小野寺歩『カーリング魂。』小学館
発行は今年の3月末。トリノ五輪から1年1か月が過ぎ、新生チーム青森が国内外の大会に出場した06-07シーズンも終わろうという時期は、“トリノ本”を刊行するタイミングとしては決して早いものではないが、彼女の中で、この間のさまざまな出来事に整理をつけるには、そのくらいの時間が必要だったのかも知れない。
トリノ五輪の女子カーリング日本代表チームのスキップが、自身のカーリング人生を振り返って記した本。トリノ五輪での戦いについても丁寧に記されており、大会中のどん底から押し返していく様子、精神面でのコンディショニングのあり方なども面白いし、カーリングという競技自体についての解説も懇切丁寧でわかりやすい。
私がもっとも興味深く感じたのは、彼女の出身地である常呂町のカーリング環境や、青森に渡ってからの苦闘を描いた部分。
「チーム青森」の母体であるべき青森市の存在感の希薄さは、トリノ五輪当時から気になっていた。わざわざ競技場を作り、五輪選手を招いたわりには、彼女たちの扱われ方がぞんざいなのだ。
本書の中でも、優勝すればトリノ五輪代表に決まる2005年2月の日本選手権で準優勝に終わり、落胆して青森に帰ったら、駅には誰一人迎えに来ていなかった、というくだりが印象的だ(その2週間前、前哨戦の軽井沢国際大会で優勝した時には駅で花束が贈呈されたというのに…)。
時系列でいうと、小野寺と林が青森市文化スポーツ振興公社の臨時職員に就職した時点では、青森にはまだカーリングホールも存在していない(青森市スポーツ会館がオープンしたのは2002年の暮れ)。2003年に冬季アジア大会が開催されているから、おそらくは大会のために作られた施設なのだろうし、その先の見通しなどろくに考えられてはいなかったのではないか。カーリングホールを作ってはみたものの、ホール自体も小野寺たちもどう扱ってよいのかわからずに持て余していたとでもいうような、「国体型ハコモノ行政」の典型的な歪みを感じる。
そんな中で、少ないページ数ながらも小野寺が愛着たっぷりに記しているのが、青森での初年度のチームのことだ。
目黒、寺田が北海道から青森の大学に進んで一緒にチームを結成したのは2003年の春から。02-03シーズンには間に合わないが、すでにカーリングホールはオープンしている。小野寺と林は、地元の澤田優嗣子、真人香という姉妹と「リンゴスターズ」というチームを組んで大会に参加した。元五輪代表2人と初心者2人、しかも1シーズン限定と決まっていて将来はない、という特殊な内情の中、チームは日本選手権3位に食い込む。小野寺は次のように書く。
<結成して、数か月しか経っていないにもかかわらず、この結果にチームは大満足でした。大会関係者からも絶賛されました。意気揚々、青森に帰ったのですが、予想外に冷たい反応もありました。
「(予選リーグの)最初の四連敗はなんだったの?」
「小野寺と林がいれば当然だよ」
言葉を失いました。カーリングは四人でプレーします。五輪選手がふたりいても、澤田姉妹の力がなければ、三位入賞はなかった。彼女たちがメダル獲得の原動力になったことは、まぎれもない事実です。
今、青森の関係者は『リンゴスターズ』の三位入賞のことを誰も覚えていないでしょう。あのとき、認めてもらえなかった悔しさをバネに、ふたりは今も頑張っています。>
<『リンゴスターズ』での日本選手権三位入賞は、林さんと私の大切な思い出であり、誇りです。>
青森に対する、小野寺の屈託が感じられる文章というほかはない。
とはいうものの、現時点での状況を調べてみれば、青森市もなかなか頑張ってはいる。高校生の全国大会を主催したり、普及にも力を入れているようだ。地元の新聞社が愛好者の大会を開催したりもしている。「リンゴスターズ」の一員だった澤田優嗣子は、選手として五輪を目指すとともに、地元高校カーリング部の顧問として指導にもあたっている。
青森は、相撲や柔道では名選手を輩出しているし、スキーでも三浦雄一郎というスーパースターを生んでいるが、冬季五輪一般に送り出す選手の数は、雪国のわりに多くはない。カーリングのチーム青森は、小野寺と林が退いて編成が変わった今でも依然として県外出身者ばかりだ。
そんな中、全国でまだ数少ない専用ホールと「チーム青森」の奮闘がもたらしたカーリング熱は、青森がスポーツで全国の注目を集める、めったにない機会でもある。このままカーリングが青森市に根付いて、自前の「チーム青森」を編成する日が来れば、小野寺たちの苦闘も、懐かしい思い出話として語ることができるようになるのだろう。
現チーム青森のうちトリノ経験者の3人は、次の五輪の前に大学を卒業する。その時に青森市が彼女たちをどう処遇するのかは、さしあたり興味深い。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
カーリングがトリノで人気を博して、「青森はうまくやったなぁ」という印象だったので、内幕話を聞いてちょっと意外でした。
おそらく青森市の中でも、カーリングについての方針が「組織」としては確立されていなかったんでしょうね。「ハコモノ先行行政」の歪み、というご指摘は、たぶん当たっていると思います。
青森市にとって(とたぶん小野寺たち自身にとって)の幸運だったのは、トリノでの「チーム青森」の活躍によってカーリングが予想外の人気を博したことだったんでしょう。「結果オーライ」になったことで、市役所の腰が据わった(笑)。
ひとつのスポーツが地域に根を張るためには、こんなふうに、なにがしかの「幸運」必要なのかもしれません。
驚いたことに福岡でも、カーリングクラブが1つあって頑張っています。市内に一つしかないスケートリングの関連会社のクラブですが(笑)。西日本大会は勝ち抜けても全国大会では粉砕される、というレベルみたいです。カーリングの実力については、ものすごーく東高西低(笑)。
http://www.sgis.co.jp/curling/dreams/birth.html
投稿: 馬場 | 2007/06/25 17:05
>馬場さん
>青森市にとって(とたぶん小野寺たち自身にとって)の幸運だったのは、トリノでの「チーム青森」の活躍によってカーリングが予想外の人気を博したことだったんでしょう。
小野寺と林にとってはどっちみちトリノ五輪で青森を去るつもりだったのだから関係ないといえば関係ないのですが(笑)、青森で競技を続ける後輩たちにとっては競技環境は好転したことでしょうね。同時に過剰なアイドル的注目も背負う羽目になってしまったわけですが、幸い、東京のメディア関係者はそうしょっちゅう青森に押しかけるわけにはいかないでしょう(地元メディアがどういう態度なのかはわかりませんが)。
>驚いたことに福岡でも、カーリングクラブが1つあって頑張っています。
スケートリンクで活動すると、スケーターと時間をシェアすることになるので、使える時間帯がどうしても早朝などになりがちなのでは。カーリングは専用ホールの有無が力量に直結する競技だと思います。
投稿: 念仏の鉄 | 2007/06/25 22:43