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清水諭『甲子園野球のアルケオロジー』新評論<旧刊再訪>

 下の2つのエントリは、甲子園大会をあくまでスポーツの大会と見做して論じている。高校野球は、大学や社会人を経て、あるいは直接、プロ野球へと進んでいく選手の育成段階のひとつと捉えている。
 ただし、そんなものは関係なくて、高校野球、とりわけ甲子園大会はそれ自体が自己完結した独自の価値を持つ催しなのだ、という考え方もあるのだろう(というより、意識しているかどうかは別として、そういう考え方が支配的だからこそ、大会日程が選手生命にリスクをおわせていることに対して多くの人が鈍感なのだろう)。

 では、どうして甲子園大会はそのような独自の存在になっているのだろうか。
 それを考えようとする時に、本書はさまざまな面で参考になる。

 刊行されたのは1998年6月で、著者は身体文化論、スポーツ社会学を専門とする研究者だ(筑波大で教えているらしい)。
 著者がそれまでに発表した論文や文章をまとめたもののようで、さまざまな観点から甲子園大会を論じている。
(ちなみに「アルケオロジー」はフランス語で考古学のことだそうです)

 第一章「テレビの中の甲子園野球」では、1986年の準決勝(松山商業-浦和学院)、決勝(松山商業-天理)のNHKのテレビ中継を分析している。たとえば応援する人々の映像が全体の6.4%(準決勝)、5.9%(決勝)を占めており、これらが「甲子園野球を『物語』として成り立たせる非常に大きな要素」だと著者は書く。
 また、著者はこの2試合のアナウンサーと解説者の談話を引きながら、そこで強調される物語の内容を示していくのだが、恐るべきことに、決勝戦では、天理・本橋、松山商業・藤岡の両エースがともに肘の痛みを訴えていた。それに対するアナと解説者の談話は、次のようなものだ。

アナ「エースの意地として、今日はどうしても投げると言っておりました本橋」
アナ「両投手とも肘の痛みと戦いながらのピッチングです。再三のピンチはありますが、両投手とも実によくこらえて投げてますね」
解「よく投げていますねー。ま、ピッチャーの場合、肘が痛いというのは本当につらいねすけれども、表情を見るかぎりではですね、そういうのは全然出さずにね、よく投げてますね」

 これらの談話を引きつつ、「実際、のちに大学入学後、投手として投げられなくなってしまった本橋選手の人生のほんの一瞬をこの『物語』で美化し、『神話』化してしまうのである」と著者は書いている。
 つい数日前のテレビ中継でのアナウンサーと解説者の会話は、ここに記された20年前の中継と、どれほどの違いがあっただろうか。斎藤も田中も、故障を明示するような仕草こそ見せはしなかったけれども。

 第二章「甲子園野球と池田町の人々」は、本書の白眉といってもいい。徳島県の池田高校が甲子園の上位の常連として活躍していた80年代に、地元池田町の人々がどのように池田高校と甲子園大会を捉えていたかをフィールドワークによって紹介している。調査が行われたのは池田高が甲子園に出場した88年夏だ。
 「こんな山の中の田舎やし、楽しみいうたら野球しかないけん」「一家で一万円くらい出しとるから、そりゃすごいで。でも、テレビでそれだけ楽しませてくれる」と学校に寄付金を差し出す人々。
 「大学に入って、自己紹介で徳島県立池田高校なんて言うだけですごいは、そりゃ。野球部のやつなんかでも、三年間練習終わったあと、窓締めの仕事し続けても、池田の野球部って言うだけでいいから絶対やめへんで」と話す池田高出身者。
 万歳三唱に送られて、駅から列車で甲子園に出発する選手たち。
 それらを紹介しながら、著者は書く。
「壮行会、パレード、祝賀会、甲子園詣で、さらに寄付金といった行為は、日本が抱えもってきた祭礼や運動会、そしてある意味で選挙などさまざまな伝統的『祝祭』の要素が甲子園野球というイベントを通じて表出したと言ってよい。そして、これにより池田町民は、自分と池田町との結びつき、自分とは何者かということを確認しているのである」
 お盆に帰省した地元で甲子園を見る、という時期的な要素も、そのような傾向に拍車をかける。
(本書では触れられていないが、開催期間中には8月15日の終戦記念日もある。お盆、祭り、終戦と慰霊、そして郷土代表。実にさまざまな民俗学的要素を、この大会は抱え込んでしまったものだと思う)
 この章が書かれた後、池田高校は92年を最後に甲子園から遠ざかり、現在では池田町そのものも町村合併で三好市となった。池田の人々の郷土愛やプライドの受け皿は、今はどうなっているのだろう。

