田口壮『何苦楚日記』主婦と生活社<旧刊再訪>
田口壮がMLBのワールドシリーズでチャンピオンになった。
試合に出たり出なかったりする立場だけれども、単なる控え選手ではない。外野守備において、走塁において、そして打撃でも、こと走者を進めるという分野においては、監督から盤石の信頼を受けていることが使われ方を見ていればわかる。セントルイス・カージナルスに入団して5年。いわば「10番目のレギュラー」*1としての地位を田口は確立している。
本書は、その田口が渡米から最初の2シーズン、2002年と2003年に公式サイトに書き続けた日記をまとめたものだ。
この2年間、田口はシーズンの大半をマイナーリーガーとして過ごした。
それぞれの年の章扉には、彼が住んだ土地の変遷が書かれている。
2002年
フロリダ→メンフィス→セントルイス→メンフィス→ニューヘブン→セントルイス→アリゾナ
フロリダ→セントルイス→メンフィス→セントルイス→メンフィス→セントルイス
フロリダは春のキャンプ地。セントルイスはメジャーの本拠地。メンフィスは3Aレッドバーズの本拠地。ニューヘブンは2Aレーベンスの本拠地。アリゾナはフォールリーグ*2の開催地。
本書には、「田口壮 アメリカ大陸移動履歴」と題して、それぞれの年に彼が住んだり、試合のために訪れた都市と経路を示した地図も掲載されている。
これを参照しながら日記を読むと、あまりの移動の激しさに気が遠くなる。2002年の5月に3Aの試合で訪れたカナダのカルガリーでは降雪のため試合が中止になる。カナダのエドモントンを朝5時に出発して本拠地メンフィスの球場に午後4時半に着き、6時にはもう試合を始めている。サクラメントでナイトゲームの後に飛行機に乗り、翌朝11時にニューオリンズに着いて試合。ニューオリンズからメンフィスへの帰路は、夜9時半出発のバスで、朝4時着。野球以前に体がガタガタになりそうだ。
土地柄も一筋縄ではいかなかったようだ。セントルイスとメンフィスはともにアメリカ中部の都市で、日本人にはあまり縁がない。土地の人々も日本人をあまり見たことがないらしい。ドジャース時代の木田優夫から「俺はいっつも昼飯にラーメンを食ってから球場に行く」、夜は居酒屋に焼肉だと聞いた田口は「それ、日本やないですか?」と口走る。ニューヨークやロサンゼルスやシアトルとはまったく違う環境に田口はいた。
3Aでは親しく世話をやいてくれたり家族ぐるみでつきあっていた同僚が次々と解雇されて去っていく。1年目のシーズン後半には、優勝争いの助っ人という理由はあるにせよ、3Aから2Aにまで送り込まれる。期せずして本書はマイナーリーグの実情に関するまたとない記録ともなっている。3Aはメジャーのバックアップだから、むしろ2Aの方が伸び盛りの活きのいい選手が集まって活気がある、などという話も興味深い。
イチローや松井が知らないMLBの最深部で、めまぐるしく翻弄されながらも、田口は明るさを失わない。内心、こんな扱いが応えていないはずはないけれども、起こることのすべてをありのままに受け入れようと明るく笑いのめしていく。
ときおり「ここで笑いを取れなければ関西人の魂が泣きます」などという記述が出てくる通り、真面目な優等生のように見えても、田口もまた、話にはオチをつけなければ終われない関西人だ。一日の日記の短い文章でも、笑いをとらなければ気が済まない。マイナー生活の中で日々起こるさまざまな出来事を、田口はユーモラスに記す。たとえばこんなふうに。
「そんな中、心温まる出来事がありました。チームメイトの彼女が、フライトアテンダント(スチュワーデス)をしているのですが、先日仕事で成田に行って帰ってきたとのこと。そこで僕のことを思い出してくれたようで、『きっと壮は日本の字が恋しいに違いないわ!』と、雑誌を買ってきてくれたのです。『野球の雑誌がいいだろうと思って、一生懸命選んだからね!』と彼女。
渡された袋の中には『月刊ジャイアンツ』が入っていました。」
(2002.9.5 コネチカット州ニューヘブンにて)
白状するが、私はこの時期、田口にはあまり興味がなかった。入ってくる情報が限られていたこともあるのだろうが、なかなかメジャーに定着できない様子に、やはり力不足なのだろうか、と思っていたのだから不明を恥じるばかり。当時、彼の公式サイトでこの日記を読んでいたら、たぶん熱烈に応援していたのではないかと思う(だから、当時からの彼のファンは、きっとそんなふうに日記をむさぼり読んでは田口にメールを送っていたのだろう)。
軽妙に書かれてはいるものの、エレベーターのようにメジャーとマイナーを上下する生活が、平気だったはずはない。ユーモアに満ちた日記の中にも、ときおり内面の苦しみがのぞく。監督やチームへの不信が心の中に芽生えた時期もある。だが、田口は自分自身を変革することで、そんな動揺を乗り越え、ある境地に達していく。
今の田口の仕事ぶりは、本書で到達した境地からまっすぐにつながっているように見える。アマゾンのマーケットプレイスで本書を取り寄せ、読んでいたのが、ちょうどこの10月、田口がポストシーズンで活躍し、カージナルスが勝ち進んでいた時期だった。出遅れた田口ファンだったばかりに、5年分の彼の歩みを同時にまとめて目撃するという得難い楽しみを味わうことになった。
あとがきに記された、田口に本書の出版を口説き落とした編集者の言葉は、本書の性格を見事に表現している。
「30過ぎの家庭持ちの男が、ある意味安定した状況を投げ打って、リスクの高い人生を選んだ勇気と、その後のドタバタに、感じるところがあったんです」
「野球選手だから特別、というのではなく、転職やリストラのサラリーマンや、不況の中で揺れ動く人、突然海外に駐在させられた人、その家族、そして日常生活に縛られて動けなくなっているさまざまな日本人が、田口さんの夢への挑戦と泣き笑いの2年間に共感できると思うんです」
このあとがきの中で田口は、2003年に妻の胎内に宿った長男の出生地を日米のどちらにするか、周囲で論争になったというエピソードを書いている。
「『絶対にアメリカで出産すべきだ』という意見が大多数。理由はやはり『もれなくアメリカ市民権がついてくるから』でした」
そんな周囲の声にもかかわらず、田口は自分の故郷である西宮での出産を選ぶ。
その理由を目にした時、ぶわっと涙が溢れてきた。
田口が自身の2年間をどう捉えているかがよくわかる理由だった。この後、メジャーリーグに定着するとか、ワールドチャンピオンリングを手にするとかいう3年後の未来を待つまでもなく、この時点で田口はすでに勝利者だったのだな、と改めて感じる。
寛(かん)君と名付けられたらしいその長男は3年後の秋、セントルイスのグラウンドの上で、父のユニホームと赤いニットの帽子に包まれ、満面の笑みをうかべた父の腕に抱かれて、夜空に打ち上げられる花火とスタンドを埋め尽くして狂喜する大観衆を、何のことやらわからずにぽかんと見上げていた。
*1 セントルイスはDH制のないナショナル・リーグのチームだから「9番目の野手」でもよいのだが、やっぱり野球は9人でやるものだし…難しいものです。
*2 シーズン終了後に各球団から若手有望選手を集めて数チームを結成して試合をする、練習のためのリーグ。今季から復活したハワイのウインターリーグと似たようなものらしい。
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