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2007年3月

平林岳『パ・リーグ審判、メジャーに挑戦す』光文社新書

 27日の朝、パイレーツの桑田真澄が三塁への悪送球に備えてファウルグラウンドに出ていったところで、突進してきた巨漢の主審と激突して跳ね飛ばされ、右足を捻挫する場面が、ニュース番組の中で紹介された。
 審判がこの位置を走ってきたのはこの試合が審判2人制か3人制で行われていたためで、日本のプロ野球ではまず起こり得ない動きなので、桑田にとって、そこに主審が走ってくるというのは、たぶん想像もしなかった事態なのだろう。不運としか言いようがないし、早期の回復を祈っている。

 短い映像を見ただけで審判の人数(実際には3人制だったらしい)に考えが至ったのは、数日前に本書を読んだばかりだったからだ。
 著者は元パシフィック・リーグ審判員。学生時代からプロ野球審判を志したが採用試験が不定期のためタイミングが合わず、アメリカのジム・エバンス審判学校を卒業してマイナーリーグの審判員になった。日本人では初めてだったという。その後、パの関係者に誘われて帰国、93年にパの審判員になった。99年に松坂大輔が初登板した時の主審が彼だったという。2002年まで勤めた後、再び渡米して2005年からマイナーリーグの審判員としてメジャー昇格を目指している。40歳を前に(今はもう四十路だ)薄給で過酷なマイナーからチャレンジする姿勢には頭が下がるし、世代の近い者として勇気づけられる。

 本書は、そんな著者が経験した日米両国のプロ野球審判員の違いや、審判から見たプロ野球の違いについて記されている。
 ルーキーリーグまで含めれば実質7軍まであるアメリカ野球の最下層からスタートし、ひとつひとつ階段を上っていく。ルーキーリーグと1Aでは審判2人制(1Aの中でさらに3つの階層がある)、2Aと3Aでは3人制で、4人制でやるのはメジャーだけだ。著者は昨年まで1Aの審判だったので、本書の中では2人制の体験談が書かれている。
(著者のblog オールド・ルーキー チャレンジ日記 によれば、現在は昇格したらしく、初の3人制に取り組んでいるようだ)

 アメリカ野球の審判について書かれた本で日本に紹介されたものといえば、1950年代に審判を目指した青年を描いた、爽やかでほろ苦い青春小説『コンダクト・オブ・ザ・ゲーム  大リーグ審判を夢見て』(ジョン・ハフ・ジュニア著/集英社)や、MLBの名物審判だったロン・ルチアーノが書いた『アンパイアの逆襲』*1(文春文庫)などがあったが、日本人の手で書かれたものはたぶん初めてだし、実体験としても、マイナーリーグの実態を記したものとしても、貴重な資料といえる(注)。また、著者以外にもアメリカでメジャー審判員を目指す日本の若者が大勢いるということも本書で初めて知った。さほど遠くない将来に、MLB中継で日本人の主審を見られる日が来る可能性は結構高そうだ。

 第一章では「審判から見たベースボールと野球」と題して、さまざまな局面でのルール解釈やセオリーの相違を紹介しつつ、その背景にある野球の捉え方の違いを分析する。同点で無死一、三塁の場面でゴロを捕球した三塁手がとるべき行動についての相違など、なるほどと思わせる。日米のストライクゾーンの解釈が異なることは知られていても、それが具体的にどう違うのか、そして、なぜそうなのかについても、たいへん明快に考えを記していて興味深い。本塁打を打ってもガッツポーズをしてはいけない等のUnwritten rule(不文律)についても詳しく書かれている。

 著者は<どちらが正しいということではない>と繰り返し書いているけれど、アメリカではこうだ、という強い調子の説明が続くせいか、読んでいるうちに「アメリカがそんなに偉いのかね」と、ちょっとした反感を覚えてしまった。
 著者はアメリカだけを一方的に礼賛しているわけではないし、観客優先の立場からアメリカではこうだ、という記述も多いのに観客である私が反感を覚えるというのは辻褄が合わない。私の了見が狭いのか、著者の文章に何かそう思わせる要因があるのか。
 ただ、日本のプロ野球における審判員の地位や処遇について著者が憤りを抱いていることは明らかで、それが強い調子の文章の遠因になっているのかも知れない。また、常に自己を主張し続けなければ居場所が作れないらしいアメリカ社会では、このくらいの押しの強さがなければ生きていけないのかも知れない(あるいは、そういう社会で生きているからこういう文章になるのか)。そんなことも考えた。

 2人でペアを組んで各地を転戦する1A審判員の生活について書かれた章は楽しく読める。2人でペアを組んだら、そのシーズンはずっとそのままなので、相方との相性も大事だ。移動は常に自動車だというが、著者は国際免許を持っていないそうなので、ずっと運転し続けた相方は、さぞ大変だったに違いない(笑)。相方の家族や他の審判たちとの交流の様子も記され、体力的にきついながらも楽しい日々を過ごしている雰囲気が伝わってくる。


 というわけで、資料的な価値もあるし、読み物としても面白く、アメリカ野球を観る上でも参考になる、といいことづくめの本なのだが、ひとつ釈然としないのは末尾近くに書かれたボブ・デービッドソン審判についての記述。WBCの日本ーUSA戦で、西岡のタッチアップ(英語ではタッグアップ)を「捕球より離塁が早いのでアウト」と判定した例の主審だ。
 著者はデービッドソンと親交があるそうで、彼がMLB審判をやめてマイナーリーグからやり直すに至った経緯を詳しく説明している。99年、ある審判への処遇に抗議してMLB審判員全員が辞表を出すという事件があり、その後、リーグによる切り崩しが進んで辞表を撤回する審判が増える中、最後まで突っ張ってそのまま職を去った22人のうちの1人がデービッドソンだったのだという。その後、彼は再びマイナーリーグからすべての階段を新人同様に上り、現在のバケーション・アンパイア(マイナー所属だが、MLB審判の休暇等で穴が空いた時にはMLBの試合の審判も務める)まで辿り着いた。彼がマイナー所属でありながらメジャーの試合で審判を務めていたのが不思議だったのだが、ようやく事情が理解できた。
 で、著者はデービッドソンが尊敬すべき先輩であり、<絵に描いたようなやさしいお父さん>、若い審判にとっては<すごく気をつかってくれるいい人>だと力説する。日本でデービッドソン審判への人格攻撃めいた報道も見られたことへの反論の意味もあるようだ。そこまではいい。

