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貴乃花親方を支持する。

 松の内どころか旧正月も通り過ぎてしまった今日このごろ、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
 すっかりご無沙汰いたしました。年が明けてからバタバタと忙しくしているうちに、気がついたらもう春近し。早いものです。

 このひと月半ほどの間、スポーツ界も世の中全般もいろいろありましたが、今年初めのエントリを相撲の話題にしようとは、我ながら不思議です。
 昨日(2/20)の東京新聞「こちら特報部」に、貴乃花親方のインタビュー記事が掲載されていました。審判部副部長になった親方は、まだ35歳。異例のスピード出世だそうです。
 時津風部屋のリンチ殺人に、朝青龍の言動。あちこちに歪みの出ている角界をどうするか、というインタビューですが、親方の話が実にまっとうで、いささか意外。貴乃花親方への印象が格段に好転しました。印象深かったのでご紹介します。

 <外国人力士をどう思うか>との問いには、<今まで以上に外国人が入ってきてくれていいと思う。それ以上に強い日本人力士を育てれば、いいだけの話>ときっぱり。もっとも実際には、有望な少年も、進学を理由に親が断ってくるケースが多いようです。そんな現実を見据えて、<受け入れる側としては、第二の人生にも責任があるのではと思う。>と話します。
 <これからは協会主導で「人生これからだよシステム」とでも名付けて、第二の人生の雇用を確保する制度が確立できればどんなにいいことかなと思う>

 人材確保に関しては、従来の角界ではタニマチと呼ばれる後援者が果たす役割が大きかったようです。しかし、貴乃花部屋ではここにメスを入れた改革に取り組んでいるとのこと。
<親方はタニマチとは距離を置き、広く薄く支援を集める「サポーター制度」を導入した>という記者の問い(質問文になってませんが(笑))に答えて親方は語ります。
<人材確保は部屋ごとに考えるのではなく、協会として道筋を考える必要があると思う。タニマチにしても、企業経営者など限られた方しかなれない。現状のままでは人数は減るばかりだし、部屋に大企業がスポンサーでつくような時代になっていく。>
<タニマチに経済的な負担を肩代わりしてもらい、お客集めてもらって、部屋が自主的に動かないでいいのだろうか。大相撲といえどもまずは人気稼業。部屋にとっては、地域の方の理解と支援が大事。地道にファンを増やす努力が必要だ。>

 実に社会常識を踏まえたまっとうな考え方だな、と感心してしまいました。
 前段はセカンドキャリア問題、後段は企業スポンサーと地域密着。プロスポーツの経営に携わる人なら、この程度のことを考えているのは当然といえば当然なのですが、相撲関係者に限って言えば、彼らの発言から相撲界の外側への目配りを感じることはめったにありません。内向きのことしか言わないのが普通、という世界の中で、生まれた時から今まで相撲界の中だけで生きている貴乃花親方が、ここまで世の中のこと、スポーツビジネス界のことを踏まえて相撲界を考えているというのは新鮮な驚きでした。元アナウンサーの女将さんの影響もあるのかも知れません。

 貴乃花部屋そのものの運営は厳しい状況が続いているようです。この記事も触れている通り、タニマチとの関係を縮小した結果、スカウト能力が衰えたのか、新弟子の数は減り、今は関取不在の弱小部屋です。彼の現役時代の実績は誰にも負けない輝かしいものですが、発言が影響力を持つためには、親方としての実績も必要でしょう。つい最近、4年ぶりに新弟子が入ったことも伝えられました。部屋の若者たちにはぜひ奮起してもらいたいものです。

 この記事では(記者が意識したのか否かはわかりませんが)、朝青龍が抱えるもうひとつの疑惑(ひところ、週刊ポスト現代*が盛大にキャンペーンを貼っていました)である八百長問題についてはまったく言及されていませんが、これもまた相撲界の底流に流れる深刻な問題です(私は相撲界の実体についてはほとんど何も知るところがありませんが、「ヤバい経済学」の中でアメリカの経済学者スティーブン・D.レヴィットが示した、大相撲に八百長が存在するという推計には、ものすごい説得力があると感じています)。
 角界から八百長を根絶するには、現役時代に星の貸し借りを嫌いガチンコ相撲しかとらなかったと言われる貴乃花親方以上にふさわしい人物はいないでしょう。彼が審判部の要職にいるというのは大事なことだと思います。

