カルラス・サンタカナ・イ・トーラス『バルサ、バルサ、バルサ!』彩流社
FCバルセロナの本拠地カンプ・ノウ・スタジアムのバックスタンドには、MES QUE UN CLUBというカタルーニャ語の文言がくっきりと記されている(正しくはMESのEの上に’がつく)。
英語でいえばMORE THAN A CLUB。「単なるクラブ以上のもの」という意味だという。
これはこのクラブの標語のようなもので、FCバルセロナ周辺のいろんなところで目に付く(たとえば公式サイトのクラブ名の下にも記されている)。
「単なるクラブ以上のもの」とはどういう意味か。なぜFCバルセロナは「単なるクラブ以上のもの」なのか。
そんな疑問に回答を与えてくれるのが本書だ。
日本語版の副題が「スペイン現代史とフットボール 1968〜78」。原題は、直訳すると「バルサとフランコ体制 カタルーニャにとって決定的だった数年間の年代記(1968〜1978)」という意味になるという(訳者の山道佳子が、なぜこういう邦題をつけたのかはよくわからない)。そのへんからもわかるように、これはスポーツライティングというよりは歴史書だ。
スペインにおいて、バルセロナを州都とするカタルーニャ州は、独自の歴史と文化、言語を持つ地域で、今も独立を志向する動きがある。FCバルセロナは、そんなカタルーニャの地域性を代表するサッカークラブでもある。
バルセロナ大学地理歴史学部教授で現代史が専門の著者は、クラブにまつわる豊富な史料と当事者たちへのインタビューに基づいて、FCバルセロナがいかにしてカタルーニャの地域性を代表するに至ったかを描き出す。
20世紀初頭の内戦の後、フランコが独裁体制を築くと、スペインはマドリードを首都として中央集権化した。フランコが率いた反乱軍にとっての敵対勢力、共和国側の拠点だったのがバルセロナだった。そのためか、フランコ独裁体制が確立すると、カタルーニャは政府から強く危険視され、当初はカタルーニャ語を用いることも、自治を要求することも禁じされていた。
そんな状況下で、カタルーニャの人々が公然とカタルーニャへの愛国心を発露することのできた数少ない(もしかすると唯一の)場が、FCバルセロナのホームスタジアムだった。FCバルセロナの会長ジュアン・ラポルタは日本語版への序文に、フランコの独裁体制下について、こう書いている。
<民主主義やカタルーニャ主義といった価値にとって、私たちのクラブが数少ない避難所のひとつとなった時代>
とはいうものの、スポーツやサッカーの世界が政治から自由だったかといえば、そんなことはない。内戦以前はプライベートな活動だったスポーツは、フランコ独裁体制下では、独裁政党ファランヘの「国民スポーツ局」によって管理されることになる*。国民スポーツ局は各競技連盟の会長と副会長の任免権を握り、会長は地方連盟の会長・副会長を指名するという中央集権体勢がスポーツ界にもできあがった。
そして、その体制の下では、FCバルセロナは何かにつけて連盟から苛められ、タイトルがかかった重要な試合では必ず審判がバルサに不利な判定を下し、外国人の獲得などのクラブ運営においても不利な裁定を下されることが多かった、とバルセロナの人々は考えている。逆に、常に優遇されたのが首都のクラブ、レアル・マドリードだ。この本を読むと大抵の人はレアルが嫌いになるだろう(笑)。
(もっとも、英国人フィル・ボールがスペインサッカー事情について書いた『バルサとレアル』では、それらはあくまでカタルーニャ人の主観的な見解とされている)
だから、ラポルタがいう<避難所>は、決して安全かつ安泰な場であったわけではない。バルサが<避難所>たりうるために、歴代会長や役員たちは絶えず戦わなければならなかった。本書は、彼らがいかにしてクラブのカタルーニャ性を拡張してきたか、いかにして政府や連盟の抑圧と戦ってきたかを、過去の新聞雑誌や関係者たちの書簡、そして直接の証言などをもとに明らかにしていく。
ピッチの上でのプレーについてはほとんど記されていないけれど、唯一ヨハン・クライフだけはクラブ史上の重要人物として登場する。
それまでスペインリーグでは外国人選手は中南米のスペイン移民の子孫に限って許されていたが、実際には抜け道はいくらでもあったらしい。しかし、他クラブと同じように書類をでっちあげて移民の子を装わせた選手の獲得を却下されたことから、バルサはスペインフットボール連盟に国籍制限の撤廃を働き掛けて、ついに実現させた。
