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2007年5月

暴走王・石川賢を悼む。

 今でもあるのかどうか知らないが、私が小学生の頃に、子供向けのテレビ漫画雑誌というものが創刊されて、仮面ライダーやらマジンガーZやらの人気テレビ番組をもとにした漫画が掲載されていた。原作の漫画からテレビ化された作品をさらに漫画化するという、考えてみれば妙な二次創作である。
 石川賢の名を初めて知ったのは、永井豪の漫画を原作とするそのような二次創作漫画の作者としてだったと思う。といっても、子供にはそんな複雑な事情はよくわからないから、「永井豪の漫画のバッタ物を描く人」というくらいの認識だったかも知れない。当然ながら、さほどの興味をそそられることもなかった。
(あとから考えれば、子供向け漫画としては異常な迫力で強烈な印象を残した『ゲッターロボ』の作者でもあったわけだが)

 その石川賢が化けた、と思ったのは、『魔界転生』を読んだ時だった。角川書店の単行本で書き下ろしだった。H.R.ギーガーに影響を受けたとおぼしき(違ったらごめんなさい)魔物の描写で画面を埋め尽くす密度が圧倒的であり、甦った魔人たちに立ち向かう柳生の忍者たちの人間離れした能力の凄まじさ、死にざまの見事さに感銘を受けた。
 もっとも、本当に驚いたのは後年、81年に作られた角川映画(深作欣二監督)を見たり、山田風太郎の原作を読んだ時だった。天草四郎が甦らせたいにしえの剣豪たちを柳生十兵衛が倒していく、という基本設定は一緒だが、物語の途中から石川版『魔界転生』は原作と関係のない筋道をひた走っていた。私がもっとも魅力的に感じた忍者たちの戦いは、ほとんどが石川のオリジナルだったのだ。

 続いて発表された『虚無戦史MIROKU』や『魔空八犬伝』、『スカルキラー邪鬼王』といった作品、あるいは『ゲッターロボ』の数々の続編でも、石川はその圧倒的な画力とパワフルなキャラクター、逸脱するプロットといった特徴をいかんなく発揮して私を魅了した。石川が創造するキャラクターは誰もが凄まじいエネルギーを抱えている。主人公は悩みも迷いもせずに力一杯突き進む底抜けに明るい快男児であり、それに味方するキャラクターのアクの強さは敵役たちに優るとも劣らない。思えば『ゲッターロボ』の主人公の1人、神隼人は狂信的な学生運動家で、高校生でありながら一部の校舎を支配し、離脱しようとする部下の顔に爪を立ててぐしゃぐしゃにいたぶるサディストだった。

 と同時に石川は、敵陣にも魅力的なキャラクターを配置する。二つの集団がぶつかりあうところに、さまざまな対決が生まれるが、どんなに窮地に追い込まれても不敵に笑う脇役たちの存在感は強烈無比で、とんでもない必殺技を繰り出しながら華々しく闘っては倒れていく。誰にでも一度は壮絶な見せ場を作ってやるのが石川のいいところだ。
 そんなキャラクターたちのエネルギーが物語を牽引し、本来予定されていたプロットをしばしば逸脱する。いや、石川作品では、敵と味方だけでは飽き足らず、どちらに加担するともつかない第三勢力や共通の敵が現れて、事態をさらに混乱に陥れる。それは作品としての欠陥ではなく、むしろ魅力のように感じられた。

 そのせいかどうか、大風呂敷を拡げるだけ拡げておいて、収拾がつかないままに終わる作品は多かった。数々の作品をひとつの世界観の中に再構築すべく、大幅加筆しながら『虚無戦記』と『ゲッターロボ』の選集が刊行されたが、それらを読んでも、結局何がどうなったのか私にはよくわからなかった。だが、そんな物語の結構などどうでもいいと思わせるだけの魅力が、石川の漫画にはあった。絵柄も物語も凄まじい勢いで加速しながら暴走する、その加速感こそが魅力だった。

