『モハメド・アリ かけがえのない日々』レオン・ギャスト監督<旧作再訪>
97年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞受賞作品。私が見たのは翌98年の初めだった。モハメド・アリが当時の世界ヘビー級王者ジョージ・フォアマンとザイールの首都キンシャサで戦った1974年の試合、“キンシャサの奇蹟”と呼ばれるそれを記録した作品だというだけの予備知識しかなかった。さほどボクシングに興味のない私がなぜこの映画を見ようと思ったかといえば、単に「WHEN WE WERE KINGS」という原題に参ってしまったからだったと思う。それは、その2か月ほど前にジョホールバルでNHKの山本浩アナウンサーの口から出た「この日本代表は『彼ら』ではありません。私たちそのものです」という言葉に、よく似ていた。
この映画は当初、音楽映画になるはずだったという。キンシャサでは試合に合わせてジェームズ・ブラウンやB.B.キングらアメリカとアフリカの黒人音楽家を大集結させ、“黒いウッドストック”と呼ばれた3日間のフェスティバルが開かれた。その記録映画になるはずだったが、フォアマンの怪我で試合が6週間延期されたのがきっかけで、監督たちはアリとフォアマンを撮影することができるようになった。そして実に編集に20年の歳月をかけて、ようやく映画が完成したのだという。それだけに、映画はリングの中のことだけでなく、当時のアメリカ黒人の状況や空気を音楽とともに再現している。それがまた、アリという素材にはよく似合う。
この作品にはナレーションがない。厳密にいうと皆無ではない。作家ノーマン・メイラー、ジョージ・プリンプトン、映画監督スパイク・リーら数人のインタビューが挿入され、その一部が時折ナレーション代わりに用いられる。それがまた味わい深い。
こういうのを見ていると、アメリカ人というのは、語ることにおいては世界一巧みな人々だと思う。喋ることを特に職業としていない人物でさえ、映像の中で喋る時には実に饒舌だ。
だが、誰よりも饒舌なのはアリその人だ。
私はアリの全盛期のボクシングや喋りを直接見たことがなかったので、この映画の中のアリには度肝を抜かれた。
これまで、さまざまな創作物の中で「自信家」「ほら吹き」「吠える王者」を見てきたが、どれひとつをとっても実在のアリに及ばない。漫画の中のチャンピオンよりも目の前で喚き散らすアリの方が遥かにテンションが高い。これ以上の振る舞いを小説や映画や漫画に描いても、滑稽にしか映らないことだろう(アリの振舞いだって滑稽なのだ。だが、彼の圧倒的な実力と実績が、そう思う気持ちをねじ伏せている)。
徴兵拒否によってタイトルを剥奪され、3年5か月の間リングから遠ざかっていたアリ。その間にチャンピオンベルトを手にしたフォアマン。32歳の老いたアリが、25歳の若いチャンピオンに挑む。下馬評は圧倒的にフォアマン優位。そんな状況の中でも、アリは圧倒的な自信を誇示し続ける。自分自身を鼓舞するためなのか、それ以上の何かが彼のエネルギーになっているのか。
フォアマンはボクシングのチャンピオンだが、アリはそれ以上の何者かなのである。そのことを存分に思い知らされる。
映画の最後で、ジョージ・プリンプトンが、アリがハーバードの卒業式のスピーチの中で、求められて即興で作った「世界一短い詩」を紹介している。
「Me,We(俺は、俺たちだ)」
この詩が、つまりは「WHEN WE WERE KINGS」というタイトルにつながっているのだろう。映画の中の圧巻は、キンシャサの大観衆が口々に叫ぶ「アリ、ボマイエ(アリ、ぶっ殺せ)」という大合唱。
あの時、俺達はアリだった。そういうことだ。
“キンシャサの奇蹟”から32年後、極東の島国に「大言壮語する傲岸なチャンピオン」が生まれた。
彼はアリのように圧倒的な強さを秘めているのだろうか。アリのように「我々」になることができるのだろうか。「興毅は俺だ」と熱い思いをたぎらせている人々が、この国のどこかにいるのだろうか。
そうでないのなら、彼の振る舞いは馬鹿馬鹿しいパロディに過ぎない。すべては彼自身の拳によって決まることだ。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
