五十嵐太郎『美しい都市・醜い都市 現代景観論』中公新書ラクレ
先日、海外からの来客を成田空港に車で迎えに行く機会があった。同行した通訳の方が、「日本橋のところで『ここが日本の道路の起点です』って話しても、『え、どこ? 何かあった?』って言われちゃうんですよね」と話していた。
戻る道すがら眺めてみたが、なるほど首都高の上に日本橋の表示はあるけれど、橋そのものが車中から見えるわけではないので(橋は首都高の下にあり、川は橋桁の下を流れている)知らない人は気付かないだろう。
逆に下から眺めると、橋の上を川に沿って高架道路が横切っている、という景色になる。シュールな光景といえばそうかも知れない。私が生まれたのは首都高とほぼ同時期なので、日本橋といえばこの光景しか見たことがない。
だが、この光景がお気に召さない人も世の中には結構多いらしい。
日本橋に空を取り戻そう、というような動きが、ここ何年か、前首相の観光立国政策や景観政策との絡みで活発に行われてきた。首相が代わったことでこの動きがどうなっているのかはよくわからないが、「美しい国」を標語に掲げている首相だから、たぶん前任者の路線を引き継いでいくのだろう。
首相が交代した直後の昨年10月に刊行された本書は、この日本橋再開発計画や、政策と結びついて景観に関する議論をリードしている「有識者」たちを痛烈に批判している。著者の五十嵐太郎は東北大学助教授の建築史家。
五十嵐は、基本姿勢として、政策として景観が語られること自体に懐疑的だ。
<政治的に正しい文面に彩られた景観重視の方針。しかし、個人的には、国家が制度として美を語ることに違和感を覚える。なんの恥じらいもなく、美しいと堂々と言い切ってしまう言説に対する気持ちの悪さとでもいうべきか。>
私の感覚もこれに近い。
例えば江戸時代なり明治初期なりの伝統的な景観といった、守るべきものが明確であり、具体的な建造物も豊富に現存しており、コンセンサスが容易に得られるような特定の地域(岡山県倉敷市の美観地区あたりが典型)についてであれば、景観保護は結構なことだと思う。
だが、日本橋はどうだろう。五十嵐はこう記す。
<首都高速移設の推進論者は、工事の目的として、江戸のにぎわいや日本橋という名所の風情を再現させることを掲げている。そこで二番目の疑問である。本当に伝統的な景観は復活するのか? そもそもいつの時代に戻そうとしているのか? 江戸時代の商人が行き交うにぎわいなのか、それとも明治末に出現する威風堂々とした洋風建築の街並みなのか。>
実物を見れば一目瞭然だが、現在の日本橋は江戸時代のそれとは似ても似つかない。明治末に作られたバロック風建築物だ。だから、首都高移設論者たちが論拠として江戸を持ち出すのは、ほとんど詭弁といってよい。それとも、木造の橋をかけて、周囲の建物も日本家屋に戻すつもりなのか?
小泉前首相の諮問機関として作られた有識者会議「日本橋川に空を取り戻す会」が昨年9月に前首相に提言した文書の抄録がネット上で公開されているのだが、「おわりに」と題された結びの文章がなかなか味わい深いので全文を紹介してみる。
<豊かになった日本、しかしその多くの都市は貧相である。美しくなく、魅力を欠いた都心は 賑わいに乏しい。
日本橋は江戸時代から永らく東京の、そして日本の中心であり、そこに美しい橋と活気のある都心活動があった。しかし急いで建設された日本橋川上空の高速道路と雑然とした建物群はこの地域の魅力を乏しいものにしてしまった。いまこの地区に求められるのは美しさと文化、賑わいと潤いの回復であり、日本の首都の中心としての品格ある街づくりである。
我々がここに示す案は、我が国の経済と技術の能力をもってしては十分実行可能なものである。日本の都心の象徴ともいえる日本橋地区の美しさと魅力の創出は、この地区に留まらず、未来へ向けて日本各地の都市再生への強い気運を促すに違いない。
我が国の都市を自分達も誇りとし、また外国人も魅力を覚え、憧憬をもって見るものとするため、ここに提案する事業の早急な実施を強く期待するものである。
<ここに提案する事業>というのが首都高を地下に埋設して日本橋周辺を綺麗に整備しようということだ。ずいぶんと短絡的で乱暴な文章だと思う。
だいたい、日本橋界隈を訪れたことのある人なら誰でもわかるように、あのへんはオフィスビルばかりで観光客が行くようなところではない。首都高を外して橋の周囲を少々きれいにしたところで、その状況は変わらない。
