地下鉄に閉じこめられるの記。
都内某区の家を出たのが午前7時40分ごろだった。最寄り駅から地下鉄に乗ったのが7時50分ごろ。3つ目の駅に着く頃に、「銀座線と南北線が運行を停止しています」と車内放送が流れた。どうしたんだろう、と思っていると、まもなく列車がゆっくりと停止した。
「信号機が消えているため、停車しました。原因を調べておりますので、しばらくお待ちください」
午前8時ちょうどだった。
頻繁に流れる車内放送は、謝罪の言葉を機械的に繰り返すばかりだったが、やがて断片的に新しい情報が加わってきた。都内広域で停電が発生し、その影響で信号機が消えたということらしい。列車そのものの電源は別系統なのだろう、幸い車内の明かりも冷房も止まることはなかった。
乗客たちは平静だった。お盆の最中だけに、ふだんの同じ時間帯よりはすいていたが、それでも座席は一杯で、立っている乗客も結構いた。停車して最初の放送が流れると、時計に目をやって、そのままじっとしている人が大半。動揺の色を見せた人は、私の視界の中にはいなかった。
私自身はいささか困っていた。平常の出勤途上なら、1時間やそこら遅れても特にどうということはないのだが、この日は羽田空港から飛行機に乗って出張しなければならない。航空会社のダイヤを確認したが、予定の便に乗り損ねると、もう出張先の約束の時刻に間に合わなくなる。1か月近くかけて準備してきた仕事が吹き飛びかねない。
そういえば家から駅に向かう途中の交差点で信号が消えていた。他の路線が止まっている、と車内放送が流れた時にも降りるチャンスはあったはずだ。何の危機意識も抱かないまま、漫然と立ち往生してしまったことを後悔した。
広域の停電が原因なら、JRなど他の路線に乗り換えてもダイヤは乱れているに違いないし、また止まってしまうかも知れない。直近の駅までたどり着き、地上に出てタクシーで空港に向かうしかない。幸い、お盆で道路はすいているはずだから、9時までに地上に出れば間に合うはずだ。
そこまでの目算を立てて、時計をみながら事態の推移を待つことにした。
車内放送では、停電があったという説明だけで、その原因までは知らされない。電力会社の不具合なのか、送電線がらみの事故なのか。折しも、総理大臣の靖国神社参拝をめぐって国内は騒然とし、近隣諸国からは反発を買おうとしている、その前日である。テロなんてことはないだろうな、という考えも頭をよぎる。
その勢いで、学生時代に読んだ山田正紀の小説を思い出した。『虚栄の都市』(後に文庫版で『三匹の「馬」』と改題)というタイトルで、正体不明の3人のテロリストが東京に潜入し、下水道などを縦横に動き回ってライフラインをズタズタに分断、都市機能は麻痺するが治安当局は手も足も出ない…という暗澹たる話。確か70年代後半に発表された作品だが、その後の情報通信網の発達と、それに対する社会の依存度の大きさは、当時とは比較にならない。受けるダメージもまた比較にならないだろうな、…などと止まった地下鉄の中で考えるのは精神衛生によろしくない。それ以上考えるのはやめにした。
30分が過ぎたが、状況に変化は起こらない。車内放送は「復旧作業をしておりますが、運行再開の見通しは立っておりません」という文言のほかには話すことがなくなっていた。
そろそろ潮時だな、と踏ん切りをつけて、私は目の前の壁にあった非常通話装置のスイッチを押した。
窓は開かないし、自分の位置から見える範囲には非常用ドアコックも見当たらない。さしあたり私にできることといえば、この装置から車掌に話しかけることくらいしかなかった。
プラスチックのカバーを押し割ってスイッチを押すと、けたたましくサイレンが鳴り、周囲の人々が驚いた表情でこちらを見る。肩身の狭い思いをしつつ、通話可能のランプが点灯するのを待った。
「どうしました?」
車内放送と同じ声が、うわずった調子でスピーカーから流れてくる。
