« そこにいるための資格。 | トップページ | 最後の「不条理」。 »

建前が本音を凌駕する時。

 私がワールドカップを見るようになったのは82年のスペイン大会からだ。そのころは、ワールドカップというのは、ふだんは見られない海外のスター選手たちが活躍する様子をテレビで見るものだと思っていた。

 98年に日本が初出場してからは(正確には、94年に日本がすんでのところで出場しそこなってからは)、ほかの国のスターたちの試合ももちろん興味深く見てはいたけれど、それまでのように入れ込んだり興奮したりはできなくなった。どんなにいい試合も、いい選手も、いいプレーも、所詮は他人事だ。自分たちの代表を見る時の感覚とは全然違う。そう感じた。

 2002年も、そんな感覚で見ていた。変わったのは、海外のスター選手たちがもはや珍しいものではなく、ふだんからお腹一杯になるほど見ていたことだ。ふだんとは違うユニホームを着て、ふだんとは違う組み合わせで戦っていたけれど、強豪と呼ばれる国の選手はおなじみの顔ぶればかりだった(そして、ふだんに比べると彼らの多くはいささか冴えなかった)。

 そして2006年。私にとっては、他国の代表チームだけでなく、今行われているワールドカップに出場していた「日本代表」というチームも、少し他人事めいて見えるようになってしまった。
 ジーコが監督を務めた4年のうちにチームへの興味がどんどん減退していったせいもあるだろうけれど、自分が贔屓にしているFC東京やヴァンフォーレ甲府の選手がほとんど参加していない、というのも大きな理由だったと思う。突然ハワイから呼び出された茂庭があれよあれよとピッチ上にまで呼び出されてしまった光景や、ハーフタイムに引き上げてくる川口の肩に手をかけて懸命に何事かを話しかける土肥の姿が、私にとっては今大会でもっとも大事な映像のひとつである(加地が残っていてくれれば、もう少し見え方も違ったかも知れないが)。

 日本がまだグループリーグを戦っていたころに、サポティスタにリンクされていた「中坊コラムの日記」というblogで、オーストラリア戦終了後に2ちゃんねるのJ各クラブ系スレッドがどう反応していたかが紹介されていた。どのスレッドにも、「○年前のウチを思い出す負け方だ」「こんな奴よりウチの○○を使え」「週末の○○戦の方が大事(J2の場合)」というようなコメントが数多く書かれていた。ワールドカップより俺らのクラブが大事、という人が日本にはこんなに大勢いるのだな、と改めて感じた。
 だいぶ後になって、次の代表監督の交渉にまつわる茶番劇を眺めているうちに、このblogに書かれた各クラブのサポーターの反応を思い出した。そして、もし川淵三郎JFA会長がこの一連のスレッドを読んでいたら、あんな無礼で無様な振る舞いはしなかっただろうか、と思った。

 川淵会長がジェフ千葉のオシム監督を日本代表監督に引き抜こうとしているやり口に、ジェフではクラブもサポーターも怒っている。当然だ。
 この引き抜きはジェフに対して無礼なだけではない。優勝を争うチームからシーズン中に監督を引き抜いてしまえば、当然、優勝の行方をも左右することになる。仮に今後ジェフが成績を落とし、他のチームが優勝したとしても、「ジェフからオシムがいなくなったから優勝できた」と言われかねない。今、オシムをジェフから引き抜くことは、いわばJリーグ全体の値打ちに傷をつける行為なのだ。
 そもそも93年にJリーグを作った立役者は川淵会長自身だったはずだ。クラブの地域密着が日本にサッカー文化、スポーツ文化を根付かせるだのと声を大にしてきた川淵会長が、今、そのクラブの自助努力の成果を踏みにじろうとしている。馬鹿げた話だ。