同じ書類の中には<青空を取り戻した日本橋地域の将来図>と題したCG図も掲載されているのだが、世界の主要都市の風景と比べてみても凡庸きわまりなく、私には何の魅力も感じられない。彼らの言葉を借りれば<貧相>な理想だ。「日本三大がっかり観光名所」として名高い高知のはりまや橋と大差ない。
提言を作ったセンセイ方は、これで<外国人も魅力を覚え、憧憬をもって見るもの>になるのだと本気で思っているのだろうか。日本人の私ですら、魅力も憧憬も感じられないのだが。
成田空港から車で東京に向かう際の景観を思い出していただきたい。
林や田園風景に始まり、ベッドタウンの単調な風景を通り過ぎ、隅田川を渡って箱崎インターを越えたあたりに、最大のスペクタクルが待っている。林立するビルの間を曲がりくねって別れたりくっついたりしながらめまぐるしく流れる高架道路。ここから見る景観は、世界中のどの都市を訪ねても、なかなか似たものがないのではないかと思う(って、そんなに世界中の道路を走った経験はないので、もっと凄いものをご存知の方がいたら教えていただきたいが)。
首都高を走っていると日本橋に気付かないと冒頭に書いたが、それは表示が目立たないからというだけでなく、周囲の景色に目を奪われる場所だからという理由もあるはずだ。
日本橋付近の首都高を地下に埋めてしまえば、この景観は失われ、車は延々とトンネルの中を走るだけになる。外国人観光客への景観サービスという観点から見た場合、日本橋川が空を取り戻すことで得られるものと失うものはどちらが大きいだろう。
この「日本橋川に空を取り戻す会」の座長は伊藤滋・早大特命教授だが、彼が中心になって国土交通省の政策推進の一端を担っている活動はほかにもある。「美しい景観を創る会」だ。
『美しい都市・醜い都市』は、実はこの会に対する批判から書き起こされている。この会のホームページの中に、「悪い景観100景」というページがある(実際には70点しかないけど)。会のメンバーが「悪い景観」と判断した風景を写真に撮り、一言コメントを添えて紹介している。<広く国民、関係地域の皆様に対して、醜い景観を改善するための世論喚起を図りたい>というのが目的らしい。各コメントの筆者の名は記されていない。
具体例についてはリンク先でそれぞれご参照いただきたい。私の感覚では、どこが悪いのかよくわからないものも少なくない。件の日本橋を水上から撮った写真もあるのだが、正直言って、私にはこの風景は美しく見える(笑)。アニメーション映画『機動警察パトレイバー2 The Movie 』では首都高の下を流れる川とそこを走る船が主要な舞台のひとつになっていて印象的だった。水はもう少しきれいにした方がいいだろうけれど、風景そのものは悪くない。
五十嵐はこのサイトについて書く。
<美しさと醜く汚いものを二項対立のようにとらえているが、それでは論理的に矛盾している。醜さも相対的な価値であり、美しさと重なるような事例も少なくないだろう。だが、「美しい景観を創る会」のホームページは、こうした反省的な考察がなく、自信に満ちあふれている。>
「悪い景観」に添えられたコメントについても手厳しい。
<ほとんど説明になっていない。前述のレポート(引用者注:著者が学生に課した、美しい建築と醜い建築に関するレポート)の採点基準で言えば、せいぜい可のレベルである。しかし、個人的ブログではなく、専門家集団による選定リストなのだから、せめて四〇〇字以上の論理的な説明文は必要ではないか。そうしないと、景観について考える場ではなく、感覚的な好き嫌いをもとにした、ただの言いがかりだと思われても仕方がない。なぜこれが醜いのか、なぜ美しいと判断するのかについて、「美しい景観を創る会」は説明義務があるはずだ。今や数千億円以上の税金の使い方に影響を与える団体なのだから。>
まったく同感。「自販機の乱立」と題した写真に「夜中に買い求める客は少ないはずだ。」とコメントがついているが、私はしょっちゅう買い求めている。悪かったな。
このような話に始まり、本書は景観にまつわるさまざまな議論を展開する。雑誌に掲載されたいろんな文章をもとにしているので、広告看板からアジア諸都市、押井守映画から果ては北朝鮮まで、話はあちこちに飛ぶのだが、そもそも都市における美とは何なのか、という問題意識が通底している。
何が「美しい」のかを十分に検証しないままに都合よく利用しようとする動きに著者は警鐘を鳴らす。前著『過防備都市』(中公新書ラクレ)で、セキュリティを名目に激しく変貌していく日本の都市の様子を描き出した著者は、ここでは「美しさ」というさらに微妙で反対しがたいものについて、立ち止まって子細に考えようとする。
