« 貴乃花親方を支持する。 | トップページ | ベッテ/シマンク『ドーピングの社会学』不昧堂出版 »

武田薫『オリンピック全大会』朝日新聞社

 サブタイトルを「人と時代と夢の物語」。朝日選書の一冊だ。主にマラソン、テニス、野球を取材してきたベテランのスポーツライターが、オリンピック・ゲームズの誕生から2004年のアテネ大会まで、大会ごとの出来事を描いた通史。奥付の発行日はちょうど本日、できたての新刊だ。

 通史とはいっても322ページ(資料編を除く)とコンパクトで、この種の本にありがちな平板さ、読みづらさとは無縁だ。各大会の話題は少数のエピソードに絞り込まれ、そのひとつひとつが、短い記述ながらも深い余韻を残す物語となっている。
 初期大会の牧歌的かつ破天荒な出来事は微苦笑を誘うし、著者自身が取材してきた近年のマラソンについては、あまり知られていない事実も織り込んで、ひときわ文章に力がこもる。

 と同時に、武田はひとつひとつのエピソードに、それぞれの大会と時代を象徴する背景を重ね合わせる。初めて半袖の服と膝までのスカートでコートに立った女子テニス選手スザンヌ・ランラン、プロ野球でのプレー経験が発覚して陸上の金メダルを剥奪されたジム・ソープ、“プラハの春”に蹂躙された体操の華チャフラフスカ。
 28の大会に通底してきたいくつかのテーマが絡み合い、通読した時にはオリンピックという大会そのものの素顔が浮かび上がってくる。

 万国博覧会の添え物のようにして始まった初期大会では、スポーツの社会的地位の確立が最大のテーマだった。二度の世界大戦の経験は、政治利用とのせめぎ合いだった。

 ナチスドイツの政権下で開かれた1936年のベルリン大会は、そのユダヤ人差別政策を理由に開催を反対する声もあったが、後のIOC会長ブランデージは開催を強硬に主張しベルリン大会を実現した。それは人種差別を是認したのではなく、「政治からの独立」という方針の帰結だったが、その結果、ベルリン五輪はナチスドイツの国威発揚に大いに利用されることになる。
<スポーツは政治からの独立性を保ったといえるのだろうか。果たして、スポーツに独立性など存在するのかーー。>と武田は書く。
 ただし、アーリア人の優越性を主張するナチスドイツ政権下で開かれたこの大会で、100mをはじめとする陸上短距離の主要4種目で金メダルを獲得したのは、アメリカの黒人選手ジェシー・オーエンスだった。まったく、オリンピックというやつは、一筋縄ではいかない。

 戦後の大会の中でも人種差別と南北問題、パレスチナ問題、冷戦など、さまざまな政治問題がかわるがわる大会への侵入を図る(そして、オリンピックはしばしば防衛線を突破され、大会の中に政治の侵入を許してしまう)。

 それだけではない。アマチュアリズムとプロフェッショナリズムとのせめぎ合い、女性アスリートの勃興、商業化、そしてドーピング。オリンピックという大会そのものが、常に内外の何事かと闘い続けてきて、今もそれは続いている。
 第1回大会のマラソンを制したギリシャの羊飼いに始まり、第28回大会でハンガリー選手のドーピング違反で繰り上げ金メダルとなった室伏広治に終わる、108年間にわたる壮大な群像劇の中には、近代スポーツに関わる主要テーマのすべてが含まれているといってよい。
 オリンピックとは何か、近代スポーツとは何かを知りたい人には、絶好の入門書となるだろう。

 なお、1964年の東京オリンピックの項には、当時の新聞に掲載されたある小説家の文章が紹介されている。

<優勝者のための国旗掲揚と国歌吹奏をとりやめようというブランデージ提案に私は賛成である。
 (中略)
 私は以前、日本人に希薄な民族意識、祖国意識をとり戻すのにオリンピックは良き機会であるというようなことを書いたことがあるが、誤りであったと自戒している。
 民族意識も結構ではあるが、その以前に、もっと大切なもの、すなわち、真の感動、人間的感動というものをオリンピックを通して人々が知り直すことの方が希ましい。>

 当時32歳だった彼が、44年後の現在、招致しようとしている東京オリンピックの基本理念は以下の3点だ。

<1 東京をさらに成熟した都市に発展させ、都市と地球の未来を拓きます>
<2 日本が誇る最先端技術と独特の感性や美意識を融合させ、新しい価値を創出します>
<3 次代を担う子どもたちにスポーツの夢と喜びを広め、オリンピックが生み出す有形無形の財産を未来に引き継ぎます>

 44年前の自戒はどこへ消えたのやら。開催都市への利益誘導を冒頭に掲げる基本理念に、選考に当たる評議員たちは何か感銘を受けるだろうか。本書を通読したばかりの目には、この基本理念は、オリンピックの流れというものに、あまりに無頓着な代物に映る。

|

« 貴乃花親方を支持する。 | トップページ | ベッテ/シマンク『ドーピングの社会学』不昧堂出版 »

コメント

「基本理念」には「オリンピックが東京に何をしてくれるか」は書いてあっても「東京がオリンピックに何ができるか」については何にも書いてありませんよねぇ。なんともワガママな(笑)。

まぁオリンピック誘致の前に新銀行東京問題で沈没してしまいそうな雰囲気ですが。
知事が替わったら、たちまち誘致は終わりでしょうが、JOCはどうするのかなぁ。

投稿: 馬場 | 2008/02/29 17:03

>馬場さん
>「基本理念」には「オリンピックが東京に何をしてくれるか」は書いてあっても「東京がオリンピックに何ができるか」については何にも書いてありませんよねぇ。

同感です。このまま翻訳しても外国人の共感を得ることは困難でしょうし、海外向けに別の基本理念を作ったのでは二枚舌になる。どちらにしても感心しません。


投稿: 念仏の鉄 | 2008/02/29 23:15

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/50507/40268927

この記事へのトラックバック一覧です: 武田薫『オリンピック全大会』朝日新聞社:

« 貴乃花親方を支持する。 | トップページ | ベッテ/シマンク『ドーピングの社会学』不昧堂出版 »