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2007年12月

『ペレを買った男』

 ペレやベッケンバウアーが在籍し、70年代後半のUSAにサッカーブームを巻き起こしたニューヨーク・コスモスの盛衰を描いたドキュメンタリー映画。当時の映像と、選手、経営陣、リーグ首脳陣、記者など大勢の証言を、当時のヒット曲に乗せて構成している。映像や文字の出し方がいかにも70年代っぽいノリ。
 私のコスモスに関する知識は、ここに書いた最初の2行程度が全てだったので、映画の中で初めて見るその全盛期の映像は衝撃的だった。7万人の観衆がジャイアンツ・スタジアムに集まり、コスモスのプレーに熱狂している。USAがサッカー不毛の地だなんて誰が言ったのだろう?

 邦題に謳われている「ペレを買った男」はスティーブ・ロスという人物。ワーナー・コミュニケーションズの会長だ。ワーナー・ブラザース映画をはじめ、音楽のアトランティックやノンサッチ、ゲームのアタリなどを傘下にもつ総合エンタテインメント企業グループのトップに立っていたロスは、発足してまもない北米サッカーリーグ(NASL)に、プロサッカークラブ、ニューヨーク・コスモスを創設して参加する。
 特にサッカー通だったというわけでもないロスがサッカーチームを作ったのは、アトランティックレコードの創設者でトルコ出身のアーメット・アーディガンに請われたためであり、同時に「メジャーなスポーツのオーナーになるのが夢だった」と証言者のひとりは説明している。
 セミプロ選手を集めた新生チームは、しかし何年たっても成績も人気も上がらない。スターが必要だと確信したロスは、75年のシーズン途中で、前年に引退したばかりのブラジルの、いや世界サッカー界のスーパースター、ペレを口説いてチーム入りを実現する(ブラジル政府が難色を示したため、ロスは当時国務長官だったキッシンジャーを動かした。映画には現在のキッシンジャーも証言者のひとりとして登場している)。MLBの最高年俸がベーブ・ルースの通算本塁打記録を更新したばかりのハンク・アーロンの20万ドルという時代に、コスモスはペレに3年間で450万ドルを支払ったと言われた。それまで数千人だった観客動員は一桁跳ね上がり、遠征する先々で一目ペレを見ようという人々がスタジアムに詰めかける。

 翌76年にはイタリアの得点王ジョルジュ・キナーリャ、77年にはドイツの至宝フランツ・ベッケンバウアーと元ブラジル代表主将のカルロス・アウベルトを相次いで獲得。ペレの最後の年となった77年にはチャンピオンシップを制してリーグ王者となる。ペレが去った後もコスモスはニースケンスら欧州の選手を次々と加入させ、78、80、82年と4度の優勝を果たした。
 しかし、リーグにはブームをあてこんだ新規参入チームが急増、プロの水準に満たない選手やチームも増えてリーグ全体のレベルが低下する。コスモスをまねて世界中のスター選手を大金で招く経営は、収入規模に見合うものではなかった。さらに、コスモスの巨額の人件費を支えていたワーナーもアタリ社のゲームの低迷によって収支が悪化。チーム経営から撤退し、コスモスはあっという間に解散に追い込まれていく。そしてリーグ自体も崩壊し、北米サッカーリーグはうたかたの夢と終わった。

 約20年で消滅したという結果だけを見れば、このリーグが失敗であり、幻であったのは確かだ。だが一方では、一期の夢ではあっても、そこで世界を代表するスター選手たちがプレーし、観客を熱狂させていたことも事実。
 映画に登場する現在のベッケンバウアーとカルロス・アウベルト、主将としてワールドカップを制した2人がコスモスを語る表情は実に楽しげだ。「コスモスの話をしていると私は泣いてしまうよ。それほどまでに美しい思い出なんだ」とカルロス・アウベルト。一方の皇帝は「人生で最高の決断だった」と興奮気味に話す。
 実際、ペレの最後の試合で初優勝を決めた時の映像を見ると、ベッケンバウアーの喜びようは相当なものだ。ペレ自身も、数字的には驚くほどの好成績ではなかったけれど、劣悪な環境や未熟なチームメイトにもくさることなく真摯にプレーし、サッカーの伝道師としての役割を見事に果たしていたようだ。
 彼らほどの選手が、これほど入れ込んでプレーしていたのだ、数万人を熱狂させたとしても不思議ではない。
 原題はONCE IN A LIFETIME. まさに、人生に一度だけの栄光が、そこにあった。

 もっとも、ロスのチーム愛にはタニマチ的なところもあったようだ。移動は飛行機、ホテルは5つ星。遠征に選手の家族や友人がついてくる旅費まで出してしまう太っ腹ぶり。大事なプレーオフへ向かう機内で選手がファンの女性を連れ込んで性行為をしていたこともあったという。ニューヨークでの試合後には、スタジオ54という巨大ディスコに繰り出し、お決まりの大テーブルに陣取って大騒ぎをするのが常だった(ロス自身が選手やハリウッドスターを連れて踊り狂っている写真もある)。カルロス・アウベルトのいう「美しい思い出」には、たぶんこういう面も含まれているのだろう。

 映画は当時の映像と数多くの関係者の証言で構成される。すでに故人となったロスと、出演を拒否したペレの2人を除けば、主要な関係者はほとんど網羅されているように見える。
 興味深いのは、ペレ以前から在籍していたセミプロ選手たちだ。週の半分は別の仕事で生計を立てていた、上手くはないがサッカーが好きな選手たちが、ある日突然、ペレと一緒にプレーすることになったのだ。夢の中の出来事としか思えなかったことだろう。
 「彼のプレーに見とれないようにするのが大変だった」「俺がここにいていいのかと思ったよ」と彼らが口々に上気した表情で語る姿は微笑ましい。ジーコが来た時の住友金属の選手たちも、似たような気分だったのかも知れない。

 リーグは消滅したが、ペレとNASLはアメリカにサッカーの種をまき、後世の隆盛の礎となった、と映画は位置づける。現在、USAの少年少女180万人がサッカーをプレーし、アメリカ代表チームは90年以来、ワールドカップに連続出場している。94年に開催したワールドカップの成功を機に新たなサッカーリーグMLSが誕生し、現在も存続している。
 何より説得力があるのは、証言者のひとりとして登場する女子サッカー選手、ミア・ハムだ。彼女は「ボストンの親戚の家に行く時は、コスモスの試合があればいいのにといつも思っていた」と話す。72年生まれの彼女は、コスモスが最後に優勝した82年に10歳。USA史上最高のサッカー選手というべきミアは、まさにコスモス世代のサッカー少女だったわけだ。

