« 小野寺歩『カーリング魂。』小学館 | トップページ | 他人に敬意を表することを知らない者が、他人から敬意を受けることはない。 »

えのきどいちろう『サッカー茶柱観測所』駒草出版

 5月上旬だったと思うが、東京駅前のオアゾ丸の内の中にある丸善のスポーツ書籍売り場で平積みになった本書の上に、店員による手書きPOPが立ててあった。「奇蹟の書籍化!」はよいとして、締めの言葉は「文庫化や重版はないと思うのでお早めに」。褒めてるんだか舐めてるんだかよくわからない。

 週刊サッカーマガジンの読者はよくご存知の通り、本書はコラムニストえのきどいちろうが2002年ワールドカップの最中から2006年ワールドカップの少し後まで同誌に連載していたコラムをまとめたものだ。
 編集部の忘年会で隣り合わせた佐山一郎氏が口走った「サッカー界、握手多くない?」。「ならば」や「事実」というサッカー記事の常套句。「今日はワールド、やってるでしょう」と嬉しそうに話すおばあさん。OB系解説者が口にする「積極さ」と「有効的」の魅力。リモコンがいっぱいありすぎてテレビをBSに切り替えられない弱虫くんだらけのサッカーマガジン編集部。時代劇は「コタビ」ばかりだという南伸坊氏*。
 いや、これだけ抜き出しても暗号か呪文のようで、何の話かまるでわからないだろうけれど、著者は本職のサッカーライター並みに毎週毎週スタジアムでいろんな試合を観まくりながら、書いていることのかなりの割合がこんな感じだ。

 どうでもいいような小ネタを弄んでいるように見えるけれど、4年分の連載を通して読むと、さまざまなスタジアム、さまざまな階層のサッカーの試合に足を運び、尋常ではないほどサッカーにのめりこみつつ、常に自分とサッカーとの距離を測り続けている著者の姿が見えてくる。自分だけではなく、スタジアムの観客やサポーター、選手や指導者自身、テレビ視聴者、メディア人、通りすがりの普通の人まで含めて、さまざまな人や物事とサッカーとの微妙な間合いを計り、語ることが、この連載に流れる通奏低音だったような気がする。

 長年の熱心な日本ハムファイターズファンとして知られ、自分の持っているコラム枠やラジオ番組を勝手にファイターズ応援枠にねじ曲げたりして、誰よりも、と言いたくなるほどファイターズを愛していながら、著者の愛情は、例えば「ファイターズを悪く言う奴は俺が許さねえ」「来年は絶対優勝だ!」という方向には決して向かわない。贔屓チームの欠点も限界も誰よりも見えてしまっていながら、それも含めて丸ごとチームを愛し、そんなチームを、そして自分自身をも玩んでしまう、そんな距離感の絶妙さが、彼の書くものの最大の魅力だと私は思っている。
 対象に心底惚れ込むことと、対象と自身と世の中のそれぞれの間の距離に自覚的であることは、なかなか両立しづらい。そんな芸当をやってのけることを、観客席における成熟と呼んでもよいような気がする。

 本書のあとがきによれば、2002年大会の放映権を獲得したスカパーのスタッフが、このラジオ番組の愛聴者で「日本ハムを語るようにサッカーを語ってほしい」と口説いたことから「ワールドカップジャーナル」が誕生し、その番組のゲストにサッカーマガジンの当時の編集長を招いたことからこの連載が始まった。
 「それが今、サッカーに一番足りないものです」というスカパーの人の言葉が何を指しているのかは語られていないが、結果からいえば、日本のサッカーファンはいささか真面目にすぎるのではないか、という問題提起であったように思う(この発言があった2001年と今とは全く同じではないにせよ)。
 いや、真面目な人がいるのはもちろん結構なのだが、サッカー観戦者の全員が全員、「日本のサッカーのために俺には何ができるのか」なんて真剣に考えているというのもちょっと妙な気がする。腰の据わったサポーターと、代表戦のスタンドに大勢いるような浮動層、この両者の間にグラデーションを描いて、さまざまなスタンスの観客が生まれていくことが、サッカー愛好者の層の厚みであり、文化としての豊かさということになるのだと思う。そして、そういう面ではまだ日本野球にはサッカーよりも一日の長がある。
 そう考えると、この連載は「成熟した一野球愛好者のスタイルをサッカー界に移植する試み」であったのかも知れない**。それが成功したのかどうかはまだ何とも言えないが、本書が丸善のスポーツ棚担当者氏の予想を裏切って増刷されたり、魅力的な類書が登場するような日が来ればいいなと思っている。


