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2008年8月

『ダークナイト』

注意:TBいただいた「ひねくれ者と呼んでくれ」のさわやか革命さんから「ネタバレモード」とのご指摘がありました。具体的なことは伏せたつもりでしたが、象徴的な部分では結論を割ってしまっているかも知れません。これからこの映画を観ようという人はご留意を。ここで読むのをやめる方には、「抜群に面白いです。でも重苦しいです。辛いです」とだけ言っておきます。

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 クリストファー・ノーラン監督が最初にバットマンを手がけた『バットマン ビギンズ』は気に入った映画だったので、彼が再びクリスチャン・ベールを主演に据えた本作も当然のように映画館に足を運んだ。
 ブルース・ウェイン(ベール)を支えるウェイン家の執事アルフレッドにマイケル・ケイン、ウェインの会社経営を任される技術者フォックスにモーガン・フリーマン、バットマンと暗黙の共闘関係を結んだゴッサムシティの警官ゴードンにゲイリー・オールドマンという盤石の布陣も前作と同じ。ウェインが愛する幼なじみのレイチェルはマギー・ギレンホールに変わっている。

 だが、この映画でもっとも印象的な登場人物は、ヒース・レジャーが演じる悪役ジョーカーだ。多くの観客がそう感じることだろう。

 ジョーカーは「悪」を体現した人物だ。
 彼はどこにでも現れる。銀行でマフィアの預金を奪い、そのマフィアの本部に乗り込んで自分を殺したほど憎んでいるボスたちと取引し、警察に捕らえられても結局は高笑いしながら出て行く。彼は行く先々で人を苛み、欺き、そして殺す。
 彼の行動に動機はない。唇の両端が裂けて吊り上がった顔について、自分がいたぶっている相手に「俺の顔がなぜこうなったか教えてやろう」と少年期や父親とのエピソードを楽しげに語って聞かせるのだが、語るたびに内容が変わる。だから彼の言葉は信用できないし、虐待に遭ったトラウマだとか社会への恨みだとか、そんな言葉で彼の行動を説明することはできない。銀行を襲って金を奪っておきながら、富に執着するそぶりも見せない。
 彼を動かしているのは、純粋な悪の衝動なのだ。人を傷つけ、苦しめて殺す、その快楽に溺れるように、彼は次々と罪を重ねていく。
 現実には、後先考えず犯罪に溺れるような人物は、大抵はどこかで自滅するものだが、不思議なことに、誰も彼を捕らえることはできないし、傷つけることもできない。その万能ぶりは、まさに“ジョーカー”そのものだ。

 そんな人物が唯一こだわりを見せるのが、バットマンという存在だ。
 バットマンは(本人と周辺のごく少数の人々、そして映画の観客を除いた世の中の人々にとっては)正体不明の人物だ。奇怪なコスチュームに身を包み、独特の武器を操り、町のあらゆる場所に現れて、暴力をふるう。
 結果として、悪を懲らしめて警察に引き渡す、という行動をとってはいるが、彼が他者に対して暴力をふるう権利は、しかるべき機関や手続きによってオーソライズされたものではない(他人の紛争に介入するので、正当防衛というわけでもない)。「正義の味方」として振る舞ってはいるけれど、法治国家や民主主義社会において、実は彼の行動は犯罪以外の何物でもない。

 ジョーカーは、そのようなバットマンの本質を見抜いている。にもかかわらずバットマンが民衆の英雄として扱われていることが不快で仕方がない。そこで、ジョーカーはさまざまな方法でバットマンに挑戦する。
 「バットマンが正体を現さなければ1人づつ市民を殺す」と脅し、かつ実行する(ジョーカーは殺人を少しもためらわない人物だ。それは冒頭の銀行強盗シーンで強烈に印象づけられる)。レイチェルと、その現在の恋人である地方検事デント(アーロン・エッカート)を誘拐し、それぞれを別の場所に監禁して時限爆弾を仕掛け、「どちらか片方を救えば他方が死ぬ。決めるのはお前だ」とバットマンに迫る。しまいには、危険の迫る町から脱出を図った船2隻に悪夢のような“囚人のジレンマ”を仕掛ける。

