処女作に作家のすべてがあるのなら。
ジーコが代表監督になって最初の試合は、出張先のホテルで見ていた。同僚とそれぞれの部屋で見ていたのだが、終了後に落ち合って遅い夕食に出た時、同僚に向かって言った言葉を、私は今でも覚えている。
「いい選手を集めて並べりゃいいってもんじゃないよな」
トルシエについては、フル代表の初戦よりも、シドニー五輪を目指すU-21代表の初戦、アルゼンチンU-21代表との試合が強烈に印象に残っている(試合が行われた日もこちらの方が早かったと記憶している)。日本のDFでフラットな3バックを組んで、しかも見たことがないほど最終ラインを押し上げ続けて、それでアルゼンチンに勝ってしまった。日本人にこんな芸当ができるのか、という感激に近い驚きを感じた。
岡田武史の場合は、ワールドカップ最終予選のさなか、遠征先の連戦の途中でいきなり監督になったのだから、自分の色も何も、そこにいるメンバーでそれまでの延長上のサッカーをするしかない。それでも、ウズベキスタンとのアウェーゲーム、ここで負けたら息の根が止まるという状況で、中田英寿をベンチに置いて試合を始めた胆力には感心した。
その岡田に後を託す羽目になった加茂周の初戦は、12月にアラブのどこかで行われた、今は亡きインターコンチネンタルカップだった。試合は大敗だったが、試合内容そのものよりも、前任者が若返りを図って外したベテラン選手たちを大勢呼び戻しておいて、敗戦という結果とともに徐々に彼らを外しながら世代交代を仕切り直すというやり方の政治性が印象に残っている。
予想外の選手を何人も招集して周囲を戸惑わせたファルカンの最初のゲームは、見てはいたはずだが、あまり記憶にない。覚えているのは、ケガで代表を外れていた浅野が復帰して新チームの初ゴールを決め、「僕はオフト・ジャパンの初ゴールも決めているんです」とコメントしていたことくらいだ(後に「オフトの申し子」のように言われた森保一は、当初は浅野の控えだった)。
オフトの監督デビュー戦はアルゼンチンとの試合だった。チケットを持っていながら急用が入って見に行けなかった悔しさばかりが思いだされる。後でビデオで見たけれど、試合内容はほとんど頭に入っていない。ただ、ほぼフルメンバーを揃えてきたアルゼンチンに0-1というのはなかなかの健闘だったはずだ。考えてみれば、その2年前にはリネカーのいたトットナムを破っている。欧州や南米の強豪国・強豪クラブでも、物見遊山気分の相手とホームで試合をするのであれば、そこそこいい試合ができるというレベルまで、日本は来ていた。
以上、オフト以来の歴代サッカー日本代表監督の初戦を振り返ってみた(あえて記録を紐解くことをせず、記憶だけで書いているので、細部に間違いがあるかも知れない)。
こうやって並べてみると、最初の試合といえども、それぞれの監督の特徴や手腕はすでに相応に現れているように思う。後から振り返った時に、その思いはより強くなる。
初集合から4日目に行われたトリニダード・トバゴ戦が、過去の例と同様に、今後のオシム率いる日本代表の行く末を示しているのだとすれば、このチームの今後は大いに楽しみだ。2-0の勝利という結果よりも、前半に垣間見せてくれた“次から次へと選手が湧いてくる感じ”が、期待をもたせてくれる。
オシムが試合前日の記者会見で口にしたように、勝利はときに問題点を覆い隠してしまうかも知れない。だが、それは同時に、新しいことをしようとしている監督に必要な時間を稼いでもくれる。今後、ジェフ勢、さらにいずれは海外勢を加えて段階的にチームを育てていかなければならない今の彼にとっては、後者の方がより重要であるように思える。
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コメント
> その岡田に後を託す羽目になった加茂周の初戦は、12月にアラブのどこかで行われた、今は亡きインターコンチネンタルカップだった。試合は大敗だったが、試合内容そのものよりも、前任者が若返りを図って外したベテラン選手たちを大勢呼び戻しておいて、敗戦という結果とともに徐々に彼らを外しながら世代交代を仕切り直すというやり方の政治性が印象に残っている。
うわあ、懐かしい(涙)
この時は確かベストメンバーのアルゼンチンに1対5、若手主体の(といってもほぼベストメンバー)ナイジェリアに0対4位の大敗をくらった試合でした。当時「天才」と謳われていた磯貝が10番を背負って挑んだのですが良い所が全く無く、ただ例えようの無い絶望感に苛まれたものです。
昨日の試合ではサントスがMFとして使われた事が大きかったですね。
ジーコ時代と比べて代表を新鮮に感じるようになれたのが一番嬉しいことです。
投稿: hide | 2006/08/10 09:35
>hideさん
>当時「天才」と謳われていた磯貝が10番を背負って挑んだのですが良い所が全く無く、
そうか、そういう抜擢もありましたね。
>ジーコ時代と比べて代表を新鮮に感じるようになれたのが一番嬉しいことです。
それが当たり前なんですけどね。任期を通じて新鮮さをほとんど感じさせなかったジーコ時代が異常だったというほかはありません。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/08/11 02:23
難しいことはよく分かりませんが、ワールドカップの惨敗ですっかり落ち込んでいた気持ちを、オシムジャパンが再びわくわくさせてくれている気がします。田中達也とか、元気のい選手がいっぱいで「発展途上」の初々しさは、すがすがしい気がします。
再び、日本代表の試合を楽しみに観る日が増えそうです。
投稿: ペンギン君友人 | 2006/08/14 22:24
>ペンギン君友人さん
>再び、日本代表の試合を楽しみに観る日が増えそうです。
私もです。ジーコ時代は勝ち負けに関係なく試合をみていてつまらないことが多かったのですが、今の代表なら勝ち負けに関係なく充実した試合を見せてくれそうだという期待を抱いています。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/08/15 18:30
あの時は、その3ヶ月前まではファルカン前監督が岩本輝雄に与えていた〔10〕番を、加茂新監督による「およそ14ヶ月振りとなる召集」に応えたラモス瑠偉が、再び背負っていたのですよ。
そのラモスが初戦の序盤で早々と負傷し、その代わりにピッチに現れたのが礒貝(×:磯貝)でしたね。A代表マッチ初戦の彼は、確か〔18〕番を着けていました。
この『インターコンチネンタルカップ’95』は、あの「山口素弘が代表デビューを果たした大会」として、自分の記憶に刻まれています。背番号は〔15〕でした。
投稿: 12番ゲート | 2006/09/14 02:27
>12番ゲートさん
こんにちは。
>あの時は、その3ヶ月前まではファルカン前監督が岩本輝雄に与えていた〔10〕番を、加茂新監督による「およそ14ヶ月振りとなる召集」に応えたラモス瑠偉が、再び背負っていたのですよ。
確かに。あの時期にラモスが10番以外をつけている姿は想像しにくいですね。
で、その岩本は、今でもテレビや雑誌に登場する時には「元日本代表の司令塔」と紹介されます。事実には違いないけれど、ちょっと違和感がありますね。
あと、私の手許の「サッカー日本代表全軌跡1990-2003」(ベースボールマガジン社)のメンバー表では、礒貝は14番になってます。
>この『インターコンチネンタルカップ’95』は、あの「山口素弘が代表デビューを果たした大会」として、自分の記憶に刻まれています。
就任以前からの選手は別として、加茂監督が自分で選んで最初から最後まで使っていたのは、山口だけでしたね。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/09/14 10:34