 釈然としないのは、WBCでの判定について言及した部分だ。
 著者は、「離塁が本当に早かったのかどうか」については<その場にいなかったので、わかりません>という。「テレビ中継のリプレー映像」については、左翼手ウィンの捕球シーンと西岡の離塁シーンが別々のカメラで撮影されており<二つの映像の同期のとり方でどうにでもなってしまいます>とし、従って<あのVTRでは離塁が早かったのかどうかを判断することはできません>という。
また「近くにいた塁審の判定を、なぜ遠くにいた球審が訂正するのか」については<あれはそもそも球審がすべき判定で、責任の所在は球審にある>としている。<最初の判定は本来下されるべきものではありませんでした。二度目のものが、本来判定すべき人が下した判定なので、それで決まりなのです>と書く。

 ここに書いてあること自体は、審判として正しい見解なのだろう*2。ただし、著者が本書で触れなかったことで、ぜひ意見を聞いてみたい点はいくつかある。

1)<あれはそもそも球審がすべき判定>とする根拠は、公認野球規則のどの条文に当たるのだろうか。
9.04(球審及び塁審の任務)を素直に読むと、b-1「特に球審が行なう場合を除く塁におけるすべての裁定を下す。」によって、三塁からの離塁の判定は塁審の任務であるように思えるし、「一つのプレイに対して、二人以上の審判員が裁定を下し、しかもその裁定が食い違っていた場合には、球審は審判員を集めて協議し(監督、プレーヤーをまじえず、審判員だけで)、その結果、通常球審(または、このような場合には球審に代わって解決にあたるようにリーグ会長から選任された審判員)が、最適の位置から見たのはどの審判員であったか、またどの審判員の裁定が正しかったかなどを参酌して、どの裁定をとるかを決定する。」とあるが、デービッドソン球審は全審判員を集めて協議することはしなかった。
公認野球規則ではなく内規のような形で「球審がすべき判定」とされているのかも知れないが、そうであれば関係者以外には知る由もないことだ。

2)デービッドソン主審がアウトの判定を下した時、USAのバック・マルティネス監督はグラウンド上で派手なガッツポーズをした。この行為はMLBのUnwritten ruleに反しないのだろうか。

3)デービッドソン審判はUSAーメキシコ戦で一塁塁審を務めた際、メキシコの打者バレンズエラの、右翼ポールに当たった打球をエンタイトル二塁打と判定した。中継映像で見ると、打球はフェンスよりたっぷり2メートル程度は高い位置でポールに当たっているのだが、どのようにルールを解釈すれば、この打球をエンタイトル二塁打と判定できるのだろうか。

4)本書で詳しく説明されているように、日米間にはルール解釈にかなりの違いがある。他の国では、また別のルール解釈があることも考えられる。にもかかわらず、16か国が参加したWBCでは、MLBの判定基準がそのまま適応され、アメリカ野球の審判員だけが審判として参加した。このような運営はMLB所属選手の多い国に有利になり、国際大会として公正さを欠くのではないだろうか。


 当時、日本の観客はこれらの要因に対して複合的に憤っていたのであり、デービッドソン審判の人格と日本-アメリカ戦の判定についてだけ擁護して他のことは素通りというのでは、読者としてはフラストレーションがたまるばかりだ。
 平林氏のblogにトラックバックを送っておいたので、もしご意見をお聞きできたら嬉しい(シーズン前でお忙しいだろうから、レスポンスを貰えなくても仕方ないとは思うが)。

 なお、これを書くためにWBCの一連のプレーを録画で見直してみたが、西岡がホームを踏んだ時、デービッドソン主審はセーフの動作をしていない。それが普通なのか、あるいはアピールがあればアウトになると意識してコールしなかったということなのだろうか。後者であれば、彼の判定自体は一貫していると言えそうだ。


*1 原題はThe Umpire Strikes Backで、『スターウォーズ帝国の逆襲』の原題The Empire Strikes Backの駄洒落だった。

*2 昨年4月にこのblogで報告した通り、私が書いたデービッドソン審判の判定についての意見を含む手紙への返信の中で、バド・セリグMLBコミッショナーは「I am sorry for some of the umpire calls」と明記している(具体的にどの判定についてかは記されていない)。もちろん、コミッショナーは審判ではないが。


注)
馬場さんのコメントで教えていただいたのだが、2003年に2A審判の内川仁氏が「大リーグ審判武者修行日記」という本を書いているので、本書が初めてというのは間違い。

追記)(2007.3.29)
桑田投手はこの「事故」について、毎日新聞の取材に答えて次のように語っている

 --三塁ベースの付近で球審と接触したことは想定外だったか。

 (ベースの)カバーに行く時は、必ずボールを見ながら塁審がどこにいるかを視界の中に入れているが、まさか後ろから(球審が)来るとは思わなかった。(当日は審判3人制で、球審が三塁上の判定をしていたが)そこまで気づかなかった。注意力が足りなかった。

追記)(2007.10.27)
久しぶりに平林氏のblogを見に行ったら、ひと月半ほど前のエントリ<イチロー選手の審判との駆け引き>が少々物議を醸していたようだ。イチローが判定を不服として審判に批判的なコメントをしたことに対しての論評だが、平林氏に対して批判的なコメントがいくつも書き込まれた。それに対して平林氏は<審判としての立場>というエントリで補足をしている。

