め」と淡々と記している。社会面の記事なので、サッカーについて知識も関心も見識もない記者が書いている可能性はある。

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コメント

こんにちは。

それが「サッカー文化の醸成」という事なのでしょうね。
クラブチームを応援しているような人が代表戦で増えていけば、そうした不愉快な事も少なくなっていくだろう事、全く同感です。
「おらがチーム」を持つ喜びは、確実に広がっています。徐々にそうした懸念は少なくなっていくでしょう。

サッカーを見始めた時は、Jリーグのレベルと海外主要リーグのレベルの差に愕然として一次的に国内の試合を見ないような時期もありましたけど、やはり自分の地域にJリーグチームが存在して、その奮闘と身近に接していると段々と本質的な楽しみが見え出していくものなんですよね。
今回は1度だけサッカーバーで観戦しました。日本戦絡みじゃなかったので、まあ客の半数程は雰囲気を味わうような人ばかりでしたが、世間から注目されているイベントなのは事実で、そうした何気ない人の中からも徐々に「ジャンキー」が増えていくのだと考えます。

ただ、自分はジーコ代表になってからの代表戦は(国内戦に限りますが)対戦カードに根拠の薄いような相手も少なくなかった、そのため、まるで興行のようであまり追いませんでしたけれど。

投稿: hide | 2006/07/05 12:44

「客が芸人を育てる」というのは、よく言われることですよね。ホークスの和田投手は「福岡ドームの応援の中で投げたくて」といって入団してくれましたが、野球には「球場での作法」が良かれ悪しかれ存在するように思います。
さて、隣国韓国での応援風景が下記で報告されています。
「負ける」と分かったらパブリック・ビューイングしていた観衆がさーっといなくなるという・・・。かの国も、「観客を育てる」という意味ではまだまだかも。
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/column/seoul/

投稿: 馬場 | 2006/07/05 16:32

今回のテーマに関しましては、「そうあって欲しいと願う自分」と、「少々ひねくれた見方をする自分」がいます。ですので、意見を述べるのは非常に難しいのですが、これだけはどうしても書いておきたいと思います。よそ様のブログに書き込みをしているので大変恐縮な思いもあります。もし、不快な思いをされる方がいらっしゃったらほんとうにすみません。予めお詫び申し上げておきます。また、毎回ダラダラと文章が長くなり、申し訳ございません。


正直申しますと、自分のお金でチケットを買ったのだからどうのように見ようと構わないのではないかという意見もわからなくもありません。たしかに、観光気分の観客と真剣に見る観客とでは、その意味合いはまったく違うことは十分に理解していますし、後者のファンが増えることはなによりその競技を育むうえで大切なことであると私も思います。観客が選手を育てるという意見も大賛成です。
だからといって、その場にいる観客の態度が相応しくないとして非難する資格が果たして誰かにあるのでしょうか。そういうファンは自然に淘汰されていけばいいというのが私の意見であり、そのうえで熱心なファンが選手を育てていけばいいのではないでしょうか。
(これは、日ごろ熱心なサポーターがやたらと応援を強要することに対して不快な思いをしている者の意見と捕らえていただいて結構です。たとえば、私が野球を観に行くときには決まって内野席でじっくりと観戦します。外野だとうるさいというのと、全員が立ち上がってよく見えないというのと、応援を強要されるためにとても不快な気分になるからです)

鉄様の例ではマスコミの方の意見が載っていましたが、特に後藤氏の意見には腹立たしさすら憶えました。
一般の人たちも、「本当のファン」と同様に、一生懸命頑張ってチケットを手に入れたはずです。したがって、私はあえて後藤氏にこう言いたい。

「座って見て何が悪い?見えないから注意するのは何が間違っているんだ?どうすれば熱くさせられるのかだって。笑わせないでくれ。そんなこと、お前が心配する必要はない。なぜお前が、誰かを強制的に巻き込もうとする資格があるんだ。むしろ、お前達の存在が、オールドファンの気持ちを削ぐ要因になっているってこともあるんだぞ。」

女子アナの意見にしてもそうです。

「パブリックビューイングでどう見ようと勝手だろ。 勝っても負けても試合内容はさして重要ではない、とファンが思ってるように書いてるけど、なんでお前がそう断言できるんだ。取材現場に行ってそんな視点しか見出せないあなたこそ、スポーツの取材に行く資格はないですよ。」
仮に、そう言ったら、彼女はなんと反論するだろう。さらに私は、こう言いたい。
「私は普段からサッカーを見ているからにわかファンのあなたたちとは違うのよ、っていう邪魔なプライドがあなたに無いって言い切れますか。単に、自分のファンとしての自尊心を、他のにわかファンを批判することで充たしていたに過ぎないのではないですか?食傷気味なら、他の視点で取材すればいい。おそらくあなたの取材者としての視点は、常に一義的につまらないものなのではないでしょうか。」

