「756*」。
バリー・ボンズがハンク・アーロンの通算記録に並ぶ755本目の本塁打を打った映像をニュースで見た。スタンドには「*」と大書した紙を頭上に掲げた観客が何人もいたようだ。756本目の時にどうだったかは見ていないが、たぶん同じような観客がいたのだろう。
この「*」とは、「ボンズの記録は筋肉増強剤の助けによって作られたものだから、アーロンの記録とは別扱いの注釈付き参考記録である」という主張を象徴しているものと思われる。ロジャー・マリスが1961年にベーブ・ルースのシーズン本塁打記録を超える61本を打った時、「ルースの時よりも試合数が多かった」という理由でレコードブックに「*」付きで掲載されていたという故事を踏まえたものだろう。
ボンズが筋肉増強剤を使用したか否かについては、法廷で明確に結論が出たわけではないが、かなり疑わしい状況にあることは否めない。彼がピッツバーグ・パイレーツで売り出した頃(ボンズとボニーヤでBB砲、と呼ばれていた)には、スピードを売り物にした、すらりとした体型の選手で、30本塁打30盗塁を毎年のように達成していた。異様なまでに上半身が発達した現在の彼とは別人のようで、それはマーク・マグワイアにおける体型の変化ともよく似ている。
どのような形にせよ、ボンズは薬物を使ったのだろうと私は思っている。それは好ましくないことだとも思っている。では彼の記録は無効なのか、あるいは「*」をつけて参考記録として扱われるべきなのか、といえば、これはなかなか難しい。
どのような競技においても、時代とともに競技環境は変わる。陸上競技において、靴や衣類、競技場のトラックの土質、計時装置などの技術の発展は著しく、現代の選手たちは大いにその恩恵に預かっているはずだ。水泳も同様で、水着は水の抵抗を減らす方向にどんどん発達し、50年前のそれとは似ても似つかない。
が、だからといって、その変化が記録の扱いに反映されることはない。
野球の記録は、陸上や水泳のように、時間や距離という絶対的な数値ではなく、相手選手との対戦結果という相対的なデータである。敵と味方、投手と打者が等しく競技環境の変化にさらされ、その恩恵を受けているのであれば、どちらか一方に有利になるわけではない、とも言える。バリー・ボンズと同時期の選手であれば、投手であれ野手であれ、筋肉増強剤を使うことは可能だった(当時はそれが禁じられていたわけではない)。
環境の変化が野球の記録にどのような影響を及ぼすかについては、過去にも少し触れたことがある(グールド進化理論が示すイチローの価値。)。現代の選手が昔に比べて有利だと言えば言えるし、不利だとも言えば言える。どちらともいいようがない。ベーブ・ルースの時代にはMLBは有色人種を締め出していたのだから、1946年以前の記録にこそ「*」が付けられるべきだ、という主張(があるかどうかは知らないが今思いついた)にも、うまい反論は見つからない。
「これは○○だから参考記録扱いにすべきだ」という話は、言い出せばきりがない。球団数を拡張した年は全体のレベルが下がるのだから「*」をつけるべきだ、試合数が変わった年には「*」をつけるべきだ、などとやっていたら、すべての記録に「*」をつける羽目になる。
王貞治は日本のプロ野球で868本の本塁打を打ったが、彼自身は「アメリカとは環境も違う」として、決して自分の記録が世界一だという言い方はしない。思慮深い発言だと思う。
王の記録を貶めようと思えば、材料はいくつもある。彼の現役当時は、プロ野球の使用球場は今よりもずっと狭かった。セントラル・リーグのフランチャイズ球場のうち東京ドーム、横浜スタジアム、ナゴヤドームは彼の現役生活の晩年または引退後に作られたものだが、その前に各球団が使っていた球場では、ホームベースから外野フェンスまでの距離はいずれも今より短かった(甲子園にも王の現役時代にはラッキーゾーンがあった)。
