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25年ぶりにして初。

 25年前というと1981年。史上初めて全試合が同一の球場で行われた日本シリーズの第1戦を、今は亡き後楽園球場に見に行った。
ジャイアンツの先発・江川はずるずると失点を重ねたものの、打線は日本ハムの絶対的リリーフエースだった江夏を打ち込んで追いつき、再び勝ち越された後も代打・松原の本塁打で追いついた。最後は代打・井上のサヨナラ安打で敗れたが、すでに伝説の人だった江夏を打ったことで「これなら日本一になれるんじゃないか」と思いながら帰路についたのを覚えている。
 結果的にはジャイアンツが4勝2敗でシリーズを制することになる第6戦のチケットも持っていたのだが、雨で延びた日程が、事もあろうにその間に亡くなった母方の祖母の葬儀とぶつかってしまった。泣く泣く友人にチケットを譲り、火葬場の待ち時間に表をぶらぶらしていたら、止まっていたトラックの運転席のラジオが、江川が最後の打者を打ち取ってピッチャーフライをつかみ、試合が終わったことを興奮気味に伝えていた。

 ま、江川や葬式の話はどうでもいいのだが、当時の高校生が40過ぎの中年男になるのが25年という歳月だ。
 日本ハムファイターズのリーグ優勝は、その時以来ということになる。しかし、テレビ中継でアナウンサーが「25年ぶり!」と繰り返しても、私にはピンと来ない。「日本ハムファイターズ25年ぶりの優勝」であるのは確かだが、同時にこれは「北海道日本ハムファイターズ3年目の初優勝」である。どちらが重いかといえば、なかなか難しそうだ。

 私は特にファイターズファンというわけではないのだが、球場で試合を見た回数はもしかするとファイターズがもっとも多いかも知れない。理由は簡単で、いつでも入れたからだ。
 ダイエーにケビン・ミッチェルが入団したと聞いた時。今夜の試合で3安打すればイチローの打率が4割に乗るとスポーツ紙に書いてあった時。古くは木田勇が20勝に王手をかけた時。
 要するに、パ・リーグで何か見たいものがあれば、私はいつも東京ドームに足を運んだ(木田の時はまだ後楽園だったが)。『エスキモーに氷を売る』を地で行くような観客だったわけだ(結果から言うと、木田は負けたしイチローは4タコだった。ミッチェルは帰国する前に見ることができた)。

 とはいうものの、そうやって何度も見ていれば、それなりに情も移る。
 菅野、高代、古屋とずんぐりむっくりした選手ばかりの内野陣(外野には島田誠もいた)、石垣のようだったソレイタ、順番を間違っているようなのに何故かハマっていた広瀬-白井の一二番コンビ、ライト前に糸を引く打球とフォームが誰よりも美しかった片岡。遂に花開くことなく終わった中島輝士。大島康徳が2000本安打を打ったのも日本ハムでのことだった。

 しかし、何よりも「東京ドームのファイターズ戦」で印象深いのは、5回裏終了後のグラウンド整備の際に見られる『YMCA』だった。
 ヤンキースタジアムのパフォーマンスからアイデアを得て始められたそれは、しかし陽気なヤンキーたちの盛り上がりとはいささか異質で、音楽のサビの部分になると、トンボを逆さにもって動かしながら、おぼつかないサイドステップを踏むグラウンドキーパーたちのゆらゆらした姿が、何ともいえないのどかな空気をドームの中に醸し出していた。あの、まったりした空気の中で、のんびりと眺める野球が、私は好きだった(もちろん選手たちは真剣だったろうし、必死で応援するファンもいたのだが)。

 だから、ぎっしりと埋め尽くされ、声援で相手チームを圧倒する札幌ドームのスタンドをテレビ画面を通して見ると、このファイターズとあのファイターズが同一のものだと言われてもピンと来ない。どんなにファイターズが激しく優勝を争っていた時期でも、東京ドームはあんなふうになってはいなかった。だから、札幌市民とファイターズの相思相愛ぶりは、嬉しくもあるし、寂しくもある。東京時代に熱心なファンだった人なら、私なんぞよりもはるかに複雑な気持ちを持て余しているのだろうと思う。