 スティーブ・ロスのやり方で感心するのは、ペレとの契約の中に、試合出場だけでなく、引退後も含めた一定期間のキャラクター商品開発や全世界でのプロモーションの権利を含めていたことだ。さすがはエンタテインメント産業界の雄。
 世界で最初にスポーツ選手のマネジメントという商売を編み出したIMGの設立が1960年。初期はゴルフやテニスなど個人競技中心だったから、この頃はまだ団体競技の世界ではマネジメントやキャラクター管理という概念はさほど広まっていなかったはずだ(とはいえIMGのサイトを調べたら、71年にペレと契約している。コスモスとの権利関係はどうなっていたのだろう)。

 USAの人気スポーツである野球界では、この時期、フリーエージェント制度が生まれている(76年)。長期低迷していたニューヨーク・ヤンキースの新オーナーであるジョージ・スタインブレナーが、この制度を利用して有力選手を集め、77,78年のワールドシリーズを連覇して「金で買った最高のチーム」と揶揄された。
 コスモスの全盛期は、このスタインブレナー・ヤンキースの第1次黄金時代とほぼ同時期にあたる。ニューヨークの新興プロスポーツチームのオーナーとして、ロスは間違いなくヤンキースをターゲットとして意識していたはずだ(コスモスの創立記念試合はヤンキー・スタジアムで行われている)。
 2人の派手好きなワンマンオーナーは、きっと互いに対抗心を剥き出しながらスター選手を買いあさっていたのではないだろうか。映画ではまったく言及されないが、そんな想像も膨らむ(共同監督のジョン・ダウアーとポール・クロウダーはどちらも英国人のようだからMLBに目配りが利いていないのか)。

 そして、数年後の1984年には、史上もっとも商業的に成功した五輪と言われたロサンゼルス五輪が開催され、以後、アマチュアを含めたスポーツの世界に急速にビジネス化の波が押し寄せる。
 そんなスポーツビジネス史の中に置いてみれば、ニューヨーク・コスモスの存在には、一瞬の徒花では片づけられない重みが感じられてくる。

 東京・シネセゾン渋谷のレイトショーは本日まで。見逃すかと思ったけど、ぎりぎり駆け込みで間に合った。「サッカーファンでなくても楽しめる」みたいな評が多いのでプレー映像は少ないのかと思っていたがそうでもなく、ペレのゴールシーンがたくさん出てくるのは嬉しい。彼のボディバランスの良さは、今の目からみても見事だ。

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高いレベルで野球がしたいのなら。

 このオフにも大勢の日本人選手がMLBに移籍していきます。FA権取得までまだ時間のかかる選手も、「ポスティングで行かせてください」と球団に訴えた(と取材陣の前で公言した)りしています。

 「高いレベルで自分の力を試してみたい」と彼らのほとんど全員が口を揃えます。

 なるほど。それはスポーツ選手としての本能のようなものでしょう。そこにストップをかけるのは、生きるのをやめろというようなもので、むごいことです。

 でも、そうやって日本から好選手がいなくなっては困る。日本のプロ野球は滅びてしまいます。故郷が荒れ果ててしまうのは、彼らが望むことでもないでしょう。

 そんなジレンマを解消する妙案があります。ドミニカのウィンターリーグに参加してみたらどうでしょう。

 ウィンターリーグの概要はこちらにある通り。過去の個人成績リーダーズのリストを見ても、MLBで活躍した選手の名がごろごろ並んでいますし、オフを利用して里帰りし、ウィンターリーグに参加する現役メジャーリーガーも少なくありません(こちらのブログを見ると、レッドソックスのオルティスも毎年のように参加しているようです。

 FAの資格がなくても、ポスティングをしてもらわなくても、このオフからすぐに現役メジャーリーガーと対戦できるし、日本の球団をやめなくてもいいし、一石二鳥以上じゃないですか。どうせ喋れないのなら英語もスペイン語も似たようなもんでしょ。「高いレベルで自分の力を試してみたい」のなら、今すぐカリブ海に飛んで、現役メジャーリーガーと勝負してみてはどうでしょうか! 巨額の報酬だけは期待できませんけど。

…という、単なる思いつきのイヤミを書き逃げして終わるつもりだったのですが、書きかけてほったらかしている間に、今週発売の週刊ベースボール12月31日号に掲載されているジャイアンツ清武代表の連載コラム「野球は幸せか!」が目にとまりました。

 ジャイアンツからドミニカのウィンターリーグに参加している深沢和帆投手が、日本の選手会から試合出場を止められた、と清武代表は書いています。

支配下選手の場合、十二月から一月までは、ポスト・シーズンだ。野球協約第173条では「球団または選手は、毎年12月1日から翌年1月31日までの期間においては、いかなる野球試合も行なうことはできない」ことになっている。これには「コミッショナーが特に許可した場合はこの限りでない」というただし書きがついているのだが、コミッショナーが許可しても、選手会が深沢のような試合出場を認めない。

 深沢は「自分がライバルたちに追いつくのは簡単なことではないと思います。彼らと同じことをやっていては差は縮まりません。ここで真価を発揮できずしてどうして日本で一軍定着が狙えようかという気持ちです。どうか、ドミニカで12月の試合出場を許可頂きたく、お願いします」とメールを出したり、選手会事務局に電話して訴えたが、結局、認められなかった。

 <選手会はだれのためにあるのだろう。>と清武代表は憤ります。

「一人の例外を認めると、オフシーズンの練習や試合出場を強制する球団が出てくる」というのが選手会の言い分だが、その頑なさが二軍選手の成長の壁になっている。

 このオフは確かジャイアンツと中日がドミニカに選手を派遣しています。ジャイアンツは志望した選手だけを送り出しているようですが、おそらくは球団が費用を負担し、引率のコーチも同行しているので、純然たる選手個人の自主的行為とも言い切れない面は残る。グレイゾーンであることは確かです。

 しかし、選手本人がやりたがっていることはほぼ間違いない。にもかかわらず、選手会がそれを妨げる。変な話です。日本の選手会がお手本にしているであろうMLBの選手たちは、特に規制されているふうでもなく同じウィンターリーグに参加しているのですから、なおさら奇妙に見える。