この補足が、悲しいほど噛み合っていない。

元のエントリに批判的な書き込みをした人たちの多くは、平林氏の文章のうち、<彼のコメントが、アメリカメディアに出たのかどうかはわかりませんが、審判サイドに伝わっていたとしたら、間違いなく報復されます。勿論、だれもわざとやったなんていいませんが、わからないように、いくらでも際どい判定を不利に判定することはできます。><僕は、本当のところはわかりませんが、その抗議態度が、その後の1塁での判定に繋がったのだと想像できます。>というあたりの箇所に反応している。
つまり、判定に抗議した選手に対して、別の判定によって報復するという行為が審判員によって日常的に行われているらしいこと、それについて平林氏が特に問題意識を抱いていないらしいことにショックを受け、反発している。

私自身がひっかかったのも、それらの箇所だ。たとえ事実がそうであり、選手を従わせるために他に効果的な方法がないのだとしても、それは警察の捜査における別件逮捕のようなものだろう。あくまで必要悪、ルールの中のグレイゾーンであり、当の審判員が公の場で公然と口にするようなことではない。平林氏を擁護するコメントに「上記の馬鹿ども、野球のルールブック読んでから出直して来い!」というのがあったが、ルールブックの中にこのような報復行為を認める条文があるのだろうか? 

しかし、それらのコメントに対する回答として書かれたはずの<審判としての立場>というエントリでは、報復行為についてまったく言及されていない。ここに書かれたことに反対する人はまずいないだろう。「審判を攻撃するべきではない」ということはわかる。だが論点はそこにあるわけではない。

そして、子供達が野球というスポーツをやる目的をもう一度考えて欲しいのです。野球をやることにより、人間として必要な大切なことが学ぶことが出来る、それがスポーツをやる目的なのです。審判の判定に不満だからといって、審判を攻撃するようなことが、正当化される見本になるような行為や言動は絶対にして欲しくありません。又、それをさせないために、審判には、権威や権力を持つことが許されているのです。

野球というスポーツをする以上、判定に対して不満であっても我慢するしかないのです。だから、審判もより正確な判定が下せるように、日々努力を重ねる必要があるのです。そのことは、我々審判はよく理解しています。

この平林氏の美しい結語と、判定による報復が、どうしたら両立するのか、私には理解できない。平林氏は審判を目指す子供たちに、「審判に逆らう選手がいたら、どちらとも決めかねる微妙なプレーの判定に際しては、そいつに不利になる方を選ぶといいんだよ」と胸を張って教えるのだろうか? それが<人間として必要な大切なこと>なのだろうか? 

平林氏はこのエントリを最後にblogを移転して、現在はこれらのエントリへのコメントやトラックバックを受け付けていない。一連の文章とやりとりへの違和感は、本文に記したデービッドソン審判についての記述への違和感に通じるものがあるので、ここに追記することにした。私は彼のチャレンジには敬意を抱いているし、審判に関する啓発・普及活動も貴重なものだと思っている。できれば応援したい人物なので、何度も批判するような真似は気が重いのだが、この文章と対応には納得しづらい。

最初のエントリを読んだ時、「警官に逆らったら、どんな理由をつけて逮捕されるかもわからないから、逆らわない方が身のためだよ」と当の警官に言われたような気分がした、といえば、平林氏にもご理解いただけるだろうか。こういう台詞は、第三者が言えば単なる論評だが、その権力を持つ本人が言えば限りなく恫喝に近づくものだ、ということも合わせてご理解いただけるといいと思う。
ま、ご本人がこのエントリを訪れることは、もうないと思うけれど。

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歌っていた女王。

 エキシビションのアンコール曲として絢香が『三日月』という曲を歌い始めると、安藤美姫は氷上でフェンスに近づいていき、四方のスタンドにそれぞれ挨拶を送った。テレビ中継によれば、この日の朝に安藤が絢香に頼んで歌ってもらうことになった曲だそうだから、振り付けはさほど細かく決められていたわけではなさそうだ。ゆったりと滑り出した安藤は、スパイラルで風を切りながら、絢香の歌を一緒に口ずさんでいた。安藤は誰よりも幸せそうで、そして、そんな彼女を見ているだけで、満員の観衆も、テレビの前の観衆も、幸せになれたに違いない。

 数えきれないほどの観衆が自分だけを注視している舞台に、脚本もなしに出ていって、何の衒いもなく素直な気持ちを表現し、そのことが観客を満足させる。そんなことのできる才能の持ち主は、たぶん世の中にそう多くはない。自分の考えでこういう振舞いができるというのは凄いな、と、ただただ感心しながらテレビに魅入られていた。
 世界選手権2007東京大会の女王、安藤美姫が凱旋している。


 安藤のスケートを、一度だけ会場で見たことがある。2005年の正月、スターズ・オン・アイスというプロのスケートショーにゲスト出演した時だった。ヤグディン、サラ・ヒューズら並み居る五輪メダリストたちと比べても、滑ることで観衆と喜びを共有する度合の深さにおいては、安藤はまったく引けをとらなかった。天性のエンターテイナーだな、と感じた。
 エンターテイナーといっても、村主章枝のように技術と演出によって自分の世界を作り上げ、観客の前に差し出して見せる、という才能とはまた異なる。安藤のスケートには、観客に対して何かを見せるというよりも、観客の気持ちとひとつになってしまうような空気があった。

 だが、それからの歳月は、彼女にとっては厳しいものだった。ジュニア選手として4回転を飛び、全日本選手権を2年続けて制した時の勢いから、何かの壁に当たっていたことは明らかだった。それが体の成長によるものなのか、技術的な壁なのか、精神的なものなのか、メディアに振り回された悪影響なのか、私には判らない。それぞれが、あるいはそれ以外の何かが、彼女の演技を曇らせていった。それでもトリノ五輪代表に選ばれはしたものの、初めての大舞台での演技は、満足のいくものではなかった。その頃のテレビに映る安藤は、いつも脅えたような硬い表情をしていた。

