「オレの魔球」を、もう一球。
高校野球の応援というものに、私は行ったことがない。
出身地は首都圏のベッドタウンであまり地元意識のない土地柄だったし、在籍した高校の野球部は一回戦で負けるのが当たり前だった。在校生が野球の応援に行くという習慣もなかったし、行こうとも思わなかった。
運動部員であれば、誰だって汗と泥にまみれ、時には血を流し、涙も流す。別に硬式野球部だけが特別なわけじゃない。なんだってわざわざ強いわけでもない他部の応援に行かなきゃならんのだ(これは当然ながらマイナースポーツ部員としてのひがみでもある)。
当時も今も、娯楽として高校野球を見ることはある。だが、主としてプロ野球予備軍の青田買いという感覚で見ているので、汗と涙と友情を強調してやまない報道は煩わしいし、とりたてて感動させてほしいとも思わない(もちろん試合内容によっては心を揺さぶられることはある)。
だから、そういう部分を強調してばかりいる新聞の高校野球記事には目を通す気にもならなかったのだが、友人に「これは笑えます」と勧められたので、朝日新聞神奈川県版に連載されていたという「オレの魔球」全5回をネットで読んでみた。確かに面白い。出色の記事ではないだろうか。
夏の予選を前に注目選手をピックアップする、という風情の連載なのだが、ピックアップの仕方が凝っている。強い弱いに関係なく、独特の変化球を持つ投手を県内から選び、その球種を身に付けるに至った経緯を描いている。
監督から「ライアーボール」と名付けられた魔球を教えられた投手。その実体は、「どりゃー!」と絶叫しながら投げるチェンジアップだ(「ライアー」は「嘘つき」の意味だとか)。
このほか、「ジャガイモ」「投げ釣り投法」など、本当かよと思うような名前の変化球の持ち主が紹介される。全投球の半分以上がナックルという本格的ナックルボーラーがいることにも驚く。
「ジャガイモ」の回には本当にジャガイモを投げさせて写真を撮るという人を食った紙面づくりもさることながら、記事の内容が、いわゆる「人間ドラマ」に堕していないことを好ましく感じる。
「スポーツには人間ドラマがある」と口にする人は多い。新聞社やテレビ局や出版社にも多い。
確かに、短時間のうちに勝者と敗者がくっきりと分かれるスポーツの世界では、人間の喜怒哀楽が一般社会よりも強烈で鮮やかに現れることが多い。だが、私は「人間ドラマ」に焦点を絞ったスポーツライティングやスポーツ番組が、あまり好きではない。
だって、「人間ドラマ」ならスポーツじゃなくてもいいじゃないですか。
スポーツを描くからスポーツライティングやスポーツドキュメンタリーなのであって、「たまたまスポーツをやっている人間のドラマ」なら、他によいものがいくらでもあるだろう。勝ち負けや努力や汗や涙や友情ではなく、プレーそのものがキャラクターでありドラマである、というような表現ができてこそスポーツライティングではないか、と思うのだ(もちろん「人間ドラマ」にも面白い作品はたくさんあるけれど)。
この「オレの魔球」では、まさに「魔球」が投手のキャラクターを象徴している。決め球がどのような変化球で、彼がいかにしてその球を身に付けるに至ったかを追っていくうちに、投手自身の経歴や性格が浮き彫りにされていく。釣りが好きで漁師になりたくて水産高校に入った投手の「投げ釣り投法」なんて、まるで水島新司の漫画のように出来過ぎでもあるが。
連載第1回の記事の惹句にはこうある。
「才能が大きく左右する速球と違い、変化球は努力と工夫次第でいろんな選手が身につけられる。身の丈に合わせて夏に挑む、そんな投手たちを追う。」
そう、身の丈に合った球だからこそ、「魔球」は彼らのキャラクターを象徴することができる。
記事を読み進めるうちに、故・山際淳司の『スローカーブを、もう一球』を思い出した。山際の第一短編集のタイトルにもなった、もう四半世紀以上も前の作品だ。本が手許にないのでうろ覚えで書くが、主人公は高校野球の投手だった。体格も体力もスピードもコントロールもすべて凡庸な、丸顔で小太りの無名校の投手が、大きく曲がるスローカーブを武器に県大会を勝ち進んでしまう。強豪校の強打者をスローカーブで幻惑しながら、俺たち、こんなとこまで来ていいのかよ、などと戸惑っている。そんな話だった。
