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柔道の国際的地位は嘉納治五郎の政治力によって築かれたのではなかったか。

 開幕に先立つ国際柔道連盟総会での理事選挙で現職の山下泰裕が落選し、開幕日には、重量級を背負う鈴木桂治と井上康生が2回戦で相次いで微妙な判定で敗退。リオデジャネイロでの世界選手権は、日本の柔道界にとって試練の場となっているようだ。

 判定そのものが正当なものかどうかを語る資格は私にはない。そもそも試合映像を見ていないし、見たところで判断できるほどの知見はない。ただ、報道によれば、どちらも審判員が集まって協議した末の判定であり、鈴木の試合ではビデオ映像を見返すこともしている.
 ならば、これを誤診と決めつけるよりは、これが国際柔道連盟の判定基準なのだと考えるほうが生産的だ。少なくとも、日本の柔道の指導的立場にあり、対策を講じていかなければならない立場の人々にとっては。

 日本の審判と海外の審判の間には、さまざまな傾向の違いがあると言われている。井上・鈴木の敗北に関する記事の中でも、「後から技を掛けた方がポイントになるのが最近の国際大会の傾向」(国際柔道連盟・川口孝夫審判委員/東京新聞9/14付夕刊)、「外国には反応が良すぎる場面を、見た目でポイントに取る審判がいる」(全日本柔道連盟・上村春樹専務理事/読売新聞9/14付夕刊)など、国内外の判定基準の違いに言及する専門家は多い。

 傾向の違いというだけでなく、国内大会と国際大会ではルールそのものも違う。全日本柔道連盟公式サイトの柔道資料室を開くと、「国際試合審判規定(国際ルール)解説」と「講道館試合審判規定(国内ルール)解説 」が並べて記載されている。
 たとえば、国際ルールでは「指導」は回数によって「効果」「有効」「技あり」「一本」と同等の意味を持つ(つまり4回指導を受けたら敗戦)が、国内ルールではポイントとは無関係。また、国内ルールに「効果」は存在しない。試合場のサイズや試合時間も異なる。

 海外の選手は常に国際ルールで試合をしているが、日本の選手は国内では講道館ルール、国際試合では国際ルールを使い分けることを余儀なくされる。さまざまな歴史的・思想的な背景があってこのような事態になっているのだろうけれど、現実に目の前の試合を戦う上では、これは日本の選手だけが背負っているハンディキャップだ。全日本柔道連盟は、あえて自国選手に不利になるダブルスタンダードを採用しているということになる。

 たとえばカラー柔道着の採用問題の時、あるいはこのような判定に対する考え方のギャップが(主に日本に不利な判定という形で)露呈した時、日本の柔道家たちは「外国人は柔道に対する理解が足りない」と嘆くことが多い。
 しかし海外から見れば、「『柔道』と『Judo』は違う」というのが、身も蓋もない現実なのではないだろうか。

 斎藤仁日本代表監督は鈴木の敗戦の後、「柔道じゃねえ」「こんなの政治だよ」と吐き捨てたと伝えられる。
 彼の中では、柔道と政治とは相容れない概念であり、政治は唾棄すべきものらしい。


 だが、講道館柔道の歴史を紐解いてみると、そういう考えはいささかナイーブに過ぎるのではないかと思えてくる。

 現在、世の中で「柔道」「Judo」と呼ばれている競技は、嘉納治五郎が創立した講道館柔道をいう。打撃を主としない組み手による格闘技はそれ以前にも多数存在し、多くは柔術を名乗っていた(「柔道」は嘉納の造語ではなく、講道館以前からも存在していたが主流ではなかった)。
 いくつかの流派の柔術を学んだ嘉納が、武術だけでなく智育、体育、徳育にも効果のある武道を目指して講道館柔道を創始したのが明治15年(1882)、弱冠23歳の時だ。明治18年から開催された警視庁武術大会で力量を天下に示したことから社会に認められ、海軍兵学校や学校での正課として採用され、全国に普及していった。

