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2007年2月

小六親分のご冥福を祈る。

 ご存知の方はご存知の通り、私がここで名乗っている「念仏の鉄」という名前は、テレビドラマ『必殺仕置人』(および『新必殺仕置人』)で山崎努が演じた僧侶崩れの骨接ぎ屋の名から拝借している。
 
 『必殺仕置人』はいわゆる必殺シリーズの第2作。第1作『必殺仕掛人』は池波正太郎の「仕掛人梅安」シリーズをもとに作られたから、オリジナルのテレビドラマとしてはこれが最初ということになる。そこで生み出された同心・中村主水(藤田まこと)というキャラクターが大成功して、以後、四半世紀の長きに渡ってシリーズが続くことになった(テレビ朝日はまた作るらしいですが)。

 町衆からの袖の下を楽しみに生きているケチな悪徳同心の主水と、観音長屋に住み着いた怪しげな無宿人たちが「悪によって悪を懲らしめる」と始めた殺し屋稼業に、後見人のような形で関わっていた“天神の小六”という人物がいる。やくざの大親分らしいのだが、牢内で牢名主として君臨している。命を狙う刺客から身を守るには牢内の方が安全、という理由で牢にこもっているらしい。牢内の罪人ばかりか牢番の役人まで手なづけて悠然と暮らしている。昼行灯と呼ばれる中村主水になぜか一目置いて、さまざまな形で一統をバックアップし、時には牢外での手助けを主水らに求めることもある。まさに石が流れて木の葉が沈む世の中を象徴するような人物だ。

 この小六を演じていたのが高松英郎だった。

 鋭い眼光とワシ鼻で暗黒街の大物を貫禄たっぷりに演じた、と言いたいところだが、実をいうと、この人が時折見せる笑顔には本来の人の良さのようなものが感じられて、凄惨な世界に生きてきた人物という印象を大きく減じている。とても「いい人」のように見えるのだ。

 ではミスキャストだったのかといえば、そうとも言えない。昭和40年代後半という時代に、お茶の間に流れるドラマで殺し屋を主役に殺人シーンをたっぷり見せるという設定には批判も強かった(当時はまだ「お茶の間」というものが日本の家庭に実在していた)。
 そのためか、このシリーズで代々の元締格を演じた俳優は、比較的善良なイメージを背負った人物が多い(最初の『必殺仕掛人』では山村聰が元締を演じた。日本でもっとも総理大臣役が似合った俳優だ)。『仕置人』には元締がおらず、レギュラー陣の中でもっとも重みのある役が小六だった。高松のシャイな感じの笑顔も、そのような意味での毒消しを果たしていたのかも知れない。

 その高松英郎が亡くなった。77歳、亡くなる前日まで現役でテレビドラマの撮影をしていたそうだ。昭和30年代は大映映画で活躍したが、40年代以降はテレビドラマを主な舞台とし、いつも頑固親父や好々爺を演じていた印象がある。彼の人柄について私は何も知らないが、好人物を感じさせるような笑顔は最後まで変わらなかった。ご冥福を祈る。

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広岡勲『ヤンキース流広報術』日本経済新聞社

 著者は、2003年に松井秀喜とともにヤンキース入りし、松井の広報を務めている。以前は報知新聞の記者でジャイアンツを担当し、松井とは親しかったようだ。1966年生まれだから松井より8歳年上になる。
 広岡はこれまでにも何冊か松井に関する本を書いているが、いずれも子供向けだった(とはいえ、誰よりも松井の近くにいて松井を熟知する人物だけに、内容は充実している。『松井秀喜 僕には夢がある』を読んだが、他では見たことがないようなエピソードも書かれていた)。
 本書は初めての一般向けの著書ということになる。ニューヨーク・ヤンキースというトップブランド、松井秀喜というスターを扱う広報マンが何を考え、どのような仕事をしてきたのかを、ビジネス書として書いている。といっても、あくまで具体例に即した平易な文章で、妙な力の入り方をしていないので、さらっと読める。ページ数は200ちょっとで字数も少ないし、ひとつひとつの要素をあまり書き込んでいないので、1400円という価格(本体)は、やや高く感じられるかも。