 日本シリーズの相手は、奇しくも球団OBが率いるチームとなった。
 記録をめくると、97年、落合がジャイアンツから日本ハムに移籍したのと時を同じくして、小笠原が入団している。2年間、控え捕手兼代打として力を蓄えた小笠原は、落合が引退していなくなった3年目に一塁のレギュラーポジションを獲得し、一気に売り出した。かの大打者の背中を見ながら、学ぶところも多かったのではないかと思う。

 そんな因縁めいた話を別にすれば、とにかく外野守備のやたらにいいチームどうしの対決になった。福留、アレックス、英智vs森本、SHINJO、稲葉。どちらも広いドーム球場、特に札幌は天井も黒っぽいから高い飛球は映える。今回ばかりは、最高の席は外野スタンドかも知れない。
(札幌ドームのネット裏はホームベースからやたらに遠いので、あまり特等席という気がしないし)

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コメント

またも外したコメントごめんなさい。

あの工藤の「怪我した振り」についても言及してあれば、嬉しかったのですが。
ジョホールバル前夜、アジジの「怪我した振り」を、岡田氏が見破ったのは、大沢親分のおかげってのは、どうでしょうか。

投稿: 武藤 | 2006/10/13 00:34

>武藤さま

ひょろっとしたサイドスローの工藤幹夫ですね。ふりじゃなくて、本当に利き手の小指を骨折してたはずです(自宅で体操か何かしてて折っちゃった、という話だったと思います)。

81年は2勝9敗でしたが、日本シリーズに中継ぎで5試合に登板して2勝(つまり日本ハムの勝利のすべて)を挙げ、それで自信をつけたのか翌82年には突然20勝。チームは後期優勝してプレーオフで西武と戦う、という時期に骨折し、エースが登板不能かと思われていたのに、初戦にいきなり先発して好投したのには本当に驚きました。大沢親分らしい奇策でしたね。アジジが参考にしたかどうかは知りませんが(笑)。

ちなみに工藤は翌年は8勝8敗、以後は84年に1試合登板しただけ。実質81-83年の3年間だけの投手でしたが、それでもこうやっていまだに語り継がれる、太く短い投手人生でした。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/10/13 08:32

 1981年、私も高校生でした。
 狸小路横の映画館で、すし詰めになって観た「セーラー服と機関銃」 あのとき渡瀬恒彦が演じたヤクザの代貸を、今年は自分と同い年の俳優が演じている。25年は長いです。

 あの年の日本シリーズの幕切れはよく覚えています。ピッチャーフライを捕った江川がぎこちないバンザイをしてみせたシーンを何度もテレビで流していました。
「最後の打者の打球は自らさばいてゲームセットという絵を頭に描いていた」というようなことを江川が語っていた記憶があるので、狙ってピッチャーフライに打ち取ったのかもしれません。三振を奪うより遥かに難しいでしょうね。
 最近はピッチャーフライが減っていますね。マウンド付近に上がったフライでも野手に任せてしまう投手が少なくないです。巨人の桑田が三塁線のフライに飛びついて右肘の靱帯を断裂したのは何年前でしたっけ。「投邪飛」というのも随分観ていない気がします。

 今回の「25年振りの優勝」は、北海道に住む我々にとっては間違いなく「3年目の初優勝」です。 地元にプロ野球チームがあることの幸せを噛みしめていますが、東京在住の古くからのファイターズファンにしてみれば、複雑な気持ちもお有りでしょう。「自分には幸せにしてあげられなかった彼女が、良い人と一緒になって遠い土地で幸せに暮らしているらしい」って感覚でしょうか。
 ファンならば、東京から密かに声援を送り続けるか、或いは東京ヤクルトあたりに鞍替えするか、選択の自由もありますが、後楽園や東京ドームで濃密な現役時代を過ごしたOBの方々はそうもいかないでしょう。彼らは北海道に移転した今のファイターズに対して「自分の古巣」という感覚を抱くことができるでしょうか。