東京については都知事もやたらにプロモーションに熱心なようだが、そもそも都市の魅力とは何なのか。それは有識者や政治家や官僚が考えるように単純に割り切れるものなのか。
都市計画の手本のように言われるスウェーデンのストックホルムを訪れたことがある。確かに美しい。ここが「美しい都市」であることに異論を持つ人はほとんどいないと思う。とりわけ旧市街ガムラスタンは変化や陰影に富んだ石畳の街並みが魅力的だ(高名な警察小説の主人公、ストックホルム市警のマルティン・ベック警視も離婚後はガムラスタンのアパートで優雅な独身生活をおくっていた)。
新市街の方は、まっすぐな通りに沿って石造りのビル群が整然と並ぶ。高さがそろい、勝手に改装することは許されないらしい。通りはどれも広くて明るい。裏通りと呼べるような狭い路地はほとんどない。美しいことは美しいのだが陰影というものが感じられず、いささか退屈でもある。
ついでにいうと、ストックホルムの中心部を離れて郊外に出ると、これも数十年前から計画的に作られた団地だらけだが、その景観は単調きわまりない(マルティン・ベックも建設が始められてまもない70年代に批判している)。郊外の地下鉄の駅前広場の退屈さ加減は、東北新幹線の北の方の小駅あたりに匹敵するものがある。
北欧の建築や都市計画を讃える人は多いけれど、それと比べて日本は云々…というのであれば、あの単調で均一的な団地群や駅前広場も合わせて論じなければ嘘だろう。実際に人が住んでいるのは、そういう地域なのだから。
そして、スウェーデンやその他の「美しい国」から日本を訪れた人々がしばしば非常に喜ぶ日本の景観のひとつに、渋谷駅前の交差点がある。交差点を取り囲む猥雑なビル群やネオン、信号が代わると四方八方から一斉に集散する人々。独特の活気がそこにはある。「美しい景観」の頂点のような土地から来た人々には、そんな景観が魅力的に映るらしい。
渋谷駅前は「悪い景観100景」にはまだ選ばれていないようだが、あのへんをどう評価するのか、センセイ方のご意見を賜ってみたいものだ。
(ちなみにこのサイトには「私の好きな景観」というページもあるが、「準備中」のまま。「美しい景観を創る」と謳いながら具体例を挙げられないのは情けない。会の活動もそろそろ終わりに近いらしいのだが(笑))
追記(2007.4.27)
美しい景観を創る会公式サイトの「悪い景観100選」は3月末ごろにリニューアル。「悪い景観70選」を入れ替えたほか、良い景観の見本として「改善事例30選」が掲載されている。「改善事例」の多くは地方の伝統的景観の保存や修復事業で、要するに観光地。大半が居住や生産の場から選ばれている「悪い景観70選」とは、そもそも土俵が違うような土地ばかり。初台と小布施を比べて「小布施の方が綺麗だ」と言うことに、何か意味があるのだろうか。
追記(2007.6.19)
上野の森美術館で開催された会田誠・山口晃の2人展「アートで候」を終了直前に覗いてみた。展示されていた山口晃の「百貨店圖 日本橋 新三越本店」では、木製の太鼓橋状の日本橋が高速道路の上をまたいでいる。これが本当に作られたら、私は文句なしに<魅力を覚え、憧憬をもって見る>と思う。どうやって徒歩で登るのか想像もつかないが(笑)。
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コメント
コンクリの継ぎはぎだらけの片側4車線のアメリカのハイウェイの
暮らしから、成田エクスプレスやリムジンバスに乗って東京に
戻ってきた時にレインボーブリッジの上で見る東京の景観とか、
車窓から見える猥雑な看板や人混みが好きなのは、僕が
東京人である故なんでしょうか。
外国人から見える首都高は、大都会のビルとビルの
間を潜り抜けていくそうとうサイバーな空間でクールだ、という
意見が多いように聞きましたが。
投稿: ふくはら | 2007/02/05 04:43
何が美しいかというのはむずかしい問題ですね。「ストックホルム郊外の地下鉄駅前広場の単調で退屈な風景」という言葉からも、私には無機質でサイバーでクールで静かな、ものすごくカッコイイ風景しかイメージできないのですが、どんなものなのか、何かネット上に画像でもあったら教えてください。
投稿: nobio | 2007/02/05 19:36
>ふくはらさん
>外国人から見える首都高は、大都会のビルとビルの
>間を潜り抜けていくそうとうサイバーな空間でクールだ、という