私は、普段から、「選手とメディアの未熟さ」と、「ファンの未熟さ」を同系列で少なくともマスコミの人間が語るのはぜひやめてもらいたいと思っています。私が知る限りですが、こういうことを決まって口にする人は、ドーハよりも前にサッカーを見始めた、つまりブームになる前からサッカーを見ているんだという中途半端なプライドを持ったジャーナリストたちです。この場を借りて、マスコミの人達、調子に乗るなといいたいと思います。では、仮に自分の主張が正義感に満ちた絶対的なものだと思うなら、なぜこの人たちはその場で心無いサポーターの態度を注意しないのか。おそらく自分の考えが、まったくの主観的なものだと理解しているからではないでしょうか。

鉄様の目撃談として、試合途中で帰るというファンの話もありました。そのご意見自体、私自身もまったく同感です。その場にいたら、きっと驚いていたでしょうし、何しに来たのだろうと首を傾げていたかもしれません。でも、試合途中で帰るのにはその人なりの理由があり、ひょっとするとそれが緊急を要することだったかもしれません。残念ながら、人の人生はサッカーの試合時間を中心に動いてくれません。また、日本人は特に、「本場では…」という言葉をすぐに口にします。でもサッカーが日本で発展していった経緯は、決して海外との比較で語れるものではありませんし、語るべきものでもありません。でもあえて、話をあわせるなら、あらゆるジャンルで本場のスポーツでもこの現象は実際にある話です。帰りたい人は帰ればいい。見たい人は見ればいい。それでいいのではないでしょうか。

私も以前に、このHPで、さんまの言葉を引用して、自らの思いを述べました。でも、それは、いまこのスタンドにいるサポーターをなんとかしようという思いからではなく(もちろん遠い未来の願望としてはありますが)、それは普段のメディアの活動に対する問題の延長線上にあると思ったから述べたのものなのです。いまスタンドにいるぬるいファンに対する批判は、結局、日本サッカー文化の未熟さの象徴であるからであって、サポーターの態度に問題点を置くのはどうかと思いました。もし私がジャーナリストであれば、じゃあ、全力で応援するだけの試合を日本代表は見せていたのか?と逆に問い返したいし、ジャーナリストならば、そちらの問題点を鋭く指摘してもらいたいとは思われないでしょうか。もし、サポーターのぬるい態度を批判するなら、メディアの特権を利用してタダで見て、キャーキャー騒いでる人たちのほうにこそ非難を向けるべきではないですか?そんなことで優越感に浸るな。愛情あるサポーターの代表をきどるな。と、私は声を大にしていいたいと思いますし、一般のファンを批判する前に、少なくともメディアに携わる人間は、もっとスポーツの魅力を伝える記事を書いたり、方法を考えたりしてくださいと述べたいです。

「資格」はいるものではなくて、自然とできていくものです。以前の「日本のサッカースタイル」の話と同じで、こういうものは無理やり誰かが作り出したりするものではあません。
でも、いわゆる「通」の人たちはすぐに自分達と「素人」を区別して、自分達の存在を正当化しようとし、それ以外の人々を、資格がないと攻撃します。特に、誰よりも情熱を持ってみているという立場の、誇り高き人間ほど、よくそういうことを口にします。だったら、あなたはそういうスタンスでこれからもずっと見ればいいのではないですか。強要されることを不快に思うファンも多いという、そんな単純なことが、どうしてこういう人にはわからないのでしょうか。
一方では文化が未熟だと理解しながら、サポーターを批判するのは、単に、そのことで、自らが気持ちよくなっているだけではないのか。自分は他の者とは違う、もっとずっとずっと前からサッカーを知っていて、愛してきている。だからお前達と俺とは違うんだ。そんな傲慢さが見え隠れする意見のように思います。もし後藤氏や女子アナの意見に同意する人がいれば、それは心のどこかに今私が書いた心情を携えている人でしょう。

もちろん、彼らがそう思うことは結構ですし、皆さんがそう思うことも勝手です。現に、私もそう思います。だからと言って、それをマスコミの人間が、公の場で、しかも、ファンを攻撃するという立場で述べて欲しくはありませんし、そんな資格は無いはずです。観光気分でスタジアムを訪れた人が、誰かのファンになって、のちにJに足を運ぶ事だってあるでしょうし、何か一瞬のプレーに魅了されて、その後、テレビで観るようになることだってあるはずです。誰だって、最初はミーハー気分だったり、好奇心でスタジアムに行ったりしながら、サッカーが好きになったのではありませんか。
人によって「スタンダード」は違います。国によって文化の発展経緯も違います。マスコミの人はサポーターには寛容に、協会、選手、そして自らの「仲間」には厳しく問題意識を問うていく姿勢こそ、いまのサッカー界に求められるべきことだと思います。

改めまして、鉄様のブログを借りて、大変失礼な意見をのべさせて頂きました。不快な思いをされたら、誠に申し訳ございません。ただ、鉄様の文章に見られるご自身の「迷い」や「疑問」には私も共感できる部分がございます。(特に最後の一文にあるご意見に対する回答が、今回の文章といえるのかもしれないと個人的には考えております)

投稿: 晴れのちくもり | 2006/07/05 18:58

>hideさん
>今回は1度だけサッカーバーで観戦しました。日本戦絡みじゃなかったので、まあ客の半数程は雰囲気を味わうような人ばかりでしたが、世間から注目されているイベントなのは事実で、そうした何気ない人の中からも徐々に「ジャンキー」が増えていくのだと考えます。