そんな経緯があるだけに、意地でも世界一の選手を、と狙ったのがクライフである。1973年のシーズン途中に加入したクライフはすぐに大活躍し、クラブを13年ぶりの優勝に導いて、FCバルセロナの名を世界に轟かせた。まもなく生まれた長男につけた名前JORDI(ジョルディ)はカタルーニャ人にとても多い名でもある。クライフが今なおバルセロナで特別な存在であるというのも、わかる気がする。
75年にはフランコがこの世を去り、スペインでは王制復活と民主化が進んでいく。カタルーニャは自治を取り戻す。以来30年、FCバルセロナは今も「単なるクラブ以上の存在」としてそこにある。今では、ユニセフへの支援と結びつき、貧困に立ち向かうクラブ、という意味合いも帯びているようだ。
以上をお読みいただければわかるように、これは「スポーツに政治を持ち込んだ」クラブの歴史である。スポーツに政治を持ち込むのが悪なのであれば**、FCバルセロナは厳しく非難されるべきだろう。事実、独裁政権下でのバルサは、そのような批判を何度も受けている。そのような事実をどう捉えればよいのだろう。
著者のサンタカナは「はじめに」の中で次のように書いている。
<スポーツの世界には、政治とスポーツは混同すべきではないと力説する指導者たちが多くいることを私は知っている。(中略)多くの場合そこには、民主体制の到来のために指一本さえも動かさなかった人たちの名前が連なる>
<スポーツへの政治の介入に反対する人たちは、実際のところある特定の「政治」に反対しているのであって、あらゆる政治、たとえば自分たちの「政治」はそれには含まれないのだ。>(P.9)
本書の日本語版の刊行は2007年6月、原著は2005年にカタルーニャ語で出版されているから、著者がこれを書いた時には、2008年春に北京五輪の聖火リレーが走る先々で起こった出来事など知る由もない。
けれども、このサンタカナの言葉は(とりわけ後半は)、「政治をスポーツに持ち込むべきではない」と言い続ける中国政府に対して、そのままあてはめることができる。
本書を読めば、たいていの人が「バルサ万歳! カタルーニャ万歳!」と叫びたくなると思うけれど(私も多少なっている)、冷静に考えれば、スポーツクラブがこのようにエスニシティや愛国心と直結することを全面肯定してよいものかどうか、というためらいが私にはある。権力者がスポーツに政治を持ち込むのはダメだが反権力ならいい、というほど単純な整理もしづらい。例えば、木村元彦が描いてきたユーゴスラビア・サッカーにおけるクラブ愛と愛国心との結びつきのうち、どれが権力でどれが反権力か、などという判別ができるだろうか。
ただ、たぶんこういうことは言えるのではないかと思う。
フランコ政権のようにスポーツを政治の道具として利用しようとした者は、しばしばそこから強烈なしっぺ返しを食らう***。
スポーツが帯びている政治性は、小賢しい知恵で利用できるほど生やさしいものではないのかも知れない。
*
1992年のバルセロナ五輪の際にIOC会長だったファン・アントニオ・サマランチ(本書によると正しくは「サマランク」だそうだ)は、この国民スポーツ局長を務めていた。バルセロナ出身のカタルーニャ人ではあったが、中央政府内での自身の立場を守るためにカタルーニャには冷淡に振る舞った人物、という印象を本書からは受ける。
**
「わたし個人の中にはスポーツに政治が介入することに対する強烈なアレルギーがあった」と書いたスポーツライターがいるが、彼は一時期バルセロナに住んでいたはずだ。FCバルセロナが備えているこれほど強烈な政治性については何とも思わなかったのだろうか。不思議だ。
***
中国政府も以前、サッカーのチベット代表チームがデンマークで試合を行うことを阻止しようとして、かえってデンマーク全土に試合の開催を宣伝してしまったことがある。詳しくはこちら。今回の聖火リレーの経緯を見ると、彼らはデンマークでの出来事から何も学んではいないようだ。
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コメント
スポーツが「政治」の抑圧を逃れてスポーツ本来の楽しさを保持するために、スポーツ自身がすぐれて「政治的」ならざるを得ない場合がある、ということですよね。