 お気づきの通り、ジョーカーはバットマンに直接的に暴力をふるったり、殺害を企てたりはしない。ただバットマンの内面を執拗に攻撃する。物理的に傷つけられ、殺されるのは、もっぱら彼の周囲の人々であり、あるいはブルース・ウェインとは直接的に関係をもたない市民だ。
 そうすることによって、あるいはそう予告することによって、ジョーカーはバットマンを窮地に陥れる。市民はバットマンを憎み、仮面をはぎとることを望みはじめる。
 どちらを選んでも救いのない難問を、バットマンは次々に突き付けられて苦悩する。
 2時間半を超える長い上映時間は、めまぐるしいサスペンスとアクションで息つく暇なく埋め尽くされるけれども、そこに爽快感はない。バットマン=ウェインは常に不条理な罠を仕掛けられ、悩み続ける。観客にとっても重苦しい時間が続く。

 バットマンがこの苦しみを脱し、ゴッサムシティに平穏を取り戻すための、もっともシンプルで、簡単に実行できる解決方法がひとつある。
 ジョーカーを殺すことだ。
 ジョーカーは組織を持たず、常に自身が行動する(手下を伴うこともあるが、金で雇ったその場限りの関係であることが多いようだ)。一対一の格闘になれば、ジョーカーはそれなりに手強いけれど、おそらくはバットマンの方が強い。ジョーカーの居場所を突き止め直接対峙しさえすれば、ジョーカーを殺すことはバットマンにとってさほど難しくない。
 だが、バットマンは人を殺さない。ジョーカーに対してだけではなく、バットマンとして活動する際、彼は基本的に人を殺さない。あくまで悪行を阻み、相手の自由を奪って警察に処分を委ねるところまでにとどめている。それがバットマンの正義であり、信念なのだろう。現代の正義とは、実に不自由なものなのだ。

 つまり、ジョーカーが挑戦しているのは、バットマンの信念なのだ。バットマンの心を折り、その姿を市民に見せつけることこそ、ジョーカーの望むところなのだろう。あるいは、バットマンの中から邪悪な側面を引き出すのでもよい。
 コインの裏表のように似通ったところもある2人だが、ジョーカーが完全にオールマイティな存在であるのに対し、バットマンは「正義」「不殺生」という信念で己の手を縛っている。ジョーカーに守るべきものは何もない。バットマンはたった1人で(警察と協力してはいるが)市と市民を守るという誇大妄想に近い目標を常に抱いている。
 だから、ジョーカーはいつでもどこからでも攻撃可能で、バットマンは常に後手に回らざるを得ない。個人的な弱点を執拗に攻撃され、受忍の限度を超えたバットマンは、怒りのあまりジョーカーを殺したい衝動に支配されそうにもなる。そうなればなったで、ジョーカーにとってはある種の勝利でもある。

 耐えに耐え続けるバットマンは、まるで神が与えたもうた試練によって信仰を試される宗教者のようだ。これはある意味で、「正義」を教義とする宗教映画のようなものである(だから、厳しい試練に屈してダークサイドに墜ちてしまう登場人物も描かれる)。

 重苦しい緊張感に支配され続けるこの映画は、結末もまた苦いものになる。第3作に含みを残すラストとなったが、それが作られることになったとしても、やはり苦いものにならざるを得ない。町に平和が訪れ、後を託せる人物が現れたら、バットマンを卒業して一市民に戻りたい、というウェインの願いは、当分かなえられそうにない。

 映画の中でわずかに示される希望の光は、思わぬところから差してくる。乗客を満載した2隻の船が、いかにして“囚人のジレンマ”を脱するか。その過程は、この戦いの本質が、実はバットマンとジョーカーという2人の個人の間のものではないのだ、ということを静かに語っている。
 『ダークナイト』の中で描かれる「正義」と「悪」は、すぐれて現代的な「正義」であり、現代的な「悪」だ。21世紀にふさわしい寓話ともいえる傑作となった。