 野球がうまくなりたい、高いレベルで経験を積みたい、というのは若手選手の本能のようなものでしょう。そこにストップをかけるのは、生きるのをやめろというようなもので、むごいことです。

 その「むごいこと」を、同じ野球選手の集まりである選手会が行う。変ですね。

 意地の悪い見方をすれば、こういうことも言えます。すでに功なり名遂げて高い収入も得ている選手会の幹部たちが、これから成長して自分たちの競争相手になるであろう若い選手の成長を妨げている、と。

 もちろん選手会側にそんなつもりはないのでしょうけれど、結果的には同じことです。

 日本プロ野球選手会は、<日本のプロ野球12球団に所属する日本人選手全て(一部の外国人選手を含む)が会員となっている団体>です(かつて落合博満選手が脱退していたことがあったので、一応は任意なのだと思いますが。また、清武代表のエッセイを読むと、育成選手は対象外のようです)。

 数億円の年俸を稼ぐスター選手と、これから成長しなければならない若手選手。利害が相当に異なるはずの人々が同じ組合に所属していること自体に無理があるんじゃないでしょうか。日本の選手会が打ち出す方針の多くは、一握りのスター選手たちの利害に即したものになっているように、私には見えます。

 MLBの選手組合は、あくまでメジャーリーガーだけが組合員です(メジャーとマイナーを行ったり来たりしている選手について、どこで線を引くのかはよくわかりませんが)。かつて彼らが1994-1995年に大規模ストライキを実施した時に、球団側はマイナーリーガーや引退した元メジャーリーガーら非組合員を集めてスト破りの試合を実施しようと画策したこともありました(野茂が敢然とロサンゼルスに渡ったのは、まさにその渦中の時期で、スト破りに利用されかねない状況でもありました)。

 日本では一軍選手も二軍選手も球団との契約は同一なので、MLBのように別の組織にすることはできないかもしれません。しかし、何らかの線引きをして、それぞれの実情に即した施策をしていく必要があるのではないでしょうか。「選手会が『野球をしたい』という選手の意思を妨げる」というのは、どう考えてもおかしな話です。以前書いた「日米野球への参加拒否」なども、今回の事例と似ているように感じます。

 ネタのつもりで書き始めたエントリが、妙にくそまじめな結論になってしまいました。ホントは「今すぐドミニカに飛べば、オルティスとガチで勝負できるよ、球児くん」とか書いて終わるつもりだったんですが。

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ミッチェル・リポートのざっくりした感想。

 MLBの依頼でジョージ・ミッチェル元上院議員が行ってきたMLB選手の薬物使用に関する調査報告書、通称ミッチェル・リポートが発表されました。薬物使用が疑わしい人物として現役を含む90人の選手の具体名が公表され、ロジャー・クレメンスのような大選手、アレックス・カブレラのような日本でプレーしている選手も含まれているため、日米両国のメディアで大きく扱われています。

 リポートの原文はMLB.comで読むことができます(このページから閲覧可能。PDFファイルでダウンロードもできます)。元メッツ職員で薬物の売人だったカーク・ラドムスキ(「違法薬物の販売・配布などの罪で逮捕・起訴された」と報じられる)が選手と品物をやりとりした宅配便の伝票コピーなども大量に添付されていて、生々しい印象を受けます。

 400ページを超える(もちろん英語)リポートに細かく目を通す余裕もないので、新聞報道などから、とりあえずの感想をいくつか記しておきます。

・90人のリストにクレメンスの名があったことで日米で注目が高まったようです。アンディ・ペティットなど目新しい名もありますが、一流の成績を残した選手では、ホゼ・カンセコ、マーク・マグワイア、バリー・ボンズ、ラファエル・パルメイロ、ケン・カミニティなど、自ら使用を認めたか、調査によってクロと判明したか、状況証拠が限りなくクロに近いと示している選手が多く、お馴染みの顔触れが多いという印象があります。

・その一方で、しごく凡庸な成績しか残していない無名選手も90人のリストにはたくさん含まれています。来日経験のある10人の中にも、ロッテのキャリオン、ジャイアンツのミアディッチなど「そんな奴いたっけ?」という選手が含まれています。薬物を使ったからといって凡庸な選手が一足飛びに一流になれるとは限らないようです(もっとも、「3A止まりだった選手がメジャーに手が届くようになる」というレベルの効果はあるのかも知れませんが)。

・そういえば、ボンズがハンク・アーロンの通算本塁打記録を更新したころに、日米のさまざまな選手がメディアにコメントを寄せていましたが、打者の談話には「薬物を使っているかどうかは別として、あれほどの打撃技術をもった打者はいない」という類のものが多かったことが印象に残っています。

・クレメンスは弁護士を通じて疑いを否定しており、現時点で真相は不明ですが、彼と一緒にトレーニングをした経験のある上原浩治は、自身よりかなり年齢の高いクレメンスがものすごく激しいトレーニングをしていることに感嘆していました。自身を限界まで追い込んでいるからこそ、それでもなお届かない領域への渇望が強まる、なんてことも人間の心理としてはあるのかも知れません。

・このミッチェル・リポートはMLBの依頼によって実施され、MLBの公式サイトで全文が公表されています。内容よりも、むしろそのことが今回のポイントなのではないかと思います。

 つまり、この調査を行い、実名入りの報告書を公表すること自体が、「MLBは薬物を断固として追放する」という強いメッセージを内外に発信している。

IOCを中心とするアマチュアスポーツ界と比べるとMLBの薬物使用に対する罰則はかなり緩いものです。世界最強の組合と呼ばれるMLB選手組合の力が厳しい規制の導入を阻んできた、とも言えると思います。今回のリポート公表に対しても選手会は「実名を公表され、選手の名誉が傷ついた」と反発していますが、ファンの支持は得られないかも知れません。

 セリグ・コミッショナーは、このリポートを今後の規制強化への梃子にしようという意図を持っているのだと思われます。遅すぎた、という批判は避けられませんが。後世の評価では、96年から2005年あたりが、アンチ・ドーピングにおける「失われた10年」ということになるかも知れません。

