彼我の差を埋めるもの。
EURO2008の決勝戦が行われる直前の週末。中断していたJリーグが再開した。
6/29日曜の夜に東京MX-TVで放映されたFC東京とジェフ千葉の試合を見た(風邪ひいて伏せっていたので味スタには行けず)。
3週間にわたってオランダの派手なカウンターやスペインの超絶的なパスワークに馴らされてきた目には、我が東京の選手たちのプレーは物足りなく映る(もちろんジェフも)。パスはスピードも精度も劣り、ミスも目立つ。雨が強かったから、と言いたいところだが、EURO上位国の選手たちは、大雨の中でも自在にボールを操っていた。
だからといって、今週あたりいろんな職場や学校で口にされたり、ネット上にも転がっていそうな、「EUROを見ちゃうとJリーグなんて見てられないよ」などという言説に同意する気はさらさらない。
自分の子供が属する少年野球チームの試合を、「MLBよりレベルが低いから」という理由で見ようとしない親がいるだろうか。私は子供を持ったことがないから想像で書いてるだけだが、贔屓のクラブ、自国の代表というのは、子供とまでは言わなくとも身内のようなもので、どんなに出来が悪くても関心を失うことはできない。
(もっとも逆に、EUROには日本が出てないから気楽に楽しめる、という面はある。ワールドカップもかつてはそういう大会だった)
とはいうものの、いうまでもなく彼我の差は大きい。
あのパスが、あのボールコントロールが、あのシュートが、あの突破が、あのオーバーラップが、あのインターセプトが、我が日本代表の選手たちにできるだろうか、と思う局面が数えきれないほどあった。一瞬のチャンスを冷徹に決め、厳しい局面を凌ぎ抜くタフな精神力を、彼らが持ち合わせているだろうか、とも。日本はスペインのサッカーを目指すべきだよ、と思った端から、あれは中盤の4人の超絶的テクニックやフェルナンド・トーレスのスピードやマルコス・セナのボール奪取があるから成り立つんだろ、という内なる声が追いかけてくる。
監督がどうの戦術がどうのと言っても、いちばん大きいのは選手の力、というのがたぶん身も蓋もない真実なのだろう。一対一でことごとく競り負けるような力量差があれば、戦術でどうにかするといっても限度はある。監督の能力が勝負を分けるのは、あくまで選手の力量がある程度拮抗している場合。それ以上の差を埋めることのできる指導者も、いるかもしれないが、世界中探してもそれほど多くはないと思う。
日本代表の6月の連戦の中で、すでにベテランの域にある中沢佑二は、若手が練習で100%を出し切ることをしない、と苦言を呈したと伝えられた。練習で100%の力を出し切らなければ、試合でそれを発揮することなどできない、と。
その伝でいえば、国内リーグもまた同様。普段の試合で100%の力を出しきっていない選手が、国際試合でそれ以上の力を発揮することはない。
EUROで見たようなあのパスを、あのボールコントロールを、あのシュートを、あの突破を、あのオーバーラップを、あのインターセプトを我々の代表選手たちができるようになるためには、まず毎週のJリーグでそれに挑み続けるしかない。
そして、たとえばトルコのようにタフで不屈の精神力を発揮するためには、やはり日常の試合で、何点差があろうと、残り何分になろうと、諦めずにゴールに挑み続けることが大切なのだと思う。Jリーグでそれができない選手が、欧州に移籍したからといってできるようになるものなのだろうか(これまで欧州に行って成長した選手の多くは、Jリーグですごした数年の間にも、着実に成長していたと思う)。
件の試合で、FC東京は開始早々に中盤の重鎮・今野を一発レッドカードで失った。
ここで、例えば2トップの一角を下げて守備的MFを投入する、というやり方もあっただろう。自陣に引いて前半を無失点でしのぐ、という選択肢もあったかもしれない。だが東京は、選手交代をしないままパスを回して攻め続け、前半終了間際に先制点をもぎとった。
後半は攻勢に出たジェフに押され、CB佐原がケガの治療で外に出ているうちに失点。それでも城福浩監督は、佐原を交代させず、3人の交代枠すべてに攻撃的な選手を投入し、最後まで攻め続けた。
結果は1-1の引き分け。勝ち点で首位に並ぶチャンスのあった試合で最下位チームと引き分け、という結果は苦いものだ。
だが、新監督のもと、チームも個人も成長していこうというこのクラブには、こういう戦い方がふさわしい。不利な局面でもリスクを恐れずに前に出る姿勢を貫くことは、長い目で見ればタフなチームを、そしてタフな選手を育てるはずだ。挑んで得ることを知った者だけが、さらに前に進むことができる。贔屓のクラブには、好調の時も不振の時も、そういう姿勢だけは持ち続けてほしい。
それだけでJリーグが欧州に追いつける、とは言わない。だが、そうやって「もっといい自分」への第一歩を踏み出すことからしか、彼我の間にある長い距離を埋める作業は始まらない。
(説教臭いところは、己に言い聞かせている独り言だと思ってください…)
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