私自身の周囲でも、今月会った人の多くが、およそサッカーとは縁のなさそうな人も含めて、何らかの形でワールドカップについて口にするのに驚いています。2002年大会の影響はとても大きかったようです。
「ジャンキー」が増えるのもさることながら、そうではない普通の人々のサッカーへの理解が底上げされたことに、大きな意味があるのだと思います。


>馬場さん
2002年大会では準決勝が行われたソウルに行きましたが、「十代の女性を中心としたブーム」というのが街を歩いた印象でした。市役所前広場に集まる、という行為自体が自己目的化している面はありそうです。


>晴れのちくもりさん
私自身もメディア企業の一員ですので(今はスポーツ報道にはほぼ無縁な立場ですが、過去には多少関わったことがあります)、冷や汗をかく思いで拝読しました。おっしゃるような傲慢な感覚が、このエントリを書く際になかったとは言い切れません。ご指摘は肝に銘じていくつもりです。

ただ、それでも、観客への批判は一切慎まれるべきであるとは、必ずしも思いません。問題はあくまでご指摘のような特権意識や傲慢さなのであり、そこに堕すことなく問題提起をすることができれば、それは一定の意義を持つレポートになるはずです。
例えば、このエントリを書いた後で、SPORTS Yeah!ワールドカップスペシャル4号の「サポーターの失望と興奮」(筆者は江橋よしのり)という記事を読みましたが、そのような観点からは興味深いものでしたし、健闘していると思います。

この記事の中に、著名サポーターである植田朝日氏が、クロアチア戦のゴール裏で立ち上がって応援していたら、「見えないから座ってください」とクレームを浴びせられたというエピソードが紹介されています。
植田氏はその時のことを、こう語っています。
「そっか、俺たちこのW杯では邪魔な存在なんだって気がついて、ハッとしたよ。言われてすぐに、俺は座った。だって、そこでケンカしちゃったら全員が気分悪くなるじゃん。座ってできる応援しようって、頭を切り替えたよ」
なるほど、これは現場で鍛えられた知恵だ、と感じました。今の状況下での、ひとつの落とし所なのだろうと思います。


もうひとつ、「途中で席を立つ人々」について。

>帰りたい人は帰ればいい。見たい人は見ればいい。それでいいのではないでしょうか。

基本的には私もそう思います。ただ、ワールドカップ予選(あるいは本大会)のような試合に限っていえば、それは高い倍率の競争を経て手に入れた席であり、そこに座りたいのに座れなかった大勢の人たちを押しのけて得たものなのだということを、感じてもらいたいとも思っています。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/07/05 23:53

私は毎回鉄様の書かれる文章を拝見して、鉄様のスポーツへの理解の深さ、注がれている愛情の大きさに心から敬意を表しております。だからこそ、生意気にもこのブログに書き込みをして、鉄様とご意見を交わしたいと思う気になりました。

その根底の部分ではお互いに共通しているものも多々あると思っておりますし、スポーツに対する感じ方、捉え方も非常に似ていると個人的には感じております。ぜひそのようにご理解戴ければ幸いでございます。

こうした場で、鉄様、あるいは、スポーツに造詣の深い方々と意見を交換できるのは大変勉強になります。決して安易になんくせを付けようなどとは思っておりません。でも、こうした見識ある方々の集まるブログだからこそ、自分自身の主張を正々堂々とぶつけたいと思ったまでです。

日本においてサッカーというスポーツは過去他に類がないくらい急速に発展していきました。だからこそ、物の見方、捉え方をメディアが画一的に報道することの責任は非常に大きいと思うのです。

そうした点で言うと、鉄様の(一つ前のテーマに書かれておられる)中田に対する冷静なご意見、ご指摘は大変好感が持てます。本来は、こうした側面からの見方や意見をたとえ一部であってもマスコミが伝えてもいいのではないかと感じました。

(どうも日本人は昔から議論が下手だからか、批判と批評を混同しがちで、議論が食い違えばそのことで最終的に人間関係にまで亀裂が入るケースが多いのように思います。それでは、日本のジャーナリズムはいつまでたっても成熟しないでしょうね)

また、少しくどくなってしまいましたね(笑)。失礼しました

投稿: 晴れのちくもり | 2006/07/06 00:59

>晴れのちくもりさん
身に余る評価をいただき恐縮です。
前回のコメントを「安易な難癖」などとは毛頭考えていません。筋の通った異論をいただけるのは、感謝すべきことだと思っています。

>(どうも日本人は昔から議論が下手だからか、批判と批評を混同しがちで、議論が食い違えばそのことで最終的に人間関係にまで亀裂が入るケースが多いのように思います。それでは、日本のジャーナリズムはいつまでたっても成熟しないでしょうね)

本業の文筆業者に、感情的になって論理性を失う人が結構多いのは、どうしたことかと思いますね(笑)。
このblogにいらっしゃる方たちは、意見が分かれてもあまり激することなく冷静に議論にお付き合いいただけることが多いので、とてもありがたいことだと思っています。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/07/06 11:21

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