 「ヤンキース流広報術」と銘打ってはいるが、驚くような戦略や事実が記されているというわけではない。さまざまな局面におけるファンサービス、メディアへのサービスの充実について記されているが、内容的にはさほど目新しいものでもない。ただ、ヤンキースという名門球団のインサイダーとして広岡が見聞きした事実としての重みは感じられる。
 たとえばオールド・タイマーズ・デー(シーズン中に行われるヤンキースのOB戦)に向けて、広報担当者がOB名簿を作り、案内状を出し、<OBの誕生日には忘れずに花束を贈る>などという記述は、豊田泰光氏がさぞ喜ぶことだろう。

 興味深かったのは、やはり松井の取材対応に関する事柄、それも危機管理の体験談だ。本書の第4章は<問題発生さてどうする?>と題して、トラブルになりかかったケースについて率直に記している。松井はおそらく広報マンにとってこれ以上ないほどの理想的なクライアントだろうと思うが、そんな人物にも、スターである限り困難な局面は訪れる。昨年のケガに際しての対応、ある女優との結婚が噂された時の対応、そしてWBC出場辞退の波紋。
 WBC辞退については<できるだけ松井のイメージを損なわないように、アップするのは無理にせよ、なるべくダウンを最小限に抑えながら、代表入りを辞退するというシナリオを作らなければ>と考えていたにもかかわらず、当初WBC出場に消極的だったイチローの出場宣言、<松井が出場してくれないと困る>という日本における<政治的な動き>という2つの誤算により、広岡の計算は狂っていく。結局、広岡は<私の「広報戦略」は失敗だった>と総括し、<広報は常に最悪の事態を予想して、シナリオを作らなければいけないということ>を教訓としている。
 とはいうものの、私の印象としては、松井を責める声はむしろ意外なほど小さかった。そこまでに積み上げてきたメディアとの、そして野球ファンとの関係が、出場辞退が松井にもたらした傷を最小限にとどめたという気がする。

 広報マンとしての広岡の強みは、自身がスポーツ紙の記者として働いてきたため、メディア側のニーズを的確に把握していることだろう。すでによく知られているように、日本からの記者がヤンキースタジアムのロッカールームに大挙して訪れ混乱するという事態を避けるために、日本メディアはロッカールームに立ち入らない代わりに毎試合後の囲み取材を設定する、という方式を考え出し、日本メディアと松井の双方を説得して実現させたのは広岡だった。一定のニーズさえ満たしてあげればメディア側もそう無茶をするものではない、という信頼が広岡の中にあるのだろう。そして、そのような信頼がメディア側に対する抑止力にもなっていく。
 選手とメディアの関係といえば、イチローや中田英寿に見られるような、互いの不信感が不信感を深める“負のスパイラル”ばかりが話題になるが、このような“正のスパイラル”もありうるのだ。
もちろん、松井という選手が、アメリカに行く以前から、取材者に対して分け隔てなく丁寧に対応する人物であったことが、これらが成立するための大きな要因ではあるのだが。

 アメリカからさまざまな形で伝わってくる情報のいずれもが、松井秀喜という野球選手がアメリカの野球ファンに愛され、敬意を抱かれていることを感じさせる。そんな状況を実現する上で、広岡の役割は決して小さくなかったに違いない。
 本書によれば、松井はヤンキースとの入団交渉の大詰めで、<広岡勲の同行を認めないのであれば契約はできない>とまで主張したのだという。松井がどこまでを見通していたのかはわからないが、MLB入りした日本人選手の中で、日本から広報担当者を連れて行った選手はおそらく松井しかいない。おそらくはそれが、ヤンキースという全米一注目される球団の中で、松井が安心して野球に専念するための最良の方法だったのだろう。

 と同時に、広岡は今や松井だけの専属広報ではなく、環太平洋地域の担当も兼務するようになっている。考えてみれば、ヤンキースという世界一の野球チームの中枢で日本人が4年も働いていること自体が珍しいことだ。その意味では、広岡自身もまた貴重な経験を積んだ大事な人物だ。彼がいずれはこの経験を日本に持ち帰り、あるいは米球界にとどまって活躍してくれたらいいなと思っている。

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五十嵐太郎『美しい都市・醜い都市 現代景観論』中公新書ラクレ