>意見が多いように聞きましたが。
絵に描いたような未来都市像ですからね。本書の中でも、タルコフスキーの『惑星ソラリス』からソフィア・コッポラの『ロスト・イン・トランスレーション』まで古今の西洋の映画に首都高が登場してきたことが紹介されています。
>nobioさん
Tunnelbanaという名の路線なのですが、これで検索してもカッコイイ写真しか見当たりません(笑)。
同じ地下鉄でも、都心部の駅構内はまさに「無機質でクールで静かな、ものすごくカッコイイ風景」(サイバーっつうほどではないです)なのですが、郊外では地上に上がって、わりと平凡な駅になってます。ま、それも私の主観ですけど。
投稿: 念仏の鉄 | 2007/02/05 23:17
私も映画「ブレードランナー」的退廃と混沌の中にも「都市美」はあると思います。「日本橋川水上写真」は、「かっこいい!」と感じてしまいますし(笑)。昨今評判の悪い首都高ですが、少なくとも一時期は「未来のイメージ」の象徴だったわけで。(今でも外国人観光客のお気に入りは高層ビル群。「ニッポン」の象徴に間違いありません)
なお、この日本橋川プロジェクトは、明らかに韓国の「清渓川(チョンゲチョン)復元事業」の影響を受けてます。
ソウル市のHPに日本語で詳細な解説があります。↓
http://japanese.metro.seoul.kr/chungaehome/seoul/6sub.htm
老朽化した高速道路の高架を撤去し、都心に清流を甦らせてしまった!
川に蓋をかけてさらにその上にあった高架高速道路を800メートルにわたって取っ払ってしまったのですから大したものです。次期大統領選の有力候補である李明博(イ・ミョンバク)ソウル市長の「剛腕」あってのことですが。ちなみに李市長はもと現代建設社長。
日本橋川復元は、高架道路の「撤去」じゃなくて「地下化」ですからもっと難しいですね。
投稿: 馬場 | 2007/02/06 15:37
>馬場さん
そのソウルの話もこの本に結構詳しく説明してありました。再生というより、過去の川とはまったく違う景観を作り上げてしまったということのようですね。
投稿: 念仏の鉄 | 2007/02/07 01:00
コンビニでなんとなく眺めた『TOKYO GRAPHITI 』という雑誌(2月号)に「舶来おたく」という1ページがあって、イギリス出身、現日本在住ジム・マギー君27歳、という人が日本を熱く語ってるのがおかしかったので買ってしまいました。13歳のときに『AKIRA』を見て東京に興味を持ち、その後宮崎アニメで日本の田舎を想像し、我慢できなくなって3年前日本にやって来たそうです。コナン・ドイルでロンドンを、ドリトル先生でイギリスの田舎を想像し、その後もロキシーミュージックとセックスピストルズで育ったイギリス贔屓な私には驚きですが、彼が日本の美点として挙げているものは、
・ジャパンデザイン全般。例えばいろんなかたちの車。
・例えばマンション。日当たりのために屋根のカタチを工夫してたりするのがおもしろい。
・緑色のビルとか黄色のビルとか素敵。あんなのイギリスじゃそうは見ない。
・寿司のデザインは白と黒の組み合わせがとてもクール。
・すべて、アニメで想像してた以上にいい。
・日本のB級映画。『モンスターアターック!!!』とか『Xボンバー』とか素晴らしい。
・などなど。
だそうです。特に『Xボンバー』について、ヨーロッパが日本文花に目覚めた記念碑的作品で、イギリスとフランスではすごくウケたのに日本ではさっぱりだったらしい、ブライアン・メイは『Xボンバー』のためにアルバムまで作ったのに、日本人は誰も『Xボンバー』を知らない。何故だ、さっぱり理解できない、信じられない、と、熱く語っています。ちなみに彼のホームページは
http://comoyoko.co.uk/
その『TOKYO GRAPHITI 』の記事の写真も載ってます。
投稿: nobio | 2007/02/09 12:15
>nobioさん
>日本人は誰も『Xボンバー』を知らない。何故だ、さっぱり理解できない、信じられない
私も知りませんでした。許してくれジム。
『AKIRA』のネオ東京の道路網も、やっぱり実在の首都高の延長上に想像されたものじゃないかという気がします。首都高を運転しながらAKIRAのサントラ盤を聴くと、むらむらと車線を変えまくって追い越しまくりたくなるのでとても危険です。
投稿: 念仏の鉄 | 2007/02/09 21:52
ややっ、「Xボンバー」がイギリスで大人気だったとは!!