・一方、我がNPBに視線を移すと、2つのことが思い浮かびます。

 まず、薬物問題そのもの。今シーズンから抜き打ち検査を実施して、ソフトバンクのガトームソンが初の処分を受けました。数年の準備期間を経て、着実にアンチ・ドーピング活動を進めてきたこと自体は評価できます。とはいえ、これだけ多くの薬物使用経験を持つ(らしい)選手が日本球界に入ってきていたという調査結果は、これまでにない現実味と重みを関係者に与えていることでしょう。アメリカ球界から選手を招く際のメディカル・チェックは、故障の有無だけでなく、薬物使用の有無も厳重に行う必要が出てきます。

 もうひとつは、今年の春に日本球界で行われた外部調査です。西武ライオンズの裏金問題を調べた調査委員会は、報告書を公表しませんでした。記者会見等で明かされた具体的な事項も、スカウトの名前くらいです。これは西武球団が依頼した内部調査であり、また金銭を渡した相手は高校や大学の指導者というプロ野球の外部の人々なので、ミッチェル・リポートと同列に論じることはできませんが、公表されたのが当たり障りのない範囲の情報に過ぎなかったことは確かです。

 ミッチェル・リポートが、MLB自身が主体となって、向こう傷を負うことをおそれずに断固として膿を出し改革に向かう、という姿勢を内外に示したのと比べると、この件について、NPBがリーダーシップを発揮することはありませんでした。今年のドラフト会議を全面くじ引きに戻した程度です。バド・セリグMLBコミッショナーのリーダーシップに比べると実に物足りない。NPBの球界改革は、すっかり足が止まってしまったのでしょうか。

関連エントリ ホゼ・カンセコ『禁断の肉体改造』ベースボール・マガジン社

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「外国人選手だけFA扱い」の謎。

 ヤクルトのグライシンガーがジャイアンツに入団することが決まったようです。すでに、横浜で活躍したストッパーのクルーンの加入も決まっていますから、来季のジャイアンツの投手陣は「セ・外国人オールスター」のようになります。ジャイアンツファンとしては複雑な気分。MLBではこのくらいの規模の補強は珍しいものではありませんが、日本で見るにはまだ違和感があります。

 この移籍に限らず、近年の日本のプロ野球では、12月になると一斉に外国人選手たちが好条件を求めて移籍します。以前から不思議に思っているのですが、彼らは実質的にフリーエージェントとして扱われているようです。

 野球協約によれば、11月30日までに球団が保留選手名簿に載せなかった選手はフリーになるわけですが、外国人選手は本人と契約が合意に至らなければそこには載せない、という慣習が確立しているようです。 つまり、11月中に契約がまとまらなければ、外国人選手は自由契約になる、ということです。

 日本人選手との契約においては、球団はそんな行動をとりません。主力選手の契約更改は12月に入ってから行われることが多いので、球団は選手の合意を取り付けなくても、名簿に載せてしまっているのだろうと思います。外国人選手だけが例外として扱われている。

 プロ野球選手は、統一契約書という同一の書式によって各球団と契約することが、野球協約によって義務づけられています。野球協約の条文を読む限り、例外はない(野球協約の条文や統一契約書の書式は、選手会ホームページで見ることができます)。法律の専門家ではない私がざっと条文を眺めた程度では、なぜ外国人の選手が統一契約書を用いて契約を行わず、移籍の自由を当たり前のように行使しているのか、なぜ球団側が(嫌々ではあっても)それを容認しているのか、説明がつきません。メディアも「○○選手交渉決裂、移籍へ」などと論じるだけで、そのへんが解説されることはほとんどないように思います。日本人選手と比べて、大変な不公平であることは間違いありません。

 ジャイアンツファンが言うな、といわれそうですね。確かに球団側の要望を振り切って移籍する外国人選手の行き先がジャイアンツである、というケースが多いけれども、それ以外の球団間でもこのような形の移籍は数多く見られます。中日のウッズなどは典型例ですね。ヤクルトや広島が草刈り場になっている。パでは必ずしも一方的な流れではなく、循環しているように見えますが。

 獲得する球団からすれば、同程度の年齢・成績の日本人FA選手と比較すると、補償金なしでとれる外国人の方が都合がいい。そう考えると、現在の外国人選手たちの権利は、日本人選手の雇用を圧迫している、と言うこともできます。しかし、選手会は表だって反対を表明してはいないようです。「外国人選手の権利を制限する」よりは、「日本人選手の権利を拡張する」のが選手会の目的ですから、批判するよりは、球団側との交渉の梃子に利用したいと考えているのでしょう。

 こういう状況が果たしてよいのか悪いのか。簡単に言い切れない面は残ります。冒頭にも書いたように、MLBではごく当たり前の光景ですが、私はまだ違和感を覚えます。ジャイアンツファンだけれども素直に喜べないし、引き抜かれる球団のファンなら腹立たしいでしょう。ジャイアンツと無関係なチーム間での出来事としても、なんだかなあ、という気はする。

 アメリカから来た選手にとっては、MLB復帰(または昇格)のチャンスがあれば逃したくない、という意向が最優先でしょうから、そういうケースで選手側が選択権を持つ、という条項を契約に設けるのはわかります。しかし、国内移籍に関しては、ある程度の制限を設けてもよいのではないかという気がします。選手の権利だとか自由競争だとか、現状を肯定する理屈はつけられるのでしょうが、ファンの多くが鼻白むような移籍が毎年いくつも見られるというのは、あまり歓迎すべき事態とは思えません。

 しかし、そんな制度的な縛りをかけなくても、打つ手がないわけではありません。

 球団側は、選手に出て行かれたくなければ最初から長期契約を結べばよい。ヤクルトが最初からグライシンガーと5年くらいの長期契約を結んでおけば、1年活躍しただけで出て行かれることはありませんでした。もちろん長期契約にはリスクが伴います。安い条件で長期契約を結び、ダメだった場合に違約金を払って解雇するのと、1年契約にしておいて、活躍したら高額報酬を払う(あるいは逃げられる)のとどちらを選ぶか。難しいとは思います。でも、経営判断とはそういうものではないでしょうか。

 サッカー界では基本的に全選手が野球でいうFAなので、契約の条件や期間は個々の選手によって異なります。長期契約を結ぶ選手もいれば、そうでない選手もいる。クラブは常に数年後の戦力を構想しながら、今の陣容を編成しているはずです。それと比べると、選手は保留条項によって縛られるが球団側はいつでも解雇する権利を有する、という野球界の現状が、球団にとっていかに楽で頭を使わなくてよい経営環境かということを改めて感じます。

