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44年前の聖火リレー。

 市川崑監督の映画『東京オリンピック』の冒頭では、確か、アジア各国を東京に向かって走る聖火ランナーの姿が映し出されていた記憶がある。

 調べてみると、1964年の東京五輪では、確かに聖火がアジアを通過している。
 ギリシャ・オリンピアのヘラ神殿跡で採火式が行われたのが8/21。ギリシャ国内を走ってアテネに着いた火は、“シティ・オブ・トウキョウ”と名付けられた特別機で東京に向かったのだが、直行したわけではない。JOC公式サイトの東京五輪特集ページには、こう記されている。

<ギリシャから日本までは、イスタンブール(トルコ)→ ベイルート(レバノン)→ テヘラン(イラン)→ ラホール(パキスタン)→ ニューデリー(インド)→ ラングーン(ビルマ)→ バンコク(タイ)→ クアラルンプール(マレーシア)→ マニラ(フィリピン)→ ホンコン(ホンコン)→ 台北(台湾)と、11の中継地を経て、9月7日に沖縄に到着した。>

 このページにはルートの地図も載っている。途中まではともかく、ビルマ(現在はミャンマー)から東は、第二次大戦の戦場となった地域だ。戦争の終結から19年目。各地には、複雑な思いで聖火を見送る人もいたのではないかと思う。


 東京五輪の聖火リレーは、なぜこのようなコースを辿ったのか。
 NHKのテレビ番組「その時歴史が動いた」では、昨年1月に、「東京オリンピックへの道 ~平和の聖火 アジア横断リレー~」と題して、この聖火リレーを取り上げている。残念ながら私は見ていないが、番組サイトに概要が示されている。

<戦争で多くの教え子を失った田畑は、戦後、平和の祭典としてのオリンピック開催に再び挑戦する。しかし待ちかまえていたのは、アジア諸国の根強い反日感情だった。
田畑は、日本が平和な国を目指していることを伝えるため、戦争被害を与えたアジア諸国を10万人の手でつなぐ大聖火リレーを計画した。アジアの人々は東京への聖火を受け入れてくれるのか。
平和の祭典を目指した東京オリンピック、その知られざる長く険しい道のりを描く。>

 「田畑」とは当時の日本水泳連盟の田畑政治会長。元朝日新聞の記者・役員で、JOCの幹部、1964年の東京五輪誘致の中心人物のひとりだ。1940年の東京五輪(戦争のため中止)誘致にも尽力したらしい。


 番組は、“聖火リレーは成功、平和ニッポンはアジア諸国に受け入れられました、めでたしめでたし”というトーンでまとめられていたらしい。「テレビ批評的視聴記」というサイトでは、そのようなまとめ方に疑義を呈している。 
<侵略戦争の許しや反日感情をスポーツ大会で測る(悪く言えば請う)というのは、田畑の考えたスポーツと国際問題の別離とは言えないものである。オリンピックや競技大会を平和のアピールの場にしようという発想の起点からして、論理的には国威発揚や代理戦争と性格を同じくするものである。>

 まっとうな見解だと思う。NHKの番組サイトに紹介されている田畑の言葉は、国威発揚のために五輪を利用しようという点で、終始一貫している。

 東京五輪における最終聖火ランナーは早大陸上部の選手、坂井義則だった。五輪代表になれなかった一陸上選手が、大会を象徴する最終走者に選ばれた理由には、彼が、広島市に原爆が投下された日に、広島県内(山間部の三次市)で生まれたことが大きく影響している。
(「最終聖火ランナーは原爆の落とされた広島出身の人にやってもらいたい」という田畑の言葉も残っている)

 要するに、東京五輪の聖火リレーは、コース選定から最終走者まで、全体が政治的アピールの場として設計された示威活動だった、と言うことができる。
 “平和の祭典を開催することで、平和を愛する平和国家に生まれ変わったことを世界に知らせたい”というのは、あくまで日本の主観的な目的であって、相手がそのように受け取ってくれたかどうかは、また別の話だ。