「UFOロボグレンダイザー」がフランスで大人気だったのは知ってたんですが。
永井豪原作作品はヨーロッパ人に受けるのか?
「Xボンバー」は、口元が滑らかに動くハイテクな人形劇(SFスーパー・マリオラマ)で、特にヒロインのラミア姫は永井豪設定の可憐な美少女が見事に造形されていました(人形は顔が命!)。
ブライアン・メイのアルバム「Star Fleet」のジャケット写真が↓ここにありました。
http://www.blk.mmtr.or.jp/~ryuichi/x_bomber.htm
これぞ「Xボンバー」の巨大ロボット・ビッグダイエックスだ!
かっこいいぞ!(息子さんが大好きだったんでしょうね、ビッグダイエックス)
こないだ知り合いの大学の先生が、ドイツからの留学生を預かることになったと言っていました。彼は毎年2回のコミケのために来日していた舶来オタク。ついに「日本でなぜこのようなクールなマンガ文化が発達したのか」を研究するために留学することになったそうです。
私らが評価しないものを異文化人は高く評価してくれることが、しばしばあります。
都市景観についても、単一の尺度で測るのはアブナイということですね。
投稿: 馬場 | 2007/02/10 15:46
国家も都市も美意識は必要ですよ。
ただし、件の施策は弥縫の策というものです。
投稿: ファン | 2007/02/28 01:28
お久しぶりです。
確かに今回の政権、美醜をおしつけるところがあって、いやですね。
そんなことになってるとは…やはり、彼らに美的感覚までまかせておくと、どうなることやら不安になりますね。
ただ、
先日、自転車で日本橋界隈をうろうろしました。
日本橋も渡りました。
やはり、あの首都高の屋根は、なければないに越したことはないですね。ドラゴンだか竜だかのせっかくのブロンズのかっこいい彫刻が、台無しに思えました。
とはいえ、単にあの周辺の首都高だけ地下化しても、川だか用水路だかわからない状態の水の泥っぽさも一緒に浄化しないと、ソウル都心のプロジェクトには及ばないですよね。
以下、今回の日本橋の話題に関連して思ったことですが、
ご存知のとおり、全国どこの町でも市街地再開発が焦眉の急となっています。このことと、今回の動きもどこか関連があるのでしょうね。
田中派~旧橋本派に連なる道路族が幅を利かせた時代が長く続き、地方はどこでも国道がバイパス化され、市街地を通らなくなり、大型店舗の郊外乱立が続いた。いまは全国どこへいっても金太郎飴のような景観が広がってますよね。
郊外の道路の発達の反動で、駅前など都心部の空洞化が激しくて、商店街はシャッター通りとなったのもご存知のとおり。その対策として(すなわち都心部の商工業者の票の取り込み策として)小泉政権は、市街地再活性化に予算を重点配分する政策を打ち出しました。
それに呼応してか学者や都市プランナーの側からも「コンパクトシティ」という概念が提唱されました。
人口減社会をにらんで、郊外へ郊外へと面的に伸びベッドタウンを多くつくるより、都心部を復活させ、高齢者にも優しく環境負荷も少ない、一日の行動圏を集約した、コンパクトながらも活力と魅力ある都市づくりが必要だといった主張だと理解しています(違ってたらごめんなさい)。
いま、地方の中核都市の自治体では、こぞってこの概念に沿った街づくりを展開しようとしているようです。
日本橋の再活性化も、そうした文脈でとらえられるのでは。政府からカネが落ちる土壌があった。
また、この周辺に多く土地を所有する三井財閥グループによる日本橋~茅場町地区の価値向上策の一環としてとらえられるのではないでしょうか。
これは、三菱グループによる東京駅周辺丸の内の再開発に対抗した動きとも言えるでしょうが。
