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2007年4月

吉井妙子『夢を見ない男 松坂大輔』新潮社

 入手してからしばらくは職場の机の脇に積んであった。たまたま手に取ったら面白いので、そのまま一晩で全部読んでしまった。ちょうど、松坂が初めてMLB公式戦に先発する夜のことだった。今は自宅で地上波しか入らないので生中継は見られない。そのまま眠って一夜明けたら、松坂はあっさり10三振を奪って初勝利を挙げていた。絶好調というわけではなさそうだが、坦々と投げて、当たり前のように勝つ。まさに彼が言う通り、「夢」ではない現実がそこにあった。

 タイトルの意味は、開巻まもなくレッドソックスの入団発表記者会見の様子を記した第一章で明かされる。<「大リーグ入りの夢が叶った今の気持ちを聞かせてください」>という米国人記者の質問への松坂の答えの中にある。
「僕はもともと夢という言葉は好きではありません。見ることは出来ても叶わないのが夢。僕はずっとメジャーで投げることが出来ると信じ、それを目標としてやって来ました。信じてやってきたからこそ、今ここにいられるのだと思います」
 夢を見るのでなく、目標を掲げてそれを目指す。著者は松坂から口癖のようにそう聞かされてきたと書く。各界の成功者の口からしばしば出てくる成功の要諦に通じるものがある。

 著者は朝日新聞出身のスポーツライター。中島悟や清水宏保についての著書がある。1人の選手を長期にわたって取材し続けることが多い。松坂に関しても週刊誌(確か文春)に聞き書きの連載を持っていた。
 スポーツライティングの世界には、有名選手や監督に長期間密着してさまざまな媒体に書いていく“食い込み系”ともいうべきライターが少なくない。そういう人たちが書いたものには、被取材者との親しさをひけらかすかのようないやらしさを感じたり、被取材者の言い分を無批判に垂れ流す“お筆先”っぽさを感じたりすることがしばしばあるのだが、著者の書くものにそういう匂いを感じたことはない。取材対象への大いなる敬意は明らかであっても、相手と一定の距離感を持ち、書き手の中で消化した上で読者の前に出してくる。そういう節度を感じる。誰を持ち上げるでもなく誰を貶めるでもない筆致は、読んでいて心地よい。

 プロ入り以降、私が松坂に抱いていた印象は、「有り余る素質を持ちながら、肝心なところで勝てない投手」だった。シドニー五輪予選と本大会、ジャイアンツとの日本シリーズ、近鉄との優勝争いの中で中村紀洋に食らった逆転ホームラン。桧舞台に立ち、自分の手で栄光を掴むチャンスを目の前にしながら、ことごとく敗れていた。何か精神面で問題があるのではないかと感じていた。
 だから、著者が本書で松坂のプロとしての意識の高さ、プライベートな場での周囲への気配りを称賛し続けることには、疑ったわけではないけれど、読んでいて若干の違和感を感じていた。
 だが、読み進むについれて違和感は氷解した。松坂といえども最初からそうだったわけではない。プロ入り後しばらくは、試合後にクールダウンもせず、高校時代の友人に誘われるとそのまま遊びに行って朝まで帰らない(酒は飲まないそうだが)こともしばしば、という若者だったという。それでもあれだけ勝っていたのだから呆れるが(笑)。

 そんな松坂を変えたのは2002年の右ヒジ痛による長期戦線離脱、そして、年上の恋人の粘り強く厳しい叱責だったという。つまり、今の彼の妻だ。著者は松坂のプロ入り1年目のオフに彼と知り合い、友人として付き合ってきたが、スポーツアナウンサーだった妻とも2002年のソルトレーク五輪で知り合い、その真摯な仕事ぶりに感銘を受けた(もちろん松坂の交際相手だということはその前から知っていたわけだが)。以後、それぞれから相談を受けたりしていたようで、2人の交際についても1章を費やして詳しく記している。
 どちらかというと妻寄りの目線で書かれているが、著者がそうなるのも無理はない。別に女同士だからというわけではない。妻にとって松坂との恋愛は二重の戦いだった。世間の厳しく嫌らしい目との、そして、自らの素質を大事にしない松坂大輔のメンタリティとの。何度も破局の淵に立ちながら、2人は危機を乗り越える。初の日本一、アテネ五輪でのキューバへの勝利、そしてWBCでの世界一という近年の松坂の栄光は、妻なくしては得られなかったに違いない、と本書を読んだ人なら誰もが感じるだろう。レッドソックスとの交渉の中で、ことあるごとに家族のことを口にしていたのも納得できる。