 近年は『神州纐纈城』の漫画化など時代劇に重点を置いていた石川が急逝したのは昨年の11月。58歳の若さだった。手に取る気を起こさせなくなって久しい永井豪作品とは異なり、まだまだ高いテンションを保って作品を発表し続けた、現役そのものの作家だった。

 遺作となった『戦国忍法秘録 五右衛門』(リイド社)が、最近、発売された。
 石川五右衛門を伊賀忍者と設定し、織田信長、羽柴秀吉、徳川家康ら戦国大名を登場させながら、例によって破天荒な設定とプロットで押しまくる。五右衛門の暴走する破壊力もいつもの通り。雑誌掲載時の第6話、単行本1冊分で中断し、未完のまま終わったことは惜しまれる、と言うべきなのだろうが、石川作品に限ってはそうでもない。プロットの途中で放り出されることには慣れている。彼自身はどうせ、どこか別の世界で、今も爆走する男たちの物語を生み出し続けているに違いない。

 昨年の秋、石川の訃報を聞いた時には何を書けばよいのかわからなかった。『五右衛門』を読んで、ようやく何か書こうという気になってきた。
 ごちゃごちゃと書いてきたが、本当に言いたいのはひとつだけ。

 これだけたくさんの無茶苦茶な作品を残してくれてありがとう、石川さん。

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長谷川滋利『素晴らしき日本野球』新潮社

 2006年というのは日本野球にとっては特筆すべき年だった。WBC優勝、決勝戦再試合の末の早稲田実業優勝で久しぶりの社会現象となった夏の甲子園、札幌移転後初の日本ハム優勝、松坂のポスティングによる60億円移籍など、めったにない出来事が次々と起こった。
 当blogでも、それぞれの出来事について、折々に感想を書いたり議論をしたりしてきたが、しばしば、彼の考えを聞いて見たいと思っていた人物がいる。長谷川滋利だ。

 同じ年の野茂英雄がMLBへの道を切り開いた2年後の97年にアメリカに渡った長谷川は、アナハイム・エンゼルスとシアトル・マリナーズで主にセットアッパーとして9年間投げ続け、昨年初めに引退を決めた。日米双方の野球に通じ、英語が巧みで、ビジネスへの関心も強い長谷川なら、一選手、一野球人にとどまらない広い視野から、これらの出来事を見ているに違いないと思っていた。
 そんな長谷川が、引退後の野球界の出来事を中心に、日本野球の現状と将来について語ったのが本書だ(構成者として生島淳の名が記され、後書きまで書いているので、長谷川は文字通り「語った」のだと思われる)。今年4月25日に発行されたばかり。

 それほど厚い本ではないし、聞き書きだけに文章も平明ですらすらと読めるが、中身は濃い。
 たとえばWBC優勝の捉え方について、長谷川はこんな意見を書いている。
<たとえばメンバーが親善大使の役割を担い、野球を広めることと、チャリティ活動を推進することを目的として世界を回る「ワールド・ベースボール・クラシック・ツアー」を開催しても良かったと思う><そうすれば日本が世界一になったこともアピールできるし、野球が外交の一部にもなり得る。さらに野球をするならアメリカで、と思っているヨーロッパの選手たちが「日本でプレーしてみたい」と考えるきっかけになっていたかもしれない>
<あるいはアメリカチームと一緒に世界を回るという方法も面白い。たとえばであるが、十一月に行われる日米野球の後、合同チームで遠征したりするのは選手にとてはプラスになるのではないか>
 これには唸らされた。彼は我々よりもずっと広いところを見ている。確かにMLBは以前から世界規模のプロモーションを意識していて、日米野球で来日したサミー・ソーサがその後に英国を訪れ、クリケットの投手と対決したりしていたこともあった。ここでは欧州が巡業先として挙げられているが、台湾や中国などにも市場開拓の余地がありそうだ。

