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貧乏なマネー・ボール、金持ちのマネー・ボール。

 ボストン・レッドソックスとオークランド・アスレチックスの開幕戦が行われた東京ドームのスタンドで、日本にいた頃と同じように球数の多い松坂大輔を眺めながら、相手打線は知らない選手ばかりだなあ、と、ぼんやりと考えた。

 ここ1,2年はMLBの試合をろくに見ていないので(なにしろ今住んでいる部屋では地上波とMXTVしか映らない)、単に私が無知なだけかと思ったが、公式プログラムをめくってみると、出場している選手の多くは実際にほとんど実績がない。
 唯一のスターといってよいチャベスが故障で来日しなかったため、無名選手ばかりのラインナップになってしまった(<シャヴェス、エリス、クロズビー以外はみんなルーキーか、それに近い若手>と「メジャーリーグ完全データ名鑑2008」(広済堂出版)には書かれている)。もっともなじみ深い名前は、打撃コーチのタイラー・バンバークレオ(元西武ライオンズのバークレオ)だった。
 松坂はもちろん、マニー・ラミレス、オーティズ、ローウェル、バリテックと年俸10億円クラスのスター選手が並ぶレッドソックスとは、人件費総額に相当な差がありそうだ。
 そうか、これは“貧乏なマネー・ボール”と“金持ちのマネー・ボール”の対決なんだな、と改めて気がついた。


 2月の初めにNHK総合テレビで、ボストン・レッドソックスの選手獲得法を扱った番組が放映された。「NHKスペシャル 日本とアメリカ」というシリーズの第3回「日本野球は“宝の山” 〜大リーグ経営革命の秘密〜」というタイトルだ。内容は、Number創刊時の編集長だった岡崎満義がインターネット上のコラムに詳しく紹介している。

< 6年前にレッドソックスを買収してオーナーになったジョン・ヘンリー氏は、巨大マネーを操るヘッジファンド経営者で、「金融も野球もデータから始まる」「金融界では意味のある指標を見つけられなければ、いいトレーダーとはいえない」という哲学の持主。自らスコアブックをつけながら、野球観戦をする。子供の頃から野球のデータが好きだった。その哲学の信奉者がルキーノ球団社長であり、エプスタインGMであり、データ分析専門家のマックラッケン氏である。みんな客観的なデータを信頼する人材の集まりだ。

 松坂投手のようなスターに大金をつぎこんで獲得するためには、半面ではいかに安い俸給でいい選手を発掘するかが大切だという。その基礎資料となるのがデータである。

 しかも、そのためには世間に通用している常識的なデータではなく、データを分析し、新しい価値を構築して、選手の隠された可能性を発見しなければならない。レッドソックス独得の「新しい指標」を編み出しているのが、すこぶる興味深かった。>

 私はこの番組を、出張先の地方都市の宿で見ていた。
 確かに岡崎が書くように興味深い番組だったのだが、反面、最後まで見終えた時には少々驚いた。こういう内容の番組を「ビリー・ビーン」「ビル・ジェイムズ」「セイバーメトリックス」「マネー・ボール」という言葉をひとつも使わずに制作するという姿勢に面食らったのだ(NHKの番組内容を紹介し絶賛するだけで、そのことにまったく言及していない岡崎のコラムについても然り。いや、普通の書き手ならいいんだが、スポーツジャーナリストを名乗って書いている以上、これでは物足りない)。


 2003年(日本語版は翌年)に刊行された『マネー・ボール』は、日本でも評判になり文庫化もされている著名な本なので、今さら紹介するのもいささか気恥ずかしい。詳しくはAmazonの商品説明などをご参照いただきたいが、簡単にいえば、MLBの中でも資金力に乏しいアスレチックスのGMビリー・ビーンが、いかにして他球団が目をつけない優良選手を安く手に入れて強豪チームを築き続けているかを描いたノンフィクションだ。

