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禁句。

 どんな立場の人間にも「言ってはいけない一言」というものがある。
 野球日本代表監督にとっては、たとえば次の言葉がそれにあたる。

最初のゲームでバッターにしてもピッチャーにしても、なんかこわごわピッチング、バッティングしていたね。ストライクゾーンがまったくほかの世界でやっているような感じだった。それで戸惑った感じだった

 この大会におけるストライクゾーンが曖昧だったのは確かだ。決勝戦では、1点差の9回裏一死満塁という局面で、四球の判定に不満を示した韓国の捕手が即座に退場になるという異常事態が起こった。苦しんだのは日本だけではない。

 五輪の野球は、<まったくほかの世界でやっているような感じ>ではない。<ほかの世界でやっている>のだ。
 日本には日本の野球があるが、キューバにはキューバが、プエルトリコにはプエルトリコの野球があり、欧州には欧州の野球がある。それぞれが入り混じり、日によって入れ替わりながら現れるのが国際大会というもので、それは今大会に限ったことではないはずだ。

 野球の日本代表が国際大会に初めて参加したのは1972年の世界選手権(現在はワールドカップと名称を変えている大会)で、その時からすでに現場の指導者や選手は同じ問題に直面している。以来、野球日本代表は、その問題に取り組み続け、野球がオリンピック競技となってからは、ずっとメダルという結果を出してきた。
 ひとつ前のエントリに即して言えば、「4年間、キューバを倒すことだけを考え続けてきた」という指導者や選手が、90年代の日本にはいたはずだ。

 その後、大会規定が変更されてプロの参加が認められ、もはやアマチュアだけでは勝てない、と助っ人のようにプロ野球選手を加えた混成チームで臨んだのが2000年のシドニー五輪(正確には前年の予選から)。それでも優勝できないと見るや、次のアテネ五輪からは指導者・選手ともオールプロに切り替えた。

 逆に言えば、野球界は、4年間キューバを倒すことだけを考えていたようなアマチュアの指導者や選手たちから、最大の目標、最高の舞台を取り上げてしまったのだ。
 シドニー五輪でプロの参加が決まった時、私は、これで日本の社会人野球は衰退に向かうだろう、と予測した。
実際、有力な企業野球部の廃部は相次いでいる(正確に言えば、当時すでにバブル崩壊の影響などで縮小傾向があったが、五輪のプロ化はその傾向に拍車をかけたということだろう)。

 くどくどと歴史を繰り返してしまったが、要するに、日本にも<ほかの世界>を研究し、挑み続けてきた歴史がある。
 星野の言葉は、そんな歴史や先人に対する敬意をあまりにも欠いている。

 現場が望んだわけではないにせよ、アテネ以来の五輪日本代表は、「アマチュア野球界から最高の舞台を奪った」という十字架を背負っている。だから、この日本代表は、ファンや国民に対してはともかく、アマチュア野球界に対しては、金メダルを持ち帰るという責務を負っている、ともいえる。
 社会人野球時代に代表経験を持つ宮本慎也はそれをよく知っており、だからこそ彼はあれほどまでに強い責任感をもって五輪に取り組んできたのだろうと思う。たとえば現在日本生命の監督を務めている杉浦正則(同志社大の先輩でもある)のような人々に対して、「金メダルをとらなければ申し訳ない」という気持ちが、彼を動かしてきたはずだ。

 かつてアマチュア時代の五輪で日本代表を率いた人々、日本代表として戦った人々は、星野の言葉をなんと聞いただろうか。
 星野監督は北京五輪の本大会を終えてから、<我々にはもっともっとパワーが必要。パワーで押さえ込むことが備わらなければ国際試合には勝てないんじゃないか>という結論にようやく至ったらしい。今はプロ野球界の一員となっている山中正竹バルセロナ五輪監督は、この言葉をどう聞いただろうか。ソウル五輪の投手コーチとして、もはや技巧派では国際試合に通用しないと考え、野茂英雄や石井丈裕、渡辺智男ら球威と変化球の決め球にすぐれた投手陣を揃えて決勝に進出した経験を持つ山中なら、そんなことは20年も前から判っている、と思ったのではないだろうか。

 いずれにしても、老人たちのご都合主義で始まった、矛盾に満ちた「プロによる五輪代表」という活動は、今回で終わった。MLBが態度を変えない限り、復活は難しいだろう(五輪がUSAで開催される大会で組織委員会がごり押ししてIOCが折れる、というケースはありそうな気もするが)。
 最後には苦いものだけが残ったが、勝利の甘美さがすべてを覆い隠してしまうのとどちらがよかったかといえば、私には判断がつかない。アテネ五輪の後で、今はロサンゼルスにいる黒田が宮本に話したという、「銅で良かったんですよ。あんな準備で金メダルをとってしまったら、みんな『簡単なんや』と思ってしまう」という言葉が思い出される。