 先日、海外からの来客を成田空港に車で迎えに行く機会があった。同行した通訳の方が、「日本橋のところで『ここが日本の道路の起点です』って話しても、『え、どこ? 何かあった?』って言われちゃうんですよね」と話していた。
 戻る道すがら眺めてみたが、なるほど首都高の上に日本橋の表示はあるけれど、橋そのものが車中から見えるわけではないので(橋は首都高の下にあり、川は橋桁の下を流れている)知らない人は気付かないだろう。
 逆に下から眺めると、橋の上を川に沿って高架道路が横切っている、という景色になる。シュールな光景といえばそうかも知れない。私が生まれたのは首都高とほぼ同時期なので、日本橋といえばこの光景しか見たことがない。

 だが、この光景がお気に召さない人も世の中には結構多いらしい。
 日本橋に空を取り戻そう、というような動きが、ここ何年か、前首相の観光立国政策や景観政策との絡みで活発に行われてきた。首相が代わったことでこの動きがどうなっているのかはよくわからないが、「美しい国」を標語に掲げている首相だから、たぶん前任者の路線を引き継いでいくのだろう。

 首相が交代した直後の昨年10月に刊行された本書は、この日本橋再開発計画や、政策と結びついて景観に関する議論をリードしている「有識者」たちを痛烈に批判している。著者の五十嵐太郎は東北大学助教授の建築史家。

 五十嵐は、基本姿勢として、政策として景観が語られること自体に懐疑的だ。

<政治的に正しい文面に彩られた景観重視の方針。しかし、個人的には、国家が制度として美を語ることに違和感を覚える。なんの恥じらいもなく、美しいと堂々と言い切ってしまう言説に対する気持ちの悪さとでもいうべきか。>

 私の感覚もこれに近い。
 例えば江戸時代なり明治初期なりの伝統的な景観といった、守るべきものが明確であり、具体的な建造物も豊富に現存しており、コンセンサスが容易に得られるような特定の地域(岡山県倉敷市の美観地区あたりが典型)についてであれば、景観保護は結構なことだと思う。
 だが、日本橋はどうだろう。五十嵐はこう記す。

<首都高速移設の推進論者は、工事の目的として、江戸のにぎわいや日本橋という名所の風情を再現させることを掲げている。そこで二番目の疑問である。本当に伝統的な景観は復活するのか? そもそもいつの時代に戻そうとしているのか? 江戸時代の商人が行き交うにぎわいなのか、それとも明治末に出現する威風堂々とした洋風建築の街並みなのか。>

 実物を見れば一目瞭然だが、現在の日本橋は江戸時代のそれとは似ても似つかない。明治末に作られたバロック風建築物だ。だから、首都高移設論者たちが論拠として江戸を持ち出すのは、ほとんど詭弁といってよい。それとも、木造の橋をかけて、周囲の建物も日本家屋に戻すつもりなのか?
 小泉前首相の諮問機関として作られた有識者会議「日本橋川に空を取り戻す会」が昨年9月に前首相に提言した文書の抄録がネット上で公開されているのだが、「おわりに」と題された結びの文章がなかなか味わい深いので全文を紹介してみる。

<豊かになった日本、しかしその多くの都市は貧相である。美しくなく、魅力を欠いた都心は 賑わいに乏しい。
日本橋は江戸時代から永らく東京の、そして日本の中心であり、そこに美しい橋と活気のある都心活動があった。しかし急いで建設された日本橋川上空の高速道路と雑然とした建物群はこの地域の魅力を乏しいものにしてしまった。いまこの地区に求められるのは美しさと文化、賑わいと潤いの回復であり、日本の首都の中心としての品格ある街づくりである。
我々がここに示す案は、我が国の経済と技術の能力をもってしては十分実行可能なものである。日本の都心の象徴ともいえる日本橋地区の美しさと魅力の創出は、この地区に留まらず、未来へ向けて日本各地の都市再生への強い気運を促すに違いない。
我が国の都市を自分達も誇りとし、また外国人も魅力を覚え、憧憬をもって見るものとするため、ここに提案する事業の早急な実施を強く期待するものである。