 それから1年。私は今シーズンの安藤の演技を断片的にしか見て来なかったけれども、演技中の、あるいはその前後の競技場での、そしてテレビの取材に応える表情が、ほんの少し前とは別人のように成熟していたことに驚いていた。ついこの前までテレビカメラの前でも「ミキ」を一人称として使っていた少女が、思慮深く落ち着いた大人に、己を見つめながら戦うアスリートになっていた。
 彼女が持つ能力や過去のパフォーマンスからすれば、もっと早く世界選手権のような舞台で金メダルを手にしていたとしても、おかしくはなかったかも知れない。だが、いろんな意味で準備が整った今こそ、彼女にこのメダルは相応しいように思う。

 いろんな回り道をした末に、安藤はまた「観客の気持ちとひとつになってしまうような」天真爛漫なスケートを見せてくれた。でも、それは前と同じ場所に戻ったということではない。その回り道はきっと螺旋階段のように、彼女をひとつ高いステージに連れていってくれたに違いない。

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世界フィギュア初日を見物する。

 世界フィギュア初日の東京体育館には、空席も結構多かった。この夜の種目はペアのショートプログラム。日本代表がエントリーしていないのが空席の理由かも。

 会場でフィギュアスケートを観るのはこれが2度目の初心者だが、テレビとの最大の違いはそのスピード感にあるように思う。アリーナ席に座ると、目の前に来た選手があっという間に数十メートル先に去っていく。おそらくは全力疾走するよりも速く移動しながら、にこやかに演技をしているというのは、かなり非日常的な光景だ。

 もうひとつ、テレビで見ていると、まるで体重がないかのように軽やかに飛び上がってくるくると回っている天使のような女子選手たちも、近くで見れば、やはりアスリートらしい筋肉と相応の重量を備えているのがわかる。着氷する時のドンとかズサッとかいう音も重々しい。そういう生身の人間が重力に抗ってジャンプすることがいかに大変かというのも伝わってくる。

 にもかかわらず、中国の申雪(Xue SHEN)やホウ清(ホウはまだれに龍:Qing PANG)は、まるで体重がないかのように軽やかに見えるのだから凄い。プログラムにまで大本命と書いてある申雪/趙宏博が登場したのは出場22組中の21番目だった。
 場内FMラジオで解説していた天野真は「レベルの高いプログラムを組めば正確さにこなすのが難しくなるし、レベルを下げれば高得点が狙えなくなる。どちらをとるかはすべてのコーチが悩むところ」と話していたが、この2人は、そんなジレンマとは無縁だ。素人目にも誰よりレベルが高く難しいであろう技を次々と繰り出しては、誰よりも正確にこなしていき、表現力も豊か。
 ど素人の観客も、21組も続けて見ていればそれなりに目が肥えてくる。彼らは明らかに格が違う。2分50秒の演技を終えて静止した瞬間に立ち上がって拍手を送っていたし、周囲の観客の多くも同じだった。SPでは唯一の70点台を出し、もちろん大差の1位。観客をもっとも喜ばせた演技が、ジャッジにも高く評価されたという、幸福な結果だった。

 日本代表がエントリーしていない、と書いたが、日本出身の選手は2人出場していた。
 トリノ五輪でもおなじみの井上怜奈はジョン・ボールドウィンとアメリカ代表として。そしてもう1人、川口悠子はアレクサンドル・スミルノフと組んで、ロシア代表として。2人ともスタンドからは大きな拍手と声援を受けていた。
 井上/ボールドウィンは得意技のスロウトリプルアクセル(たぶん)に失敗して点数は伸びなかったが、川口/スミルノフは手堅い演技で上位に食い込んだ。
 川口という選手について私は何も知らなかったのだが、日本ではなかなかよい相手が得られず、アメリカで活動した後、昨年ロシアに渡ったのだという。五輪と違って世界選手権では国籍は障害にならないようだ。このまま、このペアが好成績をあげていけば、次の五輪を狙ってロシア国籍を取得することになっていくのかも知れない。

 素人目に想像しても、日本の女子選手は欧米の男子からペアの相手として好まれそうな要素をたくさん持っている。小柄で体重が軽い。技術レベルが高い。欧米の女性に比べれば協調性も高そうだ。
 逆に日本国内の状況を考えると、現在の女子シングルは非常にレベルが高く、日本代表に食い込むのも容易ではない。だいたい、現在のナンバーワンと目される浅田真央はまだ16歳だ、当分はそこに君臨するだろう。まだ伸び代のありそうな安藤美姫も19歳。同世代の女子選手にはなかなか厳しい状況ではある。ペアに活路を見いだそうと考える選手がいても不思議はない。
 だが、国内でペアを組むにしても、体格と膂力に優れた男子選手は日本にはなかなか現れないだろうと思う(現在の日本人男子のトップである高橋、織田にペアのパートナーが務まるとは思えないし、過去の男子選手を思い起こしてもペア向きと思われる体格はほとんどいない)。

 だとすると、パートナーを求め、活躍の場を探して、日本の女子選手が海外に出て行くという動きは、今後もありうるのかも知れない。もしかすると逆に、空いている日本代表枠を狙って、海外の有望な(しかし国内選考の壁が厚過ぎて国際大会までは手が届かない)男子選手が日本にやってくる、などということも起こるのだろうか。日本国籍を取得するのは世界的には困難な方なのだろうが、最近は代表クラスのスポーツ選手はあまり時間がかからずに取得できているようだし。
 スタンドからしきりに暖かい声援を受けている「米国代表」や「ロシア代表」の日本女性たちを見ていると、それも、そう悪いことではないような気もする。