 こう書くと、まるで川が上流から下流に流れるが如く、柔道がその素晴らしさによって自然に広まっていったような印象を与えるが、それほど簡単はなずはない。海軍や学校の正課に採用される過程では、さまざまな交渉や根回し、プレゼンテーションや諸手続きが欠かせなかったはずだ。
 そこを順調にクリアし、並み居る他流派を押しのけて、短期間で「柔術」界を代表する存在に講道館柔道を育て上げた嘉納治五郎の手腕は、尋常ではない。嘉納の自伝を読んでも、これらの過程で具体的に何をやったのかはほとんど記されていないけれど。

 嘉納は優れた武道家であると同時に、東京帝大を卒業して学習院教授や東京師範学校(後の東京教育大、現在の筑波大の前身)校長、文部省の局長などを歴任した教育官僚でもあった。後には貴族院議員にもなっている超エリートだ。学生時代から培った政界・官界での人脈、教育行政や学校経営における手腕は、講道館の制度・組織を整備し、政府や軍、教育界によってオーソライズされていく上で、大いに役に立ったことだろう。

 嘉納はまた、アジアで最初の国際オリンピック委員会メンバーでもある。藤堂良明「柔道の歴史と文化」(不昧堂)によれば、明治42年(1909)、駐日フランス大使ゼラールが友人で近代五輪の創始者ピエール・ド・クーベルタン男爵の依頼で、アジアを代表して日本からオリンピック委員を迎えたいので適当な人物を推挙してほしい、との依頼を受けた。

<ゼラールはクーベルタンの依頼に応じて、日本国政府外務省に助言を求め諸方面に意見を求めた結果、講道館柔道創始者であり高師校長として生徒に長距離や水泳を奨励しスポーツの先覚者であるということで、嘉納が推薦されたのである。>(同書)

 すらっと読み流してしまうところだが、柔道が五輪競技に採用されたのは1964年の東京オリンピックが最初。この時点ではまだ欧州でもあまり知られておらず(欧州で最初の講道館道場「武道会」がロンドンに開かれたのは1918年)、オリンピック競技会において柔道はアウトサイダーでしかない。
 にもかかわらず嘉納治五郎が外務省や諸方面に推挙されてオリンピック委員になったのは、講道館柔道の創始者であることに加えて、東京高等師範学校校長という彼の立場が大きくモノを言っているに違いない。(注1)

嘉納は以後、オリンピック委員として精力的に活動した。五輪大会への選手の選出母体として大日本体育協会を設立し、初代会長にも就任した。ストックホルム五輪とアントワープ五輪には団長として参加。第12回五輪(1940年)を東京に誘致する上でも、嘉納の力は大きかったようだ。
 1938年、日中戦争に突入していく中で、日本での開催を危ぶむ声が強まり、IOCはカイロで総会を開いた。
<厳しい応酬の中で嘉納の必死の英語での抗弁が行われた。白熱した論議の結果、東京と札幌(冬季)両大会の開催は最終的に承認された>と「柔道の歴史と文化」は記す。諸外国の委員を相手に孤軍奮闘して、議論を現状維持まで押し返したのだ。この一事をもってしても、嘉納の交渉力の見事さが伺える。
 しかし、嘉納はこの後、カイロからアメリカを経由して帰国する最中の船上で病没。後に日本は東京五輪の開催を返上し、幻に終わる。

 恥ずかしながらこれまでは、講道館柔道の創始者で学習院の先生、という程度の知識しかなかったが、ちょっと調べてみただけでも、この嘉納治五郎という人物、実に凄い人だ。日本のスポーツ界では空前絶後の巨人ではないか。柔道だけにとどまらず、彼がいなければ日本のスポーツ界や体協・JOCの在り方、IOCにおける日本の地位は、ずいぶん今と違うものになっていたかも知れない。