 少なくとも、最初に海外から選手を連れてきて契約する段階では、球団と選手は対等です。というより、マイナーリーグにいるよりはずっと高額の年俸を払うわけですから、球団側が優位である場合が多い。とすれば、これほどまでに外国人選手が都合良く移籍するケースが勃発しているのだから、最初からそれを見越した契約を結べばよいと思うのですが、なぜそれをしないのか不思議です。選手側の代理人の言いなりになってるんじゃないかと疑わしく思えてきます。

 そう考えると、結局は各球団の交渉力不足が、このような事態を招いているのではないでしょうか。もし自力で有利な条件で契約する能力がないのであれば、球団側も、それこそ代理人を立てればよいのです。“球団サイドにたって選手側と契約交渉をする代理人”って、結構需要がありそうな気がします。

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で、野球界は北京五輪をどうするのか。

 台湾ギャラリーのゆるい文体から元に戻すのも何となく気恥ずかしいので、しばらくこのまま行って見ようかと思います。

 そういうわけで台湾で3試合見てきたのですが、台湾の夜は寒い、というのが意外でした。12月とはいえ、日中は陽射しが強くて、Tシャツ一枚でも充分なくらいだったのに、日が暮れると急速に気温が下がります。
 冬物のコートは成田空港でお役御免だと思っていたのに、結局は毎晩着込んで観戦することになりました。とりわけ台湾と戦った第3戦の夜は、左翼後方から終始強い風が吹きつけ、体感温度はかなり下がりました。グラウンドで戦っていた選手たちにとっても、やりづらいコンディションだったことでしょう。

 北京五輪予選を兼ねたアジア野球選手権は、3勝無敗で日本が優勝し、北京行きの資格を手にしました。この大会で五輪出場が確定するのは1位チームのみ、という厳しい条件だっただけに、監督や選手たちにのしかかった圧迫感は、並大抵のものではなかったと思います。総合的な力量では首位通過が順当ではあっても、「勝って当たり前」という状況はやりづらいものでしょうし、韓国や台湾には総合力では優っていても好投手がいるのも事実。誰かがたまたまその夜に一世一代の好投をしてしまったら、そうそう点が取れるものではありません。
 現地では日本の報道に接する機会はほとんどありませんでしたが、ちらっとテレビに映った優勝後の星野監督の表情は、強烈なストレスに晒された憔悴と、そこから解放された安堵感を如実に示していて、もともと体調に問題を抱えている60歳の人物には過酷な立場なのではないかとさえ感じました(時節柄、代表監督の健康状態にはどうしても神経質になってしまいます)。

 国際大会のアジア予選を3夜連続で観戦するのは、私にとっては2003年のアテネ五輪予選(札幌ドーム)、2006年のWBCアジアラウンド(東京ドーム)に続いて3度目でしたが、日本側スタンドの盛り上がりは今回がもっとも強かったように感じます(これまでは応援団のいる外野スタンドから見ていなかったからそう感じるだけかも知れませんが。台中洲際球場には外野スタンドがないので、応援団の人たちはベンチの後ろで仕切っていました)。わざわざ海外までやってきただけあって、日本代表を応援しようという姿勢が強く、傍観者的な観客は少なかったようです。
 それはつまり、日本代表というチームのステイタスが高まり、価値を認める観客が増えてきたということなのでしょう。

 日本代表チームのステイタスは、プレーする側にとっても確実に高まっているようです。台中で見た野手陣では、WBCに参加しなかった(あるいは参加しても出番の少なかった)選手のプレーが印象に残っています。
 自在に打ちまくった阿部をはじめ、稲葉やサブローといったベテラン選手のひたむきさ。懸念されていた四番打者・新井が、丁寧にミートするバッティングを心がけていたのも真摯さを感じました(WBC第2ラウンドの韓国戦で、代打に出て場違いな大振りで三振した姿の残像が焼き付いていただけに)。台湾戦で大差のついた最終打席、もうホームラン狙ってもいいよ、とつぶやいたら、本当にホームランが出ましたが、これも右方向。頑張った3日間へのご褒美のように感じられました。
 本来なら主軸に座ったであろう小笠原、福留、高橋由伸、松中らがそれぞれの事情で参加できませんでしたが、彼らに代わって国際舞台に立った選手たちは、きちんと役割を果たしました。WBC組に溶け込むのに必死だった、というようなコメントを誰かが(稲葉だったかな)していたように、WBCでの世界一は、テレビで見ていた選手たちにとっても大きなものを残したようです。

 一方の投手陣は、国際経験どころかプロ経験そのものが浅い3人の先発投手が、それぞれによく投げたと思います。特に初戦の涌井。フィリピンの拙守で5点をリードしたものの、以後は拙攻続きで追加点のとれない展開の中で、涌井は打線のたるんだ雰囲気に一切影響されることもなく、フィリピンを完璧に抑え込んで攻撃へのリズムを作っていました。
 そして、何といっても重厚なブルペン。
 3試合を通しての圧巻は、韓国戦での上原でした。
 体中から焦げた匂いがしてきそうなほどヒリヒリする思いで見つめていた試合の中、ライト線の外側に設けられたブルペンからマウンドに歩いてくる上原の姿は、それを見ただけで「ああ、彼がこの辛い試合を終わらせてくれる」と思えるだけの何かを放っていました。マウンドに立って投球練習を始めると、2、3球見ただけで、それは確信に変わりました。川上や岩瀬のような投手ですらあれほど苦労してしまう局面で、ポンポンとストライクをとって打者を追い込んでいく上原は、まったく別格の人でした。
 台湾戦でも、終盤に上原と藤川がブルペンで並んで投げている姿は、これ以上なく頼もしく感じられたものです。9回、ブルペンで投球練習を終えた上原が、渡されたペットボトルの水で口を潤し、5人ほどのスタッフ(リリーフ陣?ウインドブレーカーを着ていたので誰かはわかりませんでしたが)と拳を合わせてマウンドに向かうと、これでお役御免だと矢野や他のスタッフがベンチに引き上げていったのも印象的でした。

 宮本は一塁コーチを務め、二塁走者に外野手の守備位置を伝えたり、こまごまと指示を与えていました。選手が便宜的にやっているというよりはコーチが本業のように見えるほどでした(宮本が試合に出ている間は井端が代わりをしていました)。
 矢野はブルペン捕手を務めて、試合中に何度もベンチとブルペンを往復していました。外野手のキャッチボールの相手をしていたのは、荒木か森野だと思います(背番号が見えないのでよくわかりませんでしたが)。エース扱いされて当然なのに中継ぎに回った川上、普段より長いイニングを投げた岩瀬。星野監督が中日や阪神で使った選手たちは、しんどくて日の当たらない役回りを任されていたようです。そういう面も含めて、いいチームだったのだろうと感じます。