 その「いかにして」の部分こそ岡崎がいう「新しい指標」、すなわち市井の野球愛好家ビル・ジェイムズが考案し、私家版の冊子で紹介したデータ解析方法だ。ジェイムズはそれをセイバーメトリックスと名付けている。

 打者であれば打率や打点よりも出塁率に着目する、攻撃側はアウトにならないこと、守備側はアウトを増やすことを最も重視する、というような、従来の野球界の常識とは異なる指標によって選手を選別することにより、他球団の評価は高くないけれど勝利に貢献できる選手を安価に集めることができる。それがビーンの方法論だった。

 『マネー・ボール』の終盤には、レッドソックスを買収したジョン・ヘンリーが、ビル・ジェイムズを顧問に招き、さらにビリー・ビーンをGMとして引き抜こうとするくだりが描かれる。ほとんどその気になっていたビーンは、しかし土壇場で翻意してアスレチックスに残ることを決意する。
 ビーンに振られたヘンリーが、代わりに雇ったのが当時最年少GMとなったセオ・エプスタインだった。そしてヘンリーは、セイバーメトリックスを用いた選手の獲得を試みる。その成功例としてNHKスペシャルが紹介したのが主砲デビッド・オーティズであり、岡島秀樹だ。ボストンの一塁を守るユーキリスも、その出塁率の高さにビーンが獲得を熱望した選手として『マネー・ボール』に印象的に登場している。

 かくして新生レッドソックスは2004年、2007年と二度のワールドシリーズ制覇を成し遂げる。21世紀初頭のレッドソックスの栄光は、『マネー・ボール』の後日談とも言えるわけだ。
 言い換えると、アスレチックスが、貧者が金持ちに対抗するために開発した方法論を、巨額の富によって実行したらどうなるか、という試みを実践したのがレッドソックスだった。
 バレーボールでは1960年代から70年代にかけて、背の低い日本選手が速攻という戦術を武器に世界を制したが、背が高く身体能力に優った欧米の選手たちが同様の技術を身に付けてしまったことでアドバンテージが失われ、日本は久しくメダルから遠ざかっている。そんな状況を思い出させるような構図が、ここにはある。


 NHKの番組を見てからしばらくして、そこで感じた不満を埋めてくれそうなドキュメンタリー番組をみつけた。アメリカのディスカバリーチャンネルが制作したテレビ番組のDVD「ベースボール革命 勝利の統計学」だ。

 こちらは2006年の制作。セイバーメトリックス理論そのものを紹介することに主眼が置かれ、ほぼ全編にわたってビル・ジェイムズ本人が語り手として登場している。ビルはそこで「出塁率こそ重要」「送りバントは得点の可能性を損なう」「盗塁は得点の可能性にほとんど影響がない」といった持論を展開している。

 興味深いのは、ボストンの監督テリー・フランコナが登場して、こう語っていることだ。
「私はあらゆる情報をかき集めて、それを最大限利用しようと思ったんです」
「時には賛成しかねるアイデアもありますが、彼(ジェイムズ)との会話は示唆に富んでいて、今でも楽しいものです」
 『マネー・ボール』でジェイムズがいかにMLB各球団から無視され続けてきたかを読んだ後でこの発言を聞くと、隔世の感がある。

 ジェイムズのデータ分析の主たる関心事は「どのプレー、どの数値が勝利に結びつくのか(あるいは結びつかないのか)」を解明することにある。彼が編み出す指標は、「どの数値が勝利を導くか」を意味し、それがひいては「どの指標にすぐれた選手がチームを勝利に導くか」を示すことになる。
 だから、セイバーメトリックスは、チーム編成だけでなく、選手起用や試合中の戦術という監督の仕事にもダイレクトに活用できるはずだ(というよりも、具体的な采配と結びつけなければ、せっかく集めた選手を生かすこともできないだろう)。

 そう考えれば、セイバーメトリックスを采配に取り入れることに心理的抵抗をもたないフランコナは、まさに現在のレッドソックスを率いるにふさわしい監督といえる。また、『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』によれば、昨年就任したボブ・ゲラン監督が率いた2007年のアスレチックスは、リーグで四球数2位、盗塁数とバント数は最小と、ジェイムズの理論に忠実な戦術を貫いた(が地区3位となり、久しぶりに勝率5割を下回った)。
 この両チーム、編成だけでなく戦術的にも兄弟のような関係にあるようだ。