ハードなインフラだけでなく、日本橋ルネッサンスとか銘打って、なんでも「日本橋美人」を決めたり、日本橋をブランド展開して商品を生み出す動きも続いているようです。このへんは、高島屋や三越をはじめ老舗の名店の旦那衆たちが重い腰をあげて動き出した、ということではないでしょうか。
投稿: ペンギン | 2007/02/28 04:40
>ファンさん
>国家も都市も美意識は必要ですよ。
必要ない、とまでは言いませんが、薄っぺらな言葉で美を語られるくらいなら、効率一点張りの方がまし、と思ってしまうことはあります。政治家が政策指針として「美しい国」を標榜するのなら、自身がどういう美意識を持っているのかも十二分に示してもらいたいものですし。
>ペンギンさん
しばらくでした。
> 人口減社会をにらんで、郊外へ郊外へと面的に伸びベッドタウンを多くつくるより、都心部を復活させ、高齢者にも優しく環境負荷も少ない、一日の行動圏を集約した、コンパクトながらも活力と魅力ある都市づくりが必要だといった主張だと理解しています(違ってたらごめんなさい)。
それで正しいかどうかは私もよくわかりませんが(笑)、路面電車を見直そうという声があちこちで上がっているのも、この文脈に沿った動きなのでしょうね。
しかし現実には地方に行けば行くほど「1人1台」の車社会になり、それを前提に町が変容してしまっているので、これを再びコンパクトに戻すのはかなり厄介だろうと思います。
> また、この周辺に多く土地を所有する三井財閥グループによる日本橋~茅場町地区の価値向上策の一環としてとらえられるのではないでしょうか。
> これは、三菱グループによる東京駅周辺丸の内の再開発に対抗した動きとも言えるでしょうが。
いかにもそんな匂いはしますね。やりたきゃ自前でやれよ、と思いますが(笑)。
投稿: 念仏の鉄 | 2007/02/28 11:19
効率という面を最前面に押し出したのが、市場経済主義ですね。
政治に効率を求めるなら、放置放任すれば良いだけのことです。
その結果どうなるかは、ご想像にお任せしますが。
投稿: ファン | 2007/03/01 14:23
>ファンさん
「政治に効率を!」と主張したつもりはありません。念のため。
投稿: 念仏の鉄 | 2007/03/02 10:59
鉄さんこんにちは。久しぶりに書き込みます。
筆者や私(おそらく鉄さんも)の学生時代は日本がバブル経済で調子こきまくってた頃で、都心部の高層化(=土地の経済資源化)と非居住化が同時進行していました。20年前の日本の都市ではこの非居住化が突出しており、農地の宅地並み課税(緑地の都市・都市近郊からの追放)と併せて都心の純経済化がすすんだわけです。とくにこのときに「美しくない」景観が現れたと思う。
(1)変化が急激すぎた。――人びとが許容できる(意識に上らない)変化(漸進的変化)を飛び越えて異物としての建築群が登場した。史的に形成された町並みの認識への暴力的なまでの介入。慣れるには時間がかかる。20年ではまだ十分短い。
(2)ヒューマンスケールを逸脱した。――居住を排除することでヒューマンファクターを無視し得た。4-5階建て程度が人間のスケール(建物を全体として認識できるスケール)だと思うのだが、経済活動としての建設行為は当然それではすまない。人びとがどう思おうがとにかくデカくて効果的で派手なものをつくった。
(3)政策的無策。――外国のいわゆる美しい景観は、製作によって担保されていることが非常に多い(特に都心部においてそう)。例えばバルセロナの歴史地区(近代以前に構築された中層都心地区)では新規建設を著しく制限している。イギリスの海岸線もナショナルトラストなどのロビー活動もあって同様に開発は制限。こうした政策は前世紀までは日本にはなく、建築自由が原則だった。建築基準法も都市計画法も「美しさの担保」を規定しない。
「美は主観的なもの」という常識的諒解に反旗を翻したのはクリストファー・アレクサンダーで、彼は「共同体に内在する共通諒解としての美的基準」があると主張しています。ここをどう認めるか(時間を経ればあり得るのか、経ずとも今現時点であり得るのか、あるいはそんなものないのか)が問われそう。