 以前にも、似たようなことがあったなと感じて、数秒後に思い出したのはフリューゲルス消滅だった。あの時も川淵チェアマン(当時)の独断により、別のスポンサーを探して生き残る道を模索することのないままフリューゲルスの消滅が決まり、選手もサポーターも憤慨した。
 この2つの「事件」を私が「似たようなこと」と感じた理由は、川淵氏が育てたはずの理想を、川淵氏自身が踏みにじっているからだと思う。

 今にして思えば、Jリーグが発足した動機には、二面性があった。
 ひとつは「日本代表を強くするためにはプロリーグが必要」という動機。Jリーグ発足前後、川淵チェアマンはしきりに口にしていた。
 もうひとつが「地域密着」「スポーツ文化」といった概念。日本社会をよくするために、プロサッカーリーグはこんなに役に立ちます、世の中を変えます、ということも、川淵チェアマンはよく口にしていた。

 前者においてJリーグは「手段」であり、後者においてはむしろ「目的」に近い。当時は何の疑問もなく納得していたそれぞれの動機の間に、実は矛盾が生じることもあるのだと、私はここにきて思い知らされた。

 「地域密着」とか「スポーツ文化」とか、少し後から言い出した「百年構想」とかいうのは、言ってみれば当時はひとつのフィクションだったのだと思う。別に川淵氏が嘘をついていたわけではないだろうが、それらを「理想」(あるいは「建前」)として語りつつ、「現実」(あるいは「本音」)としてのワールドカップ予選(と同時に、90年代前半においてはワールドカップ誘致争い)を有利に導く、というのが川淵氏の、そして日本のサッカー界の戦略だったのだろう。

 その戦略は成功した。だが、ある意味では川淵氏たちの想像をこえて成功しすぎたのかも知れない。
 フリューゲルス消滅におけるサポーターの怒りは、川淵チェアマンが考えていた以上に、Jクラブが人々の中に根付き、強固な支持層を築き上げていたことを明らかにした。
 そして、現在のジェフ千葉とジェフサポーターの怒りは、すでに「クラブは代表のための手段ではない」と考える人々が大勢生まれていることを明らかにしている。中坊コラムの日記に見るように、「代表よりもクラブが大事」と考えている人も決して少なくないようだ。
 Jリーグはすでに「日本代表を強くするため」だけの存在ではない。「地域密着」や「スポーツ文化」という、かつての「建前」は、「日本代表」という「本音」に迫るほどに力を持ち始めている。

 川淵会長が自覚していたかどうかはわからないが、彼の一連の言動の背後には、「自分が作ったJリーグだから構わないだろう」「自分の出身母体である古河電工だから構わないだろう」という意識があったように見える。だが、すでにJリーグは彼のものではないし、ジェフは古河電工ではない。彼がまいた種、彼が育てた苗は、彼自身が思っていたよりも早く成長し、彼の手を離れて、自律的に動き出している。それは本来、彼にとって喜ぶべきことであったはずなのだが。

|

« そこにいるための資格。 | トップページ | 最後の「不条理」。 »

コメント

「シーズン途中のクラブ監督を代表が引き抜く」という事態は、ヨーロッパなんかでは基本的に起きない、なぜならちょうどシーズンオフだから、という理解であってますか(ヨーロッパのサッカーシーズンは基本的に冬で、夏はシーズンオフだということを、私はごく最近まで知りませんでした)。

日本の場合4年後も8年後も似たことが起きる可能性があるわけですが、「Jリーグの監督は選考対象外にすべき」とお考えですか。それとも、Jリーグの監督に仮に魅惑的人材がいる場合、そこから選ぶこと自体はいいが、もうちょっとやり方があるだろう、というようなことでしょうか。

投稿: nobio | 2006/07/08 16:08

>nobioさん
前半はそれでよいのではないかと思います。欧州で類似の例が皆無かと言われると自信はありませんが。ワールドカップ前に手回しよく次期監督を決めて発表してしまう国もありますし(今大会の出場国ではイングランドがそう。またオーストラリア代表監督だったヒディンクは、大会終了後にロシア代表監督になることが、大会前には決まっていました)。