 そんなことを考えてしまうのは、今の北海道日本ハムファイターズには「球団の歴史」というものが感じられないからです。
 先日、ちょっと驚いたことがありました。地元の某メディアで「日本ハムが日本シリーズに進出したとしたら期待する選手は誰か」というアンケートがあったのですが、舌禍事件で謹慎中の金村曉投手の名を挙げた人が殆どいなかったのです。
 思うに、今の日本ハムファンの多くは金村のことを「10年以上前からこのチームにいる人」とは感じていないのではないでしょうか。球団が出来たのが3年前だから、選手達はみんな入団3年以内の人達。新庄は3年前に移籍してきたのではなく北海道元年からプレイしている生え抜き。ヒルマンは球団創設以来の不動の指揮官…。そんな錯覚があるから、エースの称号が2年目のダルビッシュにあっさりと移動してしまいそうになっているのでは。
 もし、北海道移転前から投手陣の中心として活躍してきた金村の過去の実績に思いを馳せていたなら、「金村同情論」も起こっていたかもしれません。
 すべてをリセットして北海道へやってきた球団と、それまで日本ハムのことなんか興味がなかった道民が相まって、全く新しい球団として北の大地に受け入れられたという経緯は理解しますが、長らく東京を本拠地にしてきた日本ハムという存在が跡形もなく消えてしまうのでは、かつて在籍していた選手達が気の毒に思えます。
 今回の優勝を機に、さしあたっては過去の歴史を知ってもらうためのOB戦を催すというのは如何でしょうか。「白井一幸ヘッドコーチは現解説者の広瀬さんと二遊間を組んでいたんですよ」とか「中島輝士スカウトは新人の年に開幕戦でサヨナラホームランを打ったんです」とか。

投稿: えぞてん | 2006/10/14 17:16

ファイターズファンの皆様、本当におめでとうございます。非常に感動的な光景でした。

ちなみに、自分の中では「初」優勝でした。なぜなら、25年前の優勝の4ヶ月後に僕は生まれたので(笑)これで、楽天を除いては現存する全てのチームの優勝を見られたということで、それはそれでなんか感慨深いものがありました。

えぞてんさんのコメントで思い出したのが、夏に観戦した東京ドームでの日本ハム戦。田中幸雄への声援が新庄以上だったのがとても印象的でした。北海道での彼の存在というのはどのようなものなのか、非常に興味があります。

投稿: アルヴァロ | 2006/10/15 13:09

>アルヴァロさんへ

 田中幸雄への声援が新庄以上というのは、古くからのファンならではでしょうね。
 札幌ド-ムでも、田中幸雄に対しては他の選手以上の声援が送られます。
 ただそれは、日本ハム一筋21年という「事実」への敬意であるのかもしれず、新庄に対して思わず知らず巻き起こる拍手とは質が違うのかもしれません。現在の札幌のファンの多くは、田中幸雄がレギュラーとしてプレーしていた頃の記憶が無いのです。
 田中幸雄選手が札幌で愛され、ミスターファイターズとして尊敬されているということは間違いないですよ。

投稿: えぞてん | 2006/10/15 15:28

>えぞてんさん
>最近はピッチャーフライが減っていますね。マウンド付近に上がったフライでも野手に任せてしまう投手が少なくないです。

当時でもそれが定石でした。マウンド上にフライを捕りに来た野手を制して、江川が自分で捕球したという印象が残っています。

>彼らは北海道に移転した今のファイターズに対して「自分の古巣」という感覚を抱くことができるでしょうか。

そうは言っても経営母体は同じですし、現場にも相応の継続性はありますから、西鉄→西武、阪急→オリックスなどのケースよりは一体感はあるのではないかと思います。

>アルヴァロさん
>田中幸雄への声援が新庄以上だったのがとても印象的でした。

東京ドームは東京時代のファンも多いでしょうから、余計に思い入れが強いでしょうね。

>えぞてんさん
>田中幸雄選手が札幌で愛され、ミスターファイターズとして尊敬されているということは間違いないですよ。

それはいい話だなあ。東京人としては、ほっとします。
北海道のファンは、移転前のことは知らない人が多いのでしょうから、「おらがチームの初優勝」になるのは仕方のないことだし、それでいいんじゃないでしょうか。田中幸雄に拍手を送るというような形で敬意を払ってくれるなら、それで十分だと思いますよ。継続性というのは、球団の側が考えていればよいことで。OB戦というのは、実現したら楽しいですね。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/10/15 22:21