 日本の柔道界の指導者たちが、嘉納治五郎の教えを学び、守り、広めるために尽力していることは疑いがないし、貴いとも思う。だが例えば、長く日本代表監督のような立場にあるような人物なら、畳の上だけでなく、畳の外で嘉納が成し遂げた超人的な偉業についても学び、受け継ぎ、同じように戦っていくことを、少しは考えた方がよいのではないかと思う。

 自分たちが世界に柔道を教えたのだ、という歴史を棚上げして現状だけを見れば、世界の「Judo」に日本だけが「柔道」で立ち向かわなければならない現在の国際大会は、並み居る「柔術」に講道館だけが「柔道」で戦った警視庁武術大会 に似ている。そのくらいの危機感を持って畳の内外であらゆる手を尽くさなければ、「Judo」を「柔道」に引き戻すことは難しいのかも知れない。


 それにしても、そもそも日本の柔道界は、何故にあれほどまでに海外に柔道を普及させることに熱心だったのだろうか。機会があれば、もう少し調べてみたい。

(注1)
嘉納治五郎がIOC委員に選ばれた経緯については、こちらにも詳しい。

(追記)2007.9.18
武藤文雄のサッカー講釈/サッカー狂から見た柔道世界選手権>というエントリで武藤さんが、サッカーの各国のスタイルの違いになぞらえて、次のように書いている。
<様々な国の人々が「柔道」を自国なりに解釈し、日本と異なるスタイルで戦ってくるところが、国際試合の面白さだと思うのだが。>
確かにそうとも言える。そう考えると、これはひとつ前のエントリ<「引いた相手から簡単に点は取れない」って、そりゃそうなんでしょうけど。>に通じる問題でもあるな。「相手が組ませてくれないから柔道にならない」と日本の柔道家たちが言い始めてから、いったい何年経つのか、と。
今朝の「とくダネ!」では谷亮子の優勝を扱ったコーナーで日下部基栄が「相手は組ませてくれない。日本の選手と組んだら負けだと思っている。それで日本の選手は苦戦している。でも、組ませてくれなくても投げられるのが亮子先輩なんです」と話していた。なるほど。

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コメント

興味深いものをみつけましたのでお知らせします。
ステージ風発 山下泰裕氏の書簡:
http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/300617/
「私自身は、劣勢が伝えられる中で手練手管を弄することなく正々堂々と選挙に臨みました。」

山下氏は自らの誇りはを守ったかもしれませんが、柔道は守らなかったということで、日本の外交によく似ています。

投稿: WAC | 2007/09/15 19:01

>WACさん
こんにちは。興味深い情報をありがとうございます。
これが本当ならIJFは厄介なトップを戴いてしまったものですね。
ただ、紹介していただいたblogと書簡には、それぞれ疑問を感じます。
古森氏は、私信を公開することについて山下氏の承認をとっているのか。
山下氏は、この内容をきちんとした形で世に問うて選挙に臨んだ方がよかったのではないか(そうしなかった理由も一応記されてはいますが)。
後からこういう形で表に出てきても、あまりよいことはない気がしますね。

投稿: 念仏の鉄 | 2007/09/16 12:40

納得できる内容です。
大半の柔道ファンにとって受け入れ難い主旨でしょうが、
私には説得力が感じられる文章でした。

50年前、100年前の柔道人が
この競技を世界に伝えよう、普遍化しようと果たした努力に、
今の柔道人は漫然と乗っかってしまってます。
「本当の柔道」というものがあるにしても、
それは世界に飛んで、言葉を尽くして、
心を込めてコミュニケーションしないと伝わるものではありませんね。

投稿: 党首 | 2007/09/16 19:21

>党首さん
ありがとうございます。
最終日には金メダル3個の収穫で関係者はさぞほっとしていることでしょうけれど、そこで止まってしまうようだとまずいですね。国際柔道に対するスタンスを抜本的に見直すことを、金メダルに手が届く選手が健在である今のうちにしておいた方がいいんじゃないかと思います。