 両者が戦った3/25の開幕戦は、好ゲームとなった。立ち上がりに被本塁打と四死球連発で松坂が2点を失うが、二転三転の末、9回表にレッドソックスがモスの本塁打で同点に追いついて延長に入る。9回から登板したアスレチックスのクローザー、ヒューストン・ストリートは、大学球界で活躍したが体が小さい(といっても183センチ、88キロもあるが)と他球団から敬遠されたためにアスレチックスが目をつけたという。

 十回表のレッドソックスの攻撃は、先頭の9番ルーゴが三塁線を襲う内野安打で出塁し、一番ペドロイアは初球送りバントを決める。二番ユーキリス三振の後、オーティズは何と敬遠。四番ラミレスが右中間フェンスに直撃する二塁打を放って2点を勝ち越した。裏にはアスレチックスも猛反撃するが、5点目を奪うタイムリーヒットのクロスビーが三塁を欲張って挟殺されたことでチャンスは潰え、6-5でレッドソックスが逃げ切った。

 ビル・ジェイムズの理論では勝利に結びつかないはずの送りバントや敬遠を両チームが実行して、一方は成功し、一方は失敗した。そして、終わってみれば、勝負を決めたのは年俸2000万ドルの高額所得者マニー・ラミレスの打棒。ビッグマネー・ボールとスモールマネー・ボールの対決としては、いささか皮肉な結末と言えるかもしれない。まあ、一試合だけの結果であれこれ語るのは、統計と確率を基盤とするセイバーメトリックスの考え方とは相容れないものかもしれないが。

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コメント

 興味深く読ませていただきました。
 私もNHKの番組を見たのですが、その内容と昨日の試合がどう結びついているのか、実感しづらかったので、鉄さんの話で少しスッキリしてきました。
 日本のプロ野球が十年一日まったく進歩がないのに対して、アメリカでは新しい理論が取り入れられているんですね。
 昨日の試合で、解説に当たっていた人たちも、終始雑談ばかりで、こういった話には全く触れられませんでした。日本野球界は世界の潮流をどうとらえているのでしょうか。

投稿: kagura | 2008/03/27 10:34

>kaguraさん
ありがとうございます。私は開幕戦はスタンド観戦、2試合目は所用で見損なったので、今回はテレビ中継をまったく見ておらず、どんな話をしていたか知らないんです。長谷川滋利も出ていたようですから、こういう話題になってもよさそうなものですが、試合中継の中で簡潔に説明するのは少し難しいかも知れません。
日本でも、アソボウズ(現データスタジアム)というデータ分析会社から、ほとんどの球団がデータの提供を受けている(というか購入している)そうですが、それをどれだけ生かせるかは、それぞれの球団経営陣と監督にかかっているのでしょうね。

投稿: 念仏の鉄 | 2008/03/28 00:45

>日本のプロ野球が十年一日まったく進歩がない

少なくとも高田繁は日ハムGM時代から「マネーボール」理論の応用を語ってますし、
仮に日本のプロ野球が十年一日まったく進歩がないとしたら、
WBCで日本に遅れをとったアメリカはそれよりさらにダメ、という理屈も成り立つので、
そう悲観することもないのではないでしょうか。

投稿: nobio | 2008/03/28 18:23

さて、「金持ちのマネーボール」に対して「元祖マネーボール」のビーン氏が、これからどう対抗していくのか、見ものですね。金じゃない、知恵だ!というところを見せてほしいものです。

あと、新しい指標というのは「とりあえず役に立つ」ということはわかっているのかもしれませんが、その数字が「そもそも何を意味するのか」というのはわかりにくですよね。「第2打率」=(塁打数-安打+四球+盗塁)÷打数、なんて数字、なんなんだ?!って感じですし。