また、彼が愛用していた圧縮バット(バットの材質である木材に樹脂をしみこませて加工を施し反発力を強めたもの)は、彼の引退後に使用が禁止され、現在では使う選手はいない。
これらの条件に助けられて王は本塁打を量産したのだ、と言う人もいる。それらが王にとって好材料であったことは否定できない。
しかし、それらの条件は同時に同時代の選手すべてに当てはまる。球場は誰にとっても狭かったし、圧縮バットはその気になれば誰でも使えたはずだ。だが王ほど本塁打を打った選手はほかにはいなかった。
王がシーズン55本塁打を打った昭和39年を例にとると、セ・リーグの総本塁打数は724本、1球団あたりの平均は120.7本だ。打率トップ10の選手の中で王に次いで本塁打が多いのは長嶋(巨人)とマーシャル(中日)の31本、さらに桑田(大洋)27本と続く。王の突出ぶりがわかるだろう。
ちなみに昨年のセ・リーグ総本塁打数は821本、1球団あたり136.8本だ。球場が広くなり圧縮バットが禁止されて本塁打が出にくくなったのであれば、この数字は辻褄が合わない。
要するに、ある特定の要因を抜き出して成績への影響を論じることは、そう簡単ではない。
王が活躍した昭和40年代を通じて、状況はおおむね似たようなものだ。セ・リーグ全体の打撃が低調で、3割打者は数人しか出ず、本塁打も出にくい中で、王ひとりが40本以上の本塁打を量産しつづけた。その結果が868本という記録になった。
記録を作ったことが王の価値なのではない。他人がなかなか打てない本塁打を打ちまくったことに価値があるので、記録はその結果に過ぎない。私たちは、ともすればそこを見失い、あるいは取り違えそうになる。
繰り返しになるが、野球の成績は相対的な対戦結果である。「レフティ・グローブとノーラン・ライアンとロジャー・クレメンスの誰がもっともスピードがあったか」を比較することは(信頼すべき計測結果があれば)可能だが、球速そのものは野球の記録ではない。そして、「3人の誰がもっともいい投手か」を比較しても、誰もが納得する結論は出ないだろう。打者においても同様だ。
選手ひとりひとりが生き物であるのと同様に、それぞれの対戦もまた生きている。記録というものは、その生きた営みのうちの、ごく限られた側面を保存して物語る手段に過ぎない。大事なのは目の前のひとつひとつのプレーなのだ。
これから長い間、レコードブックの本塁打記録の筆頭に記されるバリー・ボンズの名を目にするたびに、私たちはそのことを思い起こすことになるのだろう。
記録を過大視する傾向に冷や水をかける、という意味では、それはひとつの効用なのかも知れない。
それにしても、ベーブ・ルース以後、シーズンと通算の本塁打記録のいずれかを塗り替えようとする選手は、さまざまな苦しみを味わい続けている。「*」のレッテルを貼られたマリス、人種差別に苦しんだアーロン、そしてボンズ。記録達成当時は祝福だけを受けていたマグワイアも、後には汚辱にまみれてしまった。
次にボンズの通算記録に近づく選手がいるとすれば、先日最年少で500本塁打を打ったA-Rodだろう。彼の行く手には何が待っているのだろうか。
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コメント
本当に長い間ご無沙汰しておりました。最近では私事に追われ、スポーツ観戦をすることも、スポーツ界の出来事について考えることも、残念ながらめっきりと減ってしまいました。
鉄さんのエントリは変わらず高水準で、長い間コメントしないと随分と敷居が高く感じられます(苦笑)。それでも、これからは再びできるだけお邪魔させていただくことにします。
>鉄さん
>大事なのは目の前のひとつひとつのプレーなのだ。
同感です。
スポーツ観戦の醍醐味は、何が起こるか分からない不確定な状況下で、そこに繰り広げられる卓越した力や技を目撃し感動すること、そして、感動がシーンとともに記憶されることによって、画像が再生されたり思い出されたりする際、その感動が何度も反芻可能なことだと思います。