全柔連と講道館では、「本当の柔道」ともいうべき人間教育のためのキャンペーン「柔道ルネッサンス」http://www.kodokan.org/j_basic/renaissance_j.htmlを2001年暮れから実施していますが、率直にいって国際柔道界どころか国内でもどの程度の影響力をもっているのか疑問です。私自身は今回「柔道の歴史と文化」を読むまで「柔道ルネッサンス」という言葉を知りませんでした。ネット上には柔道ファンからの批判的な論評http://www91.sakura.ne.jp/~judo/judo_j/ijf/for_judo1.htmlもありました。

この「見る柔道」というサイトには「五輪・柔道・お金」http://www91.sakura.ne.jp/~judo/judo_j/ijf/gorin.htmlと題した考察もあり、97年の朴・国際柔道連盟会長(当時)の談話や収支などを引きつつ、五輪競技から除外されないために国際的な人気向上が必要で、そのために商業化が進んでいる、という事情を考察して、興味深いものがあります。
しかし、世界の柔道関係者を「養なわなければならない」という観点は、日本の柔道界には抵抗がありそうですね。

投稿: 念仏の鉄 | 2007/09/17 13:10

嘉納治五郎の政治力について初めて知りました。貴重なエントリに感謝いたします。
「国際的な判定基準に従えば、鈴木の負け」という事実を日本柔道関係者はしっかりと認識すべきで、国際試合に参加するのであるならば、現実を受け入れるべきという意見に賛成です。
解説を行っていた篠原氏は、コメントで国際柔道の趨勢を理解したうえでの対策にも言及されておられたようです。シドニーでの苦い経験を教訓として受け入れた成果が感じられ、好感が持てました。このような指導者が、今後日本柔道界に増えていくことを願います。
国際試合での判定の下で結果を残していくためには、技が決まったと思った後でも体勢を崩されないように用心することと、さらには判定を逆手にとって、相手方の技が決まり「やられたっ」と思った後でも次の技を仕掛けていくことが大切かと思います。後者がみっともないと思うならば、圧倒的な柔道を完成させることです。
柔道着の大きな袖がなくなった頃から、不利な改正を乗り越えて日本柔道はよく頑張ってきたと思います。嘉納治五郎に匹敵する偉大な指導者の出現に期待できないならば、せめて度重なる試練に適応し、なんとか乗り切ってくれることを期待しています。
それにしても、柔道からどんどん観戦するスポーツとしての面白さが奪われていっているようで、Judoは「つまらん」というのが私の本音です。重心を崩すということが追求された数々の洗練された技が、不細工な技に駆逐されていくのは悲しいことです。

投稿: 考える木 | 2007/09/17 13:36

>考える木さん

>国際試合での判定の下で結果を残していくためには、技が決まったと思った後でも体勢を崩されないように用心すること

これは「残心」という概念で、やはり日本の武道の伝統的な心構えですよね。柔道ではあまり言われないのかな。

>それにしても、柔道からどんどん観戦するスポーツとしての面白さが奪われていっているようで、Judoは「つまらん」というのが私の本音です。

サッカーでいえば「ゴール前を固めてガチガチに守り、カウンター一発を狙う」ような戦術が欧州では隆盛のようですね。返し技の評価があれほど高いのでは、投げることに対して誰もが慎重にならざるを得ないでしょう。
そう考えると、現IJF会長のツアー化・プロ化構想は、積極的に一本を取りに行く日本の攻撃的柔道と、実は相性がよいのかも。そこをアピールして、「IPPON」に対するインセンティブを高めるような(つまり「JUDO」から「柔道」に引き戻すような)ルール改正を狙うという手もあるでしょうね。
ただ、日本の実業団システムの中で、どうやって海外の賞金大会に選手を派遣するかという問題は出てきますが。警察や自衛隊に所属する公務員はまず無理でしょうし。

投稿: 念仏の鉄 | 2007/09/18 08:54

鉄さん、山下泰裕氏の公式ホームページに同じ内容の書簡が載っていました。
http://www.yamashitayasuhiro.com/hitokoto/070915/index.html

