激しい気迫に満ちた送りバント。
川相昌弘が引退を決めたという。またひとり、同年齢のスポーツ選手が現役を去る。いや、42歳という年齢まで踏みとどまっている選手がいることに感謝すべきなのだろう。
川相のプレーで印象に残るのは、彼のファウルだ。
ひとつの打席でえんえんとファウルを打ち続けることが、彼にはしばしばあった。相手はたいてい一流の投手。ファウルを打った後、打席で構え直す姿がテレビ画面にアップで映し出されると、川相の視線は怖いほどに鋭く、激しかった。
そういう場面を見るたびに、狙ってファウルを打っているんだろうな、と私は感じていた。
どうしても塁に出なければならない場面だけれども、この投手は容易には打てない。打ち損じる可能性も高い。そう判断した時に、川相は、この打席は何としても四球を取ると決めてファウルを打ち続けていたのではないかと思う。
もちろん、これは私の勝手な想像だ。彼自身は単にヒットを打とうと投手に立ち向かっていただけかも知れない。ただ、そんなことまで見物人に想像させてしまうだけの凄みが、彼のプレーにはあった。そこで何かを達成しなければ帰れないのだ、という不退転の決意が見る者にまで伝わってくる、数少ない選手だった。
よく知られているように、川相は誰よりも多くの送りバントを成功させてきた。
ある打席で送りバントをするということは、その打席における他の可能性を断念することでもある。川相のバントの大半は、あわよくば自分も生きよう、などという下心を感じさせず、100%、走者を次の塁に送ることに徹しきっている。
何かを断念することで、活路は開ける。
川相がバントの職人として注目されるようになって以後、メディアでは「サラリーマンの鑑」「自己犠牲精神の象徴」というような形容が目立ったが、そういう表現には違和感がある。
ある局面で自分を犠牲にすることはその気さえあれば誰にでもできるが、絶対的な確率で送りバントを成功させられる選手はめったにいない。
この世界で生きていくための誰にもできない武器として、彼はバントを選んだのだ。
あの、ファウルを打ち続ける打席で見せたような激しい気迫と集中力をもってバントに臨んだからこそ、彼はあれだけの回数の成功を収めることができたのだと思う。川相のバントは、彼にとっては強烈な自己主張だった。
日本シリーズは、どちらも投手力と守備に特長をもつチームどうしの対戦となった。1点のリードがいつになく重い試合が続く可能性が高い。とすれば、バントが試合の趨勢を左右する局面も出てくることだろう。川相が必要とされる場面は、もう少し先まで続くことになる。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
>そういう表現には違和感がある。ある局面で自分を犠牲にすることはその気さえあれば誰にでもできるが、絶対的な確率で送りバントを成功させられる選手はめったにいない。
・・・全く同感です。送りバントは犠牲なんかじゃなくて、1つの大事なプレーのひとつですから。
川相選手のファウルも確かに印象深いですね。今年の日本シリーズでは、井端選手が「職人のファウル芸」をみせてくれるのではないでしょうか。
投稿: KuiKuga | 2006/10/19 20:20
今季プレーオフ第二ステージ第二戦9回裏、ホークスの息の根を止めたのは田中賢の送りバントだったような気がします。あのような緊迫した試合において、本当に、送りバントはずっしりと「重い」意味を持ちます。バントを成功させてベンチに戻った田中賢が、チームメイトからハイタッチで迎えられていましたが、それだけの価値のあるプレイだったと思います。
ちなみに和製英語が多い野球用語の中で、送りバントの原語は a sacrifice bunt=犠牲バントであり、日英が照応しています。ただし、英語ではあくまで「犠牲バント」であり、「送りバント」ではないところが微妙に日米の野球文化の違いを反映していると思います。
英語のサクリファイスは、キリストの磔刑死を連想させる非常に強い言葉であり、敢然とした「意志」を感じさせるものです。一方、「送り」というと、わりと事務的な感じがします。そして日本では「犠牲バント」というより「送りバント」ということの方が多い。やはり、こんなふうにやたらにバントしていたんじゃ、「犠牲」という強い言葉じゃなくて「送り」という平たい言葉を使いたくなるんでしょうね(笑)。
敢然と「断念する」ことに徹していた川相選手は、いわゆる「サラリーマン」から一番遠いところにいる人でしょう。
投稿: 馬場 | 2006/10/20 09:53
>馬場さん
>一方、「送り」というと、わりと事務的な感じがします。そして日本では「犠牲バント」というより「送りバント」ということの方が多い。
なるほど。そう言われると「送りバント」の語源が気になりますね。いつごろから使われているのだろう?記録用語としては確か最初から「犠打」「犠飛」で、これは直訳だと思いますが。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/10/21 00:23
またまたお邪魔します(すみません。コメントする時間があまりなくて、失礼とは感じつつも、一気にさせていただきます)。