 以前から相撲協会の改革を唱えて、年嵩の親方衆からはあまり良く思われていなかったであろう貴乃花親方の抜擢は、相撲協会の本気を示すものなのか、それとも世間の批判をかわすための方便なのか。しばらくは彼の言動に注目していきたいと思っています。


*間違えました。相撲の八百長報道といえば、長年ポストのお家芸だったものですから。

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コメント

>レヴィットの推計
千秋楽に7勝7敗の力士が8勝6敗の力士と対戦すると、79.6%という異常な高率で勝つというアレですね(平常時の勝率は48.7%でほとんど五分五分。)

ただこれを「八百長」と呼ぶべきものかどうか、個人的には多少疑問があります。7勝7敗が8割方勝つ、ということは、力士の多数派が「8勝6敗の力士は7勝7敗の力士に勝ちを譲るものだ」と考え、実際に実践していることになります。(8勝6敗の力士は2割しか勝たない-もともと「ガチンコ」での勝率は五分五分ですから、「ガチンコ」を行っている力士は最大でも4割しかいないことになります。)

プレイヤーの過半数が遵守している慣行を、「八百長」と言うべきなのでしょうか。それは「暗黙のルール」というべきではないかと思います。例えば、大リーグでも『大差のついたゲームではバントや盗塁をしてはならない』という暗黙のルールがあります。違反しても公式に罰せられることはないけれど、仲間からヒンシュクを買って嫌われるというインフォーマルなペナルティを受けます。「8勝6敗の力士は7勝7敗の力士に勝ってはならない」というのは、それに類した「暗黙のルール」なのではないでしょうか。

現在の「勝ち越し」に非常に大きな価値を置く大相撲の報償体系において、「8勝6敗の力士が7勝7敗の力士に勝ちを譲る」という行為は力士にとって非常に合理的です。失うものは少なく、与えるものは大きい。短期的にはとりあえず次回の対戦で「星」は返してもらえるし、何より長期的に考えると、この「暗黙のルール」に従っておくことにより自分が「7勝7敗」という窮地に陥ったとき(それはしばしばあり得るシチュエーションです)、相手の力士に勝ちを譲ってもらえることが期待できる。

「7勝7敗問題」は、大相撲の報償体系がもたらす力士行動の「歪み」であり、それを是正するためには「勝ち越し」を偏重する報償体系を変えなければならないと考えます。

でも、「8勝7敗は7勝8敗とは単に1勝違うだけ」みたいな報償体系にすると、これまた取り組みがつまらなくなるような気がします。幕内力士の平均勝ち星は7.5であり、一番数が多いこの水準の勝ち星の人たちが真剣に取り組みしないと大相撲が大いにつまらなくなります。そのために、「7勝と8勝は大違い」という報奨体系にしてあるのではないかと考える次第です。

投稿: 馬場 | 2008/02/23 23:31

>馬場さん
>プレイヤーの過半数が遵守している慣行を、「八百長」と言うべきなのでしょうか。

「八百長」という言葉の定義は、広辞苑によれば「一方が前もって負ける約束をしておいて、うわべだけの勝負を争うこと。なれあい勝負」とあります。馬場さんがおっしゃるような慣行だとしても、この定義には矛盾しません。
大相撲には芸能や呪術の面も色濃く残り、近代スポーツと違う面があるのは確かですが、優勝回数や勝敗記録を競う競技である以上、当事者たちが自分の都合で勝敗を操作することは是認できません。観客の大多数は承服しないのではな

>例えば、大リーグでも『大差のついたゲームではバントや盗塁をしてはならない』という暗黙のルールがあります。

このルールは、チームの勝敗に影響を及ぼさない、という大前提の上で成り立っています。勝敗そのものをやりとりしている(と推測される)大相撲のケースとは異質です。

投稿: 念仏の鉄 | 2008/02/24 02:02

私もいち「見物人」として、すべての大相撲の取り組みに「ガチンコ」を希望しております。貴乃花親方の、セカンドキャリア問題、地域密着戦略のご見識にも諸手を挙げて賛成です。もっと面白い「見物」となるために、大相撲はもっと「現代化」されなければなりません。