 上記のNHK番組サイトの中に、戦後の五輪誘致に際して田畑と岸信介の間にあったやりとりが紹介されている。
<「平和を願ったオリンピックを開催すればアジアの国々も日本は変わったと感じてくれる」「戦争を起こした日本が、都合よく世界平和などといってオリンピックを開催できるような立場ではない」>
 「日本」を「中国」に入れ替えれてみれば、私の心情は岸に近い。同じように感じる人も多いのではないだろうか。


 オリンピック大会における聖火リレーは、ヒトラー政権下のドイツで開催された1936年のベルリン大会に始まる。以後、採火したギリシャから開催国までは何らかの交通機関を利用しつつ運ばれ、国内では走者によってリレーされるのが通例だった。上述の東京大会も、その原則から大きく外れてはいない。
 聖火リレーが世界各地を巡ったのは、2004年のアテネ大会が初めてで、過去の五輪開催都市を中心にリレーが行われた。

 1896年の第1回以来、ほぼ1世紀ぶりに発祥の地で開催される記念大会のために特別に行われた行事を、北京五輪で踏襲する理由が、IOCの側にあるとは考えにくい。北京側の強い意思によるものだろうし*、それが今、こうして墓穴を掘っている。
 そう嗤ってしまうのはたやすいのだが、こと聖火リレーについていえば、我々がやってきたことも、今の中国とそう大きな違いはない。


 上の方に引用した東京オリンピックの聖火リレーのルートをよく見てもらうとわかるが、東京への聖火は中国を通ってはいない。
 中国が拒否したとか日本が遠慮または警戒した、というわけではない。
 中華人民共和国が成立し、中華民国政府が台湾島に移った後もIOCが中華民国の加盟を認めていたことを不服として、1958年に中国はIOCを脱退した。復帰するのは1979年。そのため、東京五輪に中国は参加していない。不参加国を通る必要もないから、聖火リレーのコースに中国を加えるという選択肢は、最初から存在しなかったと思われる。

 もし東京オリンピックに中国が参加していたら、聖火リレーは中国を通っただろうか。その時、聖火は無事に中国を通過することができただろうか。
 長野での聖火リレーのテレビ中継を見ながら、そんなことも考えた。


*
スポンサーの意向が影響した、という報道もある。
http://office.kyodo.co.jp/sports/olympics/beijing/47news/034746.html

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コメント

 聖火リレーの一連の騒動を通じて、私自身は「中国という国の大変さ」をしみじみと感じておりました。
 中国にとっての五輪とは、日本(や韓国)にとっての五輪がそうであったように、「途上国からの卒業式」(=先進国入りの切符)であるわけなのですが、日本や韓国と違って中国が大変なのは、中国は発展途上国でありながら「既に大国である」ためだと思います。
 ご指摘のように、日本の聖火リレーも明確な政治的意図があってのものでした。ただ、その政治的意図は敗戦国日本が、自らの「無害さ」(=平和国家であるということ)を戦争の被害者であったアジア諸国にアピールするというものであり、それは概ね達成されたのだと思います。「複雑な思いで聖火を見送る人」は確かにいたに違いありませんが、当時の日本は間違いなく軍事力を持たない「小国」でしたから、「平和国家ニッポン」という「政治的メッセージ」に対して表だった反発はなかったのです。
 ところが中国の場合、既に大国であり、しかも民主化していない大国というものなので、自らの「無害さ」をアピールしようとする「聖火リレーという政治イベント」の虚構性が際立ってしまいました。チベット問題が出なくとも、違うモメゴトが噴出したことでしょう。大国であることの大変さです。
 これくらいのモメゴトで済んでよかった、というところなのでしょうが、聖火リレーか終わったと思ったら四川の大地震です。いやはや、中国という国を運営する「大変さ」というのは、日本の比ではありません。
 それでも五輪はやるんでしょうし、それが平気でできてしまうあの国の政治の体制は決して好きではありませんが。

投稿: 馬場 | 2008/05/16 09:30

オリンピックは北京の後、バンクーバー(カナダ)、ロンドン(イギリス)、ソチ(ロシア)と続きます。カナダ以外は今現在紛争を抱えた国ばかり。北京がダメだというのなら、オリンピックは当分ボロボロでしょう。