ファイターズの優勝おめでとうございます。
三年連続プレーオフで敗退してしまったホークスファンとしては言いたいこともあるのですが、札幌ドームを文字通り物理的に「揺るがせた」ファイターズファンの盛り上がりには感服しました。(なろうことなら、福岡ドームを「揺るがせる」南のファンの姿もお見せしたかった・・・)

札幌の知人から教えてもらったのですが、ファイターズの屋内練習場って、サッポロビール園のすぐ隣りなんですね。でその隣にあったビール工場が廃止され、アリオ札幌というショッピングモールになったということで、観光客も来るだけでなく地元の方も良く来るという、なんかとっても人が集まる、恵まれた立地にあるようです。練習場がこういうところにあるっていうのは、珍しいんじゃないかなぁ。

当然、練習場のまわりにはいつも熱心なファンが集まっているし、ショッピングモール(アリオ)ではパブリックビューイングで盛り上がったし、アリオにはファイターズカフェというファミレスもあるし、練習場の近くの通称「ななめ通り」は「ファイターズ通り」と改名したし、ということで、札幌市東区のこのあたりは自然発生的に「ファイターズタウン」と化しているようですね。我がホークスタウンの場合は、完全に商業施設でしかないので、ちょっと羨ましい気がします。

投稿: 馬場 | 2006/10/16 13:26

>馬場さん
>練習場がこういうところにあるっていうのは、珍しいんじゃないかなぁ。

練習場は二軍の合宿所を兼ねることが多く、郊外になりがちですからね(ファイターズの場合は、二軍の拠点と非常に距離があるという特殊事情もあるわけですが)。熱心なファンでなければ練習場までは行かないのが普通でしょうから、もともと人の集まる場所に練習場があるというのは恵まれてますね。
ま、ジャイアンツ球場も遊園地の隣だから、人が集まる場所といえばそうですが。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/10/17 08:40

こんにちは。久しぶりに書き込む東京在住の往生際です。

私もこないだ40になった中年です。今は都下に引っ越しましたが、高校までは文京区民でした。投手の工藤とか懐かしいです。日本シリーズ前に室内で体操して骨折したのを、やくみつる(当時ははた山ハッチか?)が「新婚がする体操だ」とマンガでネタにしていたのを覚えています。

そんなわけで小学生の頃から後楽園には自転車で通っていました。あのころは後楽園球場にはお世話になったものです。最も多く見たのは日ハム戦、次いで巨人戦、あとは社会人野球なども見に行きました。もっぱら外野席。内野席や外野指定席に“正規の”料金で入った記憶はないです(笑)。社会人野球は外野は大人も子どもも無料、日ハム戦は子どもは100円(大人600円)、巨人戦は200円(大人800円)でした。日ハム戦なら巨人戦の2倍見られたわけです。子ども時代の小遣いを考えると圧倒的なコストパフォーマンス(笑)。なにせ親に弁当作ってもらって地下鉄乗らずに自転車で行くんですから(グラブ持参)。球場で飲み食いする金など持ってませんでしたもの。

というわけで一緒に見に行った近所のガキどもはみんな日ハムファンでしたね。同じ敷地に住んでいた年の離れた従兄弟の同級生が、日ハムの現役選手だった(準レギュラークラスの岡持という選手)のも大きく影響しています。

日ハムは結構ファンクラブをきっちり組織していましたね。その頃のオールスターでファン投票選出選手で9人のうち8人も日ハムの選手が選ばれちゃって、結局古屋など相当数の選手が出場辞退するという事態になったのを思い出します。ファンクラブの組織票だったのでしょうが、それを組織できるだけの力量があった。球団経営的には目を見張るものだったと思うわけです。

ああ、ただの懐古趣味になってしまっている。身のないコメントでスミマセン。

投稿: 往生際 | 2006/10/25 04:06

>往生際さん
自転車で後楽園ですか。いい環境でしたね(笑)。

>日ハムは結構ファンクラブをきっちり組織していましたね。

球場結婚式とか、イベントにも熱心でしたね。ファンクラブは、少年を取り込んで将来のファン層につなげようという構想だったのだろうと思いますが、札幌移転前の状況を見ると、残念ながらあまり構想通りにはいかなかったのかなと思います。

投稿: 念仏の鉄 | 2006/10/26 09:30

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