 順序が逆になったが、本書は、昨秋のポスティングからレッドソックスとの契約成立に至る経緯から始まる。かなり詳細に書かれていて、MLBのスカウティングや契約交渉についての、よいケーススタディの材料になりそうだ。松坂がなぜスコット・ボラスと代理人契約を結んだのか不思議だったのだが、それも納得できる。

 いろんな意味でバランスがよい本。この春は何冊もの松坂本が出版され、書店のスポーツ棚に並んでいるが、まずは選んで間違いのない1冊だ。

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アマチュア球界に代理人制度を導入する、という試案。

 西武ライオンズのアマチュア選手獲得における不正な金銭供与についての中間報告が発表された。いろいろ物議をかもしているようだが、アマチュア球界の指導者170人に金を渡した、という人数の多さは目を引くが、内容的にはさほど目新しくはない。プロもアマも関係者は衝撃を口にしているが、それは内容そのものというよりも、皆でないふりをしてきたことが公になった、という事態に対してなのだろう。

 私がもっとも知りたかったのは、逆指名制度の導入以前と以後で金銭供与は増えたのか、逆指名や希望枠で入団した選手に対して不正な金銭供与を行った度合は有意に高いのかどうか、という点なのだが、いくつかの新聞で報告書の概要に目を通した限りでは、その点については触れられていなかった。
 プロ側もアマ側もメディアも「ドラフトの希望枠が不正の温床」という点では意見が一致しているようだが、実際のところ、それはあくまで推測であって、実証した人はいない(球団内部で情報を握っている人はいるだろうけれど)。根拠が曖昧なままに制度をいじろうとしているわけで、それはいささか無理のある話だ。
 その意味では、今回はひとつの球団の二十数年間にわたる選手獲得活動のすべてを調査するというまたとない貴重な機会だ。調査委員会の先生方には、ぜひそのあたりもしっかり数字で示していただけるとよいと思う。

 さて、この発表についてさまざまな球界内部の人の談話が紹介されているが、千葉ロッテのボビー・バレンタイン監督はこんなことを言っている。
<アメリカではアマチュアの指導者が選手の進路に影響を与えることはない。その役割は代理人が担っており、代理人も選手が契約する前に利益を得ることはない>(4/5 スポーツ報知)

 アマチュア選手が代理人を立てて球団と交渉する、という事例が日本にあるのかどうか。おそらくは親戚や知人が同席するというレベルにとどまり、代理人契約を交わして契約金の一部から報酬を受け取る、という形の代理人が登場したという話は聞いたことがない。アマ選手が代理人を立てたいと言い出したら、相手はまだプロ野球界の人ではないのだから、プロ野球側の内規で縛ることはできないのではないかと思う。

 ただし、仄聞するところでは、入団交渉に際して、選手の「代理人」を自称する人物が介入してくることは結構あるらしい。高校や大学の指導者であったり、OBであったり、親戚であったり、あるいは何だかよくわからない知人であったり、立場はいろいろで、法的にどういう立場にあるのかもよくわからない。そういう人々に払う出費が馬鹿にならない、とも聞く。
 そのように実態が先行し、しかも弊害も発生しているのであれば、いっそ高野連なり学生野球連盟なりが公認代理人制度を作って公の存在にしてしまい、交渉のルールを定め、代理人が作成する契約書に記されない金銭の授受はすべて厳罰の対象とし、交渉経過や結果に関する報告を義務づければ、わけのわからない金を押し付けたり、むしりとられる、という類いのトラブルは減少するだろう。交渉相手が一本化できるというのも球団側にはメリットになるかも知れない。