 ここまではどちらかといえば社会学的考察だったが、第三章以降は本格的にアルケオロジー(考古学)になっていく。
 第三章「一高時代以前から一高時代の野球」
 第四章「青年らしさの『物語』の起源」
 第五章「全国中等学校優勝野球大会開催に向けての『物語』の形式とその後」


…と、この先が肝心なところなのだが、今夜は時間切れ。尻切れトンボですみません。出張で2,3日留守にしますので、続きは改めて。

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コメント

清水諭は大学時代のゼミの担当教授でした。
ヒトがいいおっさんで酒が好きです。
この本も穴が開くほど読みました。
人々は無意識のうちに甲子園が物語化されているのを
知らないでしょう。
無意識のうちに我々の中に入り込んでいる。
もしかしたらそれは物凄く怖いことなのかも
しれませんね。
本を読んだヒトがいたとして読み終えた後、
もしかしたら読まなかった方が良かったと
思うヒトがいても不思議ではありません。

突然、お邪魔しました。

投稿: 教え子 | 2006/08/23 13:31

鉄さんのお留守ちゅうに失礼します。
『甲子園野球のアルケオロジー』の指摘は正しいと思いますが、甲子園大会の超「生真面目さ」を考えると「祝祭」よりも「鎮魂儀礼」の要素が強いと私は考えています。

・非合理で苦痛を強いる大会日程。しばしば「選手生命」が「犠牲」になる
・女子マネージャーをベンチ入りさせることになぜか強い抵抗があった
・選手は坊主刈りにすべきだという意識が強かった
・同じ学校の(野球部員でない)生徒が不祥事を起こすと出場辞退しないといけなかった
・犠牲バントをはじめとする「犠牲的精神」が過剰に称揚される傾向が顕著
・そしてなにより、あまりにも過大な栄誉と注目度!

これらの「ただのスポーツ大会ではあり得ない」要素は、甲子園大会を「国民的鎮魂儀礼」と考えることによってのみ説明可能だと思います。

おそらく、惨憺たる敗戦を迎えた後、生き残った日本人には「戦争で亡くなった死者を鎮魂しなければならない」という強い衝動が生じたと思われます。日本人は伝統的に「怨みを呑んで死んだ」死者は、怨霊となってこの世に祟りすると信じてきましたから、戦争で「理不尽な死」を死んだ数百万人の霊は、ぜったいに慰められなければならない…。しかし、国家神道の装置であった靖国神社などは国家との関わりゆえに使いにくかった。日本人の集合無意識は、それに代わる鎮魂儀礼を切実に欲したと思われます。そのときに、鎮魂の月=8月に開催される全国高校野球大会があった! 甲子園大会が国民の鎮魂儀礼として無意識に選択されたということは、十分にあり得ることです。

 一種の宗教的行為である「鎮魂儀礼」として見れば、選手たちに過剰な精神性が要求されることが納得できます。相撲がもともと神に「奉納」するものであったように、スポーツ自体が宗教と根元ではつながっているのですから、「野球を通じて鎮魂する」ということには何の不自然さもありませんでした。荒ぶる御霊よ安らかなれ、とけがれなき若者たちが全身全霊を込めて野球をする。その若者のひたむきさ・純粋さによって、怨霊は慰められ、子孫を守護する霊へと転化する。それゆえ、戦後日本は復興し繁栄することができた…。もちろんこういう思惟は不合理ですが、多くの日本人が無意識の情動の中で高校球児たちのこのような「かけがえのない霊的役割」を是認していたからこそ、あれだけの栄誉が違和感なく与えられるのだと思われます。