ただ、私もこの「お手紙」を拝見して、頭を抱えました。
いや、スポーツマンとして山下さんは立派な方なんでしょうけど、

>だがもしビゼールを支持するのであれば、すぐにでも対抗馬を下ろす。よく考えてくれ。

という状況であったのであれば、表面上ビゼール支持を表明する(あるいは「積極的に不支持と言わない」くらいで妥協が成立した可能性も大)くらいの「寝技」は使ってほしかったです。

IJFに限らずスポーツ団体というのは、過剰なくらい政治的なのが普通なんですから、日本柔道界の長期的利害ということを考えたとき、山下氏の対応はあまりにもナイーブすぎる。(そういう方を選んだ日本柔道連盟にも人選の責任がありますが。)

「面従腹背」なんて、「政治」のうちにも入らないくらいの「国際的スポーツ組織理事としての基本的スキル」だと思います。それくらいの「寝技」は行使して、理事として残っていただきたかった。理事として入ってないと、情報取れなくなるし、ますます日本が不利になる可能性が高いです。

山下さんは「立ち技」のキレが素晴らしかったと記憶しておりますが、ぜひ嘉納治五郎に学んで政治的「寝技」についてもご研鑽いただきたいと切に希望いたします。

投稿: 馬場 | 2007/09/18 11:08

>馬場さん

講道館も全柔連も、会長は基本的に嘉納家の世襲のようです。内情を知りませんのでそれ自体をどうこう言うことはできませんが(全柔連は社団法人なので、半世紀も親子で独占しているのはどうかな、という気もしますが)、そういう体制の中では、政治的闘争に強い幹部は育ちづらいだろうとは思います。全柔連の理事には高名な柔道家が多いようですから、ビジネス等の一般社会で揉まれた経験の豊富な方は少なそうですし。

投稿: 念仏の鉄 | 2007/09/19 00:04

何か気の利いたコメントを書こうと思っているうちに、拙BLOGを引用いただき、先を越されてしまいました。ありがとうございます。

ただ、山下氏が本当に「政治を知らないナイーブな」人かどうかはわかりません。「明日のために、今日の屈辱に耐えろ」(古いか)の精神で、将来の政治のために「今の友人」を大事にした可能性もあるのではないかと。

で、自分のエントリに書いたのですが、結局国際柔道連盟の資金源は日本企業と日本における放映権料だと思っています。とすれば、日本柔道の先行きはそう暗いものではないと思うのですが。もっとも、ジャニーズの若者と塚田真希のハイタッチはあまり見たくありませんけれど。

投稿: 武藤 | 2007/09/19 01:00

>武藤さま
こちらこそご紹介いただきありがとうございました。

>将来の政治のために「今の友人」を大事にした可能性もあるのではないかと。

そのくらいの深謀遠慮があるといいですよね。ただ、韓国の「友人」は、いささかきな臭い人だったのが…。

>結局国際柔道連盟の資金源は日本企業と日本における放映権料だと思っています。

その点の優位性もあるとは思います。ただ、フランスあたりでは柔道はかなりの人気のようですし、現会長の賞金大会ツアー構想にも、別の資金源を作ろうという含みがあるのかも、という危惧は感じます。

>ジャニーズの若者と塚田真希のハイタッチはあまり見たくありませんけれど。

うわ。塚田は喜びそうだな。
あの手の演出、私は嫌いですが、全面的に否定しきれないのは、選手たち(特に女子)が芸能人に取材されたり励まされることをすごく喜んでいるんですよね。

投稿: 念仏の鉄 | 2007/09/19 17:54

コメント欄も含めてむちゃくちゃおもしろかったです。23歳で創設というのが特に驚きました。
23歳で独自のなんとか流を名乗り弟子を集め組織を拡大し、なんてことは自分には想像すら難しいですね。
選手の多くが芸能人好き、というコメントも、うむむ、なるほどと思いました。