淡々として、それでいて瑞々しい。汗と泥と涙と友情といったお決まりの構図とは懸け離れたやり方で高校野球を描けるということが新鮮だった。この短編集には、山際を世に出した『江夏の21球』も収録されているが、私はこの表題作の方が好きだった。
山際はこの短編集をきっかけに人気スポーツライターとなった。テレビのスポーツニュースのキャスターも務めた。スポーツライティングの仕事もずっと続けていたけれど、だんだんと「人間ドラマ」寄りの作品が増えていったように思う。たとえば衣笠祥雄を書いた『バットマンに栄冠を』では、不良だった衣笠が周囲の人々の気持ちに支えられていかに立派な野球選手になったか、という「人間ドラマ」が巧みに描かれているが、衣笠のあの弾むようなグラウンド上での動き、何もそこまで振らなくてもと思うような豪快なオーバースイングぶりを思い出させてはくれなかった。
それはそれで面白かったけれど、『スローカーブを、もう一球』のような作品が見られなくなっていったことは、私には残念だった。
『オレの魔球』は、久しぶりにそんな山際の作品群のことを思い出させてくれた。
記事で紹介された投手たちは、すでに始まった県予選に出場し、実際に試合で「魔球」を武器に戦っているはずだ。もう姿を消してしまった高校もあることだろうが、特に結果を知りたいとは思わない。
スポーツの試合である以上、最終的には勝ち負けという結果に収斂される運命は避けられないけれど、「オレの魔球」は、その結果が出る少し前の彼らの瑞々しい姿を、そのままにとどめている。結果が出れば終わってしまう、ほんのささやかな何かを、記事は保存している。勝つことや負けることによって引き起こされる単純な情緒的動揺ではなく、もっと微妙な何かを。そこにもたぶん、スポーツをすることの楽しみがあり、スポーツを見ることの喜びがある。
そういえば確か『スローカーブを、もう一球』も、試合が終わる直前で文章が終わっていたのではなかったか。山際がそこで物語を止めたことの意味は、たぶん、そういうことだったのだろうな、と25年経って気がついた。ちょっと鈍すぎたか。
(って、本当にそこで止まってたかどうか自信はないのですが)
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コメント
ごぶさたしています。以前に高校野球の過密日程に関するエントリにコメントさせていただいたものです。
『スローカーブを、もう一球』、私も大変好きでした。初めて読んだのは高校に入学したころで、早速同じクラスにいた野球部員に貸して読ませました(われながら一体何を考えていたのか・・・)。最後は確か、主人公の投手がスローカーブを要求し、振りかぶったあたりで終わったような気がします。印象的な幕切れでした。
今回、そのあたりを確かめようとネットを検索してみたら、松岡正剛の「千夜千冊」で取り上げられていました。作中、スローカーブは2球しか投じられていないなどという意外な事実も。老婆心ながら下にURLを挙げておきます。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0609.html
投稿: かわうそさん | 2006/07/20 19:06
>かわうそさん
こんにちは。また高校野球の季節になりましたね。
18日に牧野直隆前高野連会長が亡くなりましたが、死亡記事に「93年の全国高校野球選手権から、代表校の投手に肩、ひじ検査を義務づけるなど、球児の障害予防にも力を注いだ」と書かれているのを見ると猛烈な違和感を覚えます。21世紀枠という奇妙なものを作ったのもこの人ですが、外国人学校に門戸を開いたことは素直に評価したいです。しかし、水原茂と慶応で三遊間を守った歴史上の人物が2日前まで存命だったとは…。
「千夜千冊」は、このエントリをアップした後に検索して読みました。とりあえず矛盾はないようなので、まあいいかと思って特に直しませんでした。2球しかスローカーブを投げていないというのは気づかなかったので、それを確かめるために読み返したくなりましたが(笑)。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/07/20 21:50