「7勝7敗問題」については、「優勝」(及び三賞)という「本物の勝負」にはまったく影響を及ぼさないというのが重要なポイントだと思います。(8勝7敗で優勝することはあり得ません。)

「勝ち越し制度がなかったら」ということを想像してみたのですが、そうすると早々に優勝や三賞の可能性のなくなった大多数の力士たちのモチベーションがものすごく下がると思われます。(何度も申し上げて恐縮ですが、全力士の平均勝ち星は必ず7.5勝になります。)そういう「並み」の力士たちに血相変えて真剣な取り組みをさせるために、7勝と8勝の間で報償に理不尽とも思える大きな格差が設けられたのではないのでしょうか。

見物人としては、大相撲において気合いと気迫に満ちたガチンコ勝負が増えることを望みます。「勝ち越し制度」は、「7勝7敗問題」という「歪み」も生じさせますが、トータルとして「気合いの入った勝負」を増やす方向に作用しているのではないでしょうか。

ちょっと妄想みたいな話ですが、大相撲も野球やサッカーのように地域フランチャイズ制にしたら「八百長」は絶対減ると思います。要するに「同じコミュニティの一員」だから手心を加えてしまうわけで、地理的に分離して日頃のつきあいが減れば、当然「ガチンコ」がしやすくなると思うのですが。色黒の九州勢対色白の北海道勢の対戦なんて面白そうな気がしますが。(外国人はもちろんフリーエントリー(笑)。)

投稿: 馬場 | 2008/02/24 14:58

>馬場さん
どうもお話の趣旨がうまく掴めずにいます。
大相撲の対戦の仕組みを論じるのなら、総当たりリーグ戦でもなければノックアウト形式でもない独特の取り組み形式と、番付というランキングの仕組みが肝なんじゃないかと思います。

大相撲が優勝だけを争う競技なら、優勝が一握りの上位陣に独占されている以上(平均7.5勝というのは理論値であって、現実にはものすごい偏在があります)、他の力士のモチベーションがなくなるというのはご指摘の通りで、そこをカバーしているのが番付制度なのでしょう。仮に一場所の日数を16日にすれば8勝8敗という星が存在することになりますが、そういう力士が出たとしても、やはり勝ち星(やその取り組み相手)に応じて昇格・降格は行われるわけですから、「勝ち越し」というのは「番付制度」を構成する一要素で、それ事態を制度というほどのものではないのでは。問題は幕内にとどまることであって、勝ち越しはそのための手段ということだと思いますが。

>ちょっと妄想みたいな話ですが、大相撲も野球やサッカーのように地域フランチャイズ制にしたら「八百長」は絶対減ると思います。

江戸時代の大相撲の力士は各藩のお抱えでした(所属する藩は、力士の出身地や居住地とは関係なく、要するにスポンサーです)。当時から明治初期くらいまでは、大阪など他都市にも大相撲はあったようです。そのころまでは引き分けもあったようですし、現在の6場所制になったのは戦後のことですし、伝統伝統というわりに、大相撲の歴史は曖昧模糊として、何がスタンダードなのか非常にわかりづらい。融通無碍こそ相撲だ、と東大の新田一郎教授は「相撲の歴史」に書いています。

このエントリでは私も「八百長根絶すべし」といわんばかりの態度で書いてますが、もしかすると近代スポーツの理念を大相撲に押し付けることには無理があるのかもしれない、というためらいもあります。ただし、現時点では、まさに「融通無碍」に近代スポーツを擬態することが大相撲の生き延びる道、と考えることもできそうです。

投稿: 念仏の鉄 | 2008/02/26 10:05

鉄さん、お久しぶりです

相撲の歴史など、全体的な「八百長」はわかりかねますが、今回の「朝青龍復帰場所」については些か胡散臭いという気はします。

なんとも「できレース?」てかんじがするんですよね。

①腰痛で休場中の横綱がサッカー②一部屋のリンチ事件

が重なり、窮地の相撲界。

そこに待望の最強の横綱が帰って来る。となるとまず話題を呼びます。(良し悪しは別として)

「見物人」達も彼が勝つのも、そして負けるのも、矛盾してますがともに期待していたはずです。(とくにマスコミ)
「やっぱり強かった」でも「ざまみろ」でも‘見世物’としてはOKでしょう

