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2007年11月

谷沢発言の真意を考えてみる。

 谷沢健一という人物を私が再発見したのは、3年前の夏の終わり、あるシンポジウムでのことだった。開設したばかりだったこのblogに、その時のことを書いている。近鉄とオリックスの合併話が持ち上がり、選手会がストライキに突入するのかどうか、という局面で、谷沢は、プロ野球が進むべき方向について考えるという趣旨のシンポジウムを企画し、識者を集めて開催した。この時期、いろんな人がいろんなことを言っていたが、プロ野球選手出身でそんなことをした人物はほかには見当たらない。

 谷沢は早大出身で70年に中日に入団。新人王を取り、その後も中心打者として活躍した。主に一塁を守った左の好打者で、今の選手でいえば、長打力もある福浦、という感じだろうか。76年に張本勲(読売)を僅差でかわして首位打者を獲得。78年にアキレス腱を痛めてほぼ2シーズンを棒に振ったが、80年には完全復活し、.369の高打率で2度目の首位打者となった。86年限りで引退した後、94-95年には西武の打撃コーチを務めた。98年には母校早大の大学院でスポーツ経営を学び、シンポジウムのあった2004年には西多摩倶楽部というクラブチームの監督を務めていた。
 翌2005年秋には自ら理事長となって谷沢野球コミュニティ千葉(YBC)というクラブチームを設立、運営と指導にあたっている。
 この秋で60歳になったはずだが見た目は若々しいし、テレビ解説ではいつも機嫌のよい笑顔で、ともすれば軽薄な印象を与えかねない語り口なのだが、現実にやっていることはずいぶんと地道だ。

 彼のblog「谷沢健一のニューアマチュアリズム」の最近の記述を読むと、クラブチームの練習場所を確保するために谷沢自身があちこちに頭を下げて頼んで回り、グラウンドの整備まで一緒にやっているようだ。私は彼のチームの活動を見たことがないので谷沢自身の記述を信じるほかはないのだが、これが事実なら相当なものだ。選手のレベルも決して高くはない。<プロ球団ーアマ企業球団ー独立リーグ球団ークラブ球団というふうに事実上、序列化されつつある昨今の状況下で、もっとも「底辺」で野球組織を維持することは、それなりの誇りと喜びがある>と彼は書いている。
 テレビ解説に講演や野球教室などやりながら悠々自適の生活を送れそうな立場の人物が、齢60にして、わざわざそんな手間のかかる面倒な真似を買って出ている。なぜかといえば、
<私は、プロ球界が責任を放棄している部分を、ひじょうに微力であるのを承知で少しでもカバーできたらと考え、まがりなりにも僅かずつ実行しているつもりである>
というのだから、大変なチャレンジをしている貴重な人物だと思っている。

 その谷沢が妙な形で話題になっている。
 日本シリーズ第5戦でパーフェクトゲーム寸前の山井を交代させた落合采配を批判したことで、ネット上で谷沢が非難を浴びている、と聞いた。彼自身のblogにも、さらりと触れている。どうも、「落合は監督の器ではない」というようなことを口にしたらしい。

 発言内容を知りたいと思って調べてみたら、YouTubeにアップされていた。中日日本一から一夜明けた朝のフジテレビ系「とくダネ!」でのことだ。
http://jp.youtube.com/watch?v=U417rSV2eDA

 該当する谷沢の発言は次のようになる。
「現代の監督、たくさんいますけどね、落合監督はもう監督の器じゃない。そのくらい言っていい」
「メジャーリーグでも1回しかないんですよ。百数十年の歴史の中でね、このパーフェクトというのは。日本のプロ野球で1950年から2リーグ制に分立して、初めて達成されるかどうかわからないような、ファンが一番注目してるこの試合でしょ」

 これだけではあまり説明になっていない。暴言と言われても仕方がない。
 興味深いのは、後半での発言だ。

 レギュラーコメンテーターの竹田圭吾(ニューズウィークジャパン編集長)が、このように話している(これは、この件における落合支持論の典型といえる)。
「あとでニュースで見たんですが、サッカーでも野球でも監督の仕事というのは球史に残る記録を作ることでもないし、選手をヒーローにすることでもないし、結果だけで判断されることなので、やっぱりクライマックスシリーズ、阪神と巨人に5連勝で勝ってきた勝ちパターンというものを考えると、まあしょうがないんじゃないかと思います」
 すると谷沢は「それだからダメなんですよ」と猛然と(しかし顔と口調はにこやかに)反論する。
「2004年にプロ野球がストを行った時に、たいへんな時代だったんです。赤字体質を解消しようとしてね、それで、プロ野球っていうのはファンのものでもないし球団のものでもないし、選手監督のものでもない、みんなのものなんですよ。そしてもう一度高めようという機運が起こったじゃないですか。それを忘れてますよ」