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禁句。

 どんな立場の人間にも「言ってはいけない一言」というものがある。
 野球日本代表監督にとっては、たとえば次の言葉がそれにあたる。

最初のゲームでバッターにしてもピッチャーにしても、なんかこわごわピッチング、バッティングしていたね。ストライクゾーンがまったくほかの世界でやっているような感じだった。それで戸惑った感じだった

 この大会におけるストライクゾーンが曖昧だったのは確かだ。決勝戦では、1点差の9回裏一死満塁という局面で、四球の判定に不満を示した韓国の捕手が即座に退場になるという異常事態が起こった。苦しんだのは日本だけではない。

 五輪の野球は、<まったくほかの世界でやっているような感じ>ではない。<ほかの世界でやっている>のだ。
 日本には日本の野球があるが、キューバにはキューバが、プエルトリコにはプエルトリコの野球があり、欧州には欧州の野球がある。それぞれが入り混じり、日によって入れ替わりながら現れるのが国際大会というもので、それは今大会に限ったことではないはずだ。

 野球の日本代表が国際大会に初めて参加したのは1972年の世界選手権(現在はワールドカップと名称を変えている大会)で、その時からすでに現場の指導者や選手は同じ問題に直面している。以来、野球日本代表は、その問題に取り組み続け、野球がオリンピック競技となってからは、ずっとメダルという結果を出してきた。
 ひとつ前のエントリに即して言えば、「4年間、キューバを倒すことだけを考え続けてきた」という指導者や選手が、90年代の日本にはいたはずだ。

 その後、大会規定が変更されてプロの参加が認められ、もはやアマチュアだけでは勝てない、と助っ人のようにプロ野球選手を加えた混成チームで臨んだのが2000年のシドニー五輪(正確には前年の予選から)。それでも優勝できないと見るや、次のアテネ五輪からは指導者・選手ともオールプロに切り替えた。

 逆に言えば、野球界は、4年間キューバを倒すことだけを考えていたようなアマチュアの指導者や選手たちから、最大の目標、最高の舞台を取り上げてしまったのだ。
 シドニー五輪でプロの参加が決まった時、私は、これで日本の社会人野球は衰退に向かうだろう、と予測した。
実際、有力な企業野球部の廃部は相次いでいる(正確に言えば、当時すでにバブル崩壊の影響などで縮小傾向があったが、五輪のプロ化はその傾向に拍車をかけたということだろう)。

 くどくどと歴史を繰り返してしまったが、要するに、日本にも<ほかの世界>を研究し、挑み続けてきた歴史がある。
 星野の言葉は、そんな歴史や先人に対する敬意をあまりにも欠いている。

 現場が望んだわけではないにせよ、アテネ以来の五輪日本代表は、「アマチュア野球界から最高の舞台を奪った」という十字架を背負っている。だから、この日本代表は、ファンや国民に対してはともかく、アマチュア野球界に対しては、金メダルを持ち帰るという責務を負っている、ともいえる。
 社会人野球時代に代表経験を持つ宮本慎也はそれをよく知っており、だからこそ彼はあれほどまでに強い責任感をもって五輪に取り組んできたのだろうと思う。たとえば現在日本生命の監督を務めている杉浦正則(同志社大の先輩でもある)のような人々に対して、「金メダルをとらなければ申し訳ない」という気持ちが、彼を動かしてきたはずだ。

 かつてアマチュア時代の五輪で日本代表を率いた人々、日本代表として戦った人々は、星野の言葉をなんと聞いただろうか。
 星野監督は北京五輪の本大会を終えてから、<我々にはもっともっとパワーが必要。パワーで押さえ込むことが備わらなければ国際試合には勝てないんじゃないか>という結論にようやく至ったらしい。今はプロ野球界の一員となっている山中正竹バルセロナ五輪監督は、この言葉をどう聞いただろうか。ソウル五輪の投手コーチとして、もはや技巧派では国際試合に通用しないと考え、野茂英雄や石井丈裕、渡辺智男ら球威と変化球の決め球にすぐれた投手陣を揃えて決勝に進出した経験を持つ山中なら、そんなことは20年も前から判っている、と思ったのではないだろうか。