 蛇足だが、以下は運営サイドへの苦言。

・アリーナ席の椅子はパイプ椅子だった。左右をビニールバンドでしっかり固定しているから幅も狭く、座り心地が非常に悪い。最大9時間、ペアだけでも4時間という長丁場を座り続けるのは困難で、足や腰が痛くなった。8000円という安くない値段の席なのだから、もう少しまともな椅子を用意してほしい。

・会場内にはプログラムをどこで買えるのか表示がなく、係員に聞いてやっとブースを見つけた。商売っ気がないというかなんというか。

・会場内向けにミニFMの解説放送が行われていた(この日は天野真と伊藤みどり)。場内放送で、受信用ラジオを無料で貸し出している、と知らされたのだが、それがどこで借りられるのかがわからない。入り口の係員に聞いても知らず、別の係員に聞いてようやく判明。

・ で、ブースは見つかったが、どこにどう並んで誰に何を申し込めば借りられるのかがよくわからない。客は結構集まってきているし、ブース内には手の空いているように見えるスタッフが数人いるのだが、集まった客を効率よくさばくために何かしようという動きは皆無。途中で気付いたチーフらしい男性が、並んでいる人々に申請用紙とペンを配り始めたが、ブース内のスタッフは他人事のように見ている。
 というわけで、運営サイドがこの状態を放置しておくなら、観客が増える本日以降にはかなりの混乱が生ずるのではないかと思われる。
 私はもう行かないので関係ないですが。

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裏金を受け取るアマチュア野球側には、構造改革は必要ないのだろうか。

 西武がアマチュアの2選手に金銭供与をしていた事件は、どうやらドラフト改革にまで波及することになるらしい
 一場事件の後に12球団が倫理宣言をしたのに、その後も防げなかったのだから、今度は具体的な罰則を設けるなり(例えば直近のドラフト会議への参加停止とか)、ドラフト制度の希望枠を廃止するなり、ウェーバー制度に変更するなり、制度そのものを変えなければならないだろう。それはそれで結構なことだと思う。

 で、このblogでは過去にもさんざん書いてきたことだが、こういう事態に際して選手会が「スカウト不正の温床といわれる希望枠撤廃を」というような主張をすることについて、私は大きな違和感を抱いている。
 裏金と呼ばれる不正な金銭供与は過去にも行われてきたが、それを受け取っていたのはプロ入りした選手(あるいはその家族や指導者)であり、そのうち現役の選手は選手会に所属している。例えば2004年の秋、2002年のドラフトで指名されヤクルトに入団した選手の契約金の一部を受け取ったとして日本学生野球協会から処分を受けた高校と大学の監督がいた。それらの選手がまだ現役で在籍するのなら、宮本選手会長と同じ球団の後輩ということになる。
 事件の一方の当事者が選手会の内部にごろごろ(かどうかは知らないが、まあ何人かは確実に)いるのだ。選手会が本気でこの問題を解決したいと思っているのなら、まず内部調査を行って、過去の金銭供与に関する実態を綿密に明らかにしたらよいのではないだろうか。実態が把握できて、はじめて実効性のある対策も立てられる。それをしないで制度改革の要求ばかりしているというのは順序が違うように思う。

 今のところメディアの報道は西武球団(およびプロ野球界の体質)に対する批判に終始しているように見える。金銭を供与された2選手はどちらかといえば被害者として扱われている。
 早大野球部員の父親はメディアに対して西武への怒りを語っているようだが、例えばこの毎日新聞の記事を読むと、果たして一方的な被害者と言えるのかどうか。

<父親によると、選手は中学時代から西武のスカウトに注目され、高校卒業後に「うちに来ないか」とドラフト指名を打診された。しかし、父親は「野球をやめた時のことも考えたほうがいい」と大学に進学させることにした。当初、学費が免除になる特待制度で別の私立大学に進学するつもりだった。しかし、早大野球部からも誘いを受けたため、西武に相談したところ「お金は出しましょう」と言われた。4年後に西武と入団契約した時に、契約金から天引きする契約だったという。>

 このくだりの事実関係に間違いがないのであれば、息子を早大に行かせたいが学費が高くて難しい、という相談を父親から西武に持ちかけたことになる。魚心あれば水心。

 別にこの父親を糾弾しようとか、だから西武に罪はないと主張しようとかいうつもりはない。払った側にはもちろん問題がある。とはいえ、受け取った側にまったく問題がないわけでもなさそうだ。
 そして今のところ、「払った側の問題」については世間も注目し当事者たちも改善する姿勢を見せているが、「受け取った側」について対策がとられる兆しは見えてこない。それで大丈夫なのか、ということが私には気になる。

 全日本アマチュア野球連盟の松田昌士会長は西武だけでなく受け取った側へも苦言を呈していたが、高野連はこういうケースではだいたい被害者の立場をとる。今回も同様で、幹部は「防止のために希望枠の見直しを求めていきたい」というような発言をしている。それはそれで結構なのだが、高校野球の側にも、再発防止のための構造改革は必要ではないのだろうか。

 高校の野球部が強くなり、甲子園まで勝ち進むには、おそらくかなりの金がかかる。私は報道される範囲でしか知らないけれど、自宅に部員を下宿させたり、部員のために合宿所を作ったり、練習のための施設を作ったりしている監督は珍しくなさそうだ。それらの負担を個人で被っているような監督も少なくないだろう。
 また、甲子園に出場すればしたで、学校や父兄に想像を絶するような金銭的負担がのしかかってくる。以前、このblogのコメント欄で、ある強豪校では甲子園に出場が決まると選手の父兄がそれぞれバスを1台づつ自費でチャーターして応援団を甲子園まで送り込む習慣がある、と書き込んでくれた方がいた。これが事実であれば、家計が危機に瀕する家庭もあるだろうと思う。
 つまり、強豪校であればあるほど、指導者や選手の家族が金銭的に過大な負担を背負う土壌が、高校野球界にはある。そんな状況でプロ球団から目の前に金をちらつかされたら、判断を誤る人も出てくるだろう。あるいは自発的に球団に金を要求する関係者も出てくるかも知れない。
 高野連は、そんな土壌を放置しておいて、「金を出す方が悪い」と一方的に言っているに等しいのだが、それで問題が解決に向かうのだろうか。