「いや、特にどうしたということではないんですが、見通しが立たないのなら、最寄り駅まで歩いていくから、降ろしてくれませんか」
「お、お待ちください」
さらにうわずった調子で通話が切れた。
まもなく、運転席のドアが開いて運転士が姿を現した(乗り継ぎの都合で、私は先頭車両の最前部に乗っていた)。
「今の通報はどなたですか?」と問われて、「私です。次の駅まで歩くとか、列車をそこまでつけてもらうことはできないんですか」と話すと、「今、最寄り駅と連絡をとって、そういう手配をしていますので、しばらくお待ちください」と言われた。それなら結構。「わかりました」と答えて推移を待った。まもなく車内放送でも同じ内容が伝えられた。
推定50歳前後、白髪交じりで丸顔の温厚そうな運転士は、うわずりっぱなしの若い(推定)車掌に比べると、さすがに落ち着いていた。開いたドアはそのままに、その場の乗客たちにもわかるような形で、最寄り駅や運行センターとの交信を続けた。
最寄り駅から駅員が救援に来て乗客を駅まで誘導する、と話が決まったところで、運転士は運転席前部のドアを開いた。暗い線路の中に非常灯らしい明かりがぽつりと灯っている。私も含めた乗客たちは、カーブの向こうから駅員が姿を現すのを待った。
駅員がなかなか着かないので、線路から目を離し、つり革に向かってぼさっとしていると、「信号が点いたんだけど、運行できますか」と運転士がどこかに相談する声が聞こえた。駅員が到着する前に、復旧の可能性が出てきたらしい。運行センターとの話し合いがしばらく続いた末、全線の運行が再開されると決まった。
運転士は乗客にそう伝えると、「ご迷惑をおかけしました。もうしばらくお待ちください」と頭を下げて、運転席のドアを閉ざした。地下鉄の線路を歩くのは正直なところちょっと楽しみだったので、貴重な経験をしそこねて、いささか残念だった。「まもなく運転を再開します」という車内放送の車掌の声ははずんでいた。
それから5分ほどで列車はゆっくりと動き出した。最寄り駅のホームに滑り込むと、周囲の乗客の多くが携帯電話を取り出し、「停電で地下鉄に閉じこめられちゃって、30分ほど遅れます」などと話し始めた。車内で自分と運転士以外の人の話し声を耳にしたのは、それが初めてだったような気がする。
ホームに降り、改札で遅延証明書を受け取って、地上に出てタクシーを拾ったのが9時過ぎ。首都高は予想通りすいていて、予定の便には間に合った。
後で、クレーン船が高圧線に触れたことが停電の原因と知った。建設会社の一社員がうっかりしただけで、これだけの被害が出る。悪意を持っていたらどうなることやら。
以上が私が遭遇した事件(未満)の一部始終のご報告。最も印象に残ったのは、復旧を待っていた列車内の静けさだ。乗客の誰もがほとんど口を開くこともなく、動きが起こったのも、運転士がドアを開き、「駅員が誘導して最寄り駅までご案内します」と車内放送が流れた時に、若干の乗客が運転席近くに集まった程度。ほとんどの乗客は、終始何のアクションも起こさないままだった(もちろん、結果から言えば、アクションを起こす必要はなかった)。
これを「パニックを起こさない冷静な国民性」と褒め称えるべきなのか、「座して死を待つ従順な羊の群れ」と憂うべきなのか。私には判断がつかない。どちらか一方に決めつけられるほど単純なことでもないとは思う。
翌日、出張先から職場に戻り、仕事をした後、地下鉄で帰宅した。前日閉じこめられたのと同じ路線の列車に乗るという段になって、はじめて少しイヤな気分になった。恐怖心というのは、事態が終わった後からやってくるものらしい。それとも、単に私が鈍いだけなのか。
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コメント
鉄さん、お疲れ様でした。
出張お仕事に間に合ってよかったですね!
