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加藤仁『宿澤広朗 運を支配した男』講談社

 サラリーマンの退職後の人生を延々と書き続けている加藤仁がなぜ宿澤を?というのが疑問だった。読み終わっても、加藤が宿澤の人生を書くに至った動機や経緯は、よくわからない。月刊現代に掲載された短期連載がもとになっているというから、現代編集部からの依頼だったのかも知れない。
 だからといって本書がつまらないということはない。ラグビーにも銀行にも門外漢の私にも興味深く読めたし、加藤だからこそ書けた、と感じる部分もある。

 スポーツブログ的観点では、宿澤といえば早稲田ラグビー部の名スクラムハーフであり、日本代表監督としては今のところ唯一のワールドカップの勝利、今のところ唯一のスコットランドからの勝利を日本にもたらした名将でもある。ラグビー協会の強化委員長を務めた時期もあった。
 と同時に住友銀行(現在は三井住友銀行)でもスピード出世を続けて、急逝した昨年6月の時点で専務取締役執行役員。将来の頭取候補と目されるところに位置していた。
 加藤の関心はラグビー以上に銀行にあったようで、銀行員としての仕事ぶりがそれぞれの段階において、当時の上司や同僚、部下の豊富な証言によって詳しく記されている。そこに描き出される宿澤は、ラガーとしての生き方と銀行員としての生き方に齟齬がない。堂々と王道を歩んでいた人だったのだということが伝わってくる。

 私はラグビーには詳しくないし、あまり興味もない。唯一強い関心を惹かれた人物が宿澤だった。ワールドカップで勝利を挙げた後で書いた「TEST MATCH」という本には強く感銘を受けた。その後、世界的なプロ化の波に洗われて日本のラグビー界が揺れ動き、成績も低迷、組織も混迷していても、いつかは宿澤が乗り出して見事に建て直すのだろうと漠然と思っていた。Jリーグ発足前後のサッカー界における川淵三郎のような役割を果たす人物がいるとしたら、宿澤を措いてほかにないのだろうと。

 だから、宿澤の訃報に接した時には本当に驚いたし残念だった。ところが本書には、それ以前に彼はラグビー協会を離れていたと書いてある。強化委員長を務めた後に追われるように理事を降り、協会を去った。しかも事務局から電話で解任の通告を受けたのだと加藤は書いている。これには衝撃を受けた(加藤の取材に対し、ラグビー協会の幹部たちははっきりそうと認めてはいない)。大友信彦がラグビーマガジンの宿沢追悼特集に寄せた文章によれば(孫引きになるが)、宿澤が強化委員長を退いた後、宿澤が委員会に集めたスタッフたちも任を解かれ、<能力本位で機能していた強化委員会は、特定の人脈が重用される御都合集団に変貌していった>という。ともあれ、ラグビー日本代表の監督人事がこの後、混迷をきわめていったことは、門外漢の私の目にも明らかだった。

 そのせいもあってか、加藤はラグビー界における宿澤の、ありえたはずの将来、果たすはずだった役割については多くを語らない。むしろ、宿澤がなるはずだったバンカー像を語ることに、より熱心であるように見える。
 確かに、本書に描き出された銀行家・宿澤の仕事ぶりは、今、私が日本の銀行に抱いているイメージ(それはたぶん多くの日本人が持つそれと共通していると思う)を大きく変えるような堂々たるものだ。ラグビーどころか日本の銀行界を変える人物になるはずだったのかも知れない、とさえ思わされる。

ただし一方で、本書の中で加藤は、磯田一郎や西川善文といった元頭取たちを宿澤の庇護者として好意的に描き、その後、彼らが世間からどのように見られるようになったかについては敢えて触れようとしない。
 それを考えると、宿澤は果たして銀行の中で、最後まで王道を歩む紳士でいつづけることができたのかどうか。いつかは悲劇的な齟齬をきたすことになったのではないだろうか、という苦い想像も、打ち消すことができずにいる。

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コメント

亡くなる一年前に宿沢さんの講演を聞く機会がありました。
控え室でもお話を伺ったのですが、
協会に対して辛辣なことを仰るので驚いた記憶があります。
この連載で色んな経緯が分かりました。
「なるほどそういうことだったのか」と…。

過去に二度、自分のブログで宿沢さんについて書きました。
トラックバック代わりにURLを貼ります。
我ながら宿沢評は当たっていたと思うのですが、
今となっては虚しい気持ちです。

http://blog.livedoor.jp/augustoparty/archives/13625741.html
http://blog.livedoor.jp/augustoparty/archives/50535639.html

投稿: 党首 | 2007/07/03 19:14

>党首さん
ご本人をご存知でしたか。リンク先のエントリの読みの見事なことに感心しますが、それが鮮やかであればあるほど、余計に哀しくなりますね。
本当に取り返しのつかない方を失ったのだと改めて実感します。

投稿: 念仏の鉄 | 2007/07/04 08:03

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