 しかし一方で、これはいったいどういうチームなのだろう、という思いが消えることもありませんでした。
 私が目の前に見ていたチームを定義するなら、「NPBの日本人選手のベストチーム」というのがもっとも近いでしょう(プロ入り前の長谷部がいましたから、正確さを欠く表現ではありますが)。
 あえて言えば、そこにいたのは3種類の選手たちです。「MLBに行かない選手」と「MLBに行けなかった選手」と「MLBにまだ行っていない選手」。
 上述した故障等での欠場者たちはともかく、日本のベストチームを作るなら、松坂と黒田と大塚と城島とイチローと松井秀喜と松井稼頭央と岩村と井口と田口と斎藤隆と岡島は当然入ってくるはずです。こういう選手たちをあらかじめ除外した「日本代表」というものを、どう捉えたらよいのでしょうか。

 これは別に日本固有の問題というわけではありません。
 前にも何度か書いてきましたが、オリンピックにおける野球という競技自体が、大きな矛盾をはらんだ存在です。現時点で正確な情報を持っていませんが、MLBは今回も選手の派遣を認めないだろうと思います。だとすると、USAのみならず、ドミニカやメキシコ、カナダ、日本、韓国、台湾、オーストラリアなど、キューバを除く有力国ではことごとく、最高級の選手が出場しないことになります。
 それは一体どう定義すればよい大会なのでしょうか。
 そこで優勝することに、どういう価値があるのでしょう。

 念のため言っておくと、これは反語ではありません。オリンピックでの優勝に価値がない、ということではない。何らかの価値はあるでしょう。日本国内ではオリンピックの地位は特権的に高いものとして扱われていますから、どんな競技でもおろそかにはできません(サッカー界では実質的にU-23ワールドカップに過ぎないはずのオリンピックが、どうかするとフル代表並みの注目を集める理由のひとつもそこにあるのだろうと私は思っています)。
 ただし、そこで野球が金メダルを取ったとしても、例えばバレーボールや柔道の金メダルとは意味が違います。野球のWBCにおける金メダルとも違う。
 では、どう違うのか。野球日本代表がオリンピックで金メダルを獲得することには、一体どんな意味があるのか。日本野球にとってどうなのか、世界の野球界にとってはどうなのか。

 日本代表にプロ野球選手が派遣されるようになって、これが3度目の五輪(2000年のシドニー五輪とその前年の予選では人数を限定したプロアマ混成チームでした)になりますが、プロ選手が参加する意味については、うやむやにされたままです。
 もともとアマチュア選手の大会であった五輪にプロ選手が参加し、遂にはアマチュア抜きでプロ選手だけが出場することになったのはなぜなのか。日本の野球界にとって、これはどういう意味を持つ大会になっているのか。そういう意義付けがあって、はじめて代表チームが選考できると思うのですが、実際には「もはやアマだけでは勝てない」という以上の説明を、私は聞いたことがありません。それ以外のことは、ずっとうやむやのうちに進んできた、といっても過言ではないと思います。

 これも何度か書いてきたことですが、野球日本代表チームの母体は、NPBではありません。代表チームの公式サイトを見ればわかりますが、「全日本野球会議」という組織が選出母体です。
 この「全日本野球会議」は、日本にものすごくたくさんある野球の競技団体の代表が寄り集まった会議で、組織としての実体はありません。

 そもそも、オリンピックに選手を派遣することができるのは日本オリンピック委員会(JOC)の加盟団体だけです。NPBはJOCに加盟していません。
 実際には「全日本アマチュア野球連盟」という団体が派遣元になりますが、全日本野球会議の組織図を見ると、これは「国際大会に参加する場合の共同付属機構 JOC加盟」と説明されており、いわば名義貸し団体のようです。
 社会人野球の団体である「日本野球連盟」の中に「全日本アマチュア野球連盟」のコーナーがあるのですが、規約の第1条に「本連盟は、全日本アマチュア野球連盟といい、外国に対しては、Baseball Federation of Japan(略称B.F.J.)という。」と定められています。英語名では「アマチュア」の文言が消えていることがわかりますね。
 一方、「日本野球連盟」の英語名はJAPAN AMATEUR BASEBALL ASSOCIATIONです。こちらは英語名だけに「AMATEUR」の文字が入っている。外国の人から見たら、わけがわからないと思います。
 全日本アマチュア野球連盟が、対外的にはアマチュアの団体でないふりをしながら(あるいは、国内だけでアマチュアのふりをしながら)、プロの監督とプロの選手による日本代表を、オリンピックに派遣する。
 こんなわけのわからないことを、いつまで続けるつもりなのでしょうか。

 そういう根本的な歪みを放置したまま、「北京で悲願の金メダルを」「オリンピックに野球の復活を」などという情緒的なスローガンを掲げ、ファンを煽動している人々がいるわけです。具体的に誰かは知らないけれども間違いなくいる。
 監督や選手には「北京に行ってもらわなければ困る」などとプレッシャーをかけておきながら、自分たちがすべき仕事は棚上げにしている。そんな人たちを私は憎みます。星野監督がどんな思いでチームを率いてきたのか、選手たちがどれほど真摯に戦ったのか。グラウンドでのプレーが真摯であればあるほど、彼らを送り出す立場の人たちが、そのプレーの価値をきちんと裏書きしてあげるべきではないかとの思いも強くなります。

 実際に、すぐに厄介な問題がやってきます。
 北京オリンピックの開催期間は8月8日から24日まで。野球が行われるのは、Wikipediaによれば13日から22日までの10日間です。今回の予選では10月30日から合同自主トレが始まりました。ほぼ1か月の準備期間をとっています。シーズン中なら体はできているから、それほどは要らないかも知れませんが、遅くとも8月初めごろには集合することになるでしょう。
 プロ野球にとっては書き入れ時の夏休みに、約3週間にわたって、もっとも優れた日本人選手が二十数人不在になるわけです。