そういった意味では、リアルタイムでスポーツシーンを目撃することは、何者にも変えがたい価値があると思います(そう言えば、反芻された感動にひたるあまり、随分と無神経に昔の感動をコメントしたことがありました……。反省しております)。
私にとっての記録の意味は、あくまでもアスリートのレベルを推し量るうえでの参考としてと豆知識になるということくらいでしょうか。
記録が時代のさまざまな条件に左右され、比較可能な絶対的な数値ではないことはよく理解できるのですが、禁止されていない時期があったとはいえ、薬物使用に助けられ達成された記録を前にすると、どうしても釈然としないものが残ります。誰もが利用可能であったとはいえ、誰もが利用することを無条件で望むものではないからです。
以前、『ホセ・カンセコ 禁断の肉体改造』というエントリで鉄さんが書いておられましたが、「身体に有害であること」ということだけでドーピングをスポーツから締め出すならば、それはやがて新たな矛盾を生む可能性を孕んでいる論理であると私も思います。しかし、「多くの良識ある人間には支持できない行為である」という以外に、締め出す理由が思い当たりません。私の感じる薬物使用への違和感は、論理的なものでなく、感情的なものなのだからだと思います。もし、何か良いアイデアを思いつかれたのなら教えていただけませんか。
ところで、メジャーの通算打撃記録には、暗い影がつきまとうものが多いですね。ピート・ローズの通算安打数、出場試合数などの記録の扱いはどうなのでしょう。殿堂入りからの排除とは別物と考えられているのでしょうか。
投稿: 考える木 | 2007/08/10 19:35
>考える木さん
こんにちは。いつもながら過分のお言葉をありがとうございます。
私自身が1か月以上放置していたばかりで、まったく褒められたものではありませんが。あまり書かずにいるとエントリ更新の敷居も高くなります(笑)。
>禁止されていない時期があったとはいえ、薬物使用に助けられ達成された記録を前にすると、どうしても釈然としないものが残ります。
正直なところ、去年のシーズンが終わった頃には、ボンズにはこのまま引退してほしい、という気分もありました。問題の顕在化を避ける、いわゆる日本的解決という奴ですね(笑)。
陸上界において、ソウル五輪でベン・ジョンソンが樹立した100メートルの世界新記録が薬物使用を理由に取り消されたことは歴史的汚点ですが、それは同時に、陸上界が断固として薬物汚染に立ち向かった記念碑でもあります。
MLBは、全体としては薬物を追放する方向に動いてはいますが、できるだけ事を荒立てたくないという気持ちが透けて見えるような動き方であることは否めません。
>もし、何か良いアイデアを思いつかれたのなら教えていただけませんか。
「禁断の肉体改造」のエントリやコメント欄を読み返すと、私は迷いがそのまま出たような文章を書いてますね。今も迷ってます。
>ピート・ローズの通算安打数、出場試合数などの記録の扱いはどうなのでしょう。殿堂入りからの排除とは別物と考えられているのでしょうか。
彼の永久追放は引退後の不祥事(自分が監督するチームの勝敗を対象に賭けを行った)によるものですから、現役時代の記録そのものとは切り離して考えられていると思います。記録じたいをどうこうしようという話は聞いたことがありません。
ローズは引退後も絶大な人気があり、彼の永久追放を決定した当時のジアマッティ・コミッショナーは、その決定を下してまもなく心臓疾患で急逝したため、ローズ問題の心労が影響したのではないかと言われました。バリー・ボンズには当時のローズほどの人気はなさそうですが、セリグ・コミッショナーにとってはやはり心労の種でしょうね。
投稿: 念仏の鉄 | 2007/08/11 12:30
お暑うございます!
