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横尾弘一『オリンピック野球日本代表物語』ダイヤモンド社

 ありそうでなかった本だ。あるいは、こういうものがなかったこと自体が野球におけるオリンピックの半端な位置づけを象徴している、というべきか。
 タイトルの通り、野球が五輪の公開競技に採用された1984年ロサンゼルス大会から、正式競技としてひとまず最後となる2008年北京大会の予選に至るまで、野球日本代表がどのようにしてオリンピックに臨んできたかを記している。

 タイトルに「物語」とあるけれど、各大会のスター選手の活躍を描いた“名勝負物語”やNumber的“ヒューマンストーリー”を期待して読めば、いささか物足りなく感じることだろう。著者の記述スタイルはむしろ歴史書に近い。それぞれの五輪大会に向けた日本代表が、歴代の監督の下、どのように発足し、4年の準備期間にいかにして強化を試み、本大会に臨んだかが、粛々と記録されている。
 ロサンゼルスから始まる五輪の各大会ごとに1章があてられているが、本大会だけでなく、チームの発足から4年間に行われた大小の国際大会についてもきちんと記されているので、本書は実質的に、日本のアマチュア野球における国際挑戦史でもある(巻末にはそれらの大会すべての出場選手と勝敗、タイトルが記されている)。


 通読してまず感じるのは、日本代表の勝利という目的のために関係者が一丸となって総力を結集することの難しさだ。
 プロアマ混成の2000年シドニー大会、全員プロ選手で結成された2004年アテネ大会において、現場の指導者や選手たちが直面した困難はむしろ国内の野球界にあったのではないか、ということはこのblogでも何度か指摘してきた。
 が、実はそれはプロの参加を待つまでもなく、日本代表という存在に最初からついて回る宿命だったことが、本書を読むとよくわかる。

 草創期の日本代表に対して、選手を派遣する母体である企業は非常に消極的だった。学生球界との関係も密接とは言えず、日本代表は長い間、ほぼ社会人選手だけで構成されていた。
 ロス五輪では社会人と大学生の混成チームが出場したが、これは予選で敗退した日本がキューバの大会ボイコットで急きょ出場することになり、都市対抗との日程調整ができなかったという事情がある(本書によれば、日本代表の事実上のオーナーだった山本英一郎が、それを奇貨として、参加に消極的だった大学球界を強引に説き伏せて選手を出場させた、という経緯もあったようだ)。

 社会人と学生の温度差は以後も続く。87年、社会人野球の団体である日本野球連盟の体協加盟が認められた際に、学生野球の各団体が出したコメントが紹介されているが、どれも他人事そのものだ。とりわけ日本学生野球協会の広岡知男会長のコメントの冷淡さには、今読むと驚くべきものがある。

<社会人が体協に入るのは、それはそれで結構なこと。学生協会は、設立の経緯から他の組織の下部団体にはなれない。体協に入らなければオリンピックに出さないというなら、こちらとしては出ない。オリンピックにも興行的な要素が出てきたし、変わってきている。大学連盟が、五輪に出たいところは出てもいい、と言っているのは協会との関係からおかしなことだ>

 広岡は旧制中学時代の甲子園に出場し、東大野球部では六大学の首位打者となった経験のある、元朝日新聞社長。このコメントを読むと、野球界全体の流れとは無関係に(そして、昨今の奨学生問題に象徴されるように、教育界とも無関係に)「学生野球」という独自の閉じた世界に至上かつ不可侵の価値を見出す人々が、その信念に基づいて学生野球界を動かしてきたのだということを改めて実感する。
(もっとも、広岡はこの4年後には全日本アマチュア野球連盟会長も兼任し、五輪における野球日本代表を推進する立場になるのだが)