そして朝青龍は初戦は勝つも一敗して、また勝ち続ける。
対する白鵬は途中まで負けなし。

これでは朝青の復帰後即優勝がない、となると注目が落ちる。

となれば・・・・・、ね

上層部は当然朝青龍のVは嫌でしょうし、白鵬もでしょう。
ただ、練習でも負け越している。最終日まで優勝が決まらない。結果は白鵬の勝ち。

以上の事を並べると、白鵬の優勝にケチをつけるようであれですが、なんともドラマチック(ドラマティックではなく)なかんじがしてならんのですよね。

長々と駄文失礼でした


PS.PC変わったんでアノ・・・アレが違うかもです(アドレスですっけ?)(^^;)

投稿: 一介の論客・KTY | 2008/02/29 23:29

>一介の論客・KTYさん

>以上の事を並べると、白鵬の優勝にケチをつけるようであれですが、なんともドラマチック(ドラマティックではなく)なかんじがしてならんのですよね。

スポーツのプレーそのものは別として、勝敗にかかわる出来事というのは、どう転んでも類型的なんですよね。ある種の抽象化されたモデルなので当然といえば当然。「野球は筋書きのないドラマ」とか言われますが、実際には、結果として何らかの物語母型に当てはまっているから皆さん感動するわけで。
ドラマや映画で見せられたら出来過ぎで鼻白むような展開も、スポーツなら素直に感動してしまうというのは、プレーや勝負をガチでやった結果だからという前提が、見ている側にはあるはずです。
その前提が崩れると…そうなるわけでしょうね(笑)。

投稿: 念仏の鉄 | 2008/03/02 08:07

上述のコメント内で話題に上った報奨制度について、力士褒賞金を見落としておりました。
力士には給料とは別に力士褒賞金という手当が場所ごとにあり、この金額は1回勝ち越すごとに0.5円×4000=2000円の昇給となります(優勝や金星では、もっと大きい額が積み上がります)。これは現役生活を続ける限り積み上げられ続けるもので、負け越しによる減額はありません。その意味では7勝と8勝の間に格差があるのは事実で、馬場さんご指摘の通りです。また、幕内にいなければ受け取ることができないので、番付上の地位は、ある分岐点(幕内か幕下か)が収入に関して決定的な意味を持っていることにもなります。
勝者が得る「2000円×現役生活を続ける場所数」という金額が、「8勝目」に対するどれほどの気合を、あるいは八百長への誘惑をもたらすものなのか、角界の外側から想像するのはなかなか難しいものでありますが。

投稿: 念仏の鉄 | 2008/03/21 15:16

「7勝7敗問題」ですが、、「7勝7敗」の力士同士で対戦すれば互いに手心を加えるわけにも行かず、ガチンコ勝負が期待できるのではないでしょうか。

幕下では勝ち星が同じ力士同士が対戦する、スイス式トーナメントが採用されているようなので、これをもっと広げればいいと思うのは単純すぎるでしょうか。
野球やサッカーのようにあらかじめ全ての日程を決める必要の無い相撲ならではの柔軟な解決方法を求めます。

投稿: kagura | 2008/03/24 10:29

>kaguraさん
>「7勝7敗」の力士同士で対戦すれば互いに手心を加えるわけにも行かず、ガチンコ勝負が期待できるのではないでしょうか。

話題にした「ヤバい経済学」では、そういう試算はしていないようです。試しに今場所の結果を見てみたら、これがなかなか興味深いです。昨日の春場所千秋楽の幕内の結果がYahooスポーツに載ってます。
http://sports.yahoo.co.jp/sumo/200803/14/tori_maku.html
千秋楽の結果から逆算すると、7勝7敗どうしの取り組みはゼロ(十両では2組ありました)。
一方、7勝7敗と8勝6敗の取り組みは4つあり、ことごとく7勝7敗の力士が勝って、両者8勝7敗になっている。かなり不自然な印象を受けます。

ご指摘のように、相撲協会がその気になれば7勝7敗どうしを対戦させることは技術的には可能だと思いますが、それをやれば八百長の存在を認めたことになる、と彼らは考えているのかも。逆に、このサンプルから推測されるほど星の貸し借りが根付いているのならそれを根底から覆すのも大変、ということなのかも知れません。

投稿: 念仏の鉄 | 2008/03/24 23:22

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