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2008年2月

武田薫『オリンピック全大会』朝日新聞社

 サブタイトルを「人と時代と夢の物語」。朝日選書の一冊だ。主にマラソン、テニス、野球を取材してきたベテランのスポーツライターが、オリンピック・ゲームズの誕生から2004年のアテネ大会まで、大会ごとの出来事を描いた通史。奥付の発行日はちょうど本日、できたての新刊だ。

 通史とはいっても322ページ(資料編を除く)とコンパクトで、この種の本にありがちな平板さ、読みづらさとは無縁だ。各大会の話題は少数のエピソードに絞り込まれ、そのひとつひとつが、短い記述ながらも深い余韻を残す物語となっている。
 初期大会の牧歌的かつ破天荒な出来事は微苦笑を誘うし、著者自身が取材してきた近年のマラソンについては、あまり知られていない事実も織り込んで、ひときわ文章に力がこもる。

 と同時に、武田はひとつひとつのエピソードに、それぞれの大会と時代を象徴する背景を重ね合わせる。初めて半袖の服と膝までのスカートでコートに立った女子テニス選手スザンヌ・ランラン、プロ野球でのプレー経験が発覚して陸上の金メダルを剥奪されたジム・ソープ、“プラハの春”に蹂躙された体操の華チャフラフスカ。
 28の大会に通底してきたいくつかのテーマが絡み合い、通読した時にはオリンピックという大会そのものの素顔が浮かび上がってくる。

 万国博覧会の添え物のようにして始まった初期大会では、スポーツの社会的地位の確立が最大のテーマだった。二度の世界大戦の経験は、政治利用とのせめぎ合いだった。

 ナチスドイツの政権下で開かれた1936年のベルリン大会は、そのユダヤ人差別政策を理由に開催を反対する声もあったが、後のIOC会長ブランデージは開催を強硬に主張しベルリン大会を実現した。それは人種差別を是認したのではなく、「政治からの独立」という方針の帰結だったが、その結果、ベルリン五輪はナチスドイツの国威発揚に大いに利用されることになる。
<スポーツは政治からの独立性を保ったといえるのだろうか。果たして、スポーツに独立性など存在するのかーー。>と武田は書く。
 ただし、アーリア人の優越性を主張するナチスドイツ政権下で開かれたこの大会で、100mをはじめとする陸上短距離の主要4種目で金メダルを獲得したのは、アメリカの黒人選手ジェシー・オーエンスだった。まったく、オリンピックというやつは、一筋縄ではいかない。

 戦後の大会の中でも人種差別と南北問題、パレスチナ問題、冷戦など、さまざまな政治問題がかわるがわる大会への侵入を図る(そして、オリンピックはしばしば防衛線を突破され、大会の中に政治の侵入を許してしまう)。

 それだけではない。アマチュアリズムとプロフェッショナリズムとのせめぎ合い、女性アスリートの勃興、商業化、そしてドーピング。オリンピックという大会そのものが、常に内外の何事かと闘い続けてきて、今もそれは続いている。
 第1回大会のマラソンを制したギリシャの羊飼いに始まり、第28回大会でハンガリー選手のドーピング違反で繰り上げ金メダルとなった室伏広治に終わる、108年間にわたる壮大な群像劇の中には、近代スポーツに関わる主要テーマのすべてが含まれているといってよい。
 オリンピックとは何か、近代スポーツとは何かを知りたい人には、絶好の入門書となるだろう。

 なお、1964年の東京オリンピックの項には、当時の新聞に掲載されたある小説家の文章が紹介されている。

<優勝者のための国旗掲揚と国歌吹奏をとりやめようというブランデージ提案に私は賛成である。
 (中略)
 私は以前、日本人に希薄な民族意識、祖国意識をとり戻すのにオリンピックは良き機会であるというようなことを書いたことがあるが、誤りであったと自戒している。
 民族意識も結構ではあるが、その以前に、もっと大切なもの、すなわち、真の感動、人間的感動というものをオリンピックを通して人々が知り直すことの方が希ましい。>

 当時32歳だった彼が、44年後の現在、招致しようとしている東京オリンピックの基本理念は以下の3点だ。

<1 東京をさらに成熟した都市に発展させ、都市と地球の未来を拓きます>
<2 日本が誇る最先端技術と独特の感性や美意識を融合させ、新しい価値を創出します>
<3 次代を担う子どもたちにスポーツの夢と喜びを広め、オリンピックが生み出す有形無形の財産を未来に引き継ぎます>

 44年前の自戒はどこへ消えたのやら。開催都市への利益誘導を冒頭に掲げる基本理念に、選考に当たる評議員たちは何か感銘を受けるだろうか。本書を通読したばかりの目には、この基本理念は、オリンピックの流れというものに、あまりに無頓着な代物に映る。