巨人ファン、中日ファンというわけではないのですが、ひとかたならぬ思い入れを持って、これまで川相を応援してきました。
>鉄さん
> この世界で生きていくための誰にもできない武器として、彼はバントを選んだのだ。
あの、ファウルを打ち続ける打席で見せたような激しい気迫と集中力をもってバントに臨んだからこそ、彼はあれだけの回数の成功を収めることができたのだと思う。川相のバントは、彼にとっては強烈な自己主張だった。
全く同感です。プロで生き残るため、高校時代には引っ張り専門だった自分のバッティングを捨て去り、一時はスイッチヒッターへの転身まで試みた川相。バントといい、ファールといい、いずれも川相にとってはプロ野球の世界で自分が生き残るための武器であり、強烈な自己主張であると感じます。
巨人で引退宣言をひっくり返して、中日に移籍してはや3年。本当によくやったという人は多いし、実際、よくやったとは思います。しかし、今季の自分を振り返った時、「まだやれたのでは」という想いが、本当に川相の中でくすぶってはいないか。引退発表を耳にした時、ちょっと考えてしまいました。
今季、森野の成長もあって、これまでなら「ここで川相」という場面で、出番が廻ってきていなかったことを寂しく思っておりました。状態が万全ではなかったのならわかりますが、ただ機会が与えられていないのならば……。いまの私にできるのは、日本シリーズでの川相の登場を心待ちにすることだけです。
長い現役生活に「よくやった」という想いを抱きながら、そして、指導者としての自分を思い描きながら、川相が颯爽と引退していくことを願ってやみません。
(随分前のエントリですが、TBさせていただきました。あの年齢で代走に出てくる奈良原も只者じゃないと思います。)
投稿: 考える木 | 2006/10/22 23:15
少し指摘しておきたいのですが、
確かにこのシリーズ、2戦目の中日のバント失敗もあり、川相選手が今後バント要員として出される可能性も高くなったと言えます。ただ、あくまで彼の打撃にも注目して欲しいです。
今年の川相選手は29打席のうち、犠打は6つ。一方で安打も6本打っていて、打率は.273です。あくまで率だけで言えば、同じ右の代打の渡辺や新井より高いわけで、安打を期待されての「右の代打」の可能性も高いです。
確かに川相といえば犠打ですが、バントだけでなく、彼の勝負強い打撃(バントとかファールばかりじゃなくて、安打を打つ技術)にも触れておいて欲しかったところです。私は、大事な場面で安打を打ってきた彼の打撃こそ、印象深いです。
投稿: KuiKuga | 2006/10/23 23:17
>考える木さん
>あの年齢で代走に出てくる奈良原も只者じゃないと思います。
確かに。落合監督は、彼らのようなスペシャリストが好きなのでしょうね。そして、実際にそういう人材を生かすことに巧みな監督だと思います。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/10/24 00:02
今季の日本シリーズで「激しい気迫に満ちた守備」を堪能しています。
もともと守備の良い両チームですが、守備がこんなに攻撃的でエキサイティングなものだったとは!
特にファイターズのレフト・森本の攻撃的守備には感動しています。彼、名古屋ドームでフェンス直撃のヒットのクッションボールを右手でダイレクトキャッチ、一挙動で二塁送球してました。その結果、本来悠々二塁セーフのはずのアレックスは慌ててヘッドスライディングする羽目に。(ホーム球場でもないのに、あの芸術的なクッションボール処理は本当にすごいです。)
この「強肩・ひちょり」のイメージが、昨日の試合で強烈に効いてきます。4回表先頭の4番ウッズが、ワンバウンドでレフトフェンスに到達するヒットを放ちます。しかし、クッションボールをやはり森本が右手でダイレクトキャッチ、それを見たウッズは二塁に進めませんでした。無死二塁のところが無死一塁。この差はすごく大きくて、現にだから次の森野でゲッツーが取れた。この後、アレックス、立浪のヒットが続きますから、ウッズを一塁に釘付けにしたことの意味はものすごく大きいわけです。
なんとこの回ドラゴンズは三安打を集中しながら無得点。確かに拙攻ではありますが、森本をはじめとするファイターズの「攻撃的守備」がドラゴンズの走塁に強いプレッシャーを与えた結果と言えると思います。
第一戦では井端の好守でファイターズが封殺された印象でした。このシリーズ、「いかに守備で相手を攻撃できたか」で決まりそうな気がします。面白いですねー。
投稿: 馬場 | 2006/10/25 10:30
>馬場さん
森本、大活躍ですね。あの不器用そうだった若者が…。感慨深いものがあります。
私は第3戦の初回無死一塁で二番・田中のバントを谷繁が二塁に送球してフィルダースチョイスにしてしまったプレーが印象に残っています。後でニュース映像で見た限りでは、確かに田中のバントはあまりよくなく、普通なら二塁で封殺できたかも知れません。この時の一塁走者も森本でした。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/10/26 09:35