 というところで綺麗に終わってもよいのだが、著者はこの春、サポートしていたアイスホッケークラブ、日光アイスバックスの役員になるという、まるで沢木耕太郎のような急展開を見せている。
 間合いの達人が、事もあろうにクラブの当事者、距離感ゼロのど真ん中に入ってしまったらどうなるのか。いずれはロジャー・カーンの『ひと夏の冒険』のようにこの体験を書いてくれたらいいなと思いつつ、当面は次のシーズンのアイスバックスを見に行こうと思う。寒いのはあまり得意ではないが、まあ何とかなるだろう。


*
これを読んでから『風林火山』を見るたびに笑いそうになる。確かに毎週1回や2回は誰かが難しい顔をして「コタビのイクサは」などと口走るのだ。

**
とはいうものの、あとがきによれば本書は著者の初めての「スポーツコラム集」らしい。えのきどの野球本がまだ世の中に存在していないというのは、日本野球、どうかと思う。自分で言っといてナンだが、この「一日の長」、かなり怪しくなってきた。

|

« 小野寺歩『カーリング魂。』小学館 | トップページ | 他人に敬意を表することを知らない者が、他人から敬意を受けることはない。 »

コメント

正直言ってえのきどいちろうという名前を長いこと忘れていたのですが、思い出させていただいて感謝します。えのきどいちろうと言えば、「野球解説者は何故か、ここぞの要点を(『スピードがある』ではなく『球が走ってる』などのように)やまとことばでまとめる、そうした方がなんだか通っぽいのである」、とかいう指摘に感心した記憶があります。

投稿: nobio | 2007/06/12 03:57

>nobioさん
>正直言ってえのきどいちろうという名前を長いこと忘れていたのですが、

週刊サッカーマガジンの読者以外の人は全然ご存知でない、ということがよくわかりました(笑)。

>「野球解説者は何故か、ここぞの要点を(『スピードがある』ではなく『球が走ってる』などのように)やまとことばでまとめる、そうした方がなんだか通っぽいのである」

「タメ」とか「壁」とか「キレ」とか、いろいろありますね。ここぞの要点を日本語(やまとことば)で表現できるかどうか、という部分は、その競技がどれだけ日本化しているかのひとつの指標でもあると思います。

投稿: 念仏の鉄 | 2007/06/13 09:36

はじめまして失礼いたします。WBCの頃に偶然辿り着いてからしばしば拝読させて頂いておりました。九州在住のホークスファンです。
「女子プロレスによろしく」の頃からえのきどいちろうさんの文章が好きで、なかなか手に入らない本を探しては読んでおりました。昨年の日ハム優勝の折りは心から悔しかったけれど、えのきどさん喜んでるだろうなと思ったり…。
しかし、今年のシーズンに入る頃、えのきどさんが開幕によせて北海道の新聞に「裏金球団に我々の力を見せてやろう」みたいなことを書かれていたと聞いてたいへんびっくりしました。
あの時槍玉にあげられたのは確かに西武だけですが、プロ野球ファンを長年続けてきた人の中で、他の11球団が潔白だと思ってる人はいないと思ってました。日ハムは確かにこの数年は体制も変わり、潔癖さをアピールしてましたが、さかのぼって何もないとは思えないけど…と、いや、ハムをどうこう言いたいわけではないのですが、同じリーグで戦いを続けてきた、いわば同志に、そんな言葉をかけるような人だったかなあと、失望を覚えました…。
そういえば最近ほとんどえのきどさんの本を読んでなかったのですが。なにか内面的な変化が起きているのでしょうか。
長々と要領を得なくてすみません。

投稿: なぎ | 2007/06/14 22:08

>なぎさん
こんにちは。

>しかし、今年のシーズンに入る頃、えのきどさんが開幕によせて北海道の新聞に「裏金球団に我々の力を見せてやろう」みたいなことを書かれていたと聞いてたいへんびっくりしました。

北海道新聞には移転時からファイターズの応援コラムを連載していますね。該当しそうな文章としてはこういうのがありますが、なぎさんがお聞きになった内容とはかなりニュアンスが違います。
http://www5.hokkaido-np.co.jp/sports/fs_fight/files/20070313.php3

まあ、ほかにネット上には載ってない文章があるのかも知れませんから誤解だとも言い切れませんが、内面的な変化が気になるほどお好きな書き手だったのであれば、まず書かれた実物をあたってから失望なさった方がよいのではないかとは思います。