投稿: 馬場 | 2006/08/23 19:06

はじめまして。
ライブドアのHPからこちらのブログにたどり着きました。

今日のブログを読んで高校野球って「滅私奉公」の世界なんだと改めてそう思いました。だから、「美談」になってしまうのだろうし、何の疑問もなく“感動をありがとう”なんて言えるのかもしれません。それに、肩を壊す危険を冒しながら投げる高校生を見て喜ぶなんて、ある種のサディズムに近い感情のような気さえします。

斉藤投手と田中投手。確かに2人とも素晴らしい活躍でした。私も素直にスゴイと思いました。でも、あの連投は酷いですよ。とにかく、あの連投が原因で潰れたなんてことだけはならないで欲しいものです。

でも、滅私奉公は何も高校野球だけではなくて、この日本社会のいたる所に様々な形で根強く存在しているのかも。
だとしたら、これは相当手強い相手ですよ。

投稿: ケン | 2006/08/24 03:05

私の弟は15年ほど前に長野県松本市の松商学園の生徒でした。
同校は県内屈指の甲子園常連校として知られています。
当時の話ですが、出場が決まるとレギュラーの親はバス会社に個別で予約をします。補欠でも最低1台。4番で主将だと5~6台。仮に「山田太郎」という選手だと「必勝山田1号」「必勝山田2号」などの看板がつきます。貸切バス代はすべてその親の負担になります。親戚や近所はもちろん、父親が自営業だと取引先や下請けの従業員まで乗っていきます。行き帰りの弁当お茶や缶ビールも親の負担です。在校生は学校が用意するバスに乗りますので大人がほとんどです。餞別を持ってくる方もいますがそれでは到底賄い切れないので数百万の持ち出しです。しかし、父兄らは負担とは感じない。誇らしさがそれを打ち消してしまう。異常と言えばそれまでですが、地域社会を巻き込んだ壮大なお祭りです。
現在もそれは変わりません。

投稿: italo design | 2006/08/24 17:45

>教え子さん
こんにちは。それはそれは奇遇ですね(でもないか(笑))。
ホームページなど拝見すると清水氏は最近はサッカーの方に重心を移しておられるようで、それはそれで興味深いのですが、甲子園ももう少ししつこく追いかけていただければ嬉しいです。

>馬場さん
傾聴に値するご意見ではありますが、甲子園は第二次大戦の前からそういう大会だったということも見過ごせないように思います。
むしろ、どちらも根は共通しており、だからこそ戦後の鎮魂と甲子園がたやすく結びついてしまったのではないかな、という印象を私は持っています。

>ケンさん
こんにちは。

>でも、滅私奉公は何も高校野球だけではなくて、この日本社会のいたる所に様々な形で根強く存在しているのかも。
>だとしたら、これは相当手強い相手ですよ。

おっしゃる通りだと思います。
そういうものへの反感から戦後は個人主義が強調されたのでしょうし、それもまた方向を誤っておかしなことになっている。サッカー日本代表の例を引くまでもなく、「個」と「組織」は本来、対立するようなものではないと思うのですが。

>italo designさん
はじめまして。
貴重な情報をありがとうございます。凄いものですね。こうなるとひとつの産業という気もしてきます。ただただ溜め息をつくばかりです。
もし出場校の大半でこんなことが行われているのだとしたら、なるほど休養日を設けるのも容易でないだろうと思います(だから仕方ない、とは言いませんが)。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/08/25 11:40

はじめまして たのしく拝見しております 記憶が定かではないのですが18年ぐらい前に大橋巨泉のこんなものいらないという番組で高校野球がとりあげられ議論されたのを覚えています その中でアメリカの高校生は秋から冬はバスケットやアメリカンフットボールに専念して野球を一切やらないそうです なんでも 野球のドラフトとバスケットやアメリカンフットボールのドラフトに掛かる選手は珍しくないそうです 日本も野球とサッカーの二足のわらじを履くような選手が出てきてほしいです

投稿: kon | 2006/08/26 12:36

>konさん
こんにちは。

>アメリカの高校生は秋から冬はバスケットやアメリカンフットボールに専念して野球を一切やらないそうです

この手の議論では昔からよく引きあいに出されて来た話題ですが、そういえば最近はあまり聞きませんね。アメリカ在住のスポーツライターもずいぶん増えてきたのに、伝わってくる情報は結構偏っているのかも知れません。