こんにちは。
朝日新聞が高校野球を取り上げると言えば、どこか九回裏2
アウトでのファーストベーススライディングのイメージばかりとおもっていたのですが、今回取り上げられた記事を読んでびっくりしました。自然に笑いもこみ上げましたし。
スポーツライティングに「ドラマ」性を盛り込む記事は本当多いですね。
記事を読んで、よりそのスポーツに関する興味を引き出してくれればいいのですが、当事者の人物伝のようになりすぎるのもどうかと思います。記者の節度によるのかな。
投稿: hide | 2006/07/21 12:52
いつおながらの視野の広いエッセイ、感服しました。
拙ブログで引用させていただき、引用のご連絡としてトラックバックしたつもりだったのですが、トラックバックが成功していないようです。
URL欄に拙ブログ記事URLを記入しました。
投稿: にゃん | 2006/07/21 12:55
>hideさん
>記者の節度によるのかな。
書き手の競技に対する理解の深さや力量に左右される面はあるでしょうね。「人間ドラマ」なら競技がわからなくても書けますから(笑)。また、新聞の場合は、競技に詳しくない人が読んでも判るような記事をよしとする傾向も強いと思います。
>にゃんさん
なかなかTBがうまくいかないことが多いですね。ご厄介をおかけしてすみません。
こういう淡々とした新聞記事もいいですよね。かえって涙腺が緩んだりする気分もわかります(笑)。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/07/22 02:13
ご無沙汰しております。読ませて戴いてはいたのですが、自分のブログを書いてもいないのに、他所さまのブログにコメントをするのは何となく気が引けて……。ということで、無理矢理なんとかエントリを書き上げて(苦笑)、やって参りました。
>スポーツの試合である以上、最終的には勝ち負けという結果に収斂される運命は避けられないけれど、「オレの魔球」は、その結果が出る少し前の彼らの瑞々しい姿を、そのままにとどめている。
スポーツをしているとき、ある場面、ある瞬間にふと感じる快感……。その快感に惹かれ、それを求めて、人はスポーツに向かうのでしょうね。
野球に頭抜けた才能を持つわけでもなく、高校生活の中で大きな部分を占めてはいるだろうけど、けっして軸足が野球にあるわけではない高校生たちが主人公の『俺の魔球』、『スローカーブをもう一球』。主人公たちの常識的で健全な、スポーツに惹かれる心が、記事や作品からは伝わってきます。スポーツをするのもお好きな鉄さんらしいエントリだと思いました。
>だって、「人間ドラマ」ならスポーツじゃなくてもいいじゃないですか。
眞鍋かをりさんのような素敵な表現が効いています(笑)。私は「人間ドラマ」もけっこう好きなんですが(苦笑)、その場合は、スポーツを通して興味を持った人物に限られますし、スポーツライティングというよりも、単なるライティングとして楽しんでいます。
蛇足ですが、たまたま昨夏、『スローカーブをもう一球』を読み返す機会があったので、付け加えさせていただきます。主人公は、スローカーブをいっぱい投げています。ラストは、鉄さんの仰るとおりだったと思いますが、ラストシーンの前に、打者との対決結果と試合結果が書かれていたように記憶しています。それと、『スローカーブ』の文庫本が、100円ショップの店頭に並んでいたのを見たことがあります。安価で手に入れられることは喜ばしいことなのかもしれませんが、随分と寂しい気持ちがしました。
投稿: 考える木 | 2006/08/06 10:14
>考える木さん
こんにちは。
>自分のブログを書いてもいないのに、他所さまのブログにコメントをするのは何となく気が引けて……。
そんなことは全然気にしなくていいと思いますよ。私は自分のblogを書く気にならない時に、気晴らしによそ様に書き込んだりしてますが(笑)。