読んでいてハラハラしました。
投稿: 市松嵐 | 2006/08/17 02:10
>市松嵐さん
こんにちは。ありがとうございます。
この程度のことでも、経験して初めて気づくことは多いものだな、と思いました。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/08/17 09:16
大事に至らなくてよかったですね。
もし車両の冷房が止まっていたら、他の乗客もいらだったかもしれないので、不幸中の幸いでしたね。
私も先日映画館で停電、上映中止で払い戻しという経験をしましたが、隣に座っていた親子連れの両親が、
「全館停電だって、店のレジが止まってたら泥棒し放題だね」
などと話していました。なんという親、と思っていたら
ちゃんと子どもが「だめだよ」と注意してくれたのでよかったです。
いや、ほんとはそれじゃよくないんですが…(笑)。
投稿: 若葉 | 2006/08/17 10:00
>若葉さん
ありがとうございます。
>もし車両の冷房が止まっていたら、
そうですね。列車そのものの電源が止まって、真っ暗で蒸し暑く、車内放送もなく扉は開かない、となれば、状況はまったく違っていたことでしょう。どうやったら扉を開けられるかくらいは把握しておいた方がよさそうだな。
ちなみに、まったく明かりのない暗闇の中だと、携帯電話は懐中電灯代わりに重宝します。
>「全館停電だって、店のレジが止まってたら泥棒し放題だね」
95年の阪神大震災において、目立った暴動も略奪も起きなかったことは称賛されました。しかし、(以前、このblogにも書いたことがありますが)その後の10年あまりで日本人のモラルや常識は液状化現象を起こし、足元がグズグズになってしまっているような気もしており、95年の行動が今後も再現されるかどうか懸念を抱いています。
とはいうものの、「周囲の人々に何をされるかわからない」という恐怖心が、実は人をパニックと暴力に追い込む引き金になることが多いので、あまり危機感をあおるようなことを書くのも考えものなのですが(読んだ人への悪影響という以前に、自分自身の恐怖心が肥大してしまいますから(笑))。
ま、映画館の親子は、単なる冗談だと思いますが(笑)。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/08/17 10:38
こんにちは。
大変な目に遭いましたね、ご無事で何よりです。
自分は実はあの鉄塔の近くに住んでいるのでニュースを見てビックリしました。あの時は帰省帰りで当日早朝に帰ってきたものですから、就寝していて全く気づきませんでした(汗)。
車内の冷静さは国民性と考えたいですね。ただ何が原因かといった情報を皆に伝えた事が冷静さを生んだのでしょうが。
>恐怖心というのは、事態が終わった後からやってくるものらしい。それとも、単に私が鈍いだけなのか。
自分は阪神大震災の被災者だったので、未だに余震が起こると身震いしてしまいます。恐怖心は後から来るんですよ、それも増幅して。
投稿: hide | 2006/08/19 17:21
>hideさん
ありがとうございます。
>自分は阪神大震災の被災者だったので、未だに余震が起こると身震いしてしまいます。
それは大変でしたね。
私は当時は週刊誌で働いていて、発生翌日から現地を取材して歩きましたが、被災地の人々も私自身も、後から考えればずいぶん危険な場所を平気で歩いていたものだと思います。渦中にあって他に選択肢のない時には、そういうものなのかも知れません。
当時の阪神間で見聞きしたことは、おそらく自分の人生観にも職業観にも大きく影響しています。被災者でない人間が取材と称して現地をうろつくことについても、ずいぶんと考えずにはいられませんでした。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/08/20 12:23
東京の人って、僕も含めてですが、公共の場で赤の他人に話しかける能力、が欠如していると思います。というか、話しかけると変な目で見られかねない雰囲気がある、というか。
都市に人が寄り集まって住むもっとも原始的な楽しみでもある、「会話」、がおろそかになっていますよね。
個が砂のようにばらばらに重層的に住んでいる街ですよねいまは。
でも内心、考えていることは皆同じ。
何か重大な危機が起きればつながりあえるのでは、と思います。いや、そう信じたい…。
でなければ、中越地震の時、あんなに都会から人も物資も来なかった…。と思います
問題は東京が現場になったとき、地下鉄で、街中で、他人同士のコミュニティ、がすぐ機能するかどうか、ですが
投稿: ペンギン | 2006/08/25 04:24
車内の非常連絡ブザーが押されて運転士か車掌は、指令センターと連絡をとったと思います。
指令センターは列車の運転再開準備に大忙しだったと思います。
「いや、特にどうしたということではないんですが、見通しが立たないのなら、最寄り駅まで歩いていくから、降ろしてくれませんか」
こんな質問によって運転再開が5秒は遅れたことでしょう。
投稿: | 2006/10/01 22:08
>2006/10/01 22:08:16の名無しさん
>こんな質問によって運転再開が5秒は遅れたことでしょう。
で、それが何か?
ついでに言うと、私の発言は「質問」ではなく「要望」です。その区別もつかない程度のコミュニケーション能力で、閉じこめられた乗客と対話をしたら、相手を逆上させる可能性がありますので注意された方がよろしいかと。あなたが地下鉄関係者であればの話ですが。
>ペンギンさん
8/25ですか。やたらにコメントの多い時期だったもので見落としてました。失礼。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/10/02 11:19
あはは釣れた釣れた 会社でも大変そうにしているけど、
発言には気をつけましょうね(はぁと)
投稿: | 2006/10/08 00:51