 WBCのほか、松坂の移籍、甲子園の再試合、さらには球団経営やNPBの構造改革などについて、日米の事情を比較しつつ、長谷川は縦横に語る。
 それぞれに興味深い意見を述べているのだが、通読して感じるのは、彼のバランス感覚の良さと目配りの広さだ。
 基本的に長谷川は現状を真っ向から否定するような書き方はしない。そうなっている事情に一定の理解を示しつつ、しかしそのままではどのような悪影響をもたらすかを説明し、代案を示していく。センセーショナルな表現はしないが、説得力がある。
 本書に書かれた内容は、個別的にはおそらくテレビや新聞、雑誌等に発表してきたのだろうと思うが、1シーズンを経て、さらに本書が刊行された今でも、依然として長谷川がフリーの解説者であるというのは、実にもったいないことだと思う。彼をアドバイザー、あるいは球団代表補佐として雇おうとする球団経営者は日本にはいないのだろうか(長谷川が断っているのなら別だが)。これほどの人材を野に置いておくほど、日本の野球界に余裕はないと思うのだが。彼のコミュニケーションのスタイルであれば、おそらく経営者たちの中では(ひょっとすると現場の野球人たちの中にいるよりも)高い評価と信頼を得られるのではないかと思う。

 と書いてはみたが、実のところ彼にもっともふさわしいポストは、コミッショナー事務局の中に用意されるべきだと思う。現在の「代行」氏がさっさと退き、健全な判断力を備えた後任者が生まれて、長谷川の力を日本野球に生かそうと思いつくことを望んでいるのだが、さて、どうなりますやら。

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選手会とジャイアンツは敵なのか。

 下で紹介した『アマチュアスポーツも金次第』の中に、気になる記述があった。

<それにしても面白いのは、選手の権利であるFA権の取得年限短縮を、経営側である巨人が主張していたことだ。
 冷静に考えてみれば、これは選手会が主張すべきことなのだが、雇用者側である巨人が声高に訴えているところが不思議でもある。>(P.37)

<FA権の取得期限短縮については、巨人が出してくる論理に説得力がある。現状、アマチュア選手には球団を選ぶ権利があるわけだから、もしも完全ウェーバー制が導入されたとなると、選手側は球団選択の自由を奪われたことになる。
 だとすると、選手会側こそがFA権の短縮を強く要求すべきだと思うのだが、その主張を巨人がしているのだ。>(P.39)

 これは、西武の裏金問題発覚を受けて行われたドラフト改革論争についての記述だ。
 この時点での議論だけを見れば確かにその通りなのだが、歴史的に見れば、選手会は「ドラフト会議の完全ウェーバー化」と「FA権の取得年限短縮」を一体として扱ってきた(たとえば2004年9月に選手会が発行した「決意!」という本の中で当時の古田会長は「FA資格の大幅拡大と補償金の撤廃」を「これはドラフトの完全ウェーバー制導入とセットで実現すべき改革です」と書いている)。
 ジャイアンツが今回の議論で持ち出した「国内移籍と国外移籍のFA取得年限に差をつける」という案も、選手会の公式サイトには以前から掲載されている。

 つまり、選手会は年限短縮を主張していないのではなく、単に一時的に引っ込めたに過ぎない。どさくさ紛れに利益拡大を図っている、と世間から見られるのを嫌ったのかも知れない(実際、ジャイアンツはそのような批判を受けている)。
 だから、今後のドラフト改革論議の中で、選手会がいずれはFA権取得年限短縮を再び持ち出すことは確実だと私は思っている。
 生島淳がそのような経緯を知らないとも思えないので、このように書かれていることは不思議に感じる。

 さらに言えば、ジャイアンツがFA権の取得年限短縮を主張すること自体は、不思議でも何でもない。
 日本でFA制度が始まってから現在に至るまで、FA選手の最大の買い手はジャイアンツだった。
 獲得した選手がどれほど期待を裏切っても、巨額の投資が一向に優勝という成果に結びつかなくても、不合理なまでの情熱(それを「信念」と呼んでもよいかもしれない)を持ってFA市場を買い支え続けたジャイアンツがいなかったら、日本のFA制度は形骸化の一途を辿り、選手の権利は著しく貧しいものになっていたはずだ。
(そもそもFA制度が成立したこと自体、ジャイアンツの意向に負うところが大きかったと言われたはずだ)