 いずれにしても、老人たちのご都合主義で始まった、矛盾に満ちた「プロによる五輪代表」という活動は、今回で終わった。MLBが態度を変えない限り、復活は難しいだろう(五輪がUSAで開催される大会で組織委員会がごり押ししてIOCが折れる、というケースはありそうな気もするが)。
 最後には苦いものだけが残ったが、勝利の甘美さがすべてを覆い隠してしまうのとどちらがよかったかといえば、私には判断がつかない。アテネ五輪の後で、今はロサンゼルスにいる黒田が宮本に話したという、「銅で良かったんですよ。あんな準備で金メダルをとってしまったら、みんな『簡単なんや』と思ってしまう」という言葉が思い出される。


追記:
 2008.8.24付朝日新聞に掲載されたロイター発の記事によれば、IOCのジャック・ロゲ委員長は、野球の3位決定戦を視察した際に、<大リーグ選手が参加しない限り、再び五輪で採用されることはないだろうという考えを示した>という。<テニスにはフェデラーやナダルがおり、サッカーではロナウジーニョがいる><大リーグのチームが丸ごと出てほしいと言っているわけではない。ただ、五輪にはトップ選手がいてほしい>というのがロゲの談話。


追記2(2008.8.25)
野球が公開競技として採用され、初めてメダルを争った1984年ロサンゼルス五輪の代表監督として日本を優勝させた松永怜一さんがサンケイスポーツに今大会についての評論を寄せている。
<悔しいし、残念でもあるが、それ以上に憤りもある。ロサンゼルス大会以降、アマチュアが苦労を重ねて積み上げてきた成果が、最後の最後に崩れてしまったからだ。>
<敗因はいくつもあるだろうが、私はオールプロの彼らが、最後まで「箱庭」から抜け出せなかったからだと思っている。>
<異なる野球文化で知らない相手と戦わねばならない。自分の庭でいかに秀逸な技能を誇っても、それを五輪でも発揮できるかとなると、話は別だ。>

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煮え切らないのは現場のせいだけではない。

 準決勝でまたも韓国に敗退。野球の金メダルの夢は潰えた。
 リードしながらも四球や守備のミスが絡んでの失点。出塁はしても走者をホームに迎えることができず投手を援護できない打線。選手選考や監督の采配に不満がないとは言わないが、別の選手起用、別の監督だったら勝てたのかといえば、確信は持てない。
 グループリーグでキューバ、韓国、USAに敗れての4位。それぞれの勝敗は紙一重でどちらに転ぶかわからないものだったが、結果としてこちらに転びはしなかった。

 ただし、日本代表が実力を余すところなく出し尽くしたかといえば、そうは思えない。上述した通り、敗因の多くをミスが占めている。日本野球の美質とはかなり異なる試合運びだった。
 準決勝以後、2日で3試合という厳しい日程の中で、エース上野が1人で3試合を投げ抜き、決勝ですべてを出し尽くして勝利した女子ソフトボールの日本代表とは、かなりの差があったといってよい。

 同じようなもやもやと落差を、サッカーの男女にも感じる。
 女子サッカーは史上最高の4位という好成績を挙げた。準決勝、3位決定戦ともに惜敗したが、特に3位決定戦では、強豪ドイツに対して終始攻め続け、絶望的な2点目を奪われた後もなお、彼女たちは足を止めることなく抵抗を続けた。試合後のテレビ報道では「チャンスは作ったが決定力不足だった」と評する声が多かったが、彼女たちが放ったシュートの多くはゴールの枠内をとらえていた。試合後の選手たちのインタビューでは、もうこれ以上はできないというくらいの試合をやりきった、という充実感が表情に表れていたように感じた。
 男子に関しては、多くを語る言葉を持たない。何もかもが中途半端だったように思う。