お元気そうで、なにより。
久しぶりに鉄さんの文章を堪能できて嬉しいです。
さて「和製ドーピング違反第1号」が我がホークスから出てしまいました。しかし意図的な違反というよりも、球団の無知によるケアレスミスという感じで、しかも「毛はえ薬」!・・・怒るというより脱力しております。
このシーズン終盤のデッドヒートの折に、せっかく調子が上がってきたガトームソンを20日間も使えないというのも痛いのですが。ほんとに今年のホークスはついてないです~。
投稿: 馬場 | 2007/08/15 17:30
>馬場さん
ご無沙汰しました。
ガトームソンの一件は、ちょうどこのエントリをアップした翌日に発覚して、あまりのタイミングに驚きました。禁止薬物のフィナステリドという物質は、確かに経口型の発毛剤として初めて国内で認可された商品の主成分として知られているようです。しかし、ヤクルト時代には球団に相談して服用を止められていた、という経緯もあるようですから、球団の無知ばかりでなく本人にも大いに問題があるのでは。
薬物使用については以前、アンフェタミンを含む「グリーニー」と呼ばれる興奮剤についての報道がありましたね。週刊朝日がロッテを、週刊ポストがジャイアンツを、それぞれ疑惑ありと報じていました(週刊ポストは、覚せい剤取締法違反でつかまった野村元投手の証言を前面に出していました)。どちらも尻すぼみになってしまいましたが、どうなったのやら。フィナステリドは厚生省認可の育毛剤で社会的には何の問題もありませんが、アンフェタミンは覚せい剤なので、所持も服用も犯罪です。確かな証拠があるのなら「疑惑」とか書いてないで警察に告発すればよさそうなものですが。
投稿: 念仏の鉄 | 2007/08/16 00:28
>ヤクルト時代には球団に相談して服用を止められていた
あっ、そうなんですか。
ただ、球団に報告して何も言われなければ「あ、いいんだな」と思うでしょうからねぇ。某審判さんの言葉ではありませんが、「野球選手は(監督・コーチを含めて)、ルールを知らないものだ。」
ところでガトームソンの同僚の左腕・ニコースキー投手がブログを書いています。
http://www.cjbaseball.com/
彼はAP通信の契約記者でもあります。
現役のプロ野球選手が現場から発信しているという点で、実に貴重なブログです。
ボランティア通訳による和訳もついてますのでご一覧ください。
投稿: 馬場 | 2007/08/16 11:12
>馬場さん
>ところでガトームソンの同僚の左腕・ニコースキー投手がブログを書いています。
>http://www.cjbaseball.com/
>彼はAP通信の契約記者でもあります。
これは凄い。我らが田口壮に匹敵する文章力ですね。
APの記事は、ご多分に洩れずのカルチャーギャップ話が中心ですが、それでも未知の国の風習に一定の敬意を払おうという姿勢は感じられます。異文化体験そのものに前向きな姿勢が、結局は野球での適応にもつながるのでしょうね。先発投手への厚遇ぶりや、二軍の好待遇についての記事も興味深いものでした。
投稿: 念仏の鉄 | 2007/08/16 22:43
古い記事にコメントしてしまいすみません。アレックス・ロドリゲス選手が薬物使用を認めたときに真っ先に思い出したなのがこの記事でしたので…。
しかし大変なことになりましたね。これからは図抜けた記録については常に薬物使用の疑いがかかりそうで心配です。
投稿: ハーネス | 2009/02/10 23:00
>ハーネスさん
ううむ、なんか予言めいたことを書いてたんですね。別にA-Rodを疑っていたわけではないんですが…。
彼の場合は、もちろん本人の汚点であることは議論の余地がありませんが、同時にあの天文学的な数字が並ぶ契約を抜きには語れないのでは。去年の3月に紹介した「ドーピングの社会学」という本が詳しく説明しているように、選手が生み出す経済的利益に対する取り巻きたちの期待が大きくなるほど、生身の体の不確実性を克服するために薬物に頼る、という構造が、A-Rodのケースにもあるように思います。
>これからは図抜けた記録については常に薬物使用の疑いがかかりそうで心配です。
そこに、薬物使用者たちが野球界にもたらす最大の罪があるように思います。
投稿: 念仏の鉄 | 2009/02/11 08:17