« 行く人、来る人、儲ける人、埋もれる人。 | トップページ | 弁護士がスポーツ代理人に向いているとは限らない。 »

『パックス・モンゴリカ』 ジャック・ウェザーフォード著 NHK出版

 年末年始の休暇の大半は海外に出ていて、日本語の活字を読む時間がとれないことはあらかじめ予定されていたのだけれど、それでも年末が近づくと、どかどかと本を買ってしまうのはどういうわけだろうか。たぶん新聞や雑誌の書評欄が「今年のベスト」などという企画だらけになって、おまけに書店にはそれらの専用棚が目立つように置かれているので、この際買っておこう、という気になってしまうのだろう。まったく古典的書籍マーケティングの思う壺だ。

 そんなわけで、年末の前と年始の後には本ばかり読んでいた。しばらくは最近読んだ本の感想などをぼちぼちと記していこうかと思う。


 『パックス・モンゴリカ』は、チンギス・ハンが築いたモンゴル帝国の成立から崩壊までを記した歴史書。帯の裏側に、こう書かれている。

<モンゴル帝国で実践されたのは、
  信教の自由
  自由貿易
  法の絶対性
  外交特権の確立
  政教分離
  紙幣の使用
  国際法の制定
  情報網の整備
ーー近代世界のモデルはここにあった。>

 予備知識がなければ、ほんまかいな、と思うような話だが、たまたま12月に日本の歴史学者、岡田英弘の『世界史の誕生』(ちくま書房)という本を読んでいた。
 日本で教えられている「世界史」というのは、次々と覇権が移ろう地中海世界の各王朝の栄枯盛衰を記述した「西洋史」と、ひたすら時の王権を正当化するために書かれた「中国史=東洋史」という、まったく異質な2つの「歴史」を無理やりくっつけたもの。どちらも、地中海や中国が世界のすべてだという前提で書かれているので、くっつけるには無理があるし、「世界史」なのに日本をきちんと位置づけることができていない。そんな破綻した「世界史」ではなく、本当に世界が相互関係を持つようになったのはモンゴルがユーラシア大陸の大半を征服してひとつの世界にしてからであるから、モンゴルを起点とする「世界史」を新たに構想すべきである…というようなことが『世界史の誕生』には書かれていて、大いに目からウロコが落ちる気分だった。

 今でもたぶん変わらないと思うが、私が学んだ中学や高校の世界史の教科書は、一応はモンゴル帝国について書かれてはいたけれど、中国の歴代王朝のひとつ(元)で一時期は西の方にも領土を広げた、くらいの印象しか残してくれなかった。
 だが、今の中国もロシアもインドもイランもトルコも実はモンゴル帝国の中で国家の原形がつくられたとか、紙幣の制度化に初めて成功したのはモンゴル人だとかいう話を読んでいると、教科書の中では単なる空白地帯のように扱われていたモンゴルが実はある時期の世界の中心であり、中国や西欧はその辺境に過ぎなかった、というふうに見えてくる。まるでオセロゲームのコマがバタバタとひっくり返っていくように、同じ史実がまったく違った見え方をしてくるのがスリリングだ。

 そんな本を読み終えたばかりの時に『パックス・モンゴリカ』に出会ったので、私にとっての本書は、まるで岡田史観の実践編のように感じられた。

 著者のウェザーフォードはアメリカの文化人類学者で、先住民族研究が専門らしい。モンゴル人学者と共同で5年間にわたってモンゴルをフィールド調査した成果が本書とのことだが、著者は調査の経過や成果を直接的に書くのではなく、まるで小説のようなタッチで、草原の小部族の若き頭領チンギス・ハンがいかにして遊牧民を統一し、さらに広い世界へと打って出たかを壮大なスケールで描いている。