北京ボイコットを言っている人たちの中で、アメリカと共にイラク戦争を主導したイギリスでのオリンピックに違和感を持っている人がどの程度居るかかなり疑問ですね。
たぶん、全く持っていない人が大半ではないでしょうかね。イラクでは非戦闘員の死者が少なくとも10万人ともいわれますが、アラブ人は(あるいはイスラム教徒は)殺しても構わないとでも思っているのか、イギリスは自分らの身内だから構わないのか。

イギリスに限らず、アメリカの都市の立候補にも少なくとも先進国のメディアはまったく批判的では無いようですし、要は身内のすることは大目に見るということのような気がします。

ロンドンもソチも紛争が起こってから選ばれているわけで、IOCはそんなもの気にしないということでしょう。開催地決定は数の多い途上国、特にアフリカ辺りの影響力が大きいらしいということですが、そうだとすると人類の大半はオリンピック開催国が深刻な紛争を抱えているかどうかなんて気にしていないのでしょう。

私たちはチベット問題にせよ何にせよ、欧米や日本などの先進国のメディアしか見てませんし、それが全てだと思っていますが、たぶん本当の国際世論(人類全体の世論)は全然違っているのでしよう。分離主義問題を抱えていない国の方がむしろ少数派でしょうし。

それにしても、聖火リレーに対するアレは、反捕鯨運動のソレとそっくりですねえ。反捕鯨団体は、南氷洋まで船を送り込むカネはあっても、日本国内での広報活動はほとんどしていません。日本は一応民主主義国家なので、世論の支持が無くなれば捕鯨など出来なくなるはずなのですが、日本大使館の前に鯨の死体を放り出す、捕鯨船に薬品入りの瓶を投げつける、といった日本人の感情を逆撫でする活動に終始しています。(とうとう、私物の郵便物の開封までやらかしました。盗聴ぐらいなら平気でしそうですよ、彼ら)
お陰で、鯨なんか食べないけど、反捕鯨団体は死ぬほど嫌いという日本人を多数生み出すことに成功しました。

聖火リレーへのアレも見事に同じ結果をもたらしました。これで普通の中国人の人権団体に対するイメージは日本人の反捕鯨団体に対するものを数段悪化させたイメージで定着することでしょう。

国境無き記者団のリーダーさんは、実に有能な大衆扇動家ですなあ。十字軍運動の始まりは、たぶんこんな感じだったのでしょうねえ。

投稿: 竹理 | 2008/05/17 22:01

>馬場さん
>自らの「無害さ」をアピールしようとする「聖火リレーという政治イベント」

うーん、たぶん中国は「無害さ」をアピールしようとは思ってないんじゃないでしょうか。

>それでも五輪はやるんでしょうし、それが平気でできてしまうあの国の政治の体制は決して好きではありませんが。

「それでも」の「それ」のかなりの部分が今回の震災を指しているものと思われますが、仮に昭和39年の春ごろに関西あたりで大震災があったとして、東京オリンピックは返上されたでしょうか。私は、きっとしなかっただろうと思います。すべて仮定の話ではありますが。

ちなみにサッカーのワールドカップでは、1962年チリ大会、1986年メキシコ大会など直前に大地震に見舞われたけれど予定通り決行したというケースがあります。「地震を乗り越えて頑張る」みたいな心性は、どこの国にもあるんじゃないかと思います。


>竹理さん
>イギリスに限らず、アメリカの都市の立候補にも少なくとも先進国のメディアはまったく批判的では無いようですし、要は身内のすることは大目に見るということのような気がします。

そういう印象は私も感じます。2002年ソルトレーク五輪の「アメリカばんざい」ぶりは目に余るものがあったと私は感じましたが、表立って批判した論評はほとんど見かけませんでした。
今回の聖火リレーをめぐる一連のトラブルは、中国自身の問題と、中国への視線の特殊性と、それぞれが相まってのもののように感じます。


>国境無き記者団のリーダーさんは、実に有能な大衆扇動家ですなあ。

報道の自由を守る運動体の名のもとで行う活動としては、違和感を覚えますね。

投稿: 念仏の鉄 | 2008/05/18 11:11

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