 持てる力を出し切った女子は立派だった。出し切れなかった男子はだらしない。
  たぶん、部分的にでも試合を観戦した人の多くが、そう思っているのではないか。
 結果はともかく、この「出し切れなかった感」については、現場、つまり選手と指導者の責任は大きいと思う。
 ただし、すべてが現場の責任に帰するべきだとは思わない。


 私は北京五輪のさほど熱心な視聴者ではなかった。全試合を集中して見たといえるのは柔道の石井慧くらいだ。とはいえ、競技のダイジェストや試合後のインタビューに答える選手たちの映像を見ていると、結果の善し悪しにかかわらず、各々がこの大会に賭けてきたものの重み、気持ちの強さはひしひしと伝わってくる。
 そして、日々その重みを受け止め続けているうちに、一部の競技の選手たちに違和感を覚えるようになってきた。
 それがつまり、男子サッカーと野球だ。

 オリンピックに出場するほとんどの選手たちにとって、この大会は競技生活における最大の節目だ。多くの選手が「この4年間、このために努力してきた」という意味のことを語る。
 ソフトボールの選手のひとりが「この4年間、アメリカのエースをどう攻略するかだけを考えてきた」と語った記事を読んで、大袈裟にいえば慄然とした。だが、たとえば北島康介は「ハンセンより早くゴール板に触るためには」と考えてきたのだろうし、塚田真希は決勝で当たった中国の選手を倒すために握力を鍛えてきた、と中継のアナウンサーは繰り返し語っていた。ソフトボール選手の言葉は、決して特異なものではないのだろう。

 だが、野球日本代表には、「この4年間、キューバのエースを打ち崩すことだけを考えてきた」選手など、1人もいないに違いない。心中期するものがあった選手もいるだろうが、それを具体的な対策として実行してきた選手がいるとは思えない。昨年の予選を勝ち抜いた経験を持つ選手でさえ、今シーズン開幕後にオリンピックについて聞かれれば「それは代表に選ばれ、合宿が始まってから考えます。今はチームが最優先です」と答えるのが常だった。
 ソフトボールの上野は4年間思い続けてきたが、野球選手たちは4週間にも満たない。
 そして、それ自体は彼らの責任ではない。
 彼らには、ペナントレースとオリンピックの軽重に優先順位をつけることは許されていないといってよい。

 しかし、テレビを見る側は、他の競技と同じような、あるいはそれ以上の期待を彼らにかける。
 今日の野球の準決勝を私は職場のテレビで見ていたが、8回裏に失点を重ねるたびに、同僚が選手や代表チームを口汚く罵った。私とて彼らのプレーぶりには深い失望を味わったが、同僚のように居丈高な態度をとる気にはなれなかった。
 たとえば私が西武ライオンズのファンで、日本シリーズ第6戦あたりでG.G.佐藤が試合を決定づける落球する姿を目の当たりにしたら、スタンドから思い切り罵倒するかもしれない。西武ファンの期待を背負い、怒りを受け止めるのは、プロ野球選手としての彼の義務だ。
 だが、日本代表としてプレーすることの責任をどのように彼が、そして他の選手たちが背負うべきなのか、私はには明確な答えが見つからない。
 それはひとえに、日本のプロ野球におけるオリンピックの位置づけの曖昧さ、世界の野球界におけるオリンピックの位置づけの曖昧さによるものであり、選手の自覚不足などという精神論に収斂できるものではない(もちろん、どんな状況のどんなレベルの試合であれ、8回の佐藤の落球は野球選手としての汚点以外の何物でもないけれど)。

 まったくの感情論として言わせてもらえば、水泳や柔道、レスリング、陸上、ソフトボールなど、この大会のために過去4年間のすべてを捧げてきた選手たちが勝ち取ったメダルと、野球日本代表が得たメダル(今大会では得られない可能性も残念ながらかなりあると言わざるを得ないのだが)が同じ重みであるとは、私には思えない。

