『ペレを買った男』
ペレやベッケンバウアーが在籍し、70年代後半のUSAにサッカーブームを巻き起こしたニューヨーク・コスモスの盛衰を描いたドキュメンタリー映画。当時の映像と、選手、経営陣、リーグ首脳陣、記者など大勢の証言を、当時のヒット曲に乗せて構成している。映像や文字の出し方がいかにも70年代っぽいノリ。
私のコスモスに関する知識は、ここに書いた最初の2行程度が全てだったので、映画の中で初めて見るその全盛期の映像は衝撃的だった。7万人の観衆がジャイアンツ・スタジアムに集まり、コスモスのプレーに熱狂している。USAがサッカー不毛の地だなんて誰が言ったのだろう?
邦題に謳われている「ペレを買った男」はスティーブ・ロスという人物。ワーナー・コミュニケーションズの会長だ。ワーナー・ブラザース映画をはじめ、音楽のアトランティックやノンサッチ、ゲームのアタリなどを傘下にもつ総合エンタテインメント企業グループのトップに立っていたロスは、発足してまもない北米サッカーリーグ(NASL)に、プロサッカークラブ、ニューヨーク・コスモスを創設して参加する。
特にサッカー通だったというわけでもないロスがサッカーチームを作ったのは、アトランティックレコードの創設者でトルコ出身のアーメット・アーディガンに請われたためであり、同時に「メジャーなスポーツのオーナーになるのが夢だった」と証言者のひとりは説明している。
セミプロ選手を集めた新生チームは、しかし何年たっても成績も人気も上がらない。スターが必要だと確信したロスは、75年のシーズン途中で、前年に引退したばかりのブラジルの、いや世界サッカー界のスーパースター、ペレを口説いてチーム入りを実現する(ブラジル政府が難色を示したため、ロスは当時国務長官だったキッシンジャーを動かした。映画には現在のキッシンジャーも証言者のひとりとして登場している)。MLBの最高年俸がベーブ・ルースの通算本塁打記録を更新したばかりのハンク・アーロンの20万ドルという時代に、コスモスはペレに3年間で450万ドルを支払ったと言われた。それまで数千人だった観客動員は一桁跳ね上がり、遠征する先々で一目ペレを見ようという人々がスタジアムに詰めかける。
翌76年にはイタリアの得点王ジョルジュ・キナーリャ、77年にはドイツの至宝フランツ・ベッケンバウアーと元ブラジル代表主将のカルロス・アウベルトを相次いで獲得。ペレの最後の年となった77年にはチャンピオンシップを制してリーグ王者となる。ペレが去った後もコスモスはニースケンスら欧州の選手を次々と加入させ、78、80、82年と4度の優勝を果たした。
しかし、リーグにはブームをあてこんだ新規参入チームが急増、プロの水準に満たない選手やチームも増えてリーグ全体のレベルが低下する。コスモスをまねて世界中のスター選手を大金で招く経営は、収入規模に見合うものではなかった。さらに、コスモスの巨額の人件費を支えていたワーナーもアタリ社のゲームの低迷によって収支が悪化。チーム経営から撤退し、コスモスはあっという間に解散に追い込まれていく。そしてリーグ自体も崩壊し、北米サッカーリーグはうたかたの夢と終わった。
約20年で消滅したという結果だけを見れば、このリーグが失敗であり、幻であったのは確かだ。だが一方では、一期の夢ではあっても、そこで世界を代表するスター選手たちがプレーし、観客を熱狂させていたことも事実。
映画に登場する現在のベッケンバウアーとカルロス・アウベルト、主将としてワールドカップを制した2人がコスモスを語る表情は実に楽しげだ。「コスモスの話をしていると私は泣いてしまうよ。それほどまでに美しい思い出なんだ」とカルロス・アウベルト。一方の皇帝は「人生で最高の決断だった」と興奮気味に話す。
実際、ペレの最後の試合で初優勝を決めた時の映像を見ると、ベッケンバウアーの喜びようは相当なものだ。ペレ自身も、数字的には驚くほどの好成績ではなかったけれど、劣悪な環境や未熟なチームメイトにもくさることなく真摯にプレーし、サッカーの伝道師としての役割を見事に果たしていたようだ。
彼らほどの選手が、これほど入れ込んでプレーしていたのだ、数万人を熱狂させたとしても不思議ではない。
原題はONCE IN A LIFETIME. まさに、人生に一度だけの栄光が、そこにあった。
もっとも、ロスのチーム愛にはタニマチ的なところもあったようだ。移動は飛行機、ホテルは5つ星。遠征に選手の家族や友人がついてくる旅費まで出してしまう太っ腹ぶり。大事なプレーオフへ向かう機内で選手がファンの女性を連れ込んで性行為をしていたこともあったという。ニューヨークでの試合後には、スタジオ54という巨大ディスコに繰り出し、お決まりの大テーブルに陣取って大騒ぎをするのが常だった(ロス自身が選手やハリウッドスターを連れて踊り狂っている写真もある)。カルロス・アウベルトのいう「美しい思い出」には、たぶんこういう面も含まれているのだろう。
映画は当時の映像と数多くの関係者の証言で構成される。すでに故人となったロスと、出演を拒否したペレの2人を除けば、主要な関係者はほとんど網羅されているように見える。
興味深いのは、ペレ以前から在籍していたセミプロ選手たちだ。週の半分は別の仕事で生計を立てていた、上手くはないがサッカーが好きな選手たちが、ある日突然、ペレと一緒にプレーすることになったのだ。夢の中の出来事としか思えなかったことだろう。
「彼のプレーに見とれないようにするのが大変だった」「俺がここにいていいのかと思ったよ」と彼らが口々に上気した表情で語る姿は微笑ましい。ジーコが来た時の住友金属の選手たちも、似たような気分だったのかも知れない。