 <ここに提案する事業>というのが首都高を地下に埋設して日本橋周辺を綺麗に整備しようということだ。ずいぶんと短絡的で乱暴な文章だと思う。
 だいたい、日本橋界隈を訪れたことのある人なら誰でもわかるように、あのへんはオフィスビルばかりで観光客が行くようなところではない。首都高を外して橋の周囲を少々きれいにしたところで、その状況は変わらない。
 同じ書類の中には<青空を取り戻した日本橋地域の将来図>と題したCG図も掲載されているのだが、世界の主要都市の風景と比べてみても凡庸きわまりなく、私には何の魅力も感じられない。彼らの言葉を借りれば<貧相>な理想だ。「日本三大がっかり観光名所」として名高い高知のはりまや橋と大差ない。
 提言を作ったセンセイ方は、これで<外国人も魅力を覚え、憧憬をもって見るもの>になるのだと本気で思っているのだろうか。日本人の私ですら、魅力も憧憬も感じられないのだが。

 成田空港から車で東京に向かう際の景観を思い出していただきたい。
 林や田園風景に始まり、ベッドタウンの単調な風景を通り過ぎ、隅田川を渡って箱崎インターを越えたあたりに、最大のスペクタクルが待っている。林立するビルの間を曲がりくねって別れたりくっついたりしながらめまぐるしく流れる高架道路。ここから見る景観は、世界中のどの都市を訪ねても、なかなか似たものがないのではないかと思う(って、そんなに世界中の道路を走った経験はないので、もっと凄いものをご存知の方がいたら教えていただきたいが)。
 首都高を走っていると日本橋に気付かないと冒頭に書いたが、それは表示が目立たないからというだけでなく、周囲の景色に目を奪われる場所だからという理由もあるはずだ。
 日本橋付近の首都高を地下に埋めてしまえば、この景観は失われ、車は延々とトンネルの中を走るだけになる。外国人観光客への景観サービスという観点から見た場合、日本橋川が空を取り戻すことで得られるものと失うものはどちらが大きいだろう。

 この「日本橋川に空を取り戻す会」の座長は伊藤滋・早大特命教授だが、彼が中心になって国土交通省の政策推進の一端を担っている活動はほかにもある。「美しい景観を創る会」だ。
 『美しい都市・醜い都市』は、実はこの会に対する批判から書き起こされている。この会のホームページの中に、「悪い景観100景」というページがある(実際には70点しかないけど)。会のメンバーが「悪い景観」と判断した風景を写真に撮り、一言コメントを添えて紹介している。<広く国民、関係地域の皆様に対して、醜い景観を改善するための世論喚起を図りたい>というのが目的らしい。各コメントの筆者の名は記されていない。

 具体例についてはリンク先でそれぞれご参照いただきたい。私の感覚では、どこが悪いのかよくわからないものも少なくない。件の日本橋を水上から撮った写真もあるのだが、正直言って、私にはこの風景は美しく見える(笑)。アニメーション映画『機動警察パトレイバー2 The Movie 』では首都高の下を流れる川とそこを走る船が主要な舞台のひとつになっていて印象的だった。水はもう少しきれいにした方がいいだろうけれど、風景そのものは悪くない。

 五十嵐はこのサイトについて書く。
<美しさと醜く汚いものを二項対立のようにとらえているが、それでは論理的に矛盾している。醜さも相対的な価値であり、美しさと重なるような事例も少なくないだろう。だが、「美しい景観を創る会」のホームページは、こうした反省的な考察がなく、自信に満ちあふれている。>
 「悪い景観」に添えられたコメントについても手厳しい。
<ほとんど説明になっていない。前述のレポート(引用者注:著者が学生に課した、美しい建築と醜い建築に関するレポート)の採点基準で言えば、せいぜい可のレベルである。しかし、個人的ブログではなく、専門家集団による選定リストなのだから、せめて四〇〇字以上の論理的な説明文は必要ではないか。そうしないと、景観について考える場ではなく、感覚的な好き嫌いをもとにした、ただの言いがかりだと思われても仕方がない。なぜこれが醜いのか、なぜ美しいと判断するのかについて、「美しい景観を創る会」は説明義務があるはずだ。今や数千億円以上の税金の使い方に影響を与える団体なのだから。>
 まったく同感。「自販機の乱立」と題した写真に「夜中に買い求める客は少ないはずだ。」とコメントがついているが、私はしょっちゅう買い求めている。悪かったな。