 母体となる諸団体がそんな調子だから、選手たちの意識も揃わない。
 1977年にニカラグアで開催されたインターコンチネンタルカップでは、炭酸飲料をがぶ飲みして体調を崩したり、3位に終わりながら閉会式で記念写真を撮ったりしている選手がいて、監督の松永怜一を激怒させた。
 野球が五輪競技となり、日本代表が相応のステイタスを認められるようになると、別の問題が生じてきた。1992年バルセロナ大会の予選を振り返って、主将を務めた捕手の高見泰範は<バルセロナを目指し、予選はプロセスだと考えている選手と、プロ入りを目指していいプレーをしようとしている選手には、明らかに違いがあった。バッテリーを組んでいても、新谷(博=日本生命、後に西武など/引用者注)との意識の差は感じていました>と話す。
 ロサンゼルス大会から数えて4度目の五輪で、企業や大学の理解も深まり、ドラフト凍結という形でプロからも間接的なバックアップを受けていた1996年アトランタ五輪では、予選リーグ敗退寸前まで追い込まれるが、それも同じ問題がチームに亀裂を生じさせていたからだ、と著者は考えているようだ。

 歴代の監督たちも、意識の統一や一体感の醸成に心を砕いてきた。
 急きょロス五輪を率いることになった松永怜一は、合宿初日の前夜に<敗戦主義者や怠け者、不平不満を漏らす者はいらない。私の言うことが聞けない者は、今すぐ荷物をまとめて帰ってくれ>と選手たちに宣言する。
 1992年バルセロナ五輪を率いた山中正竹は<私は日本代表も自分のチームと思えるような選手を集めようとした><このチームを勝たせるにはどうすればいいか、その中で自分は何をすればいいのかを考えられる選手を見極めようと>と回想する。
 この山中が、最終合宿の最終日に、右肘を痛めていた西山一宇投手をメンバーから外そうとしたが、別の選手を呼ぶことでチームの一体感が崩れるリスクをおそれて思いとどまったというエピソードには、北京五輪代表における上原浩治の処遇の背景を想像させるものがある。

 星野仙一監督が率いる北京五輪の日本代表を見る上で、本書が示唆するところは大きい。メンバーが発表された今、選手たちが集合し、最終合宿を行い、本大会を戦う中で、どのような困難に直面することになるのかを知るためには、この上ない参考書となるはずだ。

 奥付での著者の肩書きは「ベースボール・ジャーナリスト」となっている。社会人野球誌「グランドスラム」を中心に活動しているようだが、私の印象に残っているのは、落合が中日監督に就任したシーズンに密着した『落合戦記』だ。あの落合に信頼されるというだけで一目置かざるを得ないという気になる。著書自体はけれん味のない実直な文章という印象を持っている。本書もまた、そのように記された労作だ。

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コメント

これは面白そうな本ですね。早速買って読もうと思います。

唯一の金メダル監督といえば松永怜一氏ですが、
彼の回想録もなかなか味わい深い内容でした。
http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?isbn_cd=9784583100616

もしお読みだったら全くの蛇足ですが、
念仏の鉄さんなら得るもののある内容だと思います。
野球界の体質に対して野球人がここまで辛辣に書いているものを他に知りません。

投稿: 党首 | 2008/07/23 16:45

>党首さん

「野球現場主義」ですね。春ごろに読みました。
書評を書きそびれていたので、このエントリで一緒に紹介しようかと思いましたが、長くなりそうなのでやめました(すでに十分長いですし)。
本書のロサンゼルス五輪の章は、この本をかなり参考にしていると思われます(もちろん松永氏にも取材しているようですが)。


>野球界の体質に対して野球人がここまで辛辣に書いているものを他に知りません。

まったく同感です。
オリンピックや日本代表に関わった社会人の指導者には、かなり鋭い問題意識を持った方がいますね。体制面での矛盾を現場に押しつけられ、すべてを飲み込んで解決に挑まなければならなかった人たちは、いろんなことを考えずにはいられなかったのだと思います。

投稿: 念仏の鉄 | 2008/07/23 17:12

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