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貴乃花親方を支持する。

 松の内どころか旧正月も通り過ぎてしまった今日このごろ、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
 すっかりご無沙汰いたしました。年が明けてからバタバタと忙しくしているうちに、気がついたらもう春近し。早いものです。

 このひと月半ほどの間、スポーツ界も世の中全般もいろいろありましたが、今年初めのエントリを相撲の話題にしようとは、我ながら不思議です。
 昨日(2/20)の東京新聞「こちら特報部」に、貴乃花親方のインタビュー記事が掲載されていました。審判部副部長になった親方は、まだ35歳。異例のスピード出世だそうです。
 時津風部屋のリンチ殺人に、朝青龍の言動。あちこちに歪みの出ている角界をどうするか、というインタビューですが、親方の話が実にまっとうで、いささか意外。貴乃花親方への印象が格段に好転しました。印象深かったのでご紹介します。

 <外国人力士をどう思うか>との問いには、<今まで以上に外国人が入ってきてくれていいと思う。それ以上に強い日本人力士を育てれば、いいだけの話>ときっぱり。もっとも実際には、有望な少年も、進学を理由に親が断ってくるケースが多いようです。そんな現実を見据えて、<受け入れる側としては、第二の人生にも責任があるのではと思う。>と話します。
 <これからは協会主導で「人生これからだよシステム」とでも名付けて、第二の人生の雇用を確保する制度が確立できればどんなにいいことかなと思う>

 人材確保に関しては、従来の角界ではタニマチと呼ばれる後援者が果たす役割が大きかったようです。しかし、貴乃花部屋ではここにメスを入れた改革に取り組んでいるとのこと。
<親方はタニマチとは距離を置き、広く薄く支援を集める「サポーター制度」を導入した>という記者の問い(質問文になってませんが(笑))に答えて親方は語ります。
<人材確保は部屋ごとに考えるのではなく、協会として道筋を考える必要があると思う。タニマチにしても、企業経営者など限られた方しかなれない。現状のままでは人数は減るばかりだし、部屋に大企業がスポンサーでつくような時代になっていく。>
<タニマチに経済的な負担を肩代わりしてもらい、お客集めてもらって、部屋が自主的に動かないでいいのだろうか。大相撲といえどもまずは人気稼業。部屋にとっては、地域の方の理解と支援が大事。地道にファンを増やす努力が必要だ。>

 実に社会常識を踏まえたまっとうな考え方だな、と感心してしまいました。
 前段はセカンドキャリア問題、後段は企業スポンサーと地域密着。プロスポーツの経営に携わる人なら、この程度のことを考えているのは当然といえば当然なのですが、相撲関係者に限って言えば、彼らの発言から相撲界の外側への目配りを感じることはめったにありません。内向きのことしか言わないのが普通、という世界の中で、生まれた時から今まで相撲界の中だけで生きている貴乃花親方が、ここまで世の中のこと、スポーツビジネス界のことを踏まえて相撲界を考えているというのは新鮮な驚きでした。元アナウンサーの女将さんの影響もあるのかも知れません。

 貴乃花部屋そのものの運営は厳しい状況が続いているようです。この記事も触れている通り、タニマチとの関係を縮小した結果、スカウト能力が衰えたのか、新弟子の数は減り、今は関取不在の弱小部屋です。彼の現役時代の実績は誰にも負けない輝かしいものですが、発言が影響力を持つためには、親方としての実績も必要でしょう。つい最近、4年ぶりに新弟子が入ったことも伝えられました。部屋の若者たちにはぜひ奮起してもらいたいものです。

 この記事では(記者が意識したのか否かはわかりませんが)、朝青龍が抱えるもうひとつの疑惑(ひところ、週刊ポスト現代*が盛大にキャンペーンを貼っていました)である八百長問題についてはまったく言及されていませんが、これもまた相撲界の底流に流れる深刻な問題です(私は相撲界の実体についてはほとんど何も知るところがありませんが、「ヤバい経済学」の中でアメリカの経済学者スティーブン・D.レヴィットが示した、大相撲に八百長が存在するという推計には、ものすごい説得力があると感じています)。
 角界から八百長を根絶するには、現役時代に星の貸し借りを嫌いガチンコ相撲しかとらなかったと言われる貴乃花親方以上にふさわしい人物はいないでしょう。彼が審判部の要職にいるというのは大事なことだと思います。

 以前から相撲協会の改革を唱えて、年嵩の親方衆からはあまり良く思われていなかったであろう貴乃花親方の抜擢は、相撲協会の本気を示すものなのか、それとも世間の批判をかわすための方便なのか。しばらくは彼の言動に注目していきたいと思っています。


*間違えました。相撲の八百長報道といえば、長年ポストのお家芸だったものですから。

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