「塁打数-安打」で長打の数、でもそれに四球と盗塁を足すというのは、まるで違うものを足し合わせているわけで意味が分かりません。もちろん「温度」と「湿度」という全然違うものを組み合わせて「不快指数」をつくる、というようなことも可能なので、適切なネーミングがあれば納得できるのかもしれませんが。

まぁ球団経営には「役に立つ」ことさえわかっていればいいので、「そもそも」論は学者かマニアの仕事なのかもしれませんが(笑)。

投稿: 馬場 | 2008/03/31 17:14

>馬場さん
>「第2打率」=(塁打数-安打+四球+盗塁)÷打数、なんて数字、なんなんだ?!って感じですし。

(塁打数+四球+盗塁)は、その選手がどれだけの塁を稼いだか、という数字ですね。これを1打席あたりに換算すれば、「稼塁率」とでもいうべきものになります(分母は打席数の方が適切な気がしますが)。
で、そこから安打数を引くことに何の意味があるのか。
出塁率もそうですが、このままでランキングを作ると、打率が高くて本塁打の多い選手が上位に並ぶことになり、従来の指標と大して変わりません。それでは他球団の評価基準と大差ないので意味がない。
安打数を引くことによって、打率ランキングではわからない「含み稼塁率」とでもいうべき指標になる、ということではないかと思います(いってみれば「お買い得指数」ということでしょう)。

投稿: 念仏の鉄 | 2008/04/01 09:50

なるほど!
「含み稼塁率」ですか。

そういうふうに適切に「名付け」をしてもらうと納得できてしまうから不思議なものです。

こういう話をしていると、日本の選手の「含み稼塁率」を計算してみたくなりますね。時間があればやってみたい・・

投稿: 馬場 | 2008/04/02 11:48

>馬場さん

ただ、検索してみたら、サンプル調査をしたら第2の打率には得点との高い相関関係がみられた、としている人もいるので、もしかすると単独でも意義のある指標なのかもしれません。
http://carpvictory.blog89.fc2.com/blog-entry-63.html

投稿: 念仏の鉄 | 2008/04/03 09:35

久しくご無沙汰しています。
マネーボールという考えが、球団支出を抑え、勝利に貢献する選手を集めチームを編成するという点で球団収益を改善する効用があるのは分かります。
しかし、観せるスポーツ、エンターテインメントとしてのスポーツとしてのプロ野球を考える場合、長期的にはファンの支持を失っていく危険性も孕んでいるのではないでしょうか。とりわけ、チームで実績を挙げ年俸が次第に高騰してきた選手を放出することの見返りとして、さらに勝利に貢献できそうな複数の若手を獲得するという手法は、慎重に行うべきと考えます。観客は、勝利だけを望んでいるのではないのですから。
その点では、「金持ちのマネーボール」は注目すべきだと思います。
あと疑問に思うのは、選手の査定の面において、セイバーメトリックス理論はどのくらい反映されているのかということです。評価基準は最初から選手に明確にされているとは思いますが、勝利への貢献度が分かりにくく、ともすればモチベーションを下げる場合もあるのではないでしょうか。
セイバーメトリックス理論が球団経営参入への敷居を低くするという効用を持っていることは、大いに評価します。

投稿: 考える木 | 2008/04/04 06:14

>考える木さん

>長期的にはファンの支持を失っていく危険性も孕んでいるのではないでしょうか。

私は四球の多い試合は嫌いだし盗塁を見るのは好きなので、ビリー・ビーンが贔屓チームのGMになったらストレスたまるかも知れません。

>とりわけ、チームで実績を挙げ年俸が次第に高騰してきた選手を放出することの見返りとして、さらに勝利に貢献できそうな複数の若手を獲得するという手法は、慎重に行うべきと考えます。

ただ、FA制度がある以上、球団が慎重に構えたところで選手が出て行くことは止められませんから、資金力に乏しい球団にとって、事実上ほかに選択肢はないのだと思います。


投稿: 念仏の鉄 | 2008/04/05 01:06

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