 このあたりが肝心なようだ。 「落合監督は監督の器じゃない」という発言は、「落合監督は『現代の監督』の器じゃない」という意味なのだと受け止めれば、谷沢の言いたかったことが見えてくる。

 プロ野球自体が存亡の危機にさらされているこの時代に、監督が勝つことしか考えていないようでは、プロ野球自体が立ち行かなくなる。中日ファンを喜ばせるだけにとどまらず、野球ファン全体、さらにはそれ以外の人々の耳目を野球に集めることまで、現代の監督は視野に入れなければならない。その絶好のチャンスをみすみす自分の手で潰した落合は、「現代の監督」の器ではない。

 彼の経歴や発言を踏まえて勝手に代弁すると、谷沢はそんなふうに考えているのではないかと思う。

 もし本当にそうなのであれば、谷沢はキャスターや出演者や視聴者に理解できるように説明するべきだったし、もう放送の世界に入って長いのだから、言葉足らずで誤解を招いたとすれば多少の非難を浴びるのは仕方ない。
 むしろこれは、彼の活動やスタンスを世間にわかりやすく説明するいいチャンスだったのに、と思うと惜しまれる。

 一方、そんな視点で落合を見てみるとどうなるか。
 「監督は結果だけで判断される」という竹田圭吾の言葉は、まさに落合博満の監督哲学であり、選手としての哲学でもあった。「結果さえ出せば文句ないでしょ」というのが、落合の野球人生を貫く姿勢といってもいい。

 落合は、昔も今もプロ野球界の異端児として扱われている。しかし、彼の経歴を見直すと、実は彼の「オレ流」言動は、常にルールの枠内に収まってきた。
 91年オフに参稼報酬調停を申請したのも、93年オフにフリーエージェント宣言をしたのも落合が日本人第1号だったが、これらはいずれも労使間で認められた選手の権利であり、ルール上は何の問題もない。
 ちなみに、フリーエージェント宣言をした時期、落合は日本プロ野球選手会から脱会していた。FA権獲得を目指す闘争方針に反対していた(落合は「統一契約書の見直しを優先すべき」と主張していた、との記述がネット上にあるが、具体的にどのような見直しを求めていたのかまでは不明)のに、導入されると真っ先に手を挙げるという彼の出処進退は、現行のプレーオフ制度を全面的に批判していたけれど、セに導入されたらプレーオフ用の戦術を考案して全勝優勝してしまったことと似た印象を受ける(ま、プレーオフに5連勝することは、やろうと思ったからできるわけではないが)。
 また、Wikipediaの彼の項目によれば、今年、金本明博選手を育成選手として再契約しようとして選手会に反対された時には、「本人と十分に話し合って同意を得た上で、決められたルールに従ってやった事だ。」と反論したという。

 つまるところ、落合が破ってきたのはあくまで球界の不文律であり、明文化されたルールに対しては従順だった(ルールが認める限界まで肉薄した、という点では余人の追随を許さないものがあったが)。彼は、置かれた状況の中で最大限の成果を挙げ、利益を享受することに専心してきたのであり、ルールや枠組みそのものを変えることに対しては熱心ではなかったと言える。

 だが、枠の外に出てしまった男たちもいる。
 石毛宏典は、四国アイランドリーグを設立し、資金繰り等で苦労を重ねていた時期に、プロ野球界を「ビニールハウス」と表現し、「中にいてはわからないことがたくさんある」と話していた。
 石毛と同様に、あえてプロ野球界を外側から見て、その不備を痛感し、自力で補うことで野球界を支えようと腐心している谷沢から見れば、「ビニールハウス」の外でも影響力を持ち得る貴重な人材であるはずの落合が、そこから一歩も外に出ようとしないのが、もどかしいのかも知れない。

 もちろん、このエントリ内容のほとんどは私の勝手な推測だ。谷沢健一氏が私の考えているような人物なのかどうかは、彼のblogを読むなり活動を追うなりして、ご判断いただきたい。


追記(2008.9.23)
今さらですが、この件について興味深い考察をしているサイトです。
【雑記】・高度なプレーをすることとプロであるということ/ふぬけ共和国blog

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