追記:
 2008.8.24付朝日新聞に掲載されたロイター発の記事によれば、IOCのジャック・ロゲ委員長は、野球の3位決定戦を視察した際に、<大リーグ選手が参加しない限り、再び五輪で採用されることはないだろうという考えを示した>という。<テニスにはフェデラーやナダルがおり、サッカーではロナウジーニョがいる><大リーグのチームが丸ごと出てほしいと言っているわけではない。ただ、五輪にはトップ選手がいてほしい>というのがロゲの談話。


追記2(2008.8.25)
野球が公開競技として採用され、初めてメダルを争った1984年ロサンゼルス五輪の代表監督として日本を優勝させた松永怜一さんがサンケイスポーツに今大会についての評論を寄せている。
<悔しいし、残念でもあるが、それ以上に憤りもある。ロサンゼルス大会以降、アマチュアが苦労を重ねて積み上げてきた成果が、最後の最後に崩れてしまったからだ。>
<敗因はいくつもあるだろうが、私はオールプロの彼らが、最後まで「箱庭」から抜け出せなかったからだと思っている。>
<異なる野球文化で知らない相手と戦わねばならない。自分の庭でいかに秀逸な技能を誇っても、それを五輪でも発揮できるかとなると、話は別だ。>

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コメント

野球中継時イニング間に流れるCMの中に「アサヒビールは野球日本代表の夢と情熱を応援します」というものがありましたが、五輪の金メダルを取ることよりも(五輪などにそもそも出てこない)MLBでプレーする夢を抱いている者の方がおそらくNPBの選手には多いだろうに、となんだか空疎な印象を受けたのは私だけではないと思います。

五輪開会前に発行された『Number』にロサンゼルス五輪の野球について書いた阿部珠樹さんの文章が載っていました。
広沢選手ら日本代表の学生組と松永監督率いる社会人組がアメリカで合流した際、本隊の鬼気せまる雰囲気に広沢選手はついていけなかったというようなことが書いてありました。
当時、公開競技の野球にどれほどのステイタスがあるのかわからないと尻込みする球界の中でなんとしてでもこれに勝たないと日本球界の未来がないと感じていた松永監督はいわばドン・キホーテのような立場であったとも書いてありましたが、松永監督のように、大会そのものの意義をしっかりと示し、それを達成するために大きな犠牲を払うことを納得させられる指導者がいるかどうかが団体競技の成績を分けたように思えます(たとえば、競技環境が男子にくらべて不安定な女子サッカーやソフトボールは今大会の成績がおそらく所属チームの存廃にかかわるような状況にあり、協会関係者も現場も背水の陣で向かったと思われます)。
WBCも当初そのステイタスがよくわからない難しさがあったと思うのですが(それゆえに日本人メジャーリーガーで出場回避する選手も出たのでしょう)、例えばイチロー選手が「世界一を決める大会だから出る、それだけ」とのコメントを繰り返し、大会そのものの意義を唱導していった結果、チーム全体のモチベーションも上がったのではないかと思います。
ひるがえって、今大会の代表選手たちは(ロス五輪開幕時の広沢選手のように)闘いそのものにモチベーションを見いだすことができないまま戦場に放り込まれ、(ロス五輪終了時の広沢選手とは違って)過剰なまでに五輪に何かを懸けるひとびとに出会わないうちに、あっと言う間の10日間を過ごしてしまった、という印象を受けました。
ネット上ではGG佐藤や村田修一そして星野監督への罵詈雑言が飛び交っていますが、こと選手に関していえば、シーズン途中で抜けてきたり、いつもと違うポジションを任されたりした(そしておそらく優勝したとしても「メジャー抜きのアメリカと韓国プロ選抜とキューバが相手なら勝って当然」といわれただろう)のに、なんだか気の毒なことになった感じがします。
前エントリで鉄さんが書いていることの焼き直しのようになりましたが、率直な私の印象です。

投稿: | 2008/08/24 13:26

たびたび失礼します。上記コメントは私が書いたものです。

投稿: かわうそさん | 2008/08/24 13:28

代表とはいえ、すでに商業スポーツで成功した選手達の集団にモチベーションを求めても難しいのだろうと思います。
むしろ、失うことへの恐怖心に動かされなければ必死になれないのでは、と思いました。
国の誇り等という抽象的なものでなく、キャリアやポジションの喪失という事態ですかね。
そういう意味で、ネット上での罵詈雑言も意味がないものとは思えないです。
次に代表に呼ばれる選手の腰が引けるくらいのバッシングが今回は必要と感じています。

投稿: takahashi | 2008/08/24 22:42

>かわうそさん

野球に限らないのですが、五輪で負けた選手や指導者に対して罵声を浴びせるという行動の正統性がどこから来るものなのか、というのが私にはよく判らないのです。

プロ野球やプロサッカーにおいて、日常的に応援しているチームや選手がファンを失望させるようなことをした場合には、ファンには怒る資格があるように感じます。彼らは日ごろからチームや選手を(金銭的にも精神的にも)支えているからです。