 帯に描かれたような諸制度は、土地にも宗教にも縛られず、人と物が自由に動き回るモンゴル人の特性を保持したまま巨大帝国を運営し、世界の富を手にするために、必然的に生み出されたものだったということがよくわかる。
 チンギス・ハンの死後、彼の子孫たちが対立・抗争を繰り返し、政治的には分裂しつつも経済圏としての一体性を保っていた巨大帝国が崩壊するきっかけを作ったのは、ペストの蔓延だったという。
 支配者たちが整備に力を注ぎ、帝国を巨大化させる上で大きな威力を発揮した自慢の交通網・物流網が、結局は帝国に仇する病原菌をも版図のすみずみにまで速やかに送り込んでしまったのは皮肉だったというほかはない。

 両方を読み終えた後で、岡田英弘が週刊東洋経済に書いた本書の書評(10/28号)を見つけた。
 岡田によると、チンギス・ハンの生涯を描いた第一部は、信憑性の低い『元朝秘史』という史料に寄りかかりすぎていて評価できないそうだが、次の代からの帝国の盛衰を記述した第2部、第3部については、<現在の欧米が主導する世界で普遍とされている制度――民主主義、資本主義、宗教と政治の分離、印刷、紙幣、軍隊、連邦制など――は、すべてモンゴル帝国に起源があるという。これらについては、評者もおおむね同意見である。>と高く評価している。

|

« 行く人、来る人、儲ける人、埋もれる人。 | トップページ | 弁護士がスポーツ代理人に向いているとは限らない。 »

コメント

宮崎市定の「アジア史概説」は半世紀も前に書かれてますがなにか?

投稿: なりなり | 2007/01/18 07:24

>なりなりさん
そうですか。読んでみます。

投稿: 念仏の鉄 | 2007/01/18 09:48

2006年はチンギスハン即位800年の年で、モンゴル本国ではそれはそれは盛大に祝賀行事が行われてました。
そういう年にこういう本が出るってのも面白いですね。

ウェザーフォード氏の主張はそのとおりだろうと私も思います。モンゴル帝国の世界史的意義は、「西洋史観」と「中国史観」の谷間に落ち込んで過小評価されてきました。特に近代歴史学を支配した西欧にとってモンゴルが「恐怖の侵略者」であったところが痛かった(笑)。

福岡はモンゴルとは古くて深い縁があるわけですが、昔、東欧からのお客様に対して「日本人は、ここ福岡でモンゴルの侵略を撃退したんですよ」と説明するとえらく感激してくれました。言わずと知れた「元寇」ですが、日本本土で唯一外敵の侵略に対して地上戦を戦った土地でもあります。ただ元寇のトラウマってのほんとに凄かったみたいで、元軍の侵略を受けた北部九州沿岸地域では、むずがる子どもを脅かすことばとして「ムクリコクリが来るぞ!」という言い方がずいぶん最近まで残っていたようです。ムクリ=蒙古、コクリ=高麗なんですね。

そのほかにも、元寇のときのモンゴル軍の戦死者を供養する「蒙古塚」が福岡近辺にはけっこうあります。志賀島にある蒙古塚には、建立の時になんと張作霖の祝辞が寄せられています。怪しいといったらありゃしません(笑)。http://www.bekkoame.ne.jp/~gensei/ten/sikaland.html

大元帝国が中国化せずに(つまり中華思想に染まらずに)、パックス・モンゴリカのやり方で交渉してくれてたら、北条時宗ももう少し苦労しないですんだかもしれませんねー(笑)。

投稿: 馬場 | 2007/01/18 18:12

>馬場さん
>大元帝国が中国化せずに(つまり中華思想に染まらずに)、パックス・モンゴリカのやり方で交渉してくれてたら、北条時宗ももう少し苦労しないですんだかもしれませんねー(笑)。

圧倒的な機動力で為政者一族をやっつけた上で、降伏すれば自治を認めるというのが、モンゴル帝国の流儀だったようです。クビライ・ハンによる対日遠征では、幸いにも事態がそこまで進みませんでしたから、最終的にどうするつもりだったのかは謎ですね。

投稿: 念仏の鉄 | 2007/01/20 10:38

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『パックス・モンゴリカ』 ジャック・ウェザーフォード著 NHK出版:

« 行く人、来る人、儲ける人、埋もれる人。 | トップページ | 弁護士がスポーツ代理人に向いているとは限らない。 »