ユーゴ内戦のさなかユーゴスラビアのナショナル・チームを率いるという経験を持つオシムさんの言葉が「深い」のは、彼がすぐれて「政治的人間」であるからだと思います。彼は「スポーツを守る」ために「言葉」という武器を磨きに磨かざるを得なかった、最良の意味での「政治的人間」だと思います。
私も、「スポーツに政治を持ち込むな」という主張はナイーブにすぎると思います。特に、「政治的意図」見え見えの中国政府にそれを言われたくはない(笑)。
スポーツと政治が無縁ではあり得ないとすれば、問題となるのはその「立ち位置」です。スポーツを守るために政治をするのか、政治(国家的威信その他)のためにスポーツを利用するのか。オシムさんは明らかに前者であり、それゆえ我ら「見物人」にとっても尊敬に値する。中国政府は明らかに後者であり、見物人にとっては軽蔑の対象でしかない。
>彼らはデンマークでの出来事から何も学んではいないようだ。
中国は「スポーツとのつきあい方」がすごく下手ですよね。それは、ステーツアマの存在に示されるように社会主義国というものが「スポーツが政治に従属する」ということを当然の前提としてきたところにあると思います。彼らには、スポーツは政治とは独立して価値があるのだ、という「外の世界」では普通な価値観について、まだピンと来ていません。単なる官僚主義的無能というより、イデオロギー政権の本質的限界であるようにも思えます。
ということは、北京オリンピックは中国にとって「苦々しい」結果になる可能性も大いにありますね。少なくともチベット人は「チベット問題」を世界中に発信することに成功したわけで、すでに中国政府にとっては十二分に「苦々しい」ことになっています。
投稿: 馬場 | 2008/04/24 18:07
>馬場さん
>スポーツを守るために政治をするのか、政治(国家的威信その他)のためにスポーツを利用するのか。
後者をNGと言い切ってしまうと、FCバルセロナも唾棄すべきクラブということになります(笑)。この本は、政治のためにスポーツを利用した人々の記録ですから。
それが、スポーツと政治との関係の、一筋縄ではいかないところだと私は思います。
>中国は「スポーツとのつきあい方」がすごく下手ですよね。それは、ステーツアマの存在に示されるように社会主義国というものが「スポーツが政治に従属する」ということを当然の前提としてきたところにあると思います。
そう言ってしまえば話は簡単なのですが(そして、そういう面もあるとは思いますが)、例えば円谷幸吉氏がいかにして命を絶ったかを思い起こすと、「社会主義国だから」と他人事として割り切る気にはなれません。
そもそも、スポーツと政治を無関係な別のものと考えてよいものかどうかというのが気になっています。広義の「政治」を、人を集めて動かす力学と捉えるなら、観客を含めたスポーツも政治性を帯びた営みです。根っ子の原初的なところで、両者は出発点をともにしているのではないでしょうか。
投稿: 念仏の鉄 | 2008/04/25 09:20
なるほど。
スポーツは起源がもともと「祝祭」(まつりごと)ですから、スポーツから政治性をなくすことは無理なんだと思います。
そしてよく考えてみれば、「政治イコール悪」「スポーツイコール善」なんて単純に二つに分けられるはずがない。
政治にしたって「良い政治」と「悪い政治」がアプリオリにあるわけでもない。
「私が賛成できる政治的立場」と「私は賛成できない政治的立場」があるだけです。
そういう整理で見直してみれば、「ファシスト政権に対抗してカタルーニャ自治を守る砦」あったFCバルセロナについては、わたし的には「断固支持!」でありますし、「チベット人民を弾圧しながら国威発揚のために『平和の祭典』を強行する中国政府」の北京五輪はどうもいけ好かない。
ということで「スポーツに政治を持ち込むな」という「政治的意見」には、今後とも十分に警戒するようにいたします(笑)。
投稿: 馬場 | 2008/04/27 09:47
>馬場さん
>ということで「スポーツに政治を持ち込むな」という「政治的意見」には、今後とも十分に警戒するようにいたします(笑)。
「スポーツに政治を持ち込むな」と言った瞬間に言った本人の立ち位置が問われることになるのは、一政府も一見物人も変わらないのだと思います。
投稿: 念仏の鉄 | 2008/04/28 08:38