 アテネ五輪の時には「1球団2名まで」との制限を設けることで公平を図ったわけですが、当時と今とでは代表チームのステイタスが違います。同じことをやればメディアやファンから猛然と非難を受けることでしょうし、星野監督もお得意のメディア操作技術を駆使してフリーハンドを手にしようと工作することでしょう。となれば、負担は各チーム公平に、ということにはなりづらい。今回の予選では、たとえば中日から川上、岩瀬、井端、荒木、森野が選出されました。この5人がいないまま3週間も戦うペナントレースを、我々はどう捉えればよいのか。
 また、オリンピックでの試合時刻が夜になれば、日本での試合とまともに競合してしまいます。

 そんな時期に、プロ野球は試合をどうするのか。
 実はすでに半分は結論が出てしまっています。セ・リーグは11/27に来年の試合日程を発表しました。8月にも試合は組まれています。オリンピックの準決勝・決勝が行われる22、23日は試合がない、と発表時の報道では伝えられています。また、8-11日の4日間も、週末なのに試合がないので、壮行試合が行われるということかも知れません。
 8/1のオールスター明けから23日までの12試合を、セ・リーグは代表選手抜きで普通に行います。仕方ないから目をつぶって気にしないことにしよう、ということでしょうか。五輪期間にはペナントレースを中断しセパ合同でカップ戦を行うとか、考えられる手はあると思うのですが、あまり活発に議論が行われた形跡はありません(外に漏れてこないだけかも知れませんが)。
 優勝争いが佳境に向かい始める時期にチームを離れて北京に向かう選手たちが、思い切ってプレーできるものなのでしょうか。後顧の憂いなく送り出してあげよう、という日程でないことは確かです。

 このように見てくると、野球界を動かしている人たちが「プロアマの断絶問題をどう解決していくか」とか、「五輪期間中の試合をどのような形にすれば、代表選手が気持ちよくプレーし、ファンにとっても納得のいくペナントレースになるだろうか」とか、五輪出場に伴う問題を根本的に解決しようと、真摯に考えて取り組んでいるようには、なかなか見えづらいのが現実です。むしろ、そういうことは先送りにしてとりあえず今回をしのげばいい、というやり方に見えます。

 台中で、選手たちは懸命にプレーし、誰もが満足する結果を勝ち取りました。監督やコーチも同様だと思います。北京五輪の本番でも同じように彼らは懸命にプレーすることでしょう。
 彼らを送り出した人たちは、それを見て何とも思わないのでしょうか。日本野球の将来が君たちにかかっている、とか何とか言ってプレッシャーをかける前にやることがある、とは思わないのでしょうか。

 五輪予選突破の重圧と、それを突破した喜びは、アテネ五輪の時も同じでした。代表チームが孕んでいた矛盾も同じです。そしてその矛盾は解決されることなく、五輪本番でも、すべて現場のコーチ陣と選手たちに押し付けられた。その結果が銅メダルでした。キューバならともかく、オーストラリアに負けた現実に、選手もファンも失望しました。しかし、その過程が追及されることはなかった。
 今度もまた、同じことが繰り返されるのでしょうか。私はそんな光景を見たくはありません。


関連記事:星野仙一が代表監督にふさわしいと考える理由。

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ギャラリー・台中棒球場報告(おまけ)。

台湾の地元紙の報道から。

12/2朝刊

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日本の記事は左端にちょっとだけ。


12/3朝刊

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台湾の初勝利(対フィリピン)に盛り上がっています。


12/4朝刊
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最終戦の後。当然ながら「日本が勝った」記事よりも「台湾が負けた」記事が中心です。
「牛棚」はブルペン、「奥運」はオリンピックのことのようです。


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台湾では外来語も漢字で表記するので、日本語のカタカナを表す文字には、なかなか味わい深いものがあります。
ダルビッシュは「達比修」、日本ハムは「日本火腿」、ロッテが「羅徳」。ソフトバンクの「軟体銀行」が傑作でした。
この写真は公式プログラム。各国の有力選手の特集記事には、4文字のキャッチフレーズがつけられています。日本は以下の通り。
ダルビッシュ…「投手王子」
岩瀬…「死神之鎌」
西岡…「颯速戦士」
どうせなら全員につけてくれると嬉しかったのですが。

ちなみに韓国は、朴生贄浩が「高麗特急」、呉昇桓が「石佛終結」、李炳圭が「韓国一朗」でした。
台湾の選手には「終結殺手」「攻守悍将」「精神領袖」「火力四射」「重砲出撃」「火線戦将」「外野遊侠」などと勇ましい名が並びます。北京五輪で日本のテレビ局が真似するかも。

以上、台湾レポートでした。
(この項おわり)

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ギャラリー・台中棒球場報告(其之三)。

12月3日、対台湾戦の日。

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この日は高鉄(台湾高速鉄道の略称)で早めに台中入りして、台中の町を歩いてみました。人口は105万人。台湾で3番目の大都市です。そごうデパートもあります。
ここのジーンズ売り場には「鬼洗い」とか「ジャパンブルー」という日本のブランド製品があり、日本人が日本で着るには気恥ずかしいようなギンギンの日本趣味のTシャツが並んでいました。売り場の女の子は日本語が堪能で「野球を見に来た」と話すと、「今日投げるのはダルビッシュですか?いいなー、見たいなあああっ」と体をよじって羨ましがられました。「顔もいいけど、強いから好き」だそうで、ほかには藤川球児(と紙にさらさらと書いて見せてくれました。漢字国だから当たり前ですが)もいいそうです。


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台中には国立自然科学博物館や古い建物を集めた民俗公園などがありますが、月曜日で全部休館。科学博物館は庭園は公開されていたので、しばらく庭で昼寝してました。これは温室です。モスラのようなものはオブジェです。


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スタジアム周辺は、地元・台湾が日本と決戦とあって盛り上がっています。応援グッズがたくさん売られ、顔にはペインティングも(たぶん無料)。


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某スポーツメーカーが設置した野外スクリーンの前では、チアリーダーが応援の仕方を伝授しています(が女の子どうしで振り付けが合っていないのが不安)。

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なぜかこんな人たちも気勢を上げています。これも某スポーツメーカーの仕込みのようです。彼らの姿は試合中のスタンドにも見られました。


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スクリーンでは王建民のCMを何度も流していました。見てるとうっかり泣けてきそうな、例によってよくできた映像です。


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試合中にはパブリックビューイングになっていました。


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この日は上層(二階席)から見てみることにしました。下層(一階席)の傾斜が浅い分、あまり高さがないのか、非常に見やすいです。