 正直なところ私は、アマチュアの指導者が育てた選手の契約金の一部を受け取ること自体が、それほど悪いことだとは思っていない。その選手がプロ入りするレベルに成長する上で、指導者が寄与する部分は必ずあったはずだ。そのために費やしたものの一部をプロ側が負担することが、公序良俗に反したやりとりだとは思えない。
 その金が密かに監督個人の懐に入るのが問題なのであって、契約金の何%という一定の割合を定め、監督個人ではなく野球部の会計に確実に収められるようにすれば、それでよいのではないか。応援団その他の出費に備えてプールしておいたってよい。現金の授受は認められないというのなら、ボールでもバットでも相当額の用具を現物供与するという手もあるだろう。以前も書いたことだが、日本のプロ野球界が若年層の育成機能をアマチュア球界に全面的に依存している以上は、そしてとりわけ社会人野球界が存続の危機に直面している以上は、経済面も含めた援助を考えるのは当然の帰結だと思う。

 「裏金」にしておくから問題になる。筋の通った金銭の授受なら、表に出して制度化してしまえばよい。


追記(2007.3.15)
< プロ野球・西武が早大の選手(21)に対し、入団の約束を交わした見返りに金銭を渡していた問題で、日本高校野球連盟の田名部和裕参事は14日、「過去に例がない程、責任は重い」と、入団申し合わせに関与を認めた野手の出身校、専大北上高(岩手)のコーチだった教諭に、厳しい姿勢で臨む考えを示した。
 田名部参事は「(発覚した)コーチの関与は問題の一部分に過ぎないと思うが極めて残念」。今後、西武の詳細な調査報告を受けたうえで、岩手県高野連の確認を待って対応する。
 一方、高校の指導者の関与は明らかになっていないが、西武から金銭を受け取っていた東京ガス・木村雄太投手が在籍した秋田経法大付高(秋田)に対して、田名部参事は「当時の指導者には管理責任があった」との見方を示した。(2007年3月14日20時4分 読売新聞)>

なお、エントリ本文中に記した、2004年秋に処分された高校野球の監督とは、この専大北上高校の監督だった。当時の監督と今回のコーチが同一人物でないのなら、個人の不始末というより野球部そのものの体質問題となっている可能性がある。また、2004年に処分された監督は、専大北上の選手ではなく「系列大の部員」の契約金の一部を受け取ったとされている。該当者と思われる選手は専大北上高の出身ではないので、なぜその契約金の一部が専大北上の監督の懐に入るのか、考えるとなかなか興味深いものがある。

追記2(2007.3.22)
今週発売の週刊文春2007.3.29号に<緊急座談会 現役スカウト・アマ野球監督が「裏金」全部バラす>と題した匿名座談会が掲載されている。匿名なので信頼性はいささか落ちるものの、興味深いエピソードが満載。一部を以下に紹介する。
「悪名高い監督は社会人にも大学にも結構いますよね。大学からの給料では到底買えないような高級外車に乗っている人や、教え子がプロに入ると家のローンを完済しちゃう人。」(アマ監督)
「悪質な例もある。スカウトと高校の監督がグルなんです」(現役スカウト)「契約金の半分くらいをなんだかんだと理屈をつけて監督や野球部に寄付させ、さらにその一部を自分にキックバックさせる」(アマ監督)
「プロのスカウトとの接触を禁止したところで“ブローカー”がいる。近畿や神奈川には特に多いけれど、彼らは『人身売買』しているようなものでしょう」(元プロ球団幹部)

最後の談話にある“ブローカー”に関しては、発売中のNumber674号に掲載されている郡司定則の「野球留学白書」に詳しい。地味だが衝撃的なノンフィクション作品だ。

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国立競技場をとりまくイヤな空気について。

 この冬は北海道や甲信越など寒いはずの土地をあちこち訪れたけれど、私の実感だけで言えば、もっとも寒かったのは28日の夜の国立霞ケ丘競技場のスタンドだ。ピッチの上では北京五輪二次予選の香港戦が行われていた。「寒かった」というのは試合内容の比喩ではなく、物理的な話(ま、内容も寒かったんですが)。
 暖冬とはいえ、日が暮れて風が出てくると、やはり冬は冬だ。私が座っていた代々木側のゴール裏には、正面から風が吹きつけて逃げ場がない。風に体温を奪われ続け、ついに後半開始早々、売り子のおねえさんの「熱燗いかがですか」の誘惑に屈してしまった。結局大して効かなかった上、3点目が入った頃には冷や酒になっていたが。
 まあしかし、国立で冬に見るサッカーというのは、だいたいが寒いものだった。トヨタカップの試合時刻が夜になってからは、いつも震えながら見ていたような気がする。

 私がスタンドからサッカーを見るようになったのは1990年前後からだが、味の素スタジアムができる以前は、足を運ぶのはこの「コクリツ」こと国立競技場が大半だった。トヨタカップはもちろん、代表の試合も当時はほとんどがここで行われていたからだ。ワールドカップ予選でいえば、アメリカ大会の一次予選ホームは1試合を除いて国立だったし、フランス大会の最終予選ホームはすべて国立だった。元日には天皇杯決勝が行われ、高校サッカーも出場校はここを目指す。