リーグは消滅したが、ペレとNASLはアメリカにサッカーの種をまき、後世の隆盛の礎となった、と映画は位置づける。現在、USAの少年少女180万人がサッカーをプレーし、アメリカ代表チームは90年以来、ワールドカップに連続出場している。94年に開催したワールドカップの成功を機に新たなサッカーリーグMLSが誕生し、現在も存続している。
何より説得力があるのは、証言者のひとりとして登場する女子サッカー選手、ミア・ハムだ。彼女は「ボストンの親戚の家に行く時は、コスモスの試合があればいいのにといつも思っていた」と話す。72年生まれの彼女は、コスモスが最後に優勝した82年に10歳。USA史上最高のサッカー選手というべきミアは、まさにコスモス世代のサッカー少女だったわけだ。
スティーブ・ロスのやり方で感心するのは、ペレとの契約の中に、試合出場だけでなく、引退後も含めた一定期間のキャラクター商品開発や全世界でのプロモーションの権利を含めていたことだ。さすがはエンタテインメント産業界の雄。
世界で最初にスポーツ選手のマネジメントという商売を編み出したIMGの設立が1960年。初期はゴルフやテニスなど個人競技中心だったから、この頃はまだ団体競技の世界ではマネジメントやキャラクター管理という概念はさほど広まっていなかったはずだ(とはいえIMGのサイトを調べたら、71年にペレと契約している。コスモスとの権利関係はどうなっていたのだろう)。
USAの人気スポーツである野球界では、この時期、フリーエージェント制度が生まれている(76年)。長期低迷していたニューヨーク・ヤンキースの新オーナーであるジョージ・スタインブレナーが、この制度を利用して有力選手を集め、77,78年のワールドシリーズを連覇して「金で買った最高のチーム」と揶揄された。
コスモスの全盛期は、このスタインブレナー・ヤンキースの第1次黄金時代とほぼ同時期にあたる。ニューヨークの新興プロスポーツチームのオーナーとして、ロスは間違いなくヤンキースをターゲットとして意識していたはずだ(コスモスの創立記念試合はヤンキー・スタジアムで行われている)。
2人の派手好きなワンマンオーナーは、きっと互いに対抗心を剥き出しながらスター選手を買いあさっていたのではないだろうか。映画ではまったく言及されないが、そんな想像も膨らむ(共同監督のジョン・ダウアーとポール・クロウダーはどちらも英国人のようだからMLBに目配りが利いていないのか)。
そして、数年後の1984年には、史上もっとも商業的に成功した五輪と言われたロサンゼルス五輪が開催され、以後、アマチュアを含めたスポーツの世界に急速にビジネス化の波が押し寄せる。
そんなスポーツビジネス史の中に置いてみれば、ニューヨーク・コスモスの存在には、一瞬の徒花では片づけられない重みが感じられてくる。
東京・シネセゾン渋谷のレイトショーは本日まで。見逃すかと思ったけど、ぎりぎり駆け込みで間に合った。「サッカーファンでなくても楽しめる」みたいな評が多いのでプレー映像は少ないのかと思っていたがそうでもなく、ペレのゴールシーンがたくさん出てくるのは嬉しい。彼のボディバランスの良さは、今の目からみても見事だ。
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コメント
この映画の事は全然知りませんでした。終わっちゃったのですか...残念。
NASLと言うのは、最初はペレのような「終わった選手」を集めていたのですが、そのうちベッケンバウアのような「現役バリバリ」まで声をかけるようになりました。
カネに任せて外国のスターを集め、オフサイドをゴールラインから35mより前では無くした特殊ルール(つまりハーフウェイライン周辺ではオフサイドがない、ベッケンバウアはこのルールのため「リベロはできない」と言って、MFでプレイしていた)などがあり、「キワモノ」感が強いリーグでした。
余談ですが、Jリーグが開幕した際に、「延長Vゴール」を採用した際に、「ああ、これでJリーグも世界から『キワモノ』と思われる、NASLみたいだ」と嘆息したものです。
そのようなNASLを、英国人が採り上げたのですから、これは見たかったなあ。
投稿: 武藤 | 2007/12/29 09:47
>武藤さま
単館レイトショーで3週間という小規模な上映でしたし、宣伝も少なかったような気がしますね。ただ、今後は地方での上映もあるようですし、いずれはDVDになるのではないかと思います。公式サイトはこちらです。
http://www.pele-otoko.com/
ほかにNASLの独自ルールとしては、PK戦の代わりに、センターサークルからGKと一対一でゴールを奪うシュートアウトというのがあり、コスモス初優勝の場面もこれで決着していました。アイスホッケーを参考にしたのではないかと思われますが、映画の中では現在のクライフが「とても盛り上がる。欧州でも取り入れるといい」と絶賛していました。
投稿: 念仏の鉄 | 2007/12/29 14:20
はいはい、シュートアウトですね。
これは一時FIFAも検討したと言う噂があります。ただ、時間がかかるのと、選手への精神的負担があまりに大きいので、見送られたのだったような。
それにしてもペレのオーバヘッドキックって、本当にきれいなフォームだなあと。
投稿: 武藤 | 2007/12/29 17:14
>武藤さま
時間に関しては、30秒以内にゴールしないと無効、とかいう時間制限があったようです。運に左右される余地がPKより少ない気はしますが、逆に言えば、逃げ道がない分、選手の精神的負担も大きくなるのかもしれませんね。
投稿: 念仏の鉄 | 2007/12/30 09:17