「醜い景観」への拒否反応は「かつてあった美しい風景(棚田や里山の広がる田舎や、甍の波の揃った都市など)」がなくなりつつあることに対する危機意識の局所的発露だと思うのです。せめて自分たちの住む(利用する)都市くらいはそうしたノスタルジーを破壊するな、ということではないかと。まあ、ご都合主義の一種だと思いますね。政策的対応を放棄しリバタリアニズミカルにほっとけばいい、とはもうとても言えない時期に来たとは私も思いますが。
筆者とは面識があるので、今度会った時にでも話題にしてみようと思います。
投稿: 往生際 | 2007/03/15 16:30
>往生際さん
たぶん我々は、木造瓦屋根や蔵の和風建築についてはそこそこ合意可能な「共同体に内在する共通諒解としての美的基準」を共有しているのでしょうけれど、近代以降の建築についてはそれに匹敵する感覚が形成されていないのでしょうね。それがご指摘の(1)〜(3)の根底にあるように思います。
ついでに言うと、「美しい景観を創る会」のサイトの文章を私が不快に感じるのも、会の人たちが、自分たちの考えや感覚が「共同体に内在する共通諒解としての美的基準」に即しているかどうかを検証する気が一切なさそうなところにあるのだと思います。この人たちはたぶん、自分たちの「作品」にとって住民は邪魔な夾雑物くらいに感じてるんじゃないだろうか(笑)。
投稿: 念仏の鉄 | 2007/03/17 00:27
>鉄さん
近代による造形(建築・土木・都市)をどう捉えるかというのはたしかにこれからの課題と思います。こうした造形はたかだか60年(戦後より起算)しか経験されておらず、共通諒解の美的基準になるにはまだまだ時間が足りてない、というのが私の考えです。モダニズムで建築教育を受けてきた五十嵐氏や私には、そうした近代の造形は自明の美しさがあるんですが……。まあ歴史的遺産になる今後のモダニズム建築・モダニズム構築物の扱い如何できまるでしょう(すでに壊されているものも多いようですが)。
「美しい景観を創る会」のサイトが深いというのは私にも身に沁みます。五十嵐氏の指摘どおり、あそこのコメントはレベルが低いうえに反省的思考が一切ないですから。鉄さんご指摘の住民を「邪魔な夾雑物」としてその一般的志向・嗜好を無視するというのは、これまたエリートにありがちな傲慢な態度ですし。そもそも「醜い景観」を召還した近代のしゃにむな進行に対して、彼らも責任の一端を感じるべき立場にいるはずです。で、そういうケツマクリを見て私はご都合主義と思ったのでした。
今エントリーは自分の専門と関わりがあったので長文になってしまいスミマセンでした。
投稿: 往生際 | 2007/03/17 12:14
>往生際さん
>まあ歴史的遺産になる今後のモダニズム建築・モダニズム構築物の扱い如何できまるでしょう(すでに壊されているものも多いようですが)。
「火事と喧嘩は江戸の華」なんて言葉を思い出すと、日本の都市住民は、城や寺院のような特別な建築物は別にしても、住宅や商店などの「そこらへんにある普通の建物」は仮初めの存在のように捉えていたのかもしれませんね。
私はずっと首都圏の住民なので東京に限って話をしますが、明治に洋風建築が入ってから、関東大震災で壊れ、東京大空襲で壊れ、と東京はやっぱりリセットを繰り返してきました。ぶっこわれないまま60年も経ってしまってどうしたものか、という戸惑いがあってもおかしくないですね(笑)。
>今エントリーは自分の専門と関わりがあったので長文になってしまいスミマセンでした。
いえいえ、ご覧の通り、素人が乏しい知識で書いているエントリですから、詳しい方にご意見をいただけるのはありがたいです。
投稿: 念仏の鉄 | 2007/03/17 14:57