投稿: 念仏の鉄 | 2007/06/14 23:33

大変ありがとうございました。少し安心しました。
手持ちのパソコンが古く、最近はほとんどの記事が携帯からしか読めませんので、どうしても当該ページを見つけられずにいました。今度ネットカフェに行ってみます。
ちなみにこのえのきどさんの記事については、日ハムファンの方のブログで読みました。「以下引用」と書いてかなり長い文章が掲載されていたのです。普通、引用、といえば元の文章をそのまま使うという意味だと思っていたんですけど。少し変えられていたようです。

投稿: なぎ | 2007/06/15 08:23

>なぎさん

トップページに動画を使っているサイトなどは、ちょっと古いパソコンだと手に負えませんよね。当blogはどんなに古いパソコンでもまず大丈夫だと思います(笑)。

>普通、引用、といえば元の文章をそのまま使うという意味だと思っていたんですけど。

本来はそうあるべきですが、blogというのは誰にでも作れますし、出版物と違って編集者の手が入るわけでもないので、引用のルールのようなことをわきまえていないblogというのも当然ながら多数存在します。こればっかりは読む側も気をつけるしかないでしょうね。同一人物の書いた文章を、ある程度続けて読んでいけば、その人が情報を扱う手つきというのはだいたい判ってくるものです。

投稿: 念仏の鉄 | 2007/06/15 12:12

>5月上旬だったと思うが、東京駅前のオアゾ丸の内の中にある丸善のスポーツ書籍売り場で平積みになった本書の上に、店員による手書きPOPが立ててあった。「奇蹟の書籍化!」はよいとして、締めの言葉は「文庫化や重版はないと思うのでお早めに」。褒めてるんだか舐めてるんだかよくわからない。

なるほど……。

わかりましたよ。

投稿: ウェルダン穂積 | 2009/07/03 22:25

>ウェルダン穂積さん

何がおわかりになったのか私にはわからないのですが、お名前に貼ってあったリンク先は特定個人の名誉を棄損する内容と思われますので(内容の真偽は私には判断がつきませんが)、リンクのみ削除させていただきます。
ご了承ください。

投稿: 念仏の鉄 | 2009/07/04 01:52

衣替えしてたらこの本を発見して読み返してました。十年一昔と言いますが、本当にこの本が書かれてた頃からするとずいぶん遠くにきてしまった気がします。
一番それを感じるのは「日本のマンチェスター」でしょうか。その後、ガンバはマンチェスターユナイテッドと壮絶な打ち合いを演じ、セレッソからはマンチェスターユナイテッド所属選手が輩出されました。たぶん筆者は、いや、日本中のサッカーファンのほとんどがそんな未来を想像すらしてなかった。この本を読むとその感覚も伝わってきます。
古いエントリに思いの丈をぶつけてしまいすみません。この本があまり知られておらず、共有できる人がいなくて書いてしまいました。要約できたらいいのですが、私の力だと鉄さんのおっしゃる「距離感の絶妙さ」が削げ落ちてしまうので…。
もう忘れてしまったあの頃の瑞々しさを保ち、思い出させてくれる、本当に素晴らしい本だと思います。

投稿: ハーネス | 2012/06/05 20:43

>ハーネスさん

思いの丈をぶつける先として思い出していただけて光栄です。いやホントに。

このエントリを書いた2007年あたりは、前年のワールドカップドイツ大会での惨状も相まって、日本サッカーの「踊り場」感を、思い切り感じていた頃だと思います。それからたった5年で、よもや日本代表名簿の所属欄に「インテル」だの「マンチェスターユナイテッド」だの(一時は「バイエルンミュンヘン」も)という名前が並ぶ日が来ようとは。
進歩というのは右肩上がり一直線ではなく、階段状に進んで行くのだと、改めて実感しますね。

>もう忘れてしまったあの頃の瑞々しさを保ち、思い出させてくれる、本当に素晴らしい本だと思います。

そういう「感じ」とか「空気」を記録できるのは、ジャーナリストというよりコラムニストなのでしょうね。

投稿: 念仏の鉄 | 2012/06/08 09:24

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/50507/15402997

この記事へのトラックバック一覧です: えのきどいちろう『サッカー茶柱観測所』駒草出版:

« 小野寺歩『カーリング魂。』小学館 | トップページ | 他人に敬意を表することを知らない者が、他人から敬意を受けることはない。 »