ボクシングの事はよく知らないのですが、中学2年の時の「キンシャサ」は忘れられません。その数ヶ月前にザイールがワールドカップ初出場していた事を含めて。
カシアス・クレイが(まだモハメッド・アリと言う名前には馴染みきっていなかった)フォアマンの猛攻を、ひたすら腕で食い止めて、突然の逆襲。ノックアウトした1ラウンドだけ、クレイが猛攻をしかけました。そしてKO。
当時はイタリアが弱かった事もあって、それをサッカーに結びつける程の知恵は無かったのですけれども。
余談ですが、その直後に、教室で生中継をTVで見ていたのを見つかって先生に殴られました(冷静に考えると、何ゆえ殴られたのか理屈はわかりませんが、とにかく教室のTVを許可無く見る事は禁止されていたのです)。教師が馬鹿な生徒を殴る事が許容されていた事も、よい時代だったと思います。
で、言いたいのは「パロディにすらなっていない」と言う事なのですが。
投稿: | 2006/08/04 23:45
↑、すみません。名前を書き忘れました。
投稿: 武藤 | 2006/08/04 23:46
>武藤さま
>で、言いたいのは「パロディにすらなっていない」と言う事なのですが。
「彼の振る舞いは馬鹿馬鹿しいパロディに過ぎない。」というのは、ちょっと優しい言い方でしたか(笑)。ガンつけるのはともかく、駄洒落のセンスがひどすぎるのが難点ですね。
私の小学校では、放課後に教員と子供が一緒に教室のテレビで日本シリーズを見てました。牧歌的で良かったと思いますが、今なら問題視されてしまうのでしょうか(笑)。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/08/05 09:38
こんにちは。
僕もアリのドキュメントは見ました。勿論当時の彼を生で一度も見たことなかったので、あまりの狂気じみた彼を見て本当びっくりしたものです。
1良ボクサーだったフォアマンが大プロデューサーでもあるアリの戦略にまんまと陥り、砕け散った様はドラマ以上に異様な光景でしたね。
亀田氏の場合は、この敗戦で彼自身に対するバッシングというよりその彼が今いる背景に向けられつつある所がアリとの決定的な違いなのでしょう。
己自身の拳で積み上げてきたかどうか、の違いなのかも知れません。
投稿: hide | 2006/08/05 10:24
キンシャサでアリに敗れたフォアマンは、その後しばし荒んだ生活を送り、ある試合での敗戦後の控え室で神と出会い、信仰の道を歩み出したとか。20年後、戦う宣教師として45才にしてヘビー級王座に返り咲いたのは記憶に新しいところです。
亀田選手もいっそ負けていた方が良かったのかもしれません。彼の前に神は降りてこないとしても。何か大きい力によってレールが敷かれ、「負けて成長する」と言う機会が予め奪われている少年が少し哀れにも思えます。ああいう態度なので同情はしませんが。
私も小学校の頃、放課後の教室で教師と日本シリーズ中継を観ていました。クラスの皆と大騒ぎしながら観た1976年の巨人対阪急は忘れ難いです。牧歌的な時代だったと言うこともありますが、「日本シリーズだもん、特別だよね」という雰囲気でした。中学、高校の頃はラジオの中継を授業中にイヤホンで聴いていても、「まあ日本シリーズだからな」と教師も見て見ぬふりをしてくれていました。
それほどまでに国民の関心事であった日本シリーズなのに、なんだって平日の真っ昼間にやっていたんでしょう。今思うとかなり不思議です。
投稿: えぞてん | 2006/08/05 22:07
>hideさん
>あまりの狂気じみた彼を見て本当びっくりしたものです。
四半世紀後に映画で見てさえ、ショッキングでしたね。もう誰が何をやってもアリには敵わない、という気がします。
>己自身の拳で積み上げてきたかどうか、の違いなのかも知れません。
亀田の試合はこのタイトルマッチを初めて見たのですが、入場の際にくぐる派手な門を見て呆れました。総合格闘技の興行のように、両者に用意されているのなら納得もできますが…。
>えぞてんさん
>20年後、戦う宣教師として45才にしてヘビー級王座に返り咲いたのは記憶に新しいところです。
そう、フォアマンも後に「ボクシングのチャンピオン以上の何者か」になったわけですね。
>それほどまでに国民の関心事であった日本シリーズなのに、なんだって平日の真っ昼間にやっていたんでしょう。今思うとかなり不思議です。