>私は「人間ドラマ」もけっこう好きなんですが(苦笑)、その場合は、スポーツを通して興味を持った人物に限られますし、スポーツライティングというよりも、単なるライティングとして楽しんでいます。
たまたまスポーツ界を舞台にした「人間ドラマ」も、それはそれでいいんですけどね。私が嫌いなのはたぶん「スポーツには人間ドラマがあるからいいんだ」みたいな言い方なのだと思います。出版業界に結構多いんですよ、そういう人(笑)。
>ラストは、鉄さんの仰るとおりだったと思いますが、ラストシーンの前に、打者との対決結果と試合結果が書かれていたように記憶しています。
それはよかった(笑)。確か、最後の試合の相手は超高校級と騒がれた捕手で、その選手も結局プロ入り後は大成しなかった、などという経緯が、結末をさらにほろ苦いものにしていたような気がします。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/08/07 10:32
いま、読みました~。
今年は4112校が参加しました。
残るは、あと12校。
あと12校の行方に、最後までおつきあいしなきゃです。
高校野球はスポーツというより、夏のふるさと祭り、という側面の方が大きいんじゃないか、という気がしてきました。
あと、この夏の高校総体が同じ大阪で行われているのも、とっても皮肉です。
投稿: ペンギン | 2006/08/15 22:31
>ペンギンさん
暑い中、お疲れさまです。
私は例によってあまり熱心に見てはいませんが、早実の投手の落ち着いたマウンドさばきは好きです。大阪桐蔭の中田を討ち取った投球は見応えがありました。
>高校野球はスポーツというより、夏のふるさと祭り、という側面の方が大きいんじゃないか、という気がしてきました。
もちろん、それは大きいと思います(Jリーグができたことで、郷土愛の受け皿としての意味合いは少し減じてきたかも知れませんが)。あと、お盆の慰霊祭、という指摘もあります。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/08/16 16:14
大変ご無沙汰してます。
山際さんの話とは直接関係ないので恐縮なんですが、最近スポーツ報道をしてる友人から進められたスポーツノンフィクションを読み漁ってて、非常に面白い『榎本喜八伝』という本があって思うところがあったのでTBさせていただきました。『人間ドラマ』『情緒もの』もいいんですけど、ど素人にもプロの技の真髄を垣間見せてくれるノンフィクションって、すごく書くのが難しいのがあるんでしょうけどあんまない気がします。
この本は珍しくそんな一冊でした。
投稿: farwest | 2006/12/04 01:28
>farwestさん
しばらくでした。ココログのメンテナンスが長引いていたようで、なかなか書き込みできなくてすみません。
著者の松井浩さんは、高岡英夫さん(「ゆる体操」の人)への傾倒が激しすぎてバランスを欠いたように感じられる著書が続いていたので、『榎本喜八伝』も敬遠していたのですが、farwestさんのご感想を読むと、そういうわけでもなさそうですね。
松井さんの古武道に関する知識と見識が、打撃を極めるために合気道に活路を見いだしたらしい榎本打法の理解にプラスになっっているなら、彼にしか書けない本になっているのかもしれません。今度見かけた時は手にとってみることにします。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/12/09 11:55
丁寧なコメントありがとうございました。不勉強なため、高岡さんという方は知りませんし、松井さんの著書はこれが初めてでした。今、高岡さんのwikiを見て思ったのですが、松井さんという人は取材にあたって、もろに相手の懐に入ってしまう方なのかもしれません。それによって非常に奥深い取材ができるのでしょうが、果たして取材者としてそれでいいのかまた別の問題となるのかもしれません。相手との距離感って、今も昔も取材で一番難しいものですから。駄文失礼しました。また時々覗かせていただきます。
投稿: farwest | 2006/12/10 23:58