 で、前にも書いたように、選手の指導者や学校に対する礼金も制度化する。契約金の額に応じてパーセンテージを決め、その金額が学校なり野球部なりに自動的に支払われるようにする。プロに行くレベルの選手を育てるには、学校や指導者にも相応の金はかかる。その費用の一部なのだから、こそこそ受け取る必要もない。これが社会通念上、公序良俗に反する行為だとは私には思えない(金額にもよるとは思うが)。
 学校側がこの収入を税務上どう処理するか、という類いの事務的な問題はあるけれど、解決は不可能ではないだろう。

 というわけで、アマチュア選手がプロ球団と契約する際の金の流れをすっきりさせ透明化する、という点においては、代理人の起用は相応の効果がありそうだ。

 一方、デメリットはどうだろうか。

 もっとも懸念されるのは契約金の高騰化だ。バレンタインは言わなかった(あるいは報知が書かなかっただけかもしれない)が、近年、アメリカではアマチュア選手の契約に際して代理人がつくことによって、ドラフト会議で上位指名されて入団する選手の契約金や年俸が高騰していると聞く。アメリカにプロに近いレベルの社会人野球はないので、選手は野球を続けようとする限りプロに行くしかないのだが、MLBのドラフトは年2回ある。そこで選手側(の代理人)は「この金額を払わなければ次のドラフトを待つよ」という脅しをかけるのだという。
 日本でも、新人選手に代理人がつけば、契約金や年俸が高くなっていく可能性はある。希望枠がなくなったとしても、かつてくじ引きドラフト時代に行われていた「希望球団以外ならプロには行きません」という駆け引きが、さらに洗練されることになるだろう。

 また、弁護士などの専業代理人がアマチュア選手の入団交渉に関与するということは、結果として、アマチュア指導者の関与を排除していくことになるだろう。
 バレンタインの談話を読むと、彼は指導者が進路選択に関与すること自体がおかしいと考えているようだが、日本では監督は選手の卒業後の進路に責任があるという考えがそれなりに根付いているようだ。プロ入りするレベルの選手ならプロや大学や社会人から誘いがあるだろうが、それほどではない選手が大学や社会人で野球を続けようとしたら、監督の力(というより人脈か)に頼ることも多いのだろう。
 しかし、プロ球団との交渉にプロの代理人が入ってくると、指導者の影響力は今ほど発揮できなくなっていくかも知れない。
 現状ではいろいろ問題はあってもそれなりに機能しているらしいこの手の秩序も、何らかの変化が起きることになる。

 というわけで、代理人を導入すべき、とまでは言いきれないが、アマチュア球界にとって、研究してみる価値はあるのではないだろうか。
 だが、報告書の中間報告に対するアマチュア球界の反応は、驚いたとか、金を受け取った指導者の名前を明かすよう調査委員会に求めたとかいうばかりで、今後の制度設計をどうするかという方向での発言は聞こえてこない。厳罰だけで何とかなると思っているのだろうか。
 高野連の参与は相変わらず「驚いた」などと発言しているのだが、高野連一筋に何十年も務めている人がこういうことに驚いているようでは、カマトトぶっているか、そうでなければ情報収集能力に問題がある。


 サッカーの世界では日本でも代理人が存在し、一定の機能を担っている。移籍交渉などがクローズアップされるけれど、選手に代理人がつくことの最大のメリットは、「その選手個人のキャリア設計を最優先に考えるスタッフが存在すること」にあると私は思う。高校や大学の指導者も、所属するクラブの指導者やスタッフも、原則としてテンポラリーな関係だ。学校に責任があるのは選手を送り出すまでだし、クラブはその選手を必要としなくなれば解雇して関係は終わる。選手の利害は選手自身が考えるしかないのだから、その部分をサポートするスタッフが求められるのは自然なことだ。高額契約を勝ち取ることを主たる業務とするような代理人もいるのだろうが、選手のサポートを重視するタイプの代理人もいると聞く。

 そう考えると、選手の競技生活の中のたった3年間だけしか関与しない組織が、選手のキャリア設計に対して絶大な権力を持ち、支配的に振る舞うというのは、かなり奇妙なことと言えるかも知れない。

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