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立ちはだかる壁としての緒形拳。

 10代の頃、私は中年男の出てくる小説やドラマや映画や漫画が好きだった。読む小説はハードボイルドや冒険小説が多かったし(ちょうど内藤陳が熱心にその種の小説を紹介しはじめ、北方謙三や志水辰夫が売り出した頃だ。今にして思えば黄金時代だな)、谷口ジローの漫画についてはこのblogでも紹介したことがある。
 そして、映画やテレビドラマで具体的な肉体をもってそういう役を演じていた俳優が緒形拳であり、山崎努だった(なんだ、必殺なんたら人ばかりじゃないか、というご指摘は甘んじて受ける)。

 「必殺仕掛人」「必殺からくり人」などの職業的暗殺者、「復讐するは我に在り」などの犯罪者、あるいは現代劇。今朝、彼の訃報を伝えるワイドショーで「幅広い役柄を演じた」とナレーションがあったが、私はそうは思わない。どんな作品でどんな時代のどんな役柄を演じていても、彼はいつもここぞという場面で、にたり、と嬉しそうに不気味な笑顔を浮かべる不可解な人物だった。あの、謎めいた笑顔に不思議と惹きつけられて、いつもそのまま目が離せなくなった。

 世間で注目を浴びたのが昭和40年の「太閤記」の主役であったことに象徴されるかのように(私はまだ1歳だったのでまったく記憶にないが)、NHKの大河ドラマにもよく出演していた。当たり役の豊臣秀吉は「黄金の日々」でも演じたし(若い頃にかわいがっていた主人公の助左に、死の床の秀吉が「ついほうめいず」と紙に書いて見せる場面が妙に印象に残っている。この時もやはりあの、にたりという笑顔だった)、「風と雲と虹と」では藤原純友。昨年の「風林火山」にも、上杉謙信の謀将として出ていた。彼が敵の陣営でにたりと笑っているだけで、主人公によくないことが起こるに違いない、という不吉な予感に苛まれる。

 民放のテレビドラマにもよく出ていた。私はドラマをあまり見ないのでたくさんの例を挙げることはできないが、たまたま見た中では、木村拓哉の「ギフト」や、長澤まさみの「セーラー服と機関銃」が印象に残っている。どちらも、最後に主人公が対峙する巨大な敵、という役どころで登場し(「セーラー服…」は最終回しか見てないのでよくわからないけど)、それがまたよく似合っていた。父、あるいは祖父の世代や世界を代表する、乗り越えるべき巨大な壁。そんなものを1人で象徴しうる存在感があった。
 彼が出てくるだけで場面が引き締まり、作品のグレードが一段上がる。そんな俳優だった。

 まだまだ現役の俳優だと思っていたので、訃報には本当に驚いた。ご冥福を祈る。

 気がつけば、緒形が「黄金の日々」で秀吉を演じていた頃の年齢を、自分はすでに超えている。自分は「越えるべき壁」として若者たちに立ちはだかるほどの存在感を備えることができているだろうか。はなはだ心許ない。たぶん何年経ってもそんなものにはなれそうにないし、別の芸風を探した方がよいのだろう。

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コメント

いつも興味深い内容で楽しみに拝見しております。

彼が出てくるだけで場面が引き締まり、作品のグレードが一段上がる。そんな俳優だった。

同感です。
本当に素晴らしい存在感の方だと思います。

投稿: CEDAR | 2008/10/07 21:59

>CEDARさん
ありがとうございます。
少し時間ができたら何か彼の映画を借りてきて見てみようと思っています。遺作となった倉本聰のドラマも見てみようかな。

投稿: 念仏の鉄 | 2008/10/08 08:51

マスコミでは代表作として梅安役が取り上げられることが多いようですが、自分は「必殺必中仕事屋稼業」で林隆三と連むそば屋の半兵衛役が忘れられません。はにかむようなシャイな笑顔が印象的でした。

投稿: | 2008/10/08 21:23

>2008/10/08 21:23の無記名コメントに

「必殺必中仕事屋稼業」、私はあまり見てないんですが、必殺では比較的普通っぽい人の役でしたね。同じ笑顔が、役柄次第で「はにかむようなシャイな笑顔」に見えるような気がします。
倉本聰がメディアに出したコメントに「人たらしの笑顔」という言葉があり、さすがだなと思いました。

投稿: 念仏の鉄 | 2008/10/09 09:04

緒形拳、エリック・ロメール、クロード・シャブロルの訃報を知った時は本当に悲しくて残念に思いました。

彼らはみんな全身全霊に自分の青春と人生を全て映画と芸術に捧げた人物なので、フランスと日本の映画史では大事な一章を残しました。

フランソワ・トリュフォーとクシシュトフ・キェシロフスキも若くしてこの世を去ったので本当に感無量です。

投稿: 台湾人 | 2010/12/27 16:47

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