 このような話に始まり、本書は景観にまつわるさまざまな議論を展開する。雑誌に掲載されたいろんな文章をもとにしているので、広告看板からアジア諸都市、押井守映画から果ては北朝鮮まで、話はあちこちに飛ぶのだが、そもそも都市における美とは何なのか、という問題意識が通底している。
 何が「美しい」のかを十分に検証しないままに都合よく利用しようとする動きに著者は警鐘を鳴らす。前著『過防備都市』(中公新書ラクレ)で、セキュリティを名目に激しく変貌していく日本の都市の様子を描き出した著者は、ここでは「美しさ」というさらに微妙で反対しがたいものについて、立ち止まって子細に考えようとする。

 東京については都知事もやたらにプロモーションに熱心なようだが、そもそも都市の魅力とは何なのか。それは有識者や政治家や官僚が考えるように単純に割り切れるものなのか。

 都市計画の手本のように言われるスウェーデンのストックホルムを訪れたことがある。確かに美しい。ここが「美しい都市」であることに異論を持つ人はほとんどいないと思う。とりわけ旧市街ガムラスタンは変化や陰影に富んだ石畳の街並みが魅力的だ(高名な警察小説の主人公、ストックホルム市警のマルティン・ベック警視も離婚後はガムラスタンのアパートで優雅な独身生活をおくっていた)。
 新市街の方は、まっすぐな通りに沿って石造りのビル群が整然と並ぶ。高さがそろい、勝手に改装することは許されないらしい。通りはどれも広くて明るい。裏通りと呼べるような狭い路地はほとんどない。美しいことは美しいのだが陰影というものが感じられず、いささか退屈でもある。
 ついでにいうと、ストックホルムの中心部を離れて郊外に出ると、これも数十年前から計画的に作られた団地だらけだが、その景観は単調きわまりない(マルティン・ベックも建設が始められてまもない70年代に批判している)。郊外の地下鉄の駅前広場の退屈さ加減は、東北新幹線の北の方の小駅あたりに匹敵するものがある。
 北欧の建築や都市計画を讃える人は多いけれど、それと比べて日本は云々…というのであれば、あの単調で均一的な団地群や駅前広場も合わせて論じなければ嘘だろう。実際に人が住んでいるのは、そういう地域なのだから。

 そして、スウェーデンやその他の「美しい国」から日本を訪れた人々がしばしば非常に喜ぶ日本の景観のひとつに、渋谷駅前の交差点がある。交差点を取り囲む猥雑なビル群やネオン、信号が代わると四方八方から一斉に集散する人々。独特の活気がそこにはある。「美しい景観」の頂点のような土地から来た人々には、そんな景観が魅力的に映るらしい。
 渋谷駅前は「悪い景観100景」にはまだ選ばれていないようだが、あのへんをどう評価するのか、センセイ方のご意見を賜ってみたいものだ。
(ちなみにこのサイトには「私の好きな景観」というページもあるが、「準備中」のまま。「美しい景観を創る」と謳いながら具体例を挙げられないのは情けない。会の活動もそろそろ終わりに近いらしいのだが(笑))


追記(2007.4.27)
美しい景観を創る会公式サイトの「悪い景観100選」は3月末ごろにリニューアル。「悪い景観70選」を入れ替えたほか、良い景観の見本として「改善事例30選」が掲載されている。「改善事例」の多くは地方の伝統的景観の保存や修復事業で、要するに観光地。大半が居住や生産の場から選ばれている「悪い景観70選」とは、そもそも土俵が違うような土地ばかり。初台と小布施を比べて「小布施の方が綺麗だ」と言うことに、何か意味があるのだろうか。

追記(2007.6.19)
上野の森美術館で開催された会田誠・山口晃の2人展「アートで候」を終了直前に覗いてみた。展示されていた山口晃の「百貨店圖 日本橋 新三越本店」では、木製の太鼓橋状の日本橋が高速道路の上をまたいでいる。これが本当に作られたら、私は文句なしに<魅力を覚え、憧憬をもって見る>と思う。どうやって徒歩で登るのか想像もつかないが(笑)。

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