 世間ではジャイアンツと選手会が不倶戴天の仇敵であるかのように思っている人が多いし、もしかすると著者の生島もそのような印象を持っているのかも知れない。
 だが、ことFA制度においては、ジャイアンツと選手会の利害と主張は一致しているし、むしろジャイアンツこそ選手会の最大の支援者だったと言っても過言ではないのではないだろうか。
 メディアを通して舌戦を繰り広げてはいても、当事者たちはお互いにそのことを判っているはずだ。裏でつるんでいる、とまでは思わないが(笑)。

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生島淳『アマチュアスポーツも金次第』朝日新書

 野球を中心にさまざまな分野で活動しているスポーツライターの著者が、スポーツを支える金銭的側面について書いた本。
(ジャケット見返しには「新鋭スポーツライター」とあるが、生島氏が「新鋭」なら、30代以下のライターは全員が「駆け出し」ではないか?(笑))

 「金次第」というタイトルの語感や、「アマチュアスポーツ界は、ここまで蝕まれている」という帯の文言(「蝕まれている」という6文字が一際大きい)のおどろおどろしさはいささか誇大広告気味で、実際の読後感はあっさりしている。もともと朝日新聞の土曜版「be」に連載していたコラムをまとめたという成立事情による面もあるだろうし、そうでなくてもこの著者の書く本はたいていあっさりしているという印象を私は持っている(あっさりしているのがいけないわけではない。リーダビリティは大事だ)。

 前書きをのぞく本文は次の7章。

第1章 西武の裏金問題があぶり出したもの
第2章 女子フィギュアばかりがなぜモテる? 〜女性アスリートが売れる時代〜
第3章 学校がマーケティングを始めたぞ
第4章 北海道経済と冬季五輪の関係って?
第5章 松坂に60億円! 〜ポスティング・システムの怪〜
第6章 サッカー世界の経済地図
第7章 姚明と2008年北京五輪

 当blogでも過去に扱ったことのある話題が多く、著者の問題意識はおおむね当blogのそれに共通しているように感じられる。こちらは漠然とした思いつきや感想を書いているだけだが、本業のスポーツライターである著者は豊富な事例を例示しつつ記しているので、私個人にとってはありがたい資料集である。
 西武の裏金問題についても経過をコンパクトに整理して記しているので、近い将来この件について考える時の資料として役に立つことだろう。
 このほか、第6章で紹介されている Deloitte Football Money Leagueという資料は興味深いし、私はバスケットの知識に乏しいので、姚明が国策による交配実験のようにして生み出された選手だったというエピソードにも驚いた。さほど厚い本ではないけれど、このような細かい事例が豊富に紹介されていることは本書の魅力だ。

 全部読んだ後で表紙を見直すと、やはり違和感がある。著者本人がどう思っているかは別として、「アマチュアスポーツも金次第」というタイトル、「アマチュアスポーツ界は、ここまで蝕まれている」という帯の惹句には、版元である朝日新聞社の問題意識が強く反映されていることが想像できる。

 だが、本書で紹介されているスポーツ界の実態を見る限り、「蝕まれている」という形容がふさわしいのは、せいぜい野球界だけだ。
 フィギュアスケートに金がかかるとか、北海道経済の衰退がウィンタースポーツの不振につながったとかいうのは事実にしても、選手の育成や強化に一定の費用がかかることは当然であり、そこに公序良俗に照らして「汚い」とか「不正」とか言われるような金が飛び交っているわけではない(連盟の汚職は別)。

 では、金のある者が勝つ、という身も蓋もない事実を、朝日新聞社は「蝕まれている」と形容するのだろうか? 
 歴史的にいえば、アマチュアリズムという概念の起源は、競技による報酬の受け取りを禁じることによって、ブルジョアジーが労働者階級を競技から締め出すことに始まっている。とすれば、「金のある者が勝つ」のはアマチュアスポーツ本来の姿に戻っているに過ぎない。