 ユベントスとの引き分けをもたらした日本代表・井原のヘディングシュート。ワールドカップ・アメリカ大会一次予選の天王山で柱谷が先制ゴールを決めて腕をぐるぐる振り回しながら走る姿。フランス大会予選の韓国戦の試合前、帰化したばかりの呂比須の名がスタメンで読み上げられた時にスタンドから湧き上がった地鳴りのような歓声。UAEと引き分けてフランス行きが遠のいた試合後に正門の外から投げ込まれた石やガラス瓶。ラモスの引退試合の夏の夕暮れにピンク色に染まった空と街。ラモスといえばヴェルディのチャンピオンシップ連覇を決めたループシュートもあった。
 そして、J1昇格当初のFC東京が、当時最強を謳われたジュビロ磐田に2度リードされて2度追いつき、ついにひっくり返して勝つのを見て「一生このチームについていく」と思ったのも、このスタジアムだった。
 トヨタカップや天皇杯決勝やナビスコ決勝も含めて、このスタンドから見た場面を思い起こせばきりがなくなる。年間観戦数が多くても10試合程度の私ですらこうなのだから、年季の入った観戦者なら、国立の思い出を語り始めたら夜が明けてしまうことだろう。

 サッカーだけではない。言うまでもなく現在の建物は1964年の東京オリンピックの主会場だった。ラグビーの日本選手権決勝も新日鉄釜石が7連覇した頃はここで開かれていた。東京国際マラソンでは瀬古や谷口や中山がこのスタジアムで金メダルのテープを切った。91年には世界陸上が開催され、カール・ルイスが走った。
 戦後日本の陸上、サッカー、ラグビーの主要な大会や試合の大半が、このスタジアムで行われたといっても過言ではない。20世紀が終わるまでは。

 国立の地位が絶対的なものでなくなりはじめたのは、ワールドカップ2002年大会を開催しないことが決まった90年代半ばあたりからだと思う。1958年に建てられたスタジアムは、だんだんと時代に取り残され、各競技が要求するレギュレーションを満たすことができなくなってきた。現在の屋根の面積ではFIFAがワールドカップ会場としては認めないし、トラック数は最新の陸上の国際規格には不足している。

 東京都が公表している2016年五輪の開催概要計画書(招致本部サイト でpdfファイルを閲覧・ダウンロード可能)の中でも、国立競技場は会場として使われる予定がない。近隣にある東京体育館や代々木体育館、神宮球場などではそれぞれ何らかの競技が行われるが、国立は存在そのものが無視されている。
 先般開かれた東京マラソンでも、国立を起点にしていた東京国際マラソンの伝統を捨てて、都庁スタート・お台場ゴールというコースに変わった(五輪招致と連動したイベントなのだから当たり前ではあるのだが)。五輪招致への動きが活発化するにつれて、国立競技場の存在感は薄れる一方だ。


 2002年のワールドカップにおいて、東京で試合が行われなかったのは、もっとも残念なことのひとつだ(複数都市で開催されるワールドカップにおいて、首都が会場にならないというのは、きわめて稀なことだ)。
 Wikipediaの2002FIFAワールドカップの項目を見ると、上述のように国立が開催規格を満たしていなかったことが理由と理解されているようだが、国内で開催都市を募っていた90年代初頭には、立候補した他の都市にも規格を満たすスタジアムなど実在してはいなかった。作る計画があっただけだ。
 現実には、2002年には東京スタジアム(味スタ)が存在していたわけだから、選考段階で東京都にその気があれば、国立では無理にしても、東京でワールドカップを開くことはできたはずだ。もったいない話ではある。

 要するに、90年代初頭の時点で、東京都にはワールドカップをやる気がなかったのだろう。当時の鈴木俊一都知事は、96年に臨海副都心で世界都市博覧会を開催するという計画を立て、実現に向けて熱心に動いていた。大きな費用と労力を要するイベントが目の前にあるのに、21世紀という遠い将来のサッカー大会のことまで手が回らなかったのだろうし、議会の理解を得るのも難しいことだったろうと思う。
 しかし、鈴木都知事の願いは適わなかった。95年に青島幸男が「都市博中止」を公約に都知事選に出馬して、鈴木が後を託した人物を破って当選し、公約通りに博覧会を中止した。その段階ではもう2002年ワールドカップの候補都市は絞られた後。結局、東京都は都市博もワールドカップも逃してしまったわけだ。

 現在、招致活動が行われている2016年東京オリンピックの計画においては、都市博の中止によって(バブル崩壊も大きく影響しているだろうが)当初の開発計画が大幅に狂った臨海副都心が、会場の中心地となっている。
 概要計画書では、主会場となる10万人収容のオリンピックスタジアムを晴海5丁目に建設することを予定している。場所はこちら、レインボーブリッジの北側、晴海埠頭公園の裏あたりだ。「スタジアムにスポーツ・ビジネス・文化・商業など多様な用途を一体的に組み込むことによって、周辺をこれまで日本にはなかったスタジアム門前町となるよう設計しています」とされている。
 これ以外にも、東京ビッグサイトに特設プールを設けて水泳会場とし、テニスはもちろん有明。ほかにもこの地区内の仮設会場でいくつかの競技を行う。選手村は有明一丁目に建設し、大会後は住宅として利用する予定だ。オリンピックを機にこの地域に大きな資金をつぎ込んで大会後に利用したいという意図が、明確に読み取れる。
 臨海副都心開発の観点から見れば、東京オリンピックはたぶん、都市博が担うはずだった役割を20年遅れで実現するイベントなのだろう。

 昨年9月の読売新聞の記事<【五輪東京の挑戦】中 臨海部変える“錬金術”>によれば、都の当初の計画は、国立競技場を中心とした神宮外苑地区を整備して主会場にすることを考えていた。それを断念した理由は、次のように説明される。

