10年目のタイムアップ。
横浜FCがJ2に上がるというのは感慨深い出来事だが、それ以上に城彰二が今季限りで引退するという事態に感慨と当惑を覚える。正確に言えば、城が引退し、同じチームにいるカズはまだ来年もやりそうだという事態に。
前園は一足早く放送席の人となり、中田英寿も世界各地で自分を捜している。そして城がまもなく引退。金子逹仁が出世作『28年目のハーフタイム』や『決戦前夜』で新世代の登場と謡い上げた主要登場人物たちが、彼らが乗り越えたはずの三浦知良よりも先にピッチを去っていく。
前園も城も(彼らと並んで金子の主要登場人物だった川口能活も)海外に進出はしたけれど、中田英寿を除いては、海の向こうに自分の居場所を築くことはできなかった。欧州の中堅以上のクラブで定位置を獲得することに成功したのは、実際には彼らの次の世代だった。とすれば、颯爽と登場した「新世代」は、実はさらに新しい世代にとっての踏み台でしかなかったのか、と言えなくもない。
彼らを「アトランタ世代」とか「ジェネレーションX」とか名付けて意味ありげに売り出した(そして自分自身をも大きく売り出すことに成功した)スポーツライターは、その「世代」の予想外に早い終焉に直面した今、何を思っているのだろうか。金子にはぜひ、何らかの総括をしてもらいたいものだと思っている。前園や城のこの10年をもっともよく描くことができる書き手がいるとしたら、それは10年前の金子を措いてほかにいないはずだから。
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コメント
中田英・城は出ていないかも知れませんが、アトランタ世代のその後を追った、本は出ていたと思います。 著者は金子さんと違うと思いますが・・・
”星屑~”か”~星屑”のような題名だった思います。
投稿: ○と | 2006/11/29 11:08
城彰二の引退を聞いての感慨と当惑。
私も来期は久しぶりにJ1のピッチに帰ってくると思っていた矢先なだけに驚きました。
エースのJOだった頃の彼はいつも「もっとやれるはず」という周囲の目の中でプレーしていたように思います。W杯後に空港で水を掛けられたのも、単にゴールを決められなかったからというより、100%の力で戦ったようには見えなかったせいではないでしょうか。
その後の城は移籍先のスペインで結果を出せず、帰国後マリノス、ヴィッセルでも満足する成績を上げられずにJ2の横浜FCへ。しかし終の棲家となったこのクラブで密かな輝きを放っていたことをようやく知りました。
J1昇格を決めた日に、イレブンを乗せたバスを空港で迎えたサポーターから巻き起こった「ジョー! ショージ!!」の大合唱。J2の舞台で彼はサポーターの理解を得ていたのでした。それは、昔の城からすれば小さな舞台であったかもしれませんが、彼が「意外と伸びなかった選手」のまま終わったわけではないと知って少し嬉しくなりました。
城が伸び悩み、また前園のアトランタ五輪以降の凋落ぶりがあまりにも激しかったためか、アトランタ組全体を「期待はずれだった人たち」のように評する向きがあります。○とさんのコメントにある「星屑たち(川端康生著)」も、何故彼らは輝き続けることが出来なかったかというような書き方だったと記憶しています。
けどどうでしょう。飛び級で五輪に参戦していた中田英寿、松田直樹をアトランタ世代から外したとしても、当時のメンバーには川口能活、伊東輝悦、服部年宏、田中誠、鈴木秀人、遠藤彰弘など、その後活躍した選手が大勢います。「だめだったのはゾノだけでは」という気さえします(ゾノは嫌いじゃないけれど)。
ただアトランタ以降活躍した選手は、川口を除いて「地味ながら好選手」というタイプが多く、日本サッカーの新たな地平を切り開くという大きな(或いは見当外れな)期待には応えられなかったのかもしれません。そのへん評価が難しいところですので、金子達仁氏がこの世代を総括するなら、しっかりと掘り下げて欲しいものです。金子氏も前園同様、デビュー当時の期待を裏切っている一人だと思いますが、選手と違ってライターの現役生活はまだたっぷり残っていますから。
投稿: えぞてん | 2006/11/29 22:04
>○とさん
こんにちは。えぞてんさんご指摘の通りで『星屑たち』という本があり、以前、このblogにも感想を書いたことがあります(『星屑たち』と、もうひとりの「アトランタ組」。http://kenbtsu.way-nifty.com/blog/2005/02/post_7.html)。
その時にも書きましたが、これは金子達仁が書くべき宿題だろうと私は思っています。
>えぞてんさん
>しかし終の棲家となったこのクラブで密かな輝きを放っていたことをようやく知りました。
横浜FCの試合は2度ほど見ましたが、城のプレーにはあまり感心しなかった記憶があります(笑)。
しかし、キャプテンに指名され、こうやってサポーターからも惜しまれているようですから、相応の存在感を示していたのでしょうね。