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場内はほぼ台湾ファンで埋め尽くされました。手にしたメガホンが一斉に動いて声が出るので迫力があります。三塁側スタンドで叩かれていた鋲打ち太鼓は、横浜の中華街などで見る獅子舞の伴奏のリズムと似ていて、畳みかけるように延々と続き、独特の高揚感を生みだします。


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台湾の“球迷”の興奮が最高潮に達したのが陳金峰の逆転2ラン。私の前にはマラソンの宗兄弟が20キロくらい太ったようなおじさんが座っていたのですが、私が日本人と気付くと、声をかけたり、いろいろとからかわれていました。この時はもう興奮して「どうだ!参ったか!」みたいに勝ち誇っていました。その裏のしおれっぷりも可愛いくらいでしたが。だんだんと諦めてきたようで、9回の西岡のファインプレーには感心して手を叩き、最後は握手して笑顔で別れました。
“球迷”たちは総じて明るく無邪気に野球を楽しんでいる感じで、日本の球場でいうと、初年度の仙台・フルキャストスタジアムの雰囲気に似ていました。台湾人ばかりの中にジャパンの帽子を被った私が混ざっていても、珍しがられるだけで敵意を感じることはありませんでした。台湾人の日本ファンも少なくないようです。日章旗に「皇国の興廃この一戦にあり」と書いたTシャツを着た台湾人の女の子を見た時は度肝を抜かれました。


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日本の勝利。五輪出場が決まって胴上げです。


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表彰式。各国連盟のお偉いさんたちの紹介で、某国コミッショナー代行の名が読み上げられた時、頭に血が上って反射的にブーイングしたら、前にいた台湾人の女の子たちが振り返って奇妙な顔でこっちを見上げていました。
(この項もう少し続く)

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ギャラリー・台中棒球場報告(其之二)。

 翌12月2日、対韓国戦の日。

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 ナイターを見る旅なので昼間は暇です。台湾は初めてだったので、少しは観光もしようかと台北市の故宮博物院へ。


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 誰しも同じことを考えるようで、韓国の応援団の姿も。館内は日韓中の団体が入り乱れてすごい混雑でした。

 余談になりますが、この故宮博物院の収蔵品は、第2次大戦後に国民党が共産党に敗れて台湾にやってきた時に一緒に持ってきた財宝類がベースになっています。台湾にありながらほとんど台湾島の歴史とは関係のない展示ばかりというのは素朴に考えれば相当に奇妙なことで、台湾の政治・外交上の難しい位置を象徴するような存在でもあります。


 さて、私が参加した某旅行会社の観戦ツアーでは、毎日台北のホテルと台中のスタジアムを往復します。旅行会社のスケジュール通りだと、ほとんどバスの中で生活する羽目になって辛いので、別行動で鉄道を利用することにしました。今年開通した台湾高速鉄道を用いると、台北から台中まで1時間足らずで着きます。

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台北駅の外観。日曜なので駅前は賑わっています。


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改札から乗り場へ向かう階段には、アジア選手権のポスターが。


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JRが技術供与したそうで、外観は新幹線のようです(内装もそっくり)。台北から台中まで指定席で700元(約2000円)。


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台中駅からタクシーを拾って、無事球場へ到着。


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時間があるので球場外側を眺めて歩きます。売店の列に阪神ファンの姿が。林威助選手は地元・台中の出身だそうで、阪神のユニホームを着た地元のファンをよく見かけました。


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これも外側にあるブースで、名選手ギャラリーという展示があり、王貞治選手の現役時代の雑誌なども飾られていました。


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球場外で売られていた台湾のファストフード。左端の豚の角煮入りちまきは美味くてボリュームもあり、私はこれを毎晩夕食代わりにしていました。球場に限らず、台湾では、道端の屋台やコンビニで売ってるジャンクフードがとても美味かったです。


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こちらは球場内。三塁側後方にヤクルトのシャーベットという面妖なものがありました。味は…ヤクルトでした。一塁側後方ではおでんを売っていました。


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この日はスタンドに大量の警官が。ほとんどの人は単に野球見物してるようにしか見えなかったのですが…。

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翌朝の新聞によると、日本からの問題人物(フーリガン?賭博関係者?)を警戒していたのだそうな。実際に入国を拒否された人物もいたそうです。

(この項つづく)

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ギャラリー・台中棒球場報告(其之一)。

 台湾・台中市で行われたアジア野球選手権(兼北京五輪予選)を、某旅行会社の3試合観戦ツアーで見てきました。
 試合そのものについてはすでにご存知でしょうから、ここでは球場内外の風景などを写真でご報告します。普段と違ってユルい企画ですがご容赦を。

 なお、あらかじめお断りしておきますが、持参したカメラは広角レンズだけでズーム機能がないので、プレー写真などは一切ありません。台湾の地方球場に興味があるという物好きな方だけご覧ください(笑)。

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 12月1日午後5時ごろ、台中洲際球場のスタンド前で開場を待つ人々。
 第一試合では台湾が韓国に負けたので、肩を落としてぞろぞろと引き上げる台湾の“球迷”たちとすれ違いました。

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 一塁側から見た球場遠景。スタンドを囲むようなH字型のアーチが特徴的。
 最下層はチケット売り場のほか、売店や飲食店のブースになっています。

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 球場内部。松山の坊っちゃんスタジアムの印象と似ています。フィリピン戦とあって、ネット裏以外はガラガラ。

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 球場内の記念グッズ売り場。こんなにすいてたのは開場直後だけで、あとは3日間ともずっと混雑してました。黒地に金で龍をあしらった帽子やTシャツはなかなかのデザインでした。

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 地元の観光協会が配布していた資料によれば、キャパシティは内野席15000人、外野席5000人収容だそうですが、ご覧の通り、外野席はまだ造成中です。

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 試合終了後、健闘を讃え合う両チーム選手たち。三塁側内野席最後方の通路から撮ってますが、スタンドの傾斜がなだらかすぎて、見づらい印象があります。前の席に背の高い人が座ったら困りそう。

 第1戦は現地時間の午後8時20分ごろ終了。ツアーの宿泊先は台北市なので、試合後にバスで2時間かけてホテルまで行きました。冷房が効きすぎて、いきなり風邪をひきそうになりました(台湾ではバスもタクシーもホテルもその他も、なぜか異常に冷房が効いています)。

(この項つづく)

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