 ついでに言うと、第3章では学生スポーツ、とりわけ大学スポーツにおいて、スポーツに投資した学校が有利になっていく状況が紹介されている。
 これもまた「金のある者が勝つ」状況には違いないのだが、選手の側から見れば、状況は逆転する。学校から「投資」を受けることにより、裕福でない家庭に生まれた選手でもトップレベルで活躍する可能性が開けることになるからだ。
 そして言うまでもないことだが、野球特待生制度を根絶しようという高野連の施策は、裕福でない家庭に生まれた選手の可能性を狭める。高野連(と、その施策を容認する朝日新聞社)は、高校野球を「金のある者が勝つ」状況に導きかねない施策にひた走っている、とも言える。

 このような諸々を考えていくと、本書のタイトルや帯は、版元である朝日新聞の、この問題に対する混乱ぶりを、はからずも示すものになっているように思えてくる。
 スポーツに金がかかることをそれほど嫌悪するのなら、朝日新聞社はビッグビジネスと化した甲子園大会などとは縁を切って、三角ベースの普及活動を支援したらよいのではないか(いや、本当にそうするようなら、それはそれで褒め称えますが)。

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この際、プロ野球もユース制度を作ってみますか。

 野球部員の特待生制度を設けていた高校は、高野連の集計では334校、締切時刻後の申告分も含めると373校に上るのだそうだ(読売新聞による)*。
 脇村春夫会長は2日の会見で「数が多くて驚いている」と話したが、学生野球憲章の見直しについては明確に否定した。
(何を今さら驚いているのか、という感想は2つ下のエントリと同じ)

 特待生制度を禁止する根拠となっている学生野球憲章第13条の条文は以下の通り。

<選手又は部員は、いかなる名義によるものであっても、他から選手又は部員であることを理由として支給され又は貸与されるものと認められる学費、生活費その他の金品を受けることができない。但し、日本学生野球協会審査室は、本憲章の趣旨に背馳しない限り、日本オリンピック委員会から支給され又は貸与されるものにつき、これを承認することができる。>

 JOCから支給される金品だけがOKになる理屈がよくわからない。また、大学の野球部には<選手又は部員であることを理由として>通常の入学試験を受けずに入学が認められた選手が大勢いるはずで、これは大変な利益供与だと思うが、金品でなければ構わないのか、という疑問も残る。

 このところメディアは特待生問題一色だが、そもそもの発端は西武の裏金問題。いくつか前のエントリでも書いた通り、根絶すべきはプロ野球から金品を受け取る指導者や父兄、あるいは進学時に選手と学校をつなぐブローカーの存在だったはずだ。野球特待生制度を力ずくでやめさせたところで、それらがなくなるわけではない。そもそも高野連の田名部参事自身が、かなり早い段階で、他の理由による奨学金なら構わない、という発言をしているわけで、抜け道はいくらでもある。
 高野連が目指しているのは、金品授受やブローカーの根絶ではない別の何かなのだろう。

 そもそも野球をするには金がかかる。他の競技に比べて用具が多い。グラブ、バット、スパイク、ユニホーム、それぞれ本格的なものは40代社会人の私でも気軽には買いづらい値段の商品だ。高校生のお小遣いの範囲を超えている。
 強豪校になれば練習試合の相手を求めて遠征もする。交通の不便な土地の学校なら、県大会に出場するための交通費も馬鹿にならないだろう(宿泊しなければならないケースもあるかも知れない)。それを選手とその家庭がすべて自前で負担しなければならないということになれば、野球部に入れない学生も出てくることだろう。
 高野連が今やっていることは、結果としてそういう学生を切り捨てることになる。

 それなら、プロが拾ってみたらどうですか。

 高野連が特待生制度廃止の方針をあくまで貫くのであれば、高校野球のありようは大きく変わる。現在のようにプロに近い水準の選手を育成する機能は大幅に減退することだろう。高野連にとって大事なのは「高校野球」であって、「野球」全体ではないのだから、幹部たちはそれでも構わないのだろう。
 だが、プロ野球にとって、あるいは日本野球全体にとっては、それでは困る。高校野球がハイレベルの育成機能を担わないのであれば、プロがやるしかないではないか。