 女子ソフトボールでは、表彰式の後、トップ3の各国選手たちが一緒になって、ボールで「2016」の文字を作り、五輪競技への復帰を訴えた。五輪がソフトボールという競技における最高峰の舞台である以上、それは当然の欲求だ。
 だが、野球はどうだ。
 このブログでも何度も書いてきたように、ベースボールの宗主国であるMLBは、五輪に選手を派遣するつもりがない。それはたぶん2016年以降においても変わらないだろう。その方針が変わらない限り、USA、ドミニカ、日本、韓国、台湾、あるいはオーストラリアといった国々は最強チームを編成することができない。
 そんな中途半端な形で五輪に復帰することに、どういう意味があるのだろうか。いっそ、野球が盛んな国で開催される時だけ公開競技として実施する、ということでもいいんじゃないかという気がしてくる。真剣勝負として命(とはいわないまでも選手生命を賭けた戦いを見ることは少なくない)のやりとりをする場にはふさわしくない。
 勝って得られるものの重みと、負けることで背負う傷の深さが釣り合っていない。そんな形で選手たちを戦場に送り込むのはもうたくさんだ。
 今大会のトップ4でいえば、キューバ代表は五輪を最大の目標としている。韓国はシーズンを中断し五輪に集中してきた。USAはMLBを除外して割り切ったチームで臨んだ。良くも悪くも、それぞれのスタンスは明確だ。日本だけが中途半端な位置にある(4年前からの進歩は認めるが)。

 野球は今大会を最後に五輪競技から外れる。世界の野球界において、また日本の野球界において五輪をどう位置づければよいのかを、抜本的かつ徹底的に話し合うには、よい機会ともいえる。
 もちろん、誰がどういうテーブルについて話すのか、という前提に最大の問題があるわけだが、今度こそ誰か本気でそれを考えてくれないだろうか。新任のプロ野球コミッショナーには、ぜひそういう意識をもっていただきたいのだが。


関連エントリ:
五輪競技落選による、MLB一極集中体制の完成。
足りなかったもの。
星野仙一が代表監督にふさわしいと考える理由。
で、野球界は北京五輪をどうするのか。
横尾弘一『オリンピック野球日本代表物語』ダイヤモンド社

 改めて並べると、同じようなことばかりずっと書いてますが。

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2勝2敗。

 北京五輪の野球予選リーグは最初の4試合を終わって2勝2敗。星野監督が試合後のインタビューで話していた通り、「我々の力量からすれば最低の結果」といってよい。
 8チーム中4位になれば決勝トーナメントに進出できるのだから、数字の上ではまだまだ挽回できる圏内にある。しかし、負け方が悪いのが気になっている。予選の時には3試合、いや、2試合目には強い結束を見せていたチームが、北京では4試合を経ても、まだまとまれていないように見える。

 今日の韓国戦で和田が同点本塁打を浴びた場面や、9回表に岩瀬が打たれ、村田や阿部のミスも重なって3点を献上した場面。フジテレビの中継画面を見る限り(国際映像だから他局で見ても同じだろうけど)、打たれた投手やミスをした野手に声をかける者が誰もいない。失敗をした選手は、それぞれに独りで下を向いていた。

 今日の韓国戦の内野陣は、一塁・新井、二塁・荒木、遊撃・中島、三塁・村田。
 このチームの中心になるはずだった西岡・川崎の二遊間は、それぞれに故障が発覚してベンチにいた。彼らがダイヤモンドの中にいれば、決してミスをした選手を独りにはしなかっただろう。川崎はきっとうるさいくらいに声をかけまくっていたはずだ。
 だが、現実には彼らはいない。宮本キャプテンもその瞬間にはグラウンド上にいなかった。それを不運といえば言える。だが、4人とも(捕手の阿部も)所属チームでは押しも押されぬ主力選手、リーダーシップを発揮している立場のはずだ。誰それがいないからできません、では情けない。

 明日の休養日を挟んで、カナダ、中国、USAとの試合が続く。それぞれに簡単ではない試合になるだろう。おそらくは、この休養日に、チームとしてのメンタル面をどう立て直すかが鍵になる。宮本キャプテンの出番だろう。ダルビッシュに習って、みんなで頭を丸めるくらいのことをしたっていいんじゃないだろうか。

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