後半については、
>そこから選ぶこと自体はいいが、もうちょっとやり方があるだろう
ということです。
日本人指導者の場合は、Jリーグで手腕を示した人が代表監督の候補になる、というのは適切なルートだと思います(五輪代表監督に内定している反町康治はそのパターンです)。

シーズンの切れ目に契約満了をもって代表に移る、というのであれば大きな問題はないはず。本稿は、「初優勝を目指しているチームの監督をシーズン中に引き抜く」のは迷惑でしょ、という前提で書いてます。ジェフにおけるオシムの存在の大きさは特別なものがありますし。野球でいえば、去年の今ごろの千葉ロッテからバレンタイン監督を取り上げるような仕打ち、とお考えください。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/07/08 17:02

すると、「今回の場合、オシムは選考対象外にすべきだった」というご意見でしょうか。

投稿: nobio | 2006/07/08 22:49

なんか質問ばっかというのも卑怯な感じがするので思うところを説明しますと、つまり、「今年の、初優勝を目指しているジェフの監督オシムであっても、もうちょいちゃんとやれば引き抜いても問題ない」と、言って欲しいんですよ。鉄さんにそう言っていただければ、オシム代表就任を喜んでいる自分は、少しほっとできますので。

投稿: nobio | 2006/07/08 23:11

>nobioさん
オシムに代表監督を頼むこと自体は、最良の選択だと思います。
しかし、それならジェフに迷惑のかからないやり方をあらかじめ検討しておくのが筋というものでしょう。ジーコがドイツ大会を最後に代表監督を退くことは、ずいぶん前から決まっていたのですから。
どうしてもオシムに頼みたいのなら、極端に言えば今シーズン終了後から、というやり方だってありうるわけです(その間のアジアカップ予選は代行監督で乗り切ることになりますが)。そういう類いのことを考え抜いたようには、川淵会長の言動からは感じられません。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/07/08 23:38

>nobioさん
入れ違ったようなので、再度。

>「今年の、初優勝を目指しているジェフの監督オシムであっても、もうちょいちゃんとやれば引き抜いても問題ない」

「問題ない」と言い切るのはためらわれますが(笑)、ジェフとオシムに対して礼節と誠意を尽くし、当事者にも傍目にも「そこまでしてくれるのなら仕方ないか」という気にさせるところまでいけば、問題はかなり解消されたことでしょう(ジェフサポーターはそれでも怒るでしょうけれど)。

私もオシムが代表監督になってくれるのなら嬉しいですから、きちんと落とし前をつけた上で、すっきり就任してもらいたいと思っています。

ただ、ここでの議論とは別の話として、「ドイツ大会での日本代表の試合内容の分析が済んでおらず、従って、今後の強化に何が必要なのかが明確になっていない段階で監督を選ぶのはおかしい」とか、「JFA会長は7月下旬に改選があるのだから、制度上は失脚する可能性のある会長が主導して代表監督を決めてしまうのはおかしい」という理屈も成り立ちます。そのへんも含めてのフライングだったとは思います。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/07/09 00:29

60年代、日本が第一次サッカーブームに沸く頃、当時日本協会会長の野津謙氏はなんとか日本でのサッカー普及に繋げる手段はないかということで当時の日本テレビ関係者と協議し、その後、69年に読売クラブが誕生したという話を、昔に何かの本で読んだ記憶があります(正確な記載ではないですが、おおよその事実関係は間違っていないと思います)
もっとも、クラブ単位という新しい形を作ったものの、やはり当時の日本は企業スポーツ全盛期ゆえ、「バック」からの援助がなければ活動できない時代でした。ただ、その読売クラブはこれまでにない新しいスタイルのサッカーをファンに披露して、随分とJSLを盛り上げていましたよね(といっても、サッカー自体マイナー競技の域を出ていませんでしたが)