 かといって、中卒の選手をいきなりプロ選手として雇ってしまうのがよいとも思えない(阪神の辻本賢人はどうしているだろうか)。Jリーグのようなユースチームを設けるのが適切なところだろう。

 高校生の年代で、野球の素質があり、将来はプロを目指しているが、経済面または別の理由から、高野連が理想とする高校野球界の中では野球を続けることが困難。そんな青年たちを対象としてユースチームを作る。
 選手たちは寮生活で、近くの私立高校と提携して全員を通わせる。寮費と学費は球団持ち、野球用具は支給される(まあ、全部球団持ちでなくてもいいかも知れない)。もちろん高校の野球部には所属しない。学業で一定の成績を残せない選手はチームでの活動停止などのペナルティを受ける。
 彼らはプロのコーチやトレーナーの指導のもと、身体能力や技術、判断力に磨きをかける。時にはプロ選手たちに混ざって練習をすることもできる。他球団のユースチームや社会人チーム、クラブチームと練習試合をする。参加資格が微妙だが、うまくいけば都市対抗の予選に参加できるかも知れない。
 野球がうまくなるための環境としては悪くない。
(もっとも、以前「プロ野球に二軍は必要か。」というエントリで指摘したように、プロ野球の育成機能は必ずしも高い実績を持たない。実現のためには、若年層の育成プログラムの開発について、本腰を入れて取り組む必要がある。まあ、このままいけば高校野球の優秀な指導者が働く場を失いかねないのだから、そういう人々を引き抜いてくるという手もあるのだが(笑))

 問題は、当然ながら卒業後だ。
 そのままトップチームに入団できる選手はよいが、全員がそうそううまく成長するわけではない。プロに進めなかった選手が、大学や社会人、独立リーグなどでプレーできる環境が整えられるかどうかが、この構想が実現するためのひとつの鍵になる。

 もうひとつの鍵は、もちろんドラフト制度だ。下部ユースチームの選手が、通常のドラフトの指名対象になり、自チームに入団できないのであれば、球団にとっては何のメリットもない。何らかの優先権を設定しなければならないが、それは現行のドラフト制度と矛盾する。優先権が強いものになれば、ユースへの勧誘段階で争奪戦が起こり、大金を積んで…という事態が再現される。ここが思案のしどころだ。完全ウェーバー制度という現在の方向とはまったく異なるベクトルが必要になる。
(私自身は、ドラフト制度を徹底させることよりも、入団後の流動性を高めることの方が、戦力と経営のバランスをとるには有効なのではないかと思っている)
 また、ユース育ちの選手がMLBに流出することに対しても、歯止めは必要になるだろう。

 というわけで、乗り越えるべき制度上の壁が結構大きいのは確かだが、それさえ乗り越えれば、なかなかよい仕組みではないかという気がする。
 これまで、日本のプロ野球にとって、若年層の育成というのは、ある種のタブーだった。いや、タブーと意識されていたのかどうかはわからないが、高校までは高校野球の領域、という縄張りが存在し、越境することに対してはアマチュア野球の側から強い拒否反応があった。
 だが、そのアマチュア側がここまで錯乱するに至っては、プロ野球が自前で若年層を育成することを、そろそろ本気で考えてもよさそうな気がする。

 たかだか12のプロ球団が数十人づつの選手を集めたところで、高校野球部員の数からすれば微々たるものだ。これが高校野球の存在を脅かすものになるわけではない。Jリーグ創設時に、各クラブに下部組織の設置が義務づけられ、ユースチームが発足した時にも同様の論議はあったが、現在は高校サッカーとユースは共存している(高校サッカーのレベルが低下した、という声はあるようだが、一方で大学サッカーのレベルは向上しているように見える)。選択肢が増えることは悪くないと思う。

 野球をしたい10代の青少年にとって何がベストなのか。ひいては、日本の野球にとって何がベストなのか。この件の根本に置くべき指針は、これに尽きる。
 高野連の爺さんたちの頭の中には、そういう考えがあるのかどうか。


*3日に高野連が発表した最終結果は376校。

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