投稿: nobio | 2007/09/24 19:28

>nobioさん
この時期の帝大卒業者の偉さ加減というのは、本人自体も社会的な評価も我々の想像を超えているようですね。初期の講道館は「学士さまが始めた柔術」ということで注目された面もあったようです。

投稿: 念仏の鉄 | 2007/09/24 23:47

ああ、なるほど。そう言えば正力松太郎も「学士さま上がりの警察人」として注目された、ということが『巨怪伝』に書いてありました。

些末な疑問ですが、このエントリに於ける嘉納治五郎の基礎知識は、主に藤堂良明著『柔道の歴史と文化』という本から来ているのですか、それともそうとも言えない多面的なソースがあるのでしょうか。何故そんなことが気になるのかというと、これこれの本を読んでこういうことを知った、という場合、鉄さんは「これこれの本を読んでこういうことを知った」というふうに書かれることが多いと思うのですが、今回のはそうではなく「ちょっと調べてみただけで」とあるので、微妙に好奇心を持ちました。

投稿: nobio | 2007/09/25 01:22

>nobioさん
いや、ホントに「ちょっと」なんですよ。嘉納治五郎の自伝『嘉納治五郎 私の生涯と柔道』(日本図書センター)も読みましたが、エントリに紹介したことはだいたい『柔道の歴史と文化』に拠っています。ほかに全柔連と講道館、IJFの公式サイトも参照しました。

今回調べてみる以前の、私の講道館に関する知識は、主に本宮ひろ志の漫画『姿三四郎』(冨田常雄原作)に負っているのですが、冨田常雄は講道館四天王と呼ばれた冨田常次郎の息子なので、『姿三四郎』も、細部はともかく、大枠では史実に沿って書かれているようです。

投稿: 念仏の鉄 | 2007/09/25 10:14

いささか(かなり)遅れたリプライなのでもう読んでもらえないかもしれませんが・・・。
以前、高校野球の異常な日程などにかんするエントリで書き込ませていただいた者です。
実は最近日本語教育に興味を持っていて、初学者向けの本を何冊か読んでいるのですが、そのうちの『日本語教育史研究序説』(関正昭、1997年)に嘉納治五郎が登場してたまげました。
なんでも滞日留学生に対する組織的な日本語教育を初めて行ったのが嘉納治五郎で、1896年に西園寺公望から託された清国人留学生13人を指導、その後、1899年には留学生のための塾・亦楽書院を開設し、日清戦争後の清国人留学生教育の先鞭をつけたとのことです。ううむ。

投稿: かわうそさん | 2007/10/01 16:37

>かわうそさん
しばらくでした。当blogは何年前のエントリへのコメントにもレスする方針ですので、お気になさらずに(笑)。

しかし、いろんなところに名前の出てくる人ですね。
嘉納治五郎の自伝には日本語教育のことは出てきませんが、1896年から99年は高等師範学校の校長をしながら文部省の参事官や普通学務局長などを次々と兼任していた時期で、非常に多くの仕事を並行してこなしていたのだろうと想像できます。

投稿: 念仏の鉄 | 2007/10/02 23:35

ごぶさたしております。
まんがですが、「虹色のトロツキー」(安彦良和)では、満州建国と合気道の絡みが出てくるのを思い出しました。
想像ですが、柔道も合気道も剣道も、日本武道の一つ。これらは武士道のあらわれ、ということで、官民あげて海外への普及が積極的にはかられたのではないでしょうか。
奥が深いテーマですね!

投稿: ペンギン | 2007/11/03 08:51

>ペンギンさん
しばらくです。元気ですか?
「虹色のトロツキー」は読んでませんが、満州建国とのからみということなら国の後押しがあったということなのでしょうね。
柔道に関しては、講道館以外の柔術家が同時期に海外に出ていたという記録もあり、国内で劣勢に立ったため、海外に活路を見出そうとしたのかな、という印象を受けました。

投稿: 念仏の鉄 | 2007/11/04 08:17

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