>飛び級で五輪に参戦していた中田英寿、松田直樹をアトランタ世代から外したとしても、当時のメンバーには川口能活、伊東輝悦、服部年宏、田中誠、鈴木秀人、遠藤彰弘など、その後活躍した選手が大勢います。「だめだったのはゾノだけでは」という気さえします(ゾノは嫌いじゃないけれど)。
ここに上がった名前は、中田英以外は守備的なポジションの選手ですね。当時スター扱いされていたのは攻撃寄りの選手たちでした(川口は別として)。アトランタ五輪の最中に攻撃陣と守備陣との間に亀裂が生じたと金子達仁が強調し、金子自身や多くのメディアが、どちらかといえば攻撃的な選手たちに好意的な態度だったことを思うと、いささか皮肉な結果ではあります。
アトランタ五輪代表に限らず、どんな年代別代表チームにも、順調に出世する選手や伸び悩む選手、晩成型の選手などがいるものです。私自身は、一般論として言えば、4年刻みで区分される年代別代表をそれぞれひとつの「世代」として論じることには、さほどの意味はないのではないかと思っています。
投稿: | 2006/11/30 14:27
上のコメント、名前を書き忘れてました。失礼しました。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/11/30 21:18
> アトランタ五輪代表に限らず、どんな年代別代表チームにも、順調に
> 出世する選手や伸び悩む選手、晩成型の選手などがいるものです。私
> 自身は、一般論として言えば、4年刻みで区分される年代別代表をそ
> れぞれひとつの「世代」として論じることには、さほどの意味はない
> のではないかと思っています。
私も今年、城選手とは違う選手でそのことを実感しました。
実は私は仙台サポーターと言われる人種なのですが(スタジアムもしくはテレビ中継で今年も全試合を観ているのでそう自称する権利はあるでしょう)、白井博幸選手のわがチームへの加入を知ったとき、なんだか歴史上の人物がやってきたような気がしたものでした。正直言って、「アトランタ以来表舞台を下りた感があるが、まだできるのだろうか」と思ったのです。とくにサッカーで顕著な「代表や海外組を中心とする報道」に接するうちに、アトランタ世代以降の代表級の選手なら海外で活躍するくらいじゃなきゃ、といういささか軽薄な思い込みがあったのですね、恥ずかしながら。
しかしながら、白井選手はジョエル・サンタナ監督の目に留まってレギュラーを獲得、アキレス腱断裂で戦列を離れるまでDFリーダーとして活躍し、私の見る目のなさを嬉しいかたちで証明してくれました(ベガルタの夏以降の凋落の一因として彼の離脱を挙げる人も多いのです)。
日本を背負って立つような心意気で外国に行き、華々しく活躍したりこっぴどく打ちのめされたりするのもサッカー選手であれば、ベガルタのような地方の(今は)2部クラブでベテランなりの存在感を発揮して地元民に愛されるのもサッカー選手だな、と今年はあらためて思いました。とくにJの理念が地域密着にあるのであれば、そういう選手の価値というかアスリートとしてのそういう生き方を自分の愛するクラブで間近に見ることができる喜びって絶対あるな、と思ったのです。
で、城選手の話になります。横浜FC誕生のきっかけとなったフリューゲルス消滅の際にどのような力学が働いていたのか私ははっきりとは知らないのですが、少なくともJリーグバブルの頃には「日本中の注目をあつめるようなチームでなければ出資する意味がない」という発想が一般的だったことは確かだったと思います。そういった発想へのアンチとして出発したクラブで、「アトランタ経由の敗残者」の烙印をおされかけていた城選手が最後の輝きを放ったというのはこの国のプロサッカーの歴史における心温まるエピソードのひとつになるのかな、と思いました。そして、(J1復帰を目指してベガルタを応援している私が言うのも妙なのですが)来季1部でプレーできることが見えているのに2部で現役を終えるというのは、「J1だけがJじゃないよ」という無言のメッセージのようにも思えるのです(うがち過ぎですかね)。
ちなみに白井選手は11月になって紅白戦に参加するまでに回復してきました。白井選手の戦いはまだまだ続く!(・・・って打ち切りになった少年マンガみたいですが)
投稿: かわうそさん | 2006/12/01 21:31
>かわうそさん
そうですか、白井はベガルタにいたんですか。
表舞台どころか、確かサッカーもやめていたんじゃなかったでしょうか。『星屑たち』の中に、引退して料理人を目指していると書かれていたような記憶があります。
城の引退は、たぶん体の限界を感じて、ということだと思います。昨夜NHKのテレビ番組に出演しているのを見ましたが、試合後に「こんなやめ方ができて、僕は幸福な奴だと思います」と言った通り、幸せそうな表情をしていました。本人の中では、やるだけやりきった、という手応えがあるのかな、と思います。
投稿: 念仏の鉄 | 2006/12/03 09:38