都幹部は、「外苑は明治神宮や独立行政法人の所有地と都有地に分かれ、都市公園法でも開発が規制されているため、調整に時間がかかる」と説明する。晴海ふ頭や選手村予定地となった江東区有明が都有地で更地なのに比べ、使い勝手が悪すぎるというのだ。>(同記事から)

 記事の中でもうひとつ気になるのは、オリンピックスタジアムについての以下のくだり。

建設費は、同規模のスタジアムに比べ、当初見込みを300億円も上回る1107億円で、国の全額負担を前提とする。

 東京五輪だからといって、都が自前で施設を建てるわけではない。
 要するにこれは、晴海に新しい国立競技場を作らせるという計画だ。
 機能においては霞ケ丘競技場とほぼ共通で、しかもスペックとしてはあらゆる面で霞ケ丘を上回るであろう競技場が新設された時、霞ケ丘競技場はどうなるのだろう。都の目論み通りに1000億を超える国の金が新競技場につぎ込まれたら、霞ケ丘に回ってくる予算などなくなってしまう。東京都にとっては、国立の将来などどうでもいいということか。

 設備が時代の要請にそぐわないものになっているのだとしても、国立霞ケ丘競技場には2つの点で大きな価値があると私は思っている。
 ひとつは立地だ。東京の中心部に位置し、JRと地下鉄の3つの路線の4つの駅が徒歩圏内にあり、たいへんに交通の便がよい。もう少し歩けば渋谷や新宿という都内有数の繁華街にも出られる。野球場、ラグビー場、体育館、スケートリンク、プールなど多くのスポーツ施設が集積している。一般の人々が使えるスポーツ施設もある。
緑豊かな公園の中でもある。
 こんな場所は他にはない。これから東京の中に作ろうとしてもまず不可能だ。世界中の大都市を見渡してもここに記した面で匹敵するところは少ないのではないか。

 もうひとつは、冒頭にも思い出話を延々と記した、このスタジアムの歴史だ。
 かつて、このblogにこんなことを書いた。

スタジアムの良し悪しは、建てられた時のスペックだけで決まるわけではない。そこで試合が行われ、思い出が積み重ねられることで、単なる建築物から夢の砦へと育っていくのだ。

 国立競技場は、まさに戦後日本のスポーツの<夢の砦>だった。
 そこで繰り広げられたプレーを見て、心を震わせた人々がその舞台を目指し、たどりついて、今度は見る者の心を震わせる側に回る。そうやってスポーツは人々の心に根を下ろしてきた。これを単なる感傷と切り捨ててしまうのなら、そもそもスポーツというもの自体の足下が怪しくなる。「思い出」を経済効果に換算することはできないが、それはスタジアムの一部であり、スポーツの一部でもある。切り離して考えることはできない。

 だが、今やその<夢の砦>は、オリンピック招致計画からは無視され、新しい競技場にとってかえようという動きが進められ、運営する独立行政法人の経営不振を理由に、ネーミングライツ販売や「競技場を担保に借金する」などというプランまで検討に上っている(担保の話は噂やオフレコではなく、文部科学省の審議会でも実際に話題に上っている。現実には難しいというのが結論のようではあるが)。

 これら個別の事象が悪いことだとは必ずしも言いきれないが、それぞれの背景や姿勢を見ていると、<夢の砦>に対する敬意を欠いている。つまりはスポーツを愛する人々への敬意をも欠いている。
 そんな敬意の欠如した人々が、スポーツ行政を左右し、あるいはオリンピック招致を計画しているというのは辻褄が合わない。「オリンピックを開催するためには、過去のオリンピックの思い出などに取るに足らない」という考えが根底にあるのだとしたら、開催計画など悪い冗談としか思えない。

 紹介した読売の記事の最後に、次のような都の幹部の談話が紹介されている。

「『コクリツ』には、こだわりのある人が多い。晴海にオリンピックスタジアムを建設すると国に言わせるのが、知事の大きな仕事」

 そういうことなら、私は大いに「コクリツ」へのこだわりを語っていこうと思う。
 新しいスタジアムの建設そのものには特に反対する気はないが(とはいえ都内に味スタがあり、首都圏に日産スタジアムや埼玉スタジアムがある中で、あえて国の金を1000億以上も使って作る価値があるかどうかは疑問だが)、それが「コクリツ」にとってマイナスになるのであれば、肯定はできない。あまり軽々しく扱ってもらっては困る。

 スタジアムは、その物理的・心理的な存在の大きさに比べて、いとも簡単に消えてしまう。かつてプロ野球のフランチャイズだった球場も、ずいぶんと消えたものは多い(たとえば大阪球場)。
 私は「コクリツ」にそんなふうになってほしくはない。たとえ最高水準の国際大会を開くことはもはや(改装しても)不可能なのだとしても、かつてそれらが行われた舞台として、スポーツという一回性のパフォーマンスの記憶装置として、人々に愛されながら余生を永らえてほしい。耐用年数などの事情でいつかは取り壊して建て直さなければならないのだとしても、その後に作られるものは、「コクリツ」が積み重ねてきた歴史と人々の愛着を引き継ぐ施設であるということが明確に判るようにデザインされた建築物であってほしい。そう願っている。

 最後にひとつ妄想を。
 東京都が計画している晴海のオリンピックスタジアムは、第1種公認陸上競技場を予定されている。トラックは今の国立より多い9レーンになる。陸上競技界にとっては大いに歓迎すべき話なのだろうと思う。主要な大会もそちらに移ることになるだろう。
 もしそれが実現するのであれば、霞ケ丘は陸上界にとってはさほど必要でなくなる(その頃には味の素スタジアムにも陸上用トラックが造られているはずだし)。
 ならば、霞ケ丘は球技専用スタジアムに作り替えるというのはどうだろう。国に金がないのなら、サッカー協会が電通に集めさせて買い取ってしまったらどうか。もしそこまでやれるのであれば、スタジアムの名称がアディダスやキリンになったとしても、私は文句を言わない。


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