10月下旬のナイターは寒いですから、試合をする側にとってはデーゲームの方が望ましいと思います。当時は平日の昼間でも観客は入ったしテレビも視聴率が取れていたから、何も問題はなかったのでしょう。
日本シリーズがナイトゲームに変わったのは90年代半ばのことですが(最初は平日のみでした)、きっかけになったのはテレビ視聴率の低迷だったと記憶しています。私は今でも、土日くらいはデーゲームにすればいいと思っています。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/08/06 07:52
「キンシャサの奇蹟」懐かしく思い出されました。その言動、そして、ヘビー級でありながら「蝶のように舞う」あの軽やかなフットワーク……まさに、アリは、強烈な記憶を残し去っていった不世出の天才でした。
当時、「アリ体験」をしたものの立場としてちょっと偉そうに言わせていただければ(笑)、「キンシャサの奇蹟」の複線としてアリ‐フレージャー戦、そして、フレージャー‐フォアマン戦があったことを見逃すことはできません。全勝のチャンピオンとしてリングを去り、カムバック後も破竹の勢いでランキングを駆け上がってきたクレイ(アリ)と、やはり全勝の無敵のチャンピオン、フレージャー。試合当日は、どっちが勝つだろうか、ハラハラドキドキ……格闘技好きだった私は、試合結果を気に掛けながら、入学する中学の物品購入に出かけて行ったのを思い出します。結果、試合はフレージャーの完勝……。かなりがっくりきました(この一戦のころから徐々にアリという名前がクレイに変わって浸透していったように記憶しています)。
そのフレージャーが、赤子の手をひねられるように一方的に殴られKOされた時、私の中では、フォアマンこそが真の無敵のチャンピオン、真のヒーローとなるとともに、アリは完全に堕ちた偶像と化しました。
そんな中で行われたアリ‐フォアマン戦。試合を前にアリが何を言っても単なるホラにしか聞こえませんでした。
こういった背景があったからこそ、キンシャサの奇蹟は、なおさら奇蹟であり、衝撃と成り得たのだと思います。
亀田については、あまりコメントをする気にもなりませんが、周りの思惑に惑わせられることなく、自らの判断や決断で自分の生きる道を見出していって欲しいと感じています。
投稿: 考える木 | 2006/08/06 11:19
>考える木さん
このエントリにこんなにコメントが付くとは意外でした(笑)。しかし、アリをリアルタイムでご覧になっていたとは羨ましい。
スポーツを見物する立場において「同時代体験」というのは絶対的な重みを持ちます。こればっかりは後から生まれた者(あるいは、後から関心を抱いた者)にはどうにもなりませんね。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/08/07 10:43
黒人差別が激しかったあの時代、アリへのバッシングはそうとうなものだったのでしょうね。
徴兵拒否で試合ができなくなったり、銃を家に打ち込まれたって聞いたこともあるし。
それを乗り越えて、今は20世紀最高のスポーツマンと言われている。21世紀でも彼のような人は生まれないのでは。。。
以前、テレビでアリの特集をやっていたのですが、ある人が移動中のアリを見たそうなのですが、パーキンソン病による手の振るえをヘッドフォンでリズムをとっているように見せていたと言ってました。
病気をプラスに変えてしまう力って、本当にすごいと思います。
また、その番組の最後にアリが作った世界で一番短い詩が紹介されてました。
その詩とは、
「Me,We」
私、私たちという意味で、アリはみんなが良くなれば自分も良くなるという言葉らしい。
短い言葉だけど深いなと思いました。普通の人の意識だと「Me,You」ですもんね。
アリは偉大だけど、身近な存在でもあり、私たちが参考にしなければならないことを沢山教えてもらっている存在でもあるのでは。
投稿: | 2008/11/15 00:31
>2008/11/15 00:31の名無しさん
アリの病気に関しては、1996年アトランタ五輪で、わなわなと震える手で聖火を点灯した姿が印象に残っています。あの状態であそこに現れたこと自体に凄みを感じました。
投稿: 念仏の鉄 | 2008/11/15 19:10