アメリカでは、野球とアメリカンフットボールの両方でプロとして活躍した選手も過去に何人かいます。
日本では少年時代からどちらかの部に所属して、それで将来が決まってしまう。もう少し柔軟性があってもよさそうですね。

高校のアメフトの試合は町を挙げてのお祭り騒ぎになるそうです(『タイタンズを忘れない』という映画で描写されていました)が、週1回のリーグ戦ですから、過労が問題になることはあまりなさそうです。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/08/26 14:02

戦前の甲子園大会(当時は中等学校野球大会)に関する「証言」を見つけましたのでご参考までに。虫明亜呂無氏の「忘れじの「巨-神戦」名場面あれこれ」(福武文庫「スタメンはおれだ」山際淳司選 p251)

・・・
もともと、阪神地帯は四国、九州からの出稼ぎ人の集まるところである。それより以前、昭和の初めから甲子園の中等野球が阪神地帯を中心に盛んになっていったのは、四国、九州、山陽の出身者が(彼らの多くは商店の丁稚や中小工場の工員である)たまたま八月のお盆の休みに、甲子園球場に来て、故郷の学校の活躍を見て、激しい声援を送ったからである。自分と小学校で同窓だったものが、あるいは隣村のだけそれが野球の選手として甲子園に来ているという親近感が甲子園の野球を支えたのである。甲子園の野球は、望郷と流浪の野球にほかならなかった。
・・・(引用終わり)

戦前から甲子園大会は望郷の念とルサンチマンの焦点となる「祝祭」であったのですね。戦前において甲子園大会はすでに物語化されていた。しかし、戦後爆発的に甲子園大会の「聖化」が進んだ背景には、やはり「鎮魂」という要素がありそうです。

なお、ついでですが、戦後の甲子園大会の歴史の中で、第40回(1958)と第45回(1963)は、記念大会で参加校が多かったので西宮球場と分散開催しています。しかし、第50回記念大会(1968)からは甲子園のみでの開催になり、過密日程への道筋がついてしまいました。1968年という年は、民放48社のカラー化が完了した年であり、テレビというメディアの勃興と関連づけて考える必要もありそうです。

日本人の情動を揺すぶってやまない甲子園大会は、メディアにとっては異を立てることを許されないキラー・コンテンツであると同時に、メディアによって「物語化」「聖化」がさらに進められるという相互関係が生じていると思われます。そのような「甲子園エスカレーション」は、大衆情報社会の日本的な現れではなかったかと。

ちょっとまとめますと、
・戦前期 西日本を中心とする「出稼ぎ人」による望郷の祝祭
・戦後すぐ 戦争犠牲者への「鎮魂儀礼」としての要素が加わり、「聖化」が加速
・高度成長期 大衆情報社会到来、マスコミによる「自己言及的エスカレーション」始まる。大会の「聖化」「物語化」いよいよ加速する。

書きながら気がついたのですが、戦後すぐの甲子園大会というのは、敗戦によって傷ついた「国民統合」の復活の象徴でもあったと思われます。「都道府県代表」が集められた第40回(1958)記念大会に沖縄代表が呼ばれているのが、実にそのあたりの事情を象徴していると思われます。

投稿: 馬場 | 2006/08/27 23:41

>馬場さん
詳しくありがとうございます。
昔の労働者はお盆に帰省もできずに甲子園に集まっていたのですね。今は帰省先の故郷で家族とテレビで甲子園大会を見る、という感じでしょうか。
ようやく続きを書きましたので、そちらのエントリもご覧ください。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/08/29 12:19

はじめまして。
こちらのサイトでこの本を知り、購入して読んでおります。
また、わたしのブログでこのエントリーなどの引用もさせていただきました。
とても興味深い本をご紹介してくださって感謝しております。
ありがとうございました。

投稿: YOSHI | 2008/09/10 22:11

>YOSHIさん
そうですか、それは嬉しい。
しかし、まだ新刊で手に入るんですね、この本は。学術系の版元は息が長くてありがたいです。
すぐ絶版になってしまうようだと、ネット書店の“ロングテール”も絵に描いた餅ですからね。

投稿: 念仏の鉄 | 2008/09/11 11:18

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