しかし、オリンピックの場合、一般のファンや視聴者は、4年に1度見るだけの代表選手たちを、支えていると言えるのでしょうか。国民として税金を払っている、とかいう次元の話を別にしたら、何が残るのか。言い換えれば、代表選手とは一体何を代表しているのか、という問いでもあります。

だから罵倒を慎むべきだ、とは言いません。批判したい人の口やキーボードを止めることはできない。ただ、自分は一見物人としてそこがひっかかる、というだけですが。


>takahashiさん
こんにちは。

>そういう意味で、ネット上での罵詈雑言も意味がないものとは思えないです。
>次に代表に呼ばれる選手の腰が引けるくらいのバッシングが今回は必要と感じています。

所属チームでのプレーに対してなら罵詈雑言がおっしゃるような効果を発揮することもあるでしょう。代表チームにおいては、辞退者を増やす可能性が大きいように思います。

投稿: 念仏の鉄 | 2008/08/24 23:16

バスケットの決勝戦を見ました。
あのアメリカが4年間ほぼ固定でチームを作り、
国際ルール対応と規律徹底のために大学のコーチを招き、
「ほかの世界」での戦いに備えました。
バスケの母国にしてダントツの才能を誇る彼らが、
それだけの準備をして五輪に備えたわけです。

日本は決して「ドリームチーム」じゃありません。
それがあの準備ですから…。
WBC優勝が日本球界を思い上がらせてしまいましたね。

投稿: 党首 | 2008/08/26 11:34

>党首さま
遅くなってすみません。
バスケットUSA代表、そんなに念入りに準備をしてきたんですか。やるとなればやりますね。

>WBC優勝が日本球界を思い上がらせてしまいましたね。

それもあるとは思いますが、やはり「プロの選手と監督を借りてアマ球界が五輪にチームを送り出す」という構造そのものに、責任感がどこかの隙間に落ちて消えてしまうような要因があるように思います。

投稿: 念仏の鉄 | 2008/08/28 22:24

このエントリを読むまで、国際ルールと国内ルールとでそんなに大きな違いがあるとは知りませんでした。
審判に文句は当り前、キャッチャーのミット修正は正当なテクニックだとばかり。
舞台が変われば常識も変わるんですね。

それにしてもその国際常識をアマ球界は知っていたのなら、なぜ今回の代表チームに伝わらなかったのでしょう?
普通のことなんでしょうか。それともアマとプロの壁が高かったということなんでしょうか。

後者だとすると、日本球界のプロアマのいびつな関係がメダルを遠ざけたと言えそうな気がします。いい加減、NPBに就職して配属先は完全ウェーバーのドラフトで決定、逆指命なしとかにして、プロアマ交流自由化すればいいのに。

あと、もしまたオリンピックで野球が復活するなら、アマのみの大会にしてほしいです。
普段日陰(大変失礼ですが。)でやっているひとたちにも、4年に1度くらい日本中の注目を浴びる場があっていいと思いますし、プロ球界にとってオリンピックは必要なものではないとも思います。
実はプロ側は選手もチームも結構迷惑なんじゃないでしょうか?少なくとも、オリンピックを切望はしていないと思います。

投稿: タム | 2008/08/30 17:11

>タムさん
>国際ルールと国内ルールとでそんなに大きな違いがあるとは知りませんでした。

ルールは同一だが運用が異なる、ということだと思います(タイブレークは別として)。日本国内でも高校野球では審判に抗議などあり得ませんしね。

>それにしてもその国際常識をアマ球界は知っていたのなら、なぜ今回の代表チームに伝わらなかったのでしょう?

この点については、星野監督とコーチ陣の責任が大きいと私は思います。準備期間はあったし、経験者に話を聞くこともできたはず。エントリの追記2に記した松永氏は、山本・田淵両コーチの法大時代の監督ですから、人脈もありました(山中正竹氏も法大OBです)。確か週刊ベースボールの記事だったと思いますが、松永氏が、過去の五輪各大会の分厚い報告書を全部コーチ陣に渡したのに結局生かされなかった、と憤るコメントが紹介されていました。

>あと、もしまたオリンピックで野球が復活するなら、アマのみの大会にしてほしいです。

プロはWBC、アマは五輪というのが一番すっきりするとは思います。しかし、そんなにすっきりと分けられる国は他にはほとんどなく、他国は同じチームで臨んでくるでしょう。
また、追記で触れたロゲ委員長のコメントを前提とすれば、五輪に野球が復活する時には各国からMLBの選手が出場してきますから、アマ野球では歯が立たないかもしれません。そして、8年後の日本の社会人野球界が、従来と同様の規模で日本代表を編成できるかという問題も残念ながら懸念されます。

というわけで、感情的にはご意見に同感する部分もありますが、現実には難しいのではないかと思います。

投稿: 念仏の鉄 | 2008/08/30 21:05

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