広岡勲『ヤンキース流広報術』日本経済新聞社
著者は、2003年に松井秀喜とともにヤンキース入りし、松井の広報を務めている。以前は報知新聞の記者でジャイアンツを担当し、松井とは親しかったようだ。1966年生まれだから松井より8歳年上になる。
広岡はこれまでにも何冊か松井に関する本を書いているが、いずれも子供向けだった(とはいえ、誰よりも松井の近くにいて松井を熟知する人物だけに、内容は充実している。『松井秀喜 僕には夢がある』を読んだが、他では見たことがないようなエピソードも書かれていた)。
本書は初めての一般向けの著書ということになる。ニューヨーク・ヤンキースというトップブランド、松井秀喜というスターを扱う広報マンが何を考え、どのような仕事をしてきたのかを、ビジネス書として書いている。といっても、あくまで具体例に即した平易な文章で、妙な力の入り方をしていないので、さらっと読める。ページ数は200ちょっとで字数も少ないし、ひとつひとつの要素をあまり書き込んでいないので、1400円という価格(本体)は、やや高く感じられるかも。
「ヤンキース流広報術」と銘打ってはいるが、驚くような戦略や事実が記されているというわけではない。さまざまな局面におけるファンサービス、メディアへのサービスの充実について記されているが、内容的にはさほど目新しいものでもない。ただ、ヤンキースという名門球団のインサイダーとして広岡が見聞きした事実としての重みは感じられる。
たとえばオールド・タイマーズ・デー(シーズン中に行われるヤンキースのOB戦)に向けて、広報担当者がOB名簿を作り、案内状を出し、<OBの誕生日には忘れずに花束を贈る>などという記述は、豊田泰光氏がさぞ喜ぶことだろう。
興味深かったのは、やはり松井の取材対応に関する事柄、それも危機管理の体験談だ。本書の第4章は<問題発生さてどうする?>と題して、トラブルになりかかったケースについて率直に記している。松井はおそらく広報マンにとってこれ以上ないほどの理想的なクライアントだろうと思うが、そんな人物にも、スターである限り困難な局面は訪れる。昨年のケガに際しての対応、ある女優との結婚が噂された時の対応、そしてWBC出場辞退の波紋。
WBC辞退については<できるだけ松井のイメージを損なわないように、アップするのは無理にせよ、なるべくダウンを最小限に抑えながら、代表入りを辞退するというシナリオを作らなければ>と考えていたにもかかわらず、当初WBC出場に消極的だったイチローの出場宣言、<松井が出場してくれないと困る>という日本における<政治的な動き>という2つの誤算により、広岡の計算は狂っていく。結局、広岡は<私の「広報戦略」は失敗だった>と総括し、<広報は常に最悪の事態を予想して、シナリオを作らなければいけないということ>を教訓としている。
とはいうものの、私の印象としては、松井を責める声はむしろ意外なほど小さかった。そこまでに積み上げてきたメディアとの、そして野球ファンとの関係が、出場辞退が松井にもたらした傷を最小限にとどめたという気がする。
広報マンとしての広岡の強みは、自身がスポーツ紙の記者として働いてきたため、メディア側のニーズを的確に把握していることだろう。すでによく知られているように、日本からの記者がヤンキースタジアムのロッカールームに大挙して訪れ混乱するという事態を避けるために、日本メディアはロッカールームに立ち入らない代わりに毎試合後の囲み取材を設定する、という方式を考え出し、日本メディアと松井の双方を説得して実現させたのは広岡だった。一定のニーズさえ満たしてあげればメディア側もそう無茶をするものではない、という信頼が広岡の中にあるのだろう。そして、そのような信頼がメディア側に対する抑止力にもなっていく。
選手とメディアの関係といえば、イチローや中田英寿に見られるような、互いの不信感が不信感を深める“負のスパイラル”ばかりが話題になるが、このような“正のスパイラル”もありうるのだ。
もちろん、松井という選手が、アメリカに行く以前から、取材者に対して分け隔てなく丁寧に対応する人物であったことが、これらが成立するための大きな要因ではあるのだが。
アメリカからさまざまな形で伝わってくる情報のいずれもが、松井秀喜という野球選手がアメリカの野球ファンに愛され、敬意を抱かれていることを感じさせる。そんな状況を実現する上で、広岡の役割は決して小さくなかったに違いない。
本書によれば、松井はヤンキースとの入団交渉の大詰めで、<広岡勲の同行を認めないのであれば契約はできない>とまで主張したのだという。松井がどこまでを見通していたのかはわからないが、MLB入りした日本人選手の中で、日本から広報担当者を連れて行った選手はおそらく松井しかいない。おそらくはそれが、ヤンキースという全米一注目される球団の中で、松井が安心して野球に専念するための最良の方法だったのだろう。
と同時に、広岡は今や松井だけの専属広報ではなく、環太平洋地域の担当も兼務するようになっている。考えてみれば、ヤンキースという世界一の野球チームの中枢で日本人が4年も働いていること自体が珍しいことだ。その意味では、広岡自身もまた貴重な経験を積んだ大事な人物だ。彼がいずれはこの経験を日本に持ち帰り、あるいは米球界にとどまって活躍してくれたらいいなと思っている。
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コメント
"I feel very sorry and, at the same time, very disappointed to have let my teammates down. I will do my best to fully recover and return to the field to help my team once again."
左手首を骨折したときの松井のコメントがこれでした。
日本語にすると「ケガをしたことは残念だし、チームメイトに迷惑をかけたことは申し訳ない。また元気にグラウンドに立てるように頑張っていきます。」というもので、私たち日本人から見ると実に当たり前というか平々凡々たる「挨拶」です。(大ケガをしたにもかかわらず、沈着なところが「さすが松井」とは思わせますが。)
ところが、この凡庸な挨拶が、アメリカ人には猛烈な感動をもたらしたのですから面白いものです。広岡氏も著書で「意外だった」と述べておられますし、日米カルチャー・ギャップが幸運に働いた希有な例なんでしょね。もちろん、松井選手の「人徳」あってのことでしょうが(笑)。
投稿: 馬場 | 2007/03/23 18:38
>馬場さん
>ところが、この凡庸な挨拶が、アメリカ人には猛烈な感動をもたらしたのですから面白いものです。
同感です。発言者によっては批判されかねないという気もします(笑)。
投稿: 念仏の鉄 | 2007/03/23 23:29
桑田投手が、ホームランを打たれたことを監督に「謝罪」、トレーシー監督を感激させています。
http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/p-bb-tp2-20070629-219540.html
上記松井のコメントと、まったく同じケースです。
桑田の場合も「実力」と「人柄」があっての評価なのでしょうが、こうしてアメリカ人を次々と「感激」させているところを見ると、私たちは「日本流」にもう少し自信を持ってもよいのかもしれませんね(笑)。
投稿: 馬場 | 2007/06/30 09:40