時は移ろい、Jリーグ誕生時、誰よりも「読売」の企業イメージを排除しようと躍起になったのが川淵氏でした。もちろん、そこには「地域密着」という海外の一流国(彼の頭の中は昔の西ドイツだけだと思いますが)とやらを模範にした理念があったようですが、思えば、当時から「読売」と「ナベツネ」排除に対する川淵氏の異常なまでの執念と強引なやり方は、現在の伏線だったと思えてしまうのが悲しいところではありますし、現在の川淵氏が当時の「ナベツネ」にダブって見えてしまうところに、時代の悪戯というか、滑稽さすら感じてしまいます。(もっとも当時の読売クラブ創設の経緯を知る人たちにとってみればいくばくかの無念な思いもあったでしょうね。)
余談ですが、一層のこと、次回作成時のJのポスターは、チャップリンの「独裁者」のように、川淵氏の指の上に「Jリーグ」と書かれた大きな風船を置いているものでいいんじゃないでしょうか。(品のない意見ですみません)。でも、川淵氏の誤った判断を繰り返す独裁体制がさらにエスカレートしていくようだと、たとえば、Numberの表紙でこれくらいのことをする気概を編集部には見せて欲しいものですね。(おそらく絶対にできないと思いますが。)この雑誌もいい加減そういう使命を担う時期に来ていると思うのですが、どうも相変わらず選手寄り一辺倒の記事が多く、少なくとも私にとっては特にサッカー関連は最近読み応えがありません。かつての愛読誌だっただけに、現在の「優等生のサラリーマン的」誌面の作りがとても残念です。
さらに少し話は逸れますが、木村元彦氏がスカパーか何かで書かれている「地球を一蹴」というコラムの第29回(6/27更新分)「川淵キャプテンに伺いたい」をお読みになられましたでしょうか。

以下、その内容の一部を記しておきます。


「失言」なのか、意図的「確信犯」か、そんなことはどうでもいい。人事に関する秘め事を事前に漏らしてしまった大失態に変わりは無い。協会トップの人間として、ある意味で、W杯の惨敗以上にこの責任は重い。
川淵キャプテンは拙著『オシムの言葉』に感銘を受けたと言って下さったようだが、著者の私がこの4月、一ヶ月に渡ってジェフ千葉から、取材拒否をされていたことを、ご存知だろうか?
何の明確な理由説明も無いままにオシム監督インタビューを取材日前日になって、3度に渡ってキャンセルされたのだ。朝日新聞、角川書店、集英社の各担当編集者が、ごにょごにょとしか言わない広報担当から聞くところによると、それは、今春Number誌に掲載されたオシム記事がジーコ批判に当たるとして、「木村さんの取材はちょっと」ということになったそうである。
監督の言葉を詳細に採録したあの記事の一体どこが、ジーコ批判になるのか?読解力の無さに呆れるが、例え批判であったとしても、それで取材を妨害するとは、これは度し難い間接的な協会の圧力である。
「ほとぼりが冷めるまで」という訳の分からぬ理由で一ヶ月放っておかれた。

 


で、とりあえずこの場では川淵氏のことは置いておきまして、Number誌の対応です。文書によると、木村氏はNumberの記事を書いたことで圧力(らしきもの)を加えられているわけです。当然、記事の内容は編集部の人間がチェックしてOKが出たからこそ一般の目に晒されたわけでしょうし、編集部内には、記事は正等だというポリシーがあったのでしょう。ならば、自分達の雑誌に書いたライターがここまで追い詰められていたら、その事実を誌面で公表して、徹底的に戦う姿勢とその過程を見せていけばいいのではないですか。どんな誌面作りが世の中に受けるのか、常に編集部は考えているのだろうと思いますが、こうした真実こそ、読者に公表すべきことであり、その正当性を誌面で追求していくのが、正しいジャーナリズムのあり方だと思います。(もし、こういう記事が多少なりとも誌面上で記載されていたときにはお詫び申し上げますが、木村氏のコラムを見る限りあまりに薄情とも思えるNumber側の対応と、折角現状を検証する「チャンス」を台無しにしたことに対して、大変失望したものですから)。


話を元に戻すと、曲がりなりにも、これまでJSLを支え、またJ創設時にはヴェルディの存在が大きな起爆剤となったことは厳然たる事実です。中田のリーダーシップ論ではありませんが、物事にはやり方というものがあります。もちろん、時には理想高きリーダーが強引に運ばなければ正しい方向に進まないこともあるでしょうし、そうしなければ間違った方向からの軌道修正ができないときもあるでしょう。(国鉄の民営化などはその最たる例かもしれません)。しかし、少なくともこの場合に、川淵氏が採った方法は果たしてベストだったのでしょうか。仮にベターだったとしても、それが現在でも同じやり方で通用するとは限りません。(鉄様も書かれておられる、J発展のスピードが彼の予想を遥かに超えていたがゆえに、すでに彼の能力では収集がつかなくなっているのでしょう)

これはスポーツだけに限ったことではありませんが、歴史の歩んできた経過が少なくとも現在においてカオスを招いていない状態である場合、日本のマスコミは、いついかなる時代も、まるで常にそれが歴史上正しい選択だったかのように捉え、かつての判断や行為を冷静に、徹底的に、客観的に検証するということを怠りがちのように思います。(現在まで議論を巻き起こしている戦争責任における問題や靖国問題などは、当時の国家レベルでの徹底的な検証を怠ったつけであることは明らかでしょう)。
サッカーに限っても、かつて日本はアジアの票読みに失敗してFIFAの副会長選挙に敗北したあとの検証が不十分だった結果、W杯が日韓共催という結果になってしまいましたよね。また、その後、共催になってしまった背景としても日本協会には何が足らなかったのかという反省は十分になされたのでしょうか。私はそうは思いません(「結果として、韓国との親睦が深まって良かった」というなんとも間抜けなコメントしか聞いた記憶がないのですが)。あるいは、加茂氏以降、採用基準が一貫しない監督人事の決定にしてもそうです。鉄様が挙げておられる、横浜フリューゲルス消滅のときもしてもそうですよね。結局、このときも川淵氏の強引なやり方の正当性、妥当性の検証をマスコミが怠ってしまいました。まず結果ありきで、あとはなし崩しに事を進めていくという流れは今回の監督選定のケースに、私も非常によく似ているように思います。

もちろん、これまでの川淵氏の大きな決断のすべてが間違っていたなどど私自身は断言できません。(無責任かもしれませんが、歴史を変えることはできませんので)。しかし、少なくとも今回に限っていえば、手順を踏む段階で最高権力者がミスを犯していることは明らかです。(故意か過失か、というくだらない議論はこの際、どうでもいいです)。いまからでも遅くはありません。彼の独裁者たる振る舞いが、4年後の後悔や大いなる反省に繋がらないためにも、少なくとも彼の影響力を極力減らして、できるだけ有識者の集まりで合議的に決定できる機関を創設すべき最終的な時期なのではないでしょうか。彼が絶大なる影響力を持つ限り、その後の「人生のポジション」を考えたら少なくとも協会内では誰も彼に対して意見ができないのは目に見えています。私はこのHPをお借りして何度も申し上げておりますが、それを追求していくのはメディアという力を持った、信念と正義感を携えたジャーナリストの仕事です。その認識の欠如が、スポーツに限らず、今日まで引きずる悪しき多くの問題を抱えてしまっている要因になっていることを、一刻も早く認識してもらいたいものです。

「中田を会長に!」-そんな見出しをPC上のどこかで見ました。川淵氏と中田氏のふたりをリーダーシップ論の観点で論じるとき、この川淵氏の発言は実に興味深い研究議題ですね(笑)

投稿: 晴れのちくもり | 2006/07/09 01:07

こんばんは。

>建前が本音を凌駕する時。

Jリーグ各チームが自分たちが置かれている「現実」に真摯に対峙している結果なのでしょうね。それはまず試合に「勝つ」事に尽きると考えます。

以前ジェフGMのコメントを読んだことがありますが、ジェフは「勝つ」為の方法論として、まず実績・経験豊富な監督の招聘を第一に考えたという事でした。
なぜなら、まずリーグで勝ち星を挙げないことにはチーム運営が成り立たないと考えたからです。
勿論ユースの育成や実績ある選手の獲得なども上げられますが、どちらも時間と資金がかかる。短期的に結果を残さなければ、直ぐに運営面で立ち回らなくなるという、厳しい状況下にあるが故の現実的な判断だと思います。

一方協会の今置かれている立場から考えると、A代表の成績が振るわないからといって財政基盤が左右されなくなってきた。必ずしも勝つ必要はなくなってきたから切迫さに欠け、監督人事のプロセスに相変わらず「甘さ」が残るのではと考えます。

最近のA代表の親善試合は、「興行色」が強まったように感じます。ジーコ就任第一戦などは今思い返せば最近流行の格闘技興行と雰囲気・注目度がとても似通っています。
また五輪代表などの試合では「Road to ~」などのキャッチコピーで否が応でも煽っていきますし。(これ全てが悪いとは思いませんが)
これこそ電通と契約している成果と言えるのでしょうが、もはや代表は「ブランド」化したという事でしょう。

勿論代表が国際舞台で成果を残さなければならない事を、彼らも理解してはいるのでしょうが、例え4年後のW杯に仮に出場できなくても、それが原因で協会が破綻する事はまずありえない。経営が破綻してしまうような事はありえないでしょう。

だがJリーグに所属しているチームは違います。J1からJ2に降格すれば、高所得者選手を解雇・または移籍させないと忽ち運営に支障をきたしてしまいます。
中にはある程度観客が入ってくれるチームもあるのでしょうが、ユニフォームなどの契約上露出が低くなればそれだけ契約料に跳ね返るでしょうし、何よりクラブとして「勝つ」姿勢が無ければいずれファンから見放されてしまいます。

100年構想の理念で上げているように、クラブチームに地元会員が気軽に参加できる、そこでスポーツを気軽に享受できるようになれば、ある程度は運営の支えになるでしょう。
ただ、そこに行き着くにはまだまだ時間がかかることです。

今回の代表の結果や新しい監督の人事を見て協会に不審の目を向けざるを得ないのは、どうしてクラブチームが既にやっている事をできないのか、どうしてクラブチームが厳しい現実、限られた条件で行っている事を、潤沢な資金と時間を持つ協会が実行できないかだと思いますが、結論から言えば、建前と本音、両者を実行する時の現実における厳しさの違いが明暗を分けているのではと考えます。

投稿: hide | 2006/07/10 03:11

>「自分の出身母体である古河電工だから構わないだろう」

現にジェフは川淵さんに唯々諾々と従っているわけですから、キャプテンの「読み」はその限りでは当たってるわけですよね、始末の悪いことに。ジェフの経営サイドも、まだ古い人間関係のしがらみに囚われているということでしょう。

急成長した組織が、「現実の把握」に失敗しつつある例であると思われます。特に、トップにナマの「苦い」情報が上がらなくなっている。表面上は繁栄しているだけに、トップに「代われ」ということも難しいし、Jは難しい局面に入りましたねぇ。

オシムさんが代表監督に就任してくださったのは、非常な朗報であると思っています。いちばん期待しているのは、オシムさんの老獪さ(笑)。基本的には単純なお人柄とお見受けするサッカー協会トップを、ぜひ手玉に取っていただきたい。「日本」サッカー協会のことで外国の方に縋らなくてはいけないというのは、はなはだ心苦しく申し訳ないことですが。

投稿: 馬場 | 2006/07/10 09:40

>晴れのちくもりさん
コメント欄について私には定見がありませんで、皆さんが何を書かれようと(時にはエントリ本文と全然関係ないことを書く人もいますが(笑))、あまり気にせずにやってきたのですが、

>私はこのHPをお借りして何度も申し上げておりますが、

と言われると、それは何だかちょっと違うんじゃないか、という気がします(笑)。
これほど主張なさりたいことがあるのなら、ご自分でblogを作るとか、もっと人気のあるサッカー系掲示板に書き込まれた方がいいですよ。このblogはトップページでエントリ本文が最後まで読める構造なので、コメント欄まで読む人がどのくらいいるのかわかりませんし、私自身は、よそのblogのコメント欄を読む時に、ある程度以上長いものは飛ばしてしまいますから、そういう人も多いんじゃないかと思いますし。


>hideさん
うーん、ワールドカップ出場を逃せば日本代表のブランド力は著しく失墜するのではないかと思いますよ。それはもしかすると、地道に地域密着を進めたJクラブの2部落ちよりも悲惨なことになるかも知れません。

ジーコ及びその後継者に関する代表監督人事は川淵会長の主導で行われているようですから、協会の体質というより川淵氏個人の問題と捉えた方がよさそうに思います(それを制御できない協会の問題はあるにせよ)。一連の人事の「甘さ」は、「必ずしも勝つ必要はなくなってきた」というよりも、勝つことに慣れてしまって、勝てない可能性をシビアに検討していない甘さのように私は感じます。


>馬場さん
>ジェフの経営サイドも、まだ古い人間関係のしがらみに囚われているということでしょう。

ジェフの淀川社長は川淵氏と一緒にプレーした大学の後輩らしいですね。その感覚で監督を譲渡して許される時代は終わっているのだし、それを終わらせたのは川淵チェアマン(当時)自身だったのですが…。自分だけは例外、という感覚からは、なかなか逃れられないものなのでしょうか。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/07/11 10:39

鉄様

おっしゃる通りです。

コメントを書き込んだあと、もし何らかのご返答があれば、お詫びしようと思っておりました。もう少しタイトルに添った適切なご意見を議論し、発展させる場であることは理解していたつもりですが、ついつい自分の意見に対するご意見が聞いてみたいばかりに、ご迷惑をお掛けしました。お気を害されたようで、申し訳ございませんでした。

ただ、川淵氏のやり方を見ていると、これまでの協会の失敗例から一向に何かを学んでいるという感じがしないものですから、なんとなく残念な感じがいたしますね。

投稿: 晴れのちくもり | 2006/07/11 13:16

>晴れのちくもりさん
こちらこそ不躾なコメントで失礼しました。

>ただ、川淵氏のやり方を見ていると、これまでの協会の失敗例から一向に何かを学んでいるという感じがしないものですから、なんとなく残念な感じがいたしますね。

その点は同感です。ただ、川淵氏をどう評価するのか、信任するのかというのは一義的にはサッカー協会内部の問題ですから、近く行われるらしい会長選で、彼を落選させるまではないにしても、何らかの苦言・意見表明が行われるかどうかについては注目しています。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/07/14 00:31

ジェフに捨てられた市の民からすれば、ざまぁみろと言ってやりたいですがね。
因果応報以外の何ものでもないと思うので、ジェフに同情する気はさらさら起きませんなあ。

投稿: 神谷 | 2006/07/16 17:38

>神谷さん
こんにちは。市原の方ですか。
確かにおっしゃる通り、「地域密着」という建前に関して、ジェフが立派にやってきたとは言えませんね。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/07/17 09:06

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/50507/10836132

この記事へのトラックバック一覧です: 建前が本音を凌駕する時。:

